彫りと摺りの技術

浮世絵が絵師、彫り師、摺り師の三者による協同作品であることは既に述べました。
(厳密にいえば、版元も含めた四者ですが)

元絵を描く絵師の役割が重要であることはもちろんですが、しかし浮世絵製作には欠かせない彫り師・摺り師の仕事もまた、絵師に負けないくらい重要な役割であることを忘れてはならない、ということです。

これについては言葉で説明するよりも実例を見ていただいた方が早いと思います。

 

さて、サンプルとして用意したのはこちらの作品。

歌川豊国(3代)の、「今様押絵鏡」シリーズから、「和尚吉三」。安政6年(1859)の作品です。

このシリーズ、役者の半身を鏡のフレームの中に収めた面白い作品で、絵師のアイデアとデザインセンスの素晴らしさがまず光りますが、しかし細部までよーく目をこらすと、この絵をより引き立たせるための見事な工夫が彫り師・摺り師によって施されていることが観察できるのです。

まず、彫りの技術は、髪の部分を見ると一目瞭然です。

人物のモミアゲの部分を拡大してみました。
髪の毛の1本1本まで丁寧に彫られているのがおわかりでしょうか。

この細さ、このなめらかさ。これをすべて、彫刻刀だけで彫ったのかと思うと・・・これだけでも驚嘆ですね。もちろんこの細かい描写はこの部分だけでなく、広く髪の毛全体に渡って施されています。

そしてその表現方法を見ると、まず髪全体に薄めの墨で下地を1回ベタ摺りし、その上に濃い墨で生え際の細かい毛を重ね、さらにその上に中央の太目の濃い髪を重ねる、という具合に、3段階に重ね摺りを行うことで、絵に立体感を持たせています。
髪の毛の描写だけでもこのように気が遠くなるような大変な手間をかけているのです。

つづいて、目の部分を拡大。

目も単純に黒い線だけで描かれているのではなく、


・目じりと目頭に朱色
・白目の部分に薄い青のグラデーション
・黒目の中心に瞳孔も描かれている

という具合に、この部分だけでも朱色、水色、薄い黒、濃い黒と、4段階に版木を分けて重ね摺りしています。
首に巻かれた手拭いのアップ。

よく見ると、エンボス(凹凸)加工が施されています。
実はこれ、本物の布生地の凹凸を紙に押し付けてこすり写したもので、「布目摺り」という技法です。
こうして実際の布の凹凸を加えることで、より本物っぽい質感を出しているわけです。

摺り師の「摺り」は、ハンコのようにただペタッと押し付けるのではなくて、ばれんでグイグイと力いっぱい「圧迫する」もので、このようにエンボスが浮き出るほど力強くプレスされたのです。

これは袖口の部分。

ここにもエンボス加工が見られますね。
でも、彩色はされておらず、紙の無色の部分にエンボスだけがつけられています。

この技法は「から摺り」といって、顔料を乗せずに白紙の部分に木版の凹凸だけを写すやり方です。

ちなみにエンボス表現されている文様は卍をくずした連続模様で、「紗綾型(さやがた)」といわれる柄です。

浮世絵ではおなじみの「ぼかし」の技法。
顔料に含ませる水分量の調整と、摺りの力かげんだけでこの効果を出します。
黒い部分になにか「テカり」が見えますね。これは単なるストロボの反射ではなく、光の角度でこのようにツヤがでて見えるもので、墨にニカワを混ぜた「艶墨」で摺られたためです。

テカりが出ている部分と、それを囲む輪郭線・描線の部分とでは、同じ黒でも明らかに光沢が違うのがお分かりでしょうか。

このように黒い部分もただベタ一色なのではなく、質感を変えた表現の工夫がなされているのです。

絵の中に書かれた文字、これも実は最初から版木に彫られ、摺られたもので、あとから手書きで加えたわけではありません。

これも絵の一部と考えれば、人物の描線同様、下絵の線描に沿ってそのまま彫ればよいわけなのですが、とはいえなめらかな筆運びと強弱の表現を殺さずにこの複雑な曲線をうまく彫りあげるのは、決して簡単なことではないはず。

まあ、あの髪の細かい線を彫り上げる技術からすれば、この程度は造作もないことなのかもしれませんが・・・。

 

初めて本物の浮世絵を目にした人が一様に驚くのが、髪の毛の細かい描写です。

あの細くて流れるようななめらかな曲線。おそらく手書きで描けと言われても困難であろうあの美しい描線を、1本1本、版木に彫ってしまうのですから、これはもう神業としか言いようがありません。

ところでこの髪の描写、最初から絵師の下絵に1本1本細かく描かれているわけではなく、この部分の表現と仕上げに関しては、彫り師の腕にすべて任されていました。

同様に着物の柄も(これは最初から絵師が指定する場合もありましたが)、彫り師に一任されることが少なくなかったようです。

上でご紹介した「ぼかし」や「から摺り」、「布目摺り」なども、本来下絵には描かれていない、摺りの段階で初めて姿を見せる効果です。
下絵にはない柄を彫り師が加え、さらに摺り師がそれを彩ることで、絵師の下絵をみごとなまでに美しく装飾してゆくのです。

大雑把な言い方をすると、

  • 基本の輪郭線を描く絵師
  • 細かい装飾を施す彫り師
  • それらに彩色を施す摺り師

という役割分担で、多くの職人が関わりながら1枚の絵が仕上げられていくわけです。

そういう意味からすると浮世絵は、紙に描かれた単なる絵ではなくて、職人たちの技術によって平面の絵にさらにリアルな立体表現と彩色の工夫が加えられた3次元芸術で、絵というよりむしろ「美術工芸品」に近いのではないかと私は思います。

浮世絵が世界中で芸術作品と評されている理由には、もちろん絵そのもののユニークさもあるのですが、こうした工芸品としての細密さ、美しさも実は理由のひとつとして挙げられるのです。


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