<怒られる前に謝っておきます>
筆者は狭い知識しか持っていないため、以下の議論の中には
「どこかのページや本で前に同じ主張を見た」
「と言うかこれ、俺が昔書いたことじゃん」
等の事態があるかもしれませんが、その時はごめんなさい。
<最初に>
ある日ある先輩がこんな事を聞いてきました。
「眼鏡のどこがいいんだ?チタンのフレームがお前を幸せにするのか?」
この問いの後半に対する答えは勿論否、です。
チタンのフレームに惚れるほどにはこのインサイダー2D腐ってはいません。
女の子の眼鏡は水着などと同じく、装着している所を見なければ面白くもなんともありません。
あくまで「めがねっ娘」なのだから、女の子抜きには語れないのです。
しかし、前半の言葉は実に本質的です。俺の美少女観そのものに関わるからです。
このまましばらく2D道を歩いていくであろう俺にとって避けては通れない問題です。
そんな訳でこの場で色々めがねっ娘に対する俺の考え方を述べていきます。
・・・というのはここを書きながら思いついたことで、本当の理由はある先輩にHPのネタとして
「『俺と眼鏡とおさげとメイドと幼なじみとアンドロイドと大相撲カード』というネタで作れ」
と言われたのがそもそもの始まりだったりします。
もっとも俺自身嫌々書いているわけではないので構わないんですがね。
<めがねっ娘の定義>
先ず俺のいうめがねっ娘はただ眼鏡をかけているとか眼鏡を取ると美人だとかいうのとは異なります。
では俺のとってのめがねっ娘とはどんな娘なのか?これから読んでもらう上で俺と読者の方の間でめがねっ娘に対するイメージの共有をはかるためにめがねっ娘というものの定義をしたいのですが、
この定義付けに関してはある本に非常にうまい表現が載っていました。
「めがねっ娘とは可愛く眼鏡を着用している女の子のことである」
初めてこれを読んだときは「そうなんだよ、俺が言いたいのは正にこれなんだ」と大いに賛同したものです。
もっとも世のめがねっ娘は(俺が見てきた範囲での話ですが)殆どこの定義通りなので俺のイメージと読者の
方のイメージの間にはあまり隔たりはないと思います。
俺の考え方は現段階では以下の二つに収束します。
@記号としての価値観(希少価値に対する弱さ)
いまここに値段が同じであるシュークリームとエクレアがあったとします。
シュークリームはたくさんあるのですがエクレアは一つしかありません。
どれでも選べるとしたら、貴方はどうしますか?
俺はエクレアを選ぶでしょう。そういう人間です。何故なら俺がエクレアを選んだ瞬間の思考は
エクレアが好きだ→欲しい
ではなく
エクレアが一個しかない→希少価値!→欲しい
だからです。
逆にエクレアがたくさんあってシュークリームが一個だけ、という場合も同じ理由でシュークリームを
選ぶでしょう。そういう人間です。
ここまで読んで推測できた人も多いと思われます。
恋愛シミュレーションゲームや漫画等では似たような顔立ちのしかし可愛い女の子が数多く登場します。
そんな中で眼鏡をかけた娘は基本的に少数、せいぜい一人二人です。このような状態のとき俺は
可愛い娘がたくさんだ→この眼鏡の娘も可愛いな→眼鏡はこの娘だけか・・・→希少価値!→この娘に決めた
とか考えているのです。そして他のゲームや漫画でも同じ事を繰り返すうちに、その結果
俺はめがねっ娘が好きだと「思い込む」ようになってしまったのです。
そしてこれは、眼鏡に限ったことではありません。
2次元キャラというものは、特に美少女ともなるとだいたいパターンが決まっています。
そう、目が大きくて(顔の面積の1/3〜1/4を占める、通常人の3倍くらい)、
鼻と口が極端に小さいアレです。これは俺のような人間には確かに大受けなのですが、
結局はどれもこれも似たような顔であることは事実です。要するに差別化が難しいのです。しかし、何か光るものがないと商品になりません。
そこで、記号としての付加価値が各娘には与えられます。
まず眼鏡やリボンやカチューシャ等の小道具、お下げ髪やポニーテールやさらさらロングなどの髪型、
セーラー服やミニスカートやスクール水着等のコスチューム…によって見た目の差別化をはかります。
もっとも商品としてはこれでは最近は不十分らしく、物静かな文学少女とかスポーツ万能の優等生とかわがままお嬢様といった
特性も与えられるようです。
以上の項目を与えてやればまあとりあえずは商品として成立します。
そしてこれに加えて、といったちょっと泣ける設定なんて付いてしまったらもう俺なんかはメロメロです。
それぞれの娘は「○○っ娘(○○には『めがね』とか『お下げ』とかの単語が入ります)」として俺の前に現れます。
そのときの俺は最早娘としてではなく価値を与えた記号として娘をとらえています。そして他の娘との差別化のための眼鏡に対してその希少価値を認め、
もしめがねっ娘ばかりで眼鏡をかけてない娘が一人だけしかいないとか言う場合(確かそんなゲームがあったような気がする)でも
はたしてめがねっ娘に惹かれるのでしょうか俺は?
かなり昔の話ですが「おも(思?)いっきり探偵団覇悪怒組」(だったと思う)で、財力に任せて高価な食事を繰り返すグルメに対して摩天郎(字はこれでいいのかな?)が
「奴等は食べ物を食べているのではない。金を食べているのだ」
という意味のせりふを言ってた(←多分嘘じゃないはず)ことをふと思い出してしまいましたがまあそれはそれだけの話。
さて、ここまで読んだめがねっ娘好きの貴方はどうでしょうか?ちょっと考えてみるのも良いかもしれませんよ。
A鏡としての眼鏡・増幅装置としての眼鏡
眼鏡は「眼の鏡」と書きます。
目というものは昔から人の本質や内面を表示するものであるとされてきました。
「目を見れば嘘をついてるか分かる」等と言われてますね。残念ながら俺は目を見たくらいではその人の内面は理解できませんが・・・
一方、鏡というものは本質をあらわす装置として扱われることが多いです。例えば(どれもお話の世界ですが)
吸血鬼は鏡に映らないだとか、午前二時に鏡を見ると云々とか、ドラクエUのラーの鏡などのような物があります。
さて以上から次の仮説を考えることができます:
(仮説)娘の魅力・可愛らしさというものは眼に集約されている。
確かに2D美少女というものは上に述べたように眼が極端に強調されていること、そしてそういった娘がかわいいと一般的(俺たちの中での一般、という意味)にいわれている事を考えれば
この仮説にはそれほど無理がないのではないかと思います。
勿論先に述べたように服装や性格などが魅力を決定するパラメタになることも確かですがそれらは二次的なものにすぎません。
例えば
@普通の格好だけどとても可愛い娘
A服装はかなり凝っているが余り可愛くない娘
だったら(少なくとも2Dの世界では)@を選ぶ人がほとんどでしょう。要するに我々2D者にとっては魅力を
決定するのに最重要なパラメタが「眼」であるということです。
すると「眼の鏡」たる眼鏡を着用しているめがねっ娘が支持(俺を含む)を集めている理由がわかります。
即ち上の仮説から
我々は可愛さの本質(=眼)を、本質を映し出す鏡(=眼鏡)によって見ているのだからめがねっ娘が可愛いのは
もはや自明である。
という結論が導かれます。
また別の見方をすれば、
(仮説U)魅力が眼に集約されているというのは実は娘の眼から「可愛らしさ光線」というような物が発射されていることである
とも考えられます。そしてその光線が眼鏡のレンズによって増幅されるために光線の強度が上がり、結果としてめがねっ娘は可愛く見えるのです。
<終わりに>
今までめがねっ娘に興味のなかった人がこれを読んで素敵なめがねっ娘に出会えることが出来たとしたら、それは俺にとって望外の喜びです。
めがねっ好きの方は今後も楽しいめがねっ娘ライフをお互い楽しんでいきましょう。
ここまで読んで下さって本当にありがとうございます。
いやー、めがねっ娘ってホントいいですね。
わかりにくい個所や矛盾している記述等あるかも知れません。
そういうところの指摘もも含めてご意見・ご感想お待ちしています。
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