亀倉康之の仕事
亀倉康之の仕事
よろこび
〜希望と平和への讃歌〜
昭和39年(1964年)6月16 日、マグニチュード7.5の大地震が新潟を襲う。
当時、自宅は被害の大きかった新潟市関屋にあった。 自宅の敷地からは地下水が噴き出し、床下浸水。しばらくは水道も使えず不自由な生活を送った。康之30歳、妻と幼い子供3人の5人家族だった。 一年後、西部の砂丘地帯(現在の西区)に居を移すこととなる。
その頃、県民の心を一つにするためにと文化施設が建設されることに。これが復興のシンボルとして昭和42年に開館した新潟県民会館である。
各所に県内作家の作品が設置されることとなり、大ホール・ホワイエのモニュメントを康之が担当することに。はじめて手掛ける鉄板による大作は昭和41〜42年にかけて、市内の鉄工所を借りて制作された。
空を飛び交う鳩に精一杯手を伸ばす子供たち。力強く見守る牛と馬。 作品は「よろこび」と名付けられた。
「よろこび」には復興、そして平和への願いが込められている。子供たちの未来のために。
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