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2013.03.21

「大阪アースダイバー」と対称性
 

  
さすがに最近は、 家内安全とか家族の健康とかを祈願するようになっているけれど、若い頃、神社で手を合わす機会があると、「美しく生きられますように」とお願いしていた。 神に何かをお願いするなんて気恥ずかしくて、そういう抽象的なことでごまかしていただけだけど、今年も新年に神社まで散歩して、初詣の真似事をしながら、ふとそのことを思い出した。
改めて、美しく生きる、ということを考えてみると、意外と自分が、その願いを叶えているような気がしたのだ。
美しく、というのは、もちろん、レースとバラとご馳走の日々ではなく、心持ちが美しいとか、性格がいいとか、人に優しいとかいう意味ですらない。
ひどいこともいっぱいして、失敗も問題も山積みで、子どもの頃憧れていた将来像とは程遠いけれど、今、自分がここでこうしていることについて、なんの悔い もなく、お金はないが、なにかで満ちたりている。私が漠然と望んでいた美しく生きるというのは、こういう立ち位置だったんじゃないだろうか。

昨年、中沢新一氏の『大阪アースダイバー』出版記念講座に行った時の話を思い出す。大阪の気風・原理を、彼は『マクベス』の一節を引用しながら、解説していた。

「きれいなもんはきたない。きたないもんはきれい」

私の心はきれいなものもきたないものも自然に抱えている、という状態が基盤にあると、そう間違ったものは生まれない。それに対して、東京の原理は基本的に「ええかっこしい」である。よいことと悪いことが分離し、きれいはきれいできたないはきたないという状態は、人格を固着させ、社会を停滞させる、と。大阪の原理が、停滞している日本を変えると期待している、と中沢氏は続けた。

この話は、私が思う「美しく生きる」ことと重なっていた。

ところで講演のあと、私はどうしても聞きたいことがあって、どうにかこうにか中沢氏を捕まえた。『大阪アースダーバー』にサインしてもらいながら、私は聞いた。

「きれいはきたない、きたないはきれいという話を、対称性のことだと思って聞いていたのですが」
「その通りです」
「では、その場合、対称性の破れはなにになるのでしょうか」
「・・ええかっこしいですね」

講演内容からいけば、それは当然の答えなのだけど「対称性の破れとは、ええかっこしいである」というシュールな命題にクラクラして、その後、続いた解説の内容は内容は全く覚えていない。

対称性は、物理学の用語で、物理関係の本を読み出してから、私はずっとその概念に魅了されている。それは、文字通り対称的であることであり、Cの形よりA の方が対称性が高い。それよりも円の方が、更に球体の方が対称性が高い。どう回転させても、どこに行っても、同質性を保っているモノ、コトは、対称性は高 い、と言われる。ある種の調和や美のように見えるのだけれど、対称性の意味は、それだけではない。真四角に凍った氷は美しいが、それよりも、氷が溶けて乱雑な分子になった時の方が対称性は高い。更に気体になって飛び回っている分子の状態、「どこから見てもみわけがつかない」状態の方が対称性は高い。

乱雑、ランダムである方が同質性が高い。こういうメビウスの帯的な話に、人文系の人間は弱い。中沢氏も、自身の研究を、対称性人類学と名付けている。

ところが、その対称性が破れる、という概念が、とってもよくわからない。世界はいたるところで、対称性の破れを繰り返しているらしい。水が氷になるのも対称性の破れだし、ビッグバンの後、一番最初の対称性の破れのせいで、質量が生まれた、らしい。ランダムな同質性が破れる、ということはランダムでない異質性になるということで、要するに個体・個別化するということなのか。

だから、以前、中沢氏の著作に対称性という言葉を見つけて興奮した私は、対称性の破れのことを彼がどう考えているのか、ずっと聞いてみたかったのだ。

「対称性の破れとはええかっこしいである」
言い得て妙に思うが、単純におかしくて楽しくなる。


そんな、対称性の高い大阪という街を、私は実はよく知らない。
大阪の端で半世紀生きているが、両親共、大阪人ではなく、実際のところ、「大阪アースダイバー」を読んでも、 あんまりピンと来なかったのだ。
だから、ちょうどその頃、大阪の街あるきイベントを知ったのは、とてもいいタイミングだった。大阪の今と昔を仮想しながら、実際に街を歩いてみると、なに かはわからないけれど、触ったので感触はわかる、ぐらいにはわかったような気がする。とても猥雑で得体が知れないのに、海に陽が沈むのが当たり前な場所。(そう、世の中には海に陽が沈まないところもあるのだ。私は最近まで、太陽は海に沈むものだと思いこんでいた)。

私たちは、テレビに出てくる大阪のイメージを 止揚して、もっと奥にある魅力を理解し、肯定し、活かさなくてはならないのだろう。


「私の心はきれいなものもきたないものも自然に抱えている、という状態が基盤にあると、そう間違ったものは生まれない」

最近の、マイナス思考や負の感情の排除ばかり強調する風潮に少し不安になる時、この言葉を思い出す。今の日本には、とても必要な考え方のように思う。


「大阪アースダイバー」中沢新一 講談社

対称性についてはブライアン・グリーンの各著作を参考にしました。

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