「カイエ」表紙に戻る
2009.10.01.

杉本博司U
 

  

    

  待ちに待った杉本博司展@国立国際美術館である。  箱が違うから、全然違う展示になるだろうという前評判だったが、違いは一目瞭然、向こうは光が入る明るい建物、こちらは地下の展示室である。白い明るい部屋で発光したような海の写真がどうなっているのか、学芸員の力量はいかに、と実に意地悪な態度でわくわくしながら、美術館に向かう。  

  エレベーターで地下一階に下りると、吹き抜けのホールに、あまり感動的ではなく化石が並んでいる。すぐ隣に例の写真があるわけでもないので、金沢のような驚きはない。  

  ふむ。ちょっと妙な感じだ。作品の並べ方は全く違う。私は意地悪く、監視しているお姉さんに「見る順番はありますか?」と聞いてみたりする。いつもこの美術館は、地下三階が企画展、二階が常設展とミニ企画展なので、このように全館が一つのエキシビジョンになっているのを見るのは初めてなのだ。若干肩すかしを食らったような気分で、しかし、次のスペースに入って私の意地悪い心持ちは吹き飛んだ。  真っ暗の中、細い長方形に区切られたスペースの、軽いアールがついた一面に、ずらりと海の写真が並んでいる。かろうじて写真が見える程度の照明の中で、いくつもの海が、ぼんやりと浮かび上がっている。  泣きはしなかったけど、全身は震えた。金沢の発光した海と、大阪の暗闇の海。この二つの美術展を見られて、私はなんと幸せなんだろう。  

  こちらの方が、展示方法は凝っている。やや、懲りすぎな感じがするのは、ここではよくあることなのだけど、この展示会に関しては杉本博司の意向が相当入っているようだ。(展示のドキュメンタリーが流されていたが、全部彼が決めたのかもしれない)。金沢と違ってとにかく暗いので、仏像もわざとスポットライトで影が重なるように展示されている。当麻寺の柱も、突き抜けるような天井の中にあった金沢と、明るくない閉鎖空間では別人だ。あそこでは、「当麻寺の廃材だああ」という感じだったのだけど、ここで見ると作られたオブジェに見える。暗闇の海のせいで行き場を失った観音様が、ほんとに置くとこなかった、という感じで隅っこにいるのに笑ってしまう。金沢では海を統べる女神さまだったのに。  

  違っているのは美術館だけではない。一月から私も変わっている。金沢で買った杉本ブックで彼のことは沢山知ったし、二月に行った法隆寺をきっかけに、人生初の寺社仏閣ブームまで起きている。ちゃんと実際に当麻寺にも行った(これを「たいまでら」と読むことも知った)。訳がわからなかった仏像やら古い布やらを見る目も、一月とはちょっと違う。 地下三階の展示はそうした細々したものがコンパクトにまとめられていて、あまり退屈しないで観賞できた。  

  再び地下二階の海の部屋に戻る。この部屋に、一日中入れたらしあわせだろうなあ、と思う。誤解を恐れずに言うと、杉本博司の作品群は、私にはものすごくよくわかる。海の写真でも、映画を一枚の写真に映し込む劇場シリーズでも、心情的にとてもよくわかるのだ。でも、普通は気恥ずかしくてちょっとしないよな、と思う。それを、堂々としてしまっているのが、何だかすごくおかしい。そういう意味では、ほんの少しナム・ジュン・パイクを思い出す。  どちらがいいというのは無意味だけれど、強いて言うならエンタテーメントの金沢、美術展としてのクオリティの高さは大阪、という感じか。いずれにせよ、いい美術展だった。  

(c) 2000 Shirokuma Seshiro, Hebon-shiki