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2013.09.09.

EVA エヴァ
 

  

 
見逃していた『EVA』をテレビで見る。派手なアクションやCGはない、スペインのSF映画だ。

ロボット技術のパイオニアである若い科学者が、雪深い故郷に帰ってくる。10年前彼は、自律型ロボットを作ろうとして失敗し、故郷を捨ててずっと国外で暮らしていたのだ。その自律型ロボットの情動反応を完成させて欲しいという大学の要請で戻ってきた彼は、かつての研究仲間である恋人、彼女と結婚した兄と再会する。ロボットの感情記憶のモデルにする少年を探すうち、出会ったユニークで聡明な少女は、兄夫婦の子どもだった。

ロボットの感情制御やら、兄弟の三角関係やら、ずいぶん古風なテーマで映画は進む。そして、いつものことながら驚愕のスペインの子役!独特に大人っぽく、色気というのか、既に人の業を悟ったような表情は、スペインの子どもにしか見られないような気がする。あの国には、12歳くらいまでが一番聡明で、ローティーンから大人になるにつれ、だんだん愚かになって行く、という文化があるのかもしれない。主人公のエヴァを演じる少女も、初めて会った叔父に恋心を抱いているのか、本当の父親かと疑っているのか、なにか別の関心があるのか、彼女の言動は、やがて大人たちを追い込んでいく。

古風という点では、登場人物たちは、ロボットを作りながら、タバコを吸う。(アメリカ映画ではありえない!)
なんでもないシーンだけれど、結構象徴的である。
人間は、バカなことをわざわざする生き物なのだ。
弟がいない間に兄が完成させた、非自律型ロボットも、とても印象深い。紳士的な外観で、家事は完璧、介護や医療、電気工事の技量もあって、ウザイな、と思ったら感情レベルを下げ、ちょっとかまってもらいたい時はレベルを上げれば、ハグもしてもらえる。私のような凡人が考えるところの、完璧なロボットだ。

しかし天才科学者は、普通のロボットではつまらないと、自律型ロボットをプログラムし始める。好奇心旺盛で独創的で、一緒に暮らしたいと思う魅力的な少年ロボット。しかし、順調に進んでいたプログラムは、ある日突然、カンシャクを起こしたロボットが、彼に向かってナイフを投げたことで、破綻する。

人間にとって完璧に便利な執事ロボットと、ナイフを投げる少年ロボットの間には、一体何があるのだろう。
生き物と生き物でないもの。
人間と人間ではないもの。

たまたま原爆が長崎に落とされた日にこの映画を見て、結局、生きものとは、生きものを殺せるものという意味ではないか、とも思う。 人が人を殺すことはここまで容認できるのに、人ではないロボットが人を殺すことを、人は嫌悪する。

制御できなくなったロボットをリセットする合言葉は、「瞳を閉じれば何が見える?」
学生用の学習ロボットから高度な少年ロボットまで、リセットの言葉は同じ。この最終手段は、プログラムされた能力だけでなく、これまで積み上げてきた経験知や記憶もすべて消去し、その個体の、完全な死を意味する。

瞳を閉じれば、海が見える。
雪深い村にはない、真夏の海岸線で遊ぶ夢。
無限の好奇心や欲望がなければ、そこに喜びがなければ、感情は制御できて、なにかを傷つけることもないのだろうか。
あるいは、存在することがすでに暴力なのだと、小さなロボットを想う。

『EVA エヴァ』
監督 : キケ・マイジョ
出演 : クラウディア・ベガ、ダニエル・ブリュール、ルイス・オマール、アルベルト・アンマン
2011年 スペイン / 94分
配給 : 松竹

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