山門の天女

 

 むかし、建長寺の門前に一軒の提灯屋がありました。あるとき、お寺から注文があって山門にかける大提灯を作ることになりましたなにしろあの大きな山門にふさわしい提灯をというむずかしい注文なので、提灯屋は精魂こめて仕事に打込み、ついにみごとな大提灯を作りあげました。

 いよいよ、提灯もできあがり、それを山門にかける日が来ました。見事な出来栄を喜んだ人たちは、暗くなるのを待って灯をともしました。提灯屋は自分の仕事の仕上りをたしかめるように、いつまでもためつすがめつ提灯を見上げていました。

 そのうちに、ふと灯の光りの中に浮かび出ている欄間の彫刻の天女の姿が目に入りました、雲の中を裳裾をひるがえして軽やかに飛んでいる天女の姿が、あたりの闇から抜け出して、やわらかい光の中に浮き出ているのでで。夕闇にぽっかりと咲いた白い花のように清らかな美しさです。

 提灯屋はその美しさに魅入られてしまったのでしょう、いつまでも天女を見つめたまま動こうともしませんでした。

 あんまりいつまでも帰って来ないので、家の人がさがしに行って見ると、提灯屋は、もう灯も消えた暗闇に、ぼんやりと上を見あげたまま立ちつくしていました。びっくりした家の人は、急いで彼を連れ戻りましたが、それからというものは、気の抜けたように、仕事も手につかず、毎曰山門へ行って欄間の天女を見上げては、深い吐息をつくばかりでした。 そんなことがつづくうちに、次第に痩せ細って、とうとう病いの床につくようになってしまいました。家のものは心配して医者よ薬よと、てをつくしましたが、何のききめもなく、病は重るばかりでした。

 そんな具合で、医者も見離し、家のものも半ばあきらめかかっていたころ、ある晩、提灯屋は夢うつつに誰か自分を呼んでいる声がしたような気がして、重い瞼を開いて見ると、あの欄間の天女が枕元に座っています。天女は、これほどまでに自分に思いこがれている男の心根にほだされて訪ねて来たのだ。と云って、持っている小さな壷の水を提灯屋に飲ませました。その水が咽喉を通るとたとえようもないほど涼しく快いものが胸いっぱいに広がって、男はしばらく、うっとりと気を失いました。すこし経って気がつくと、いままでの苦しさは、ほんとに拭いて取ったように消え、病気はすっかり癒っていました。

 提灯屋は嬉し涙にくれながら、天女の手をかたく握りしめました。

 それからは毎晩、天女は訪ねて来て、やさしく彼を慰めてくれるのでした。

 夢のような楽しい曰がどのくらいつづいたことでしょう。ところが、ある晩、天女は別れぎわに、美しい目にいっばい涙をたたえながら、あなたとはもう今夜限りでお別れです。それはまことに悲しいことですが、俗世との縁が切れてしまったのでもう再びあなたのところへ来ることができなくなりました。もともと住む世界がちがっている二人なので、これだけはどうするわけにも行かないのです、と云いました。

 提灯屋は驚いて、泣きながら天女の袖にすがって、どうか別れないでくれと頼みましたが、天女は悲しげに頭を振るばかりでした。

 そして、その言葉通り、次の曰から天女は二度と彼のところへ現われませんでした。

 慕わしさのあまり、提灯屋はまた山門の天女を見に行きました。すると、以前は稚児髷に結っていた天女の髪が、大人の髪形に変っていました。

 提灯屋は、その後、頭を丸めて庵を結び、生涯を山門の近くで送ったということです。

 

影向の松

むかし、建長寺の方丈の庭に影向(ようごう)の松という名高い松がありました。しかし、今からちょうど五百六十年前の応永二十一年の暮も押しつまった十二月二十八曰、建長寺が全焼した時、僣しいことに影向の松も堂塔伽藍とともに焼け失せてしまいました。

 この火事はその曰の酉の刻と言いますから、日暮の六時ごろ門前の民家から起きました。でも火元の方はさして延焼もせず消し止めたのですが、火のついた板きれが一つだけ風に乗って山門のてっぺんに落ちました。その板きれは初めのうちは燃えあがりもせず、消えもせず、灯明のように赤くかがやいていました。坊さんたちは、燃えあがらないうちに消そうとさわぎ立てましたがなにしろ高い山門のてっべんなので梯子は届かず、水はかけられず、叩き消すこともできず、ただ気をもんで空を仰ぎながら右往左往するばかりで、手の施しようがありません。そのうちに折悪しく吹き出した強風に煽られて山門の屋根が音をたてて燃えはじめ、見る見る火勢は強まり火の粉は雨のように降りそそぎ、とうとう本堂をはじめ山内の諸堂に燃えひろがってしまったとのことです。

 火事の話はこれくらいにして、影向の松の話に移りましょう。 建長寺の開山蘭溪道隆禅師の時のことです。禅師の寝室の後ろが池になっていて、池のそばに一本の松がありました。真直ぐ伸びた亭々たる老松でした。 ところが、ある朝起きて見ると、その松の梢が禅師の部屋の軒におおいかぶさるように傾いています。どうしたことかと驚きあやしんだ僧たちが、禅師にそのことを告げました。すると禅師は別に驚いた様子もなく、実は今日、夜が白みはじめたころ、どこからともなく現われた立派な装束をつけた人がこの松の上に坐って、わしといろいろ仏法について永いこと語り合った。別れる時に、どちらの方ですか、とたずねると、ここからは南に当る鶴ケ岡に住むもの、とだけ答えて姿は消えてしまった。その人が坐っていたために松がこんなに傾いたのだろう、と話されました。

 人々は、それはまさしく鶴岡の八幡大菩薩が禅師の徳をしたって訪ねて来られたに相違ないと、その松の根方を大きく垣根で囲み、「影向の松」と名付け、崇めました。

(かまくら春秋社「かまくらむかしばなし」より)

鱗の小判

むかし、長谷の駕篭かきが、江の島までの客を送っての帰り、とっぷりと日が暮れて暗くなった極楽寺の切通しをおりて坂の下の入口、磯端あたりへ来かかると、一人の女に呼びとめられました。

 建長寺まで送ってくれというのです。

 棒鼻に吊るした小田原提灯の光りで透かして見ると、その女の着ている着物はびっしょり濡れているようです。

 これはきっと身投げをしそこなった女にちがいない、こんな者を乗せて何かのかかり合いになってはつまらないと思った駕篭かきは、声をそろえて、もう家へ帰るところだからだめだ、とことわりました。

 すると女は、これを上げるから行っておくれ、と云いながら小判を一枚、さし出しました。思いがけない大金を見せられると、それでもいやだと断るわけにはいきませんでした。

 女を乗せて、二人は走りだしました。乗せてから気がついたのは、この女がずいぶん重たいことです。しかし駕篭かきは、これは着物が濡れているせいだろうと考えて、そのまま走りつづけました。

 狭くて険しい巨福路坂を越して、やっと建長寺の門前に着きました。しかし、女は山内へ入って方丈の辺まで行ってくれと云います。仕方がないので、云われた通り方丈の近くまで行くと、ここでいいと云って女は駕篭を降りました。そして、駕篭かきに、後ろを振り返ってはいけないよ、と云い残して方丈の庭の方へ歩いて行きました。

 駕篭屋は、だんだん薄気味わるくなって、急いで帰りかけました。まだいくらも歩かないうちに、後ろの庭の方で何か大きな水音がしました。駕篭屋が驚いて振り向くと、夜目にも白く水煙りが高く立って、その水煙りの中に、ちらりと龍の姿が見えました。

 びっくり仰天した駕篭屋は、がたがた震えながら方丈へ馳けつけ、このことを和尚さんに話しました。だが、和尚さんはちっとも驚いた様子もなく、

  「ああ、あれはここの池の主じゃ。この間から房州へ行っていたのが、帰ってきたのじやろう。」

 と云いました。駕篭屋は、あわててさっき貰った小判を出して見ると、それは見たこともないような大きな鱗でした。龍が自分の鱗を一枚剥いで呉れたのです。