2005.10.01. |
アメリカ、家族の風景
主演・脚本はサムシェパードである。ちなみに私はサムシェパードを、現存するもっともハンサムな男性だと思っているので、あしからず。
筋は単純で、映画スターのシェパードが、ある日突然、撮影現場を逃げ出す。何十年ぶりに母を訪ね、自分に子供がいることを聞かされる。
そこで彼は旅を続け、昔の恋人と成人した息子に出会う。
しかし、映画は、フツーじゃない雰囲気で進む。大体、映画スターとサム・シェパード。これほど似つかわしくない役はない。
しかも、彼はアメリカの、カウボーイ・スターである。もはや存在しないはずのそんなスターとサム・シェパード。
映画は最初から、奇妙な形でねじれている。
以前何かの映画で、ものすごいお爺さんの役をしていて私を驚愕させたシェパードだが、今回は旅行くと女性たちが群がり、
共演していた女優さんにも「彼じゃなきゃ、ぜったあい、いや!」と言わせるハンサムな役所である。
しかし、私でも「それはないやろう」と思う程度には歳をとっていて、コメディなのか、何かのパロディなのか、なんだかとっても変だ。
とにかく彼は、昔の恋人(まあ、当然というか、ジェシカ・ラング)と息子に拒絶され、しかし唐突に現れた、娘だという女の子に救われ、
何となくちょっと心を通わせた後、映画会社が雇った探偵に連れ戻される。
不思議な映画だなあと、思いながら、ぼんやりと見ていると、その内、語られている英語の言葉がとても気持ちがいいことに気がつく。
何、とは言えないが、なるべく字幕を見ないように、耳を澄ませていると、一つ一つのせりふが短くシンプルでとてもわかりやすい。
ちょうど、原題の「DON'T COME KNOCKING」のように。これは、ハワードの控え室(トレーラー)に残されていた表札だ。
そして、この映画はタイトルの通り、DON'T COME KNOCKINGと思っている人たちの物語なのだった。自分に子供が(二人も)いることも知らなかったハワードだけではなく、その恋人も子どもも、優しく聡明な母親ですら、〈じゃまをしないで〉と、どこかで思っている。ただ、唐突に現れ、何の説明もしない彼の娘だけが、そんな彼らを危うくつなぎとめる。少女が救いの存在である、というのは、ヴェム・ヴェンダースの定石であるように思われる。その善し悪しは別にして、ブルーという名のこの少女は、静謐な美しさに満ちている。
家に帰ってサム・シェパードの本を開くと、この映画の台詞のように、シンプルな文章が並ぶ。リズミカルでとても気持ちがいい。
彼の映画はほとんど全部、監督・脚本ものも含めて見ているが、『パリ・テキサス』も『ノースフォース』も、こんな英語だったのだろうか。
ぱっと見の難しさにだまされて、今まで気がつかなかったけれど。
その後すぐ、テレビで『パリ・テキサス』を見る機会があった。20年以上前、どうしてよくわからなかった
(というか、ぴんと来なかった)のかわからないくらい、いい映画だった。そして台詞は、やはりシンプルで美しかった。
この映画のシェパードの脚本が絶賛されたのは、その内容だけではなくリズムが、ヴェンダースのぬちゃっとした映像と奇妙にシンクロ
(合っているのか?多分合ってるんだろう)しているからなんだろう。
なんだか、気づくの遅いけど。
(c) 2000 Shirokuma Seshiro, Hebon-shiki |