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南総里見八犬伝

曲亭馬琴の原作でお馴染みの「南総里見八犬伝」。その合巻の『八犬伝犬の草紙』(笠亭仙果作・60編・嘉永元年〜明治15年刊)に登場する八犬士ら主要な登場人物を、二代国貞が半身像で描いた役者似顔絵です。

<概略>

安房国(あわのくに)里見家の娘、伏姫(ふせひめ)と聖犬八房(やつふさ)とが夢の中で契り、生まれた八人の武士が活躍する物語。それぞれ姓に犬の文字を持ち、「仁義礼智忠信孝悌」の玉を身に付けており、体のどこかに牡丹形のあざがある。孤児として各地に散っているが、やがて結集し、里見家を管領・扇谷定正(おうぎがやつさだまさ)から守るべく戦う。大軍を見事に破った八犬士たちは、それぞれ安房国の城をいただき、大団円となる。

「犬江親兵衛仁」
歌川国貞(二代)
大判錦絵 嘉永五年(1852)十月
版元/蔦屋吉蔵

● 「仁」の玉を持つ。
最年少で第一の八犬士。1475年、下総市川に生まれる。父は回船業者山林房八。母は、八犬士犬田小文吾の妹ぬい。両親の死後、三歳で里見に向かう途中、神隠しにあって富山の伏姫のもとに連れ去られる。六年後、里見家が危機に陥ると、忽然と現れてお家を救う。
妖虎の目を射ぬいたり、管領を大破するなどの功績を上げるが、彼だけが人を殺さない。

「犬川荘助義任」
歌川国貞(二代)
大判錦絵 嘉永五年(1852)十月
版元/蔦屋吉蔵

● 「義」の玉を持つ。
1459年12月1日、伊豆国北条で、将官犬川衛二則任の子として生まれる。幼くして両親に死別。村長蟇六に下男として使われるうち、犬塚信乃と知り合い、同じ玉を持ち、あざのあることを知って、義兄弟の契りを結ぶ。

「犬村大角礼儀」
歌川国貞(二代)
大判錦絵 嘉永五年(1852)十月
版元/蔦屋吉蔵
● 「礼」の玉を持つ。
1460年、下野国安蘇郡赤岩村の郷士赤岩一角の子として生まれる。もの静かだがいざというときには豪胆。化け猫が父を食い、そのままなりすましているとも知らず、家を追われ、妻の雛衣も自害するという悲劇にあう。雛衣の体からでてきた「礼」の玉で、犬士の一人と判明する。

「犬坂毛野胤智」
歌川国貞(二代)
大判錦絵 嘉永五年(1852)十月
版元/蔦屋吉蔵
● 「智」の玉を持つ。
1465年11月、家老粟飯原首胤度の子として生まれる。武道だけでなく智に長けた人物で、乞食や放下師、女田楽師などに化けて見事父の仇を討ち、犬士に加わる。管領との戦いでは、戦略家ぶりを買われて軍師となる。
展示の浮世絵は、女田楽師・旦開野に扮する毛野である。

「犬山道節忠与」
歌川国貞(二代)
大判錦絵 嘉永五年(1852)十月
版元/蔦屋吉蔵
● 「忠」の玉を持つ。
1459年9月、戊戌の日に生まれる。父の道策は、管領に滅ぼされた練馬家の老忠臣、犬山家伝来の忍法火遁の術を学ぶが、犬士と出会い、忍法を邪道と認めて捨てる。無鉄砲にもみえるほどの威勢のよさである。管領との戦いでは、ただ一騎、先立って馬を飛ばし、山内・扇谷の兜を射ぬいて父の仇を討つ。

「犬飼現八信道」
歌川国貞(二代)
大判錦絵 嘉永五年(1852)十月
版元/蔦屋吉蔵
● 「信」の玉を持つ。
伏姫自害の翌年1459年10月23日、安房の農民糠助の子として誕生。小文吾の乳兄弟。宝刀村雨丸を巡る争いで、犬塚信乃の捕獲を命じられ、芳流閣で格闘。二人で舟の上に落ちて、小文吾のいる行徳まで漂流。互いの因縁を知る。

「犬塚信乃戌孝」
歌川国貞(二代)
大判錦絵 嘉永五年(1852)十月
版元/蔦屋吉蔵
● 「孝」の玉を持つ。
八犬士のなかで一番に登場する。1460年7月、戊戌の日生まれ。両親と死別し、腹黒い伯父蟇六のもとで育てられる。信乃が持っていた宝刀村雨丸を巡る争いで、婚約者の浜路を惨殺されたり、犬飼現八と芳流閣でもみ合うなど、ドラマが繰り広げられる。管領との戦いでは、敵方の蔵を民のために解放して去るという、あっぱれな戦いぶりをみせる。

「犬田小文吾悌順」
歌川国貞(二代)
大判錦絵 嘉永五年(1852)十月
版元/蔦屋吉蔵
● 「悌」の玉を持つ。
旅篭古那屋文五兵衛の息子。1459年11月葛飾郡行徳生まれ。身の丈五尺九寸という大男で、八犬士きっての剛腕。管領との戦いでは、樫の木を振り回して敵を倒すという豪傑ぶりを披露する。展示の浮世絵は芳流閣の格闘で血に染まった犬塚信乃の麻衣を隠すため、夜道を行く場面である。

「伏姫」
歌川国貞(二代)
大判錦絵 嘉永五年(1852)十月
版元/蔦屋吉蔵
● 安房国里見家の娘。
聖犬八房が主との約束通り敵将の首をとってきたため、八房に嫁ぎ、ともに富山の洞窟に籠ることになる。日々、法華経を読経していたため八房は近づけないでいたが、あるとき犬の気に感じて身籠る。伏姫はこれを恥じ自害するが、そのとき腹の中から八つの玉がはじけ飛ぶのである。

「足利成氏」
歌川国貞(二代)
大判錦絵 嘉永五年(1852)十月
版元/蔦屋吉蔵

● 犬塚信乃の父・番作が仕えた主、足利持氏の息子。信乃が成氏に献上しようとした村雨丸が偽物とすりかえられていたため、信乃を敵方のスパイと疑い捕らえようとする。管領の扇谷定正らと同盟を組み、里見家を滅ぼそうとするが管領方が大敗したため里見側の捕虜となる。信乃をスパイと疑ったことを悔やみ、その罪を許される。そして信乃から村雨丸を献上されることになるのである。

【二代歌川国貞】 文政6年〜明治13年(1823〜1880)
幼少より三代豊国(国貞)に就いて浮世画を学び、豊国の娘婿となって三代国政から二代国貞の名に改める。豊国没後、四代豊国を襲名。
師である豊国の画風を良く受け継ぎ、役者絵や源氏絵の分野に才能をあらわしている。


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