ジャポニズム


さて、前回、印象派についての説明をやりましたので、ここではそこからもう少し発展させて「ジャポニズム」の話をしたいと思います。

「ジャポニズム」というのは、フランス人文筆家、フィリップ・ビュルティが名づけた日本風の芸術様式のことで、「日本主義」とも訳され、絵画や陶芸、ファッションなどに数多く見られる日本志向の美術・工芸品を表したものです。
ここでは特に印象派画家の作品に焦点をあてて、絵画の世界のジャポニズムがどのようだったのかを検証してみます。


■ ジャポニズムの幕開け

ジャポニズム・ムーヴメントのきっかけとなったのは、19世紀後半からヨーロッパ各地で開催された万国博覧会で、なかでも影響の大きかったのは1867年、当時の新興都市パリで開催された時のものでした。
徳川幕府と薩摩・肥前藩が日本の美術・工芸品を大々的に紹介したことにより、フランス国内はもとより、ヨーロッパ中に熱狂的な日本ブームが巻き起こったのです。

また、博覧会と平行して、幕末から明治にかけて、チェルヌスキ、デュレ、シシェル、ビング、ギメといったフランス人バイヤー達が多数来日して数多くの美術品・工芸品を買い付け、パリの街で浮世絵をはじめとするこれら日本の美術工芸品が販売され、一般市場に流れはじめたことも、日本ブームの過熱を煽る一因となりました。

こうした時代背景から、ヨーロッパ人は日本に対して「芸術の国」という強いあこがれを持ち、その想いが芸術活動に向けられたことでジャポニズム−日本主義という新しい芸術活動が花開くこととなったのです。
その最も象徴的なものがいわゆる「印象派絵画」であったわけです。

■ 印象派絵画にみるジャポニズム

ラ・ジャポネーズ
「日本娘 ラ・ジャポネーズ」
モネ 1876年

当時、ジャポニズムの洗礼を最も顕著に受けたのは、若い印象派の芸術家たちでした。彼らは、自身の作品にどのように日本美術を取り入れていったのでしょうか?
ここでちょっと検証してみたいと思います。

まずはわかりやすいところから、モネの「ラ・ジャポネーズ」。
モデルはモネ夫人のカミーユさんです。
ボストン美術館に収蔵されていますが、現物はけっこう大きくてなかなかの迫力です。

キモノに扇子にうちわと、「いかにも」な演出ではありますが、日本人のわれわれから見ると「和風」というよりは「エキゾチックな東洋趣味」てな感じを受けますね。
しかしこのハデハデ感こそが、当時のヨーロッパの人々に与えた浮世絵の印象そのままであると読み取るべきです。まだ多色刷り印刷の技術のなかった彼等に、版画とはいえ、フルカラー極彩色の浮世絵が与えた色彩のショックというのはそうとうなものだったに違いありません。

シャルパンティエ夫人とその子供たち
「シャルパンティエ夫人とその子供たち」
ルノワール 1878年
さて、つづいてはルノワールの作品。
これは一見、何でもない絵のように見えますが、よーく見ると背景に日本風のすだれや絵が飾られていて、当時の上流家庭への日本美術の浸透ぶりがうかがえます。
もっとも、この絵で大事なのはそういう部分ではなくて、じつは全体の明るい色使いの方に注目してもらいたいのです。
現代のわれわれが見ると、「この絵のどこが特別なの?」と思ってしまうくらいあたりまえの描画なんですが、実はこのような明るい色使いは、当時のヨーロッパ絵画ではきわめて特殊なものだったんです。
次の、マネの「エミール・ゾラの肖像」を見てください。

全然明るさが違うでしょ?

エミール・ゾラの肖像
「エミール・ゾラの肖像」
マネ 1868年
ヨーロッパの伝統的な写実主義、明暗法だとこんな暗い色調になるんです。

ルノワールの作品がいかに明るくて華やかな色使いか、こうして比較して見るとよく分かると思います。

ちなみにマネのこの作品、有名な「笛を吹く少年」が、サロンで不評だったにもかかわらず、浮世絵の技法を取り入れたその新しい試みをゾラが非常に高く評価してくれたことへの返礼として描かれたものです。

絵自体は伝統的な手法で描かれていますが、背景にはさりげなく相撲錦絵(2代歌川国明「大鳴門灘右エ門」)が配されています。

笛を吹く少年
「笛を吹く少年」
マネ 1866年
で、「笛を吹く少年」の方なんですが、これも言われないと浮世絵の影響を受けてる、なんてこと、普通はわかんないでしょうね。

この絵の場合、まず平坦な色調により、陰影を抑えて画面全体を浮世絵版画のような平面的な描写にしようとした努力がうかがえます。さりげなく、浮世絵風の「ふちどり」も施してありますね。しかし、まだ完全には伝統絵画から脱却できてはいないようです。

まあ、伝統的な写実描写から浮世絵風の描写に脱皮しようとする過渡期といいますか、実験段階のものと見ていいと思います。

ついでだから、マネの作品についてもう少しつづけて見てみましょう。
伝統絵画から印象派絵画への変遷の様子がよくわかりますので。

舟遊び
「舟遊び」
マネ 1874年
「笛を吹く少年」から8年後の「舟遊び」になると、もうかなり浮世絵風といいますか、印象派風の画法を確立しているのがよくわかります。

色使いもあきらかに明るくなっていますし、何よりもその構図のとり方に大きな成長が見られますね。
ボートの二人を強調するために、画面の余分な部分を大胆に切り捨てて、遠近法にとらわれず、やや高めの視点から俯瞰するように描かれています。
どちらも浮世絵ではよく見られる描画手法なのですが、この時代のマネは、それをうまく自分の技法として取り入れています。また、舟遊びというモチーフ自体が浮世絵の影響によるものなんですが、それについてはまた後で述べます。

ナナ
「ナナ」
マネ 1877年
もうひとついってみましょう。

1877年の作品。もうこの頃になるとカンペキですね。色使いはさらに華やかになってますし、対象物をより強調するために、右側の男性を画面から半分切り捨てるという大胆な描き方をしています。ヨーロッパの伝統的な手法からは考えられない描き方です。
女性のポーズも、浮世絵の美人画を彷彿とさせます。

画面の背景には屏風も描かれていて、マネの日本美術に対する造詣の深さをうかがうわせます。

舟遊び
「舟遊び」
モネ 1887年
今度はモネの作品を見てみましょう。マネとモネ、ややこしいけど、まちがえないでね(笑)

これも先ほどのマネの「舟遊び」と同じく、高めの視点から俯瞰する形で描かれており、実際、マネの影響もあるように言われていますが、いずれにせよこの「舟遊び」というモチーフ自体が浮世絵の影響によるものです。
浮世絵によく描かれる優雅な舟遊びは、ヨーロッパの人々に強い憧れを抱かせ、上流階級のお嬢様たちのこうした舟遊びへと発展していった背景があるのです。

絵の感じが、最初の「ラ・ジャポネーズ」に比べると、随分ふわっとしたパステル調に変わってきてますね。後年の「睡蓮」の雰囲気にだいぶ近づいてきている気がします。

歌川国芳
「見立て五行/水 浮舟」歌川国芳
嘉永4年〜5年(1851〜52年)

菊のある婦人像
「菊のある婦人像」
ドガ 1865年
こんどはドガの作品です。

ドガは浮世絵から、構図のとり方という点で大きな影響を受けた画家です。
これもそうした作品のひとつですね。
「人物を中心に」「バランスのとれた構図を」という伝統手法をまるっきり無視して、人物を画面途中からはずしてしまう、浮世絵風のアンバランスな構図を全面に出しています。

婦人と犬
「婦人と犬」
ドガ 1875-80年
この「婦人と犬」では、人物の表情を帽子で隠してほとんど見せないという大胆な構図をとりつつ、浮世絵風のふちどりまで施しています。

人物の顔の部分だけをクローズアップするというのも、おそらくは浮世絵の美人大首絵の影響ではないかと思われます。

田舎の小間使いの女
「田舎の小間使いの女」
ピサロ 1882年
ピサロも構図の部分で浮世絵の影響を大きく受けています。

この絵も、やや俯瞰する視点で描かれ(西洋の伝統手法では、必ず画家の目の高さから、遠近法を用いて描かれます)テーブルを画面から半分切り捨てたアンバランスな構図を取っています。

よく見ると、壁には日本画も飾られていますね。

浜辺に立つブルターニュの少女
「浜辺に立つブルターニュの少女」
ゴーギャン 1889年
ゴーギャンはゴッホと並んで、浮世絵の影響を特に強く受けた画家として知られます。

ゴッホの場合は、浮世絵を通して、その背景にある日本文化や日本人の自然観といった精神的な部分を学ぼうとしたのに対し、ゴーギャンは構図、描画手法といった技術的な面で学んでいるような気がします。

この絵の場合、カラフルな色使いと「ふちどり」の描画手法、やや高めの位置からの視点、人物を中心からはずした構図、立体感を極力排除した平面的な画面構成などなど、まさしく「油絵で描いた浮世絵」という感じです。

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