甘 南 備 神 社 由 緒
一、御祭神

事 代 主 神    ことしろぬしのかみ
大 国 主 神   おおくにぬしのかみ
少 彦 名 神   すくなひこなのかみ
相殿 龍 王 神  りゅうおうのかみ

一、御鎮座の由来 (神さぶる 千木仰ぐにも おもふかな みむろの山の高きみいつを 加茂百樹)

遠く元明天皇和銅元年(708年)備後の国に悪疫大いに流行せし折り、時の国主佐伯宿禰麿は平素常に崇敬する出雲の国の美保の大神(事代主神)
の御分霊を三室山に奉斎し、ひたすら御祈祷申し上げたところ、さしもの悪疫も日ならずして退散致したので、備後地方の民人は挙げて其の御霊験の誠に顕著なるに歓喜し、其の感謝報恩の誠心を結集して、いとも荘厳なる御神殿を造営し、父神大国主神少彦名神をも合わせ祀りて、祭典を盛大に厳修し奉りてより御神徳益々高く御神威日々新たにして、御社運益々興隆し給ひ、氏子崇敬者は日夜広大無辺なる御神恩に浴し、子孫相伝へて、感謝報恩の誠を捧げ尽している。
又、相殿龍王神は、元正天皇養老七年(723年)旱魃の為、天下の草木稲苗共に枯死せんとしたので、万民は悲嘆に暮れていたところ、藤尾村の龍王神は、国府の一賤女に「吾前を三室山の甘南備神社に合わせ祀らば旱災を除くべし」と日ひ、その御神託により遷し祀りし由緒ある神である。    

一、ご祭神のご神徳 (天地と ともにひさしく 天皇の 御尾前つかへ国まもる神 橘曙覧)

事代主神は大国主神の御子神にましまし、父神と心力を合わせて国土経営に当たり給ひ、天照大神に国土を奉献せられて、ひたすら御神忠をお尽しなされ、永く皇室の守護神となり給ひ俗に「えびすさま」と申し上げ、福徳円満・平和友好・商売繁昌の御神徳広大なものがある。
大国主神は事代主神の父神にましまし、慈愛謙譲の御神徳高く、国土開発・農業経営・産業振興・経国愛民の大業を成就し給ひ、俗に「だいこくさま」と申し上げて、縁結びの神として、万民の幸福を護り給ひ国家の守護神である。
少彦名神は大国主神と兄弟の如く仲良く、国土経営にあたられ、医薬禁厭の法を定め給ひて、民衆の疾苦を安じ給ひて、医薬の神・温泉の神・酒造の神として御神徳が高い。
又、龍王神は、雨の神として旱魃ある毎に古来効験顕著なるものがある。

一、御社柄 (明治天皇御製 日の本の 国の光の そひゆくも神の御稜威に よりてなりけり)

御神階は淳仁天皇天平宝字四年(760年)従五位上に敍せられ、清和天皇貞観九年(867年)4月正五位下に進められ、陽成天皇天慶二年(778年)11月正五位上に進められた。御社格は、延喜の御代(901〜923年)に式内小社に列せられ、明治5年11月に芦田郡郷社に、昭和3年10月19日県社に列せられ、昭和21年には国幣社昇格が内定していた。

一、崇敬 (かむなびの 神のみめぐみ いただきて 清く明るく生くる楽しさ 小田瑞穂)

本社は当地方に於ける最も由緒ある古社にして、古くより歴朝の御崇敬特に篤く、就中淳仁天皇清和天皇・陽成天皇は事ある毎に奉幣し給ひ、又毛利元就公・水野勝成公をはじめ、松平・阿部の諸公等は夫々祈願所として深く崇敬された。県社昇格以来、祈年・新嘗の二大祭には、県知事の幣帛供進がおこなわれた。御祭神が出雲の縁結びの福の神にましますので、その御神徳を敬慕して、神前結婚式を挙げる人も多く、又農工商何れを問はず、いわゆる「甘南備大明神」さまと称え奉り、就中「笑いの神」に習って「和和平平」の生活顕現の御加護を祈る人が日に増しつつある。

一、御社領 (鉾杉の 木の間をもるる 冬の日も 神さびにけり賀武奈備の杜 得能正通)

永禄元年(1558年)毛利元就公は祈雨報賽の為、田一ケ所を永代寄附せられた。寛永十五年(1638年)水野勝成公は同じく祈雨報賽の為、赤岩田地一ケ所を御供料として寄附、寛文三年(1663年)には山林二町余を宮山として寄進せられ、後境内地に編入せられた。又最も特筆すべき寄進は、大正14年12月、出口町・府中町の両町合併に際し、出口町より町有林56町5反21歩を御昇格基本財産として無償寄附せられた。

一、祭典行事 (人とかく 生まれけるこそ うれしけれ 神のめぐみに報ひざらめや 千家尊福)

大  祭 中  祭 小  祭
祈年祭(2月17日) 歳旦祭(正月元旦) 月朔祭(毎月1日)
例祭(10月第2日曜日) 紀元節祭(2月11日) 月次祭(毎月15日)
新嘗祭(11月23日) 春季皇霊祭(3月23日) 成人祭(1月15日)
秋季皇霊祭(9月23日) 勧学祭(3月21日)
明治節祭(11月3日) 七五三祝祭(11月15日)
天長祭(12月23日)
除夜祭(12月31日)
 
夏越大祓式(6月30日)
茅輪神事
奉納子供大相撲(9月第2日曜日) 年越大祓式(12月31日)

一、御社殿 (明治天皇御製 いにしへの姿のままにあらためぬ神の社ぞ尊かりける)

御本殿は和銅元年創建の後、幾度か造営され、檜皮葺朱塗の御本殿は宝永3年(1707年)8月、福山城主松平下総守の造営せられたもので、拝殿は大正13年2月銅板葺を以て新築され、次いで手水舎・社務所・神饌所・随神門・神楽殿等が建築された。又境内社稲荷神社が造営され、更に御鎮座1250年祭(昭和33年)の記念事業として宝物館新築並びに三室会館が新築された。昭和53年御鎮座1270年祭の記念事業として御本殿並びに稲荷神社拝殿を銅板屋根に葺替へられた。昭和58年には、拝殿・神饌所・渡廊下・制札所等の屋根銅板葺替・表参道石段手摺新設工事。平成3年の御大典記念に三室会館瓦屋根葺替・倉庫瓦屋根葺替・国旗掲揚柱取替。平成10年の御鎮座1290年祭記念事業として御本殿・稲荷神社朱塗り替え工事・三室会館一部改造工事・修復工事等、境内建造物の整備充実が行われた。

一、三室山公園 (名も高き 三室の山の もみぢ葉を たりみてぐらと神もめづらむ 追林順太郎)

本社の後方三室山には、古来祭祀遺跡の磐座が沢山あり、滝壺あり、清流あり、眺望絶佳で、観光資源に富めるを以て、昭和25年5月氏子総代発起して三室山公園奉賛会を設立し、神社より数百万円の補助を得て、桜3000本・紅葉300本・つつじ300本の植樹・自動車道路の建設・休憩所の設置・架橋等幾多の設備を充実して昭和32年春、桜花爛漫の候に公園開きを行い、府中市の観光地に指定された。更に国庫補助を得て昭和40年には都市公園に指定され、爾来四季を通じて甘南備神社信仰と共に益々観光客が増加している。

一、かむなびの森 (春は花 秋は紅葉の折毎に 尊さまさる かむなびの森 中島博光)

鎮守の森にふさわしく、杉・檜・樅等の大木の下には、紅葉の大木が林立し紅葉の名所として美しき「紅葉の宮」よと仰がれ「紅葉の赤き心」をみがきつつ、折りにふれては「ウグイス・コジュケイ・ホトトギス」等の声を聞き、夜は「ムササビ」の姿を見、千古の境内の庭土わ踏みながら、森林浴を楽しみ、春夏秋冬心身浄化の恵多き、産土の森に憩い、正に観光・健康・信仰一体、三幸一体のかむなびの森は聖地である。
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