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2014.03.19

エレニの帰郷
 

 

 
昔、豊中平和映画祭の企画運営というボランティアをやっていた時、映画を配給会社から借りるというのは、なかなか大変な作業だった。 日程の調整や値段の交渉以前に、まず希望するフィルムを貸してもらえるかどうかがわからない。映画は、お金を出せば手に入るというものではない。こちらの組織や上映意図を説明し、映画祭の規模や周辺映画館の上映スケジュールなども考慮し、できる限り値切って、ようやく可能になる。そうして上映の前日に送られてくるフィルムは、恐ろしく重く大きく、大変な資産を預かっているのだと、背筋が寒くなった。

そんな中で、フランス映画社という、単館系の名作を中心に配給している映画会社は、私たちには映画を貸してくれなかった。「映画をなにかのために利用しない」という強い信念を持っていたのだ。平和映画祭という冠がついたところで上映すれば、観客はあらかじめ、そういうフィルターで映画をみる。私たちの映画祭は平和映画祭とはいえ、いわゆる平和万歳、戦争反対ではなく、そうした概念を問い直し、人が争うことの根源を考えようというコンセプトで、およそ平和映画祭には当てはまらなそうな映画をやってきたのだけれど、それをいくら説明しても、だめだった。唯一、映画祭10周年の記念事業で、メンバーの一人が口説きに口説いて借りられたのが、テオ・アンゲロプロスの『旅芸人の記録』だった。

私はというと、当時大絶賛されていたこの映画のことは、たいして好きではなかった。なにしろ長い。今一つピンとこない。基本的に、テオ・アンゲロプロスの映画は、何を見てもそうだった。どれもすごい映画ではあるのだけど、いくら映画でも、そこまでせんでもいいんちゃう、と思ってしまう、表現のきついところがあって、ストンと腑に落ちないのだ。

そのアンゲロプロスが、昨年、交通事故で死んだ。『エレニの帰郷』が彼の遺作となる。突然の死だから、本人はこれが最後になるとは全く思っていなかっただろう。


戦時下のギリシャで投獄された女子大生が、脱獄してソ連に逃げる。彼女の恋人は危険を冒して彼女を救出に行くのだが、一時の愛を交わしたあと、二人は捕まり、それぞれシベリアに抑留される。彼との子供が生まれ、長い長い時間が過ぎたのち、二人は再会する。シベリアでの年月、彼女を支えてきたユダヤ人の男がいる。彼は彼女を深く愛しているのだけれど、彼女は恋人を想い続けている。 そんな彼らの人生を映画にしようとする息子とその娘、が映画のすべてである。

場面場面で、あるべき背景、筋書きについては語られない。例えば、女子大生がなぜ投獄されたのか、なぜソ連に逃げたのか、シベリアでユダヤ人の男とどんな関係だったのか、想像はできるけれど、映画で説明はない。女子大生と恋人がどんな関係だったのかも、一つのダンスと音楽以外は語られない。エピソードといえるようなものもほとんどない。ただただ、息が詰まるような女性の想い、男たちの想い、物語になる以前の、核のような強い想いだけが綴られる。
長い時を経て、国を追われた人々、迫害を受けた人々、「時代に翻弄された」人々。だれも、なにも、悪くない。しかし、後悔や悔恨もない。発狂してもおかしくない状況下で、彼らは淡々と生き続ける。

窒息しないようにセーターの襟を広げ、何度も深呼吸しながら、私はフランス映画社のことを少し思い出していた。 映画をなにかの道具にしない。フランス映画社と平和映画祭のニュアンスとは少し違うけれど、この映画は、正にそういう映画だった。人を感動させるために、泣かすために、楽しませるために、ある映画ではなかった。ただ、映画を作り続けること、表現すること、つまり、人が生きるということの尊厳に満ちていた。
私はアンゲロプロスのその厳格さに、歳をとってもなお揺るがない、厳格さに圧倒された。


主人公の女性を、女子大生から最期まで演じるのは、キシェロフスキのミューズだったイレーヌ・ジャコブ。キシェロフスキの死後、あまり見かけなかったが、大変な熱演だった。ユダヤ人を演じたブルーノ・ガンツも凄まじく、怖いくらいの演技だった。もう一人はミッシェル・ピコリなのだけど、彼は年老いた時に出てくるだけなので、少し影が薄い。もう、80代後半になるらしい。

舞台はベルリンで、天使のモチーフがあちこちに出てくる。ブルーノ・ガンツは、年老いた天使にも見える。そして、イレーヌが演じるのはエレニという女性で、孫になる女の子もエレニ。自殺未遂をし、死にたいと叫ぶリトルエレニに、祖母のエレニは感動的な説教をするわけもなく、ただ抱きしめて、だまって彼女の願望を飲み込んでしまう。一人の死が、一人を生きさせる。イレーヌの出世作、『ふたりのベロニカ』はそんな映画だった。

『ふたりのベロニカ』も『ベルリン・天使の詩』も、アンゲロプロスからは少し遠いような気がするのだけれど、そんな映画への目配せは、この映画を少し柔らかくしているし、ちょっと謎めいて見せている。


80年代のフランス映画社といえば、本当に飛ぶ鳥を落とす勢いだった。アンゲロプロスの作品をはじめ、『ミツバチのささやき』『悲情城市』『ブリキの太鼓』といった映画史に残る名作群を、平和映画祭ではあらかじめ、選択肢から外さねばならなかった。そのあとに続く、ミニシアターブームを牽引し、あの一時代、日本における多種多様な映画文化を支えたフランス映画社は、ミニシアターがシネコンに吸収された今、倒産の危機にあるという。

平和映画祭も最後の数年は、様々な理由でデジタル上映になった。配給会社から、フィルムと同程度のレンタル料を払っているにもかかわらず、市販のものと全く同じDVD(このDVDを上映することは禁じられています、とクレジットの入った)が送られて来た時、私は、映画という文化が、以前とは全く違うものになったのだと実感した。

映画をなにかのために利用しない。そんなことをわあわあと論争しあえる空気は、これからも日本に残るだろうか。重いフィルムと共に、消えてしまったものがたくさんあるような気がしてならない。


●エレニの帰郷 2008年/ギリシャ=ドイツ=カナダ=ロシア
監督・脚本 テオ・アンゲロプロス
イレーヌ・ジャコブ ブルーノ・ガンツ ミシェル・ピッコリ ウィレム・デフォー
127分 配給:東映

●ふたりのベロニカ 1991年/ポーランド フランス
監督 クシシュトフ・キエシロフスキ
イレーヌ・ジャコブ フィリップ・ヴォルテール
92分 配給:KUZUIエンタープライズ

●ベルリン・天使の詩 1987年/西ドイツ/フランス
監督・脚本 ヴィム・ヴェンダース
ブルーノ・ガンツ ソルヴェーグ・ドマルタン オットー・ザンダー ピーター・フォーク
128分 配給:フランス映画社

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