「印象派と浮世絵の意外な関係」 | ||||||||
「印象派」という言葉、よく耳にしますよね。 ゴッホとか、モネ、ルノワール、セザンヌとか。 でも、印象派って、そもそもどういうジャンルや技法を指すものなのか、お分かりですか? 自信を持って答えられる人は、意外に少ないのではないかと思います。 印象派とは一体どういうものなのか?そのヒントは、実は、下のゴッホの2枚の絵に隠されています。
この2つ、左が広重のオリジナルで、右側はそれを模写したゴッホの油絵作品です。 つづいて、もう1点。
これも同じく左が広重のオリジナル、右がゴッホの模写した作品です。 |
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ところでゴッホは、なぜこんな風に浮世絵を模写したりしたのでしょうか? 単なる日本びいき? いえいえ、とんでもない。 ゴッホだけではありません。モネ、マネ、ドガ、ルノワール、ピサロ、ゴーギャン、ロートレック。 印象派を代表するこれら画家たちは、みんな浮世絵の影響を大きく受け、浮世絵に学ぶことによって新たな絵画の可能性に目覚めていったという共通点を持つのです。 そのきっかけは、19世紀後半に、フランスはパリを中心として、ヨーロッパ各国で開催された万国博覧会でした。 浮世絵を中心とした日本の美術工芸品が大々的に紹介され、大変な日本ブームを巻き起こしたのです。 日本の美術工芸品は、さながら現代のメイド・イン・ジャパンの電化製品や自動車のように、ヨーロッパの人々に熱狂的に迎え入れられました。人々は争って日本の美術品を求め、やがて浮世絵や伊万里を持つことが上流階級のステータスとされるまでになったのです。 ヨーロッパの伝統絵画では、戦争画や宗教画、貴族の肖像画が中心でしたから、庶民の日常をのびのびと描いた浮世絵の自由な画風や、明るい色彩、大胆な構図は、ヨーロッパの人々には大変な驚きだったのです。「こんな絵があったのか!」と。 もちろん、芸術家たちにも大きなショックを与えました。 ゴッホのようにそっくりそのままではないにしても、皆、浮世絵をお手本に真似て描き、伝統絵画から脱却した、浮世絵風の新しい芸術を生み出そうと模索しはじめたのです。 そういう夢を持った若い芸術家たちが続々とパリに集結し、パリの日本芸術熱はますます高まることとなったのです。 パリが「芸術の都」と呼ばれるようになったことには、こういう経緯があったのです。 そして、こうした新しい芸術活動の中で誕生した新しい絵画が「印象派」だったというわけです。 そう、印象派はまさしく日本の浮世絵が生み出したもので、浮世絵がなければ印象派も誕生しえなかったのです。 ビートルズの登場がその後の音楽界に大きな影響を与えたように、日本の浮世絵はヨーロッパ絵画を根底から変えてしまうほどの一大ムーヴメントとなり、印象派という新しい絵画の方向性を導き出すに至ったというわけです。 残念ながら、浮世絵の生みの親である日本人自身がこの事実をあまり知らないのですけどね。 |