「カイエ」表紙に戻る
2009.10.01.

杉本博司T
 

  

    

  今年の一月、金沢に行く機会に恵まれた。目的は、金沢21世紀美術館。開館以来、ずっと行きたかった美術館である。ちょうど企画展で、 杉本博司の「歴史の歴史展」が行われていて、これが、その後大阪の国立国際美術館に巡回するのは知っていたが、 とにかく一度行ってみたかった美術館で杉本博司が見られるのはいいタイミングに思えたのだ。  

  ところで、杉本博司という写真家のことは、数年前から知ってはいた。建築のシリーズに、昨年は最大のマイブームとなった劇場シリーズ (暗闇で絞りを絞りきり、長時間シャッターを開けておく写真を、遊んで撮りまくった)、それに海の写真!!
  逆に言うと、それだけしか知らなかった。つまり、彼のジオラマシリーズも彼が古美術の収集家であることも知らない人間が、 杉本博司の「歴史の歴史展」と聞いて何を想像するか。寺社仏閣や仏像・彫像を撮った写真を展示した美術展。そう思いこんで金沢を訪れた私が、 最初の部屋で目にしたのは、壁一面に貼り付けられたアンモナイトや古代生物の巨大な化石だった。
 とりあえず、頭の中ははてなマークで一杯になるのだが、動揺しなかったふりをして観賞する。異様に大きな三葉虫やらウミユリの化石。きれいすぎる。 これは一体何だ? と、その化石群の壁面が終わった横に、写真が展示されている。  『デボン紀1992年』
 隣に展示されている化石の生物が、泳ぎ回っている海底の写真だ。
 私の頭の中で、ずる、っとズレが生じる。それも「ちょっとしたズレ」なんていうかわいいものではない。地震の後の断層ぐらいのズレである。 その瞬間、私は一月にして、このエキシビジョンが今年のベストになるだろうことを確信する。

 私は一応、妹に確認した。
「デボン紀にカメラはないよね」
「うん、ないねえ」と妹が気のない返事をする。
 これはなんだ。全部フェイクか?
 その部屋の最初から、私はオブジェを見直すが、化石群はどれも本物らしい。しかし、並んだ曲玉にはプラスティックが紛れ込んでいる。おおおお、ポストモダン。  

  次の部屋には当麻寺の柱が乱立している。
  なぜ当麻寺の柱がそこにあるのか、私にはさっぱりわからないのだけれど、その頃になってようやく、これはどうやら杉本博司の集めたコレクションの 展示らしい、ということがわかってくる。それにしても当麻寺だの立派な化石だの、一体どうやって収集しているのだ。彼の家は美術館か?疑問は続く。  

  コレクションは更に続く。いつまでたっても、彼の写真らしきものはほとんどない。最初の化石だけでもすごいのに、能の面から仏像、 仏舎利、更に訳のわからないもの(隕石とか戦時中の雑誌とか、昔の解剖図とか)、ジャンクな感じのものがあって、いくらかは退屈する。 しかし、よく見ていくと、日本の中世の宗教グッズに、彼が作ったオブジェや写真が入っていたり、古い掛け軸に彼の写真が入っていたりと、先ほどでない、 ちょっとしたズレがあちこちにちりばめられている。  

  すっかり疲れて一室を出ると、スコン、と中庭を抜けたガラス張りのトンネルの向こうに、無料ゾーンで遊ぶ子どもたちが見える。「不思議の国のアリス…」と私は思わずつぶやいた。ここは、市民に開かれた美術館なのだ。有料ゾーンには観客が少ないが、無料ゾーンにはわさわさ人がいる。外には、ハンプティダンプティが座ってそうな、植物に覆われた壁がある。超モダンアートと、美術館で遊ぶ子どもたちをつなぐガラスのトンネル。ズレは美術館にも隠されている。

  ようやくたどり着いた最後のゾーンは、円形のホールにぐるりと回る海。出入り口からはガラス張りの壁を通して外の風景が見え、そこはまるで、私が昔考えていた自我のモデル−円形に壁があって中身があるように思えるけれど、壁と壁の間に隙間が沢山あるので周囲とは隔絶していない空間−のように思える。その壁に、世界中の海を同じ構図で撮影した「海景(シースケイプ)」の写真が並ぶ。その真ん中に、悠然と微笑む観音様。  

  ものを知らないというのは、何とすてきなことだろう。ものを知るという喜びを味わえるのだから。杉本博司のことをよく知っていたら、私はこの美術展を、こんな風には楽しめなかっただろう。  

  私たちは有料ゾーンから出て、金沢の小学生が作った最新のモダンアートを観賞する。杉本博司になかなか負けていないものもある。こちらには子どもやその保護者で一杯である。ちょうどここの目玉アートである、『スイミング・プール』のように、美術館全体がだまし絵のようで、楽しい。

 

  注)金沢では展示リストがなかった(品切れ?)ため、大幅に記憶操作されている可能性があります。  

(c) 2000 Shirokuma Seshiro, Hebon-shiki