常楽寺

北鎌倉から二〇分、大船中学校の近くに栗船山常楽寺がある。泰時が夫人の母の追福のために嘉禎三年(一二三七)に建立したという。 ここの文殊菩薩は、建長寺を建立した大覚禅師が、宋からわが国へくる時に、その首だけを持ってきて身体のほうはこの寺にいる間にみずから作ったものという。この文殊は、日本七文殊(奥州永居、和泉安部、相模栗船、丹後久世渡、甲斐市川、和泉般若寺、豊後山辺の順)の第三になっている。

 境内の色天無熱池(しきてんむねついけ)は、江の島の弁財天が禅師を守護するためにつけた乙護(おとご)童子が禅師の衣類を洗ったところで、衣類は空中に投げると物干しざおにかかったように宙にかかったという。その乙護童子が白蛇となり巻きついたという護塔松があった。別説では、弁財天が禅師を慰めるために江の島から飛来し、この松の上で琵琶をひいたので妙音松といった。

(角川書店「20 神奈川の伝説」より)