ピコ通信/第175号
発行日2013年3月21日
発行化学物質問題市民研究会
e-mailsyasuma@tc4.so-net.ne.jp
URLhttp://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/

目次

  1. 3.9(土) 1万5,000人 明治公園&デモ 3.10(日) 5万人 国会周辺行動 福島事故から2年 原発ゼロに!
  2. ふくしま集団疎開裁判意見書/松崎道幸さん
  3. 12・22 終焉に向かう原子力第15回(3) IAEAとICRP 国際原子力マフィアによる被曝強制の歴史と福島県内の深刻な被曝の現実(上) 広瀬 隆さん
  4. 編集後記(花岡邦明)


3.9(土) 1万5,000人 明治公園&デモ
3.10(日) 5万人 国会周辺行動
福島事故から2年 原発ゼロに!


 日本大震災・福島第一原発事故からほぼ2年となる3月9日〜11日に、東京での下記の集会・デモをはじめ、全国で、そして全世界で「原発NO!」の行動が展開され、たくさんの人々が参加しました。
  • 3月9日(土)「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」東京・明治公園 さようなら原発一千万署名 市民の会
  • 3月10日(日)「0310原発ゼロ☆大行動」日比谷公園野外音楽堂 国会前ほか 首都圏反原発連合
  • 3月11日(月)「つながろうフクシマ!さようなら原発講演会」東京・きゅりあん さようなら原発一千万署名 市民の会
 東京は好天に恵まれ、当研究会は3日間の行動に参加しましたが、本稿では3月9日(土)の明治公園に1万5,000人が参加した集会で発表された多くの発言の中から、満田夏花さん(FoE ジャパン)、井戸川克隆さん(前双葉町長)、鎌田 慧さん(ジャーナリスト)、大江健三郎さん(作家)、内橋克人さん(経済評論家)/メッセージ代読、斎藤夕香さん(福島県からの避難者)、そして、3月11日の講演会での落合恵子さん(作家)の発言要旨を紹介します。(まとめ:安間 武)


■満田夏花さん(FoE ジャパン)
 市民の力で、事故を隠そうという勢力と断じて闘い、原発ゼロを貫き通しましょう。

 ご存知の通り、福島原発の事故は全く収束していません。こんな中で原発ゼロの約束を反故にして、原発を推進しようとしている今の安倍政権に、本当に強い憤りを感じています。皆さんも同じだろうと思います。昨年の夏、政府は国民的議論の名の下に、大掛かりにパブコメを募集し、各地で意見聴取会を行ないました。その結果出された、曲がりなりにも原発ゼロの結論が、政権が変わったからといって、あっさりとひっくり返されていいのでしょうか。これは絶対にあってはならないことだと思います。私達国民に意見を聞いておいて、その結果出された原発ゼロの結論は、断じて撤回されてはなりません。原発ゼロを言い続けましょう。
 この2年間、いろいろなことがありました。福島で、今多くの人が故郷を奪われ苦しんでいます。そして、子どもたちの健康が心配です。今2011年度の調査で3万8,000人余りの子どもたちから3名の甲状腺がんが見出されました。7名は疑いありとのことですが、これも9割はがんの可能性があると専門家は言っています。つまり足してみれば9人、10人というようなオーダで甲状腺がんが発見されてしまったのです。
 小児甲状腺がんは100万人に1人か2人、あるいは年令が高い子どもでも10万人に1人と言われています。疫学のエキスパートの方も、この福島の今の状況は異常である、甲状腺がんが多発していると見ていいと言っています。それなのに、政府はこの状況に対して、何の手も打っていません。
 問題は、甲状腺がんだけではないのです。チェルノブイリ事故後、多くの疾患が、ありとあらゆる疾患が報告されました。今の福島の県民健康調査では、このようないろいろな病気を発見するような体制になっていないのです。安心のためという言葉の中で、調査は狭められてしまい、福島医科大学は甲状腺がんのニュースさえ、原発事故との関係性をいち早く否定してしまっています。これでは対策が、後手々々に回ってしまうのです。
 昨年の6月、超党派の心ある国会議員の力、そして市民の力により、原発事故子ども被災者支援法が制定されました。しかし、この法律の実施が何ひとつなされず遅れています。この中で、国は責任を持って被災者の救済を行なわなくてはならない、そのように定めているのです。ぜひ私達市民の力で、このような事故を隠そうという勢力と断じて闘い、原発ゼロを貫き通しましょう。つながっていきましょう。団結していきましょう。


■井戸川克隆さん(前双葉町長)
 チェルノブイリの状態を25年後、27年後に、福島に来させようとしている勢力に対して、とんでもないと声を大にして言う。

 今までは首長という狭い肩書きの中で、思うように発言できませんでした。今度は枠を外れて、どんどん本音でしゃべって行きたいと思っております。
 まずもって言いたいのは、放射能のある環境で育つ子どもと、ない環境で育つ子どもが平等でしょうか。憲法で保障された人権というものは確立されているとお思いでしょうか。私は、全くとんでもない無政府状態の日本に住まわされているような感じでおります。役所、あるいは議員の皆さんは、国民のためにという名の下に、職場があると思いますが、私たちは感じたことがありません。特に「避難指示」という四つの文字を菅総理からいただきましたが、どこにどのようにどうすればよいかということは、今日まで一切ありません。
 今まで、双葉町町民は埼玉に来たり、福島県内、あるいは全国に散らばっていますが、これをどこにどのように統率すればよいのか、指示すればよいのか、なかなか決められない中で、町民の公平な扱いを求められ、大変苦しい思いをしてまいりました。町長は1人しかおりません。町民は7,000人近くおり、公平に扱うことはなかなかできません。したがって、政府によって、我々がどのようにすればよいのかということを、決めていただかなくては動くことができません。予算もありません。何もありません。権限もありません。そんな中で、今も狭い仮設住宅で多くの町民が苦しんでおります。
 それ以上に私が今、心配しているのは、チェルノブイリのあの状態を25年後、あるいは27年後に、福島に来させようとしている勢力に対して、声を大にしてとんでもないと、そういうことを言うお前達は職責から離れろと言いたいです。ぜひ、声を大にして伝えていただきたいと思います。
 もうひとつ、北朝鮮では国連の制裁を受けました。核実験をしたために。でも、国民に対して放射能の被ばくをさせていません。私達福島県民、私もそうですが、多くの住民が被ばくをさせられて、何の制裁も受けずに、今、加害者がのうのうとしていることに心から怒りを覚えています。ぜひ、この声を全国、あるいは世界にお伝えいただきたいと思います。


■鎌田 慧さん(ジャーナリスト)
 人間の命より経済の方が大事だという政治家は絶対に支持しない。認めない。

 今日の集会は安倍政権が始まってから最初の大規模な集会です。もう絶対安倍政権に負けない脱原発を完結すると誓う集会です。福島というとき私たちは、広島、長崎の悲惨を思い浮かべます。福島は、原発の爆発によって、帰るべき故郷と仕事と全てを失った人達のことを言っています。福島は、原発を止めろという人々の声です。福島の原発が破壊されて、私達は聞いたこともないような膨大な数字の放射能が流れたことを知らされました。福島は、広島や長崎と同じような過ちであったわけです。そのことの理解が私たちはまだまだ足りないと思います。
 もうこれ以上悲惨なことは繰り返して欲しくないというのが、福島の人たちの願いです。今日の集会は福島とつながろうという集会にしました。福島のことを思い浮かべることなく、私達の集会は成立しない、私達の思いは福島の人たちとともにある、そのことを今日、確認したいと思っています。
 福島原発が生活の全てを破壊させました。その福島で、もう既に子どもたちに甲状腺がんが現われたと言われています。それでも経済が大事だという声がかぶさってきます。放射能の真只中で働いている労働者がいます。その人たちが将来どうなるのか。しかしそれにもかかわらず経済が大事だという人たちがいます。地域がどんなに汚染されても、経済が大事だという人たちがいます。魚や野菜や果物や牛乳が放射能で汚染されても経済が大事だという人たちがいます。人間生活の全てが奪われてもまだ経済が大事だという人たちが、今この人たちが、日本の政治を握っています。
 どのような政治家であっても私達は人間の命より経済の方が大事だという政治家は絶対に支持しない。そのような政治家は認めない。脱原発とは、金とウソと権力の横暴が作って来た社会からとにかく脱却して行く。それは絶対に経済の問題ではない、人間の問題です。そして平和に暮らしていく社会に向かう、それが今生きている私達の使命であります。
 戦いはまだまだこれからです。また新たな気持ちで脱原発の運動を始めていきましょう。今日がその出発点です。頑張って、頑張って、頑張りぬきましょう。


■大江健三郎さん(作家)
 「福島事故はなかったことにしよう」とする、そういう連中と闘う。

 福島の原発事故の直後から、いっせいに原発ゼロにするという声が高まりました。それは私が、かつて味わったことのない統一された日本人の声でした。それが今、「その運動は色あせてきて、動きは勢いを失ってきているのではないか」という声は、まさに為にするものであると考えています。今日、私らは、その反証を示しうるでしょう。それは福島が日本人得意のセリフ「なかったことにする」ということは、絶対にできないことであるからです。
 私は作家をやっているので、文学の側から証言をお伝えします。長崎の浦上の丘の上で原爆に見舞われて、今日に至るまで被ばくの小説を書き続けてこられた林京子さんという素晴らしい作家がおられます。その林さんの一番新しい仕事が『群像』という文芸雑誌に載っていますが、その中の林さんの声をお伝えします。
 林京子さんによる福島で何が起こったか、起こり続けているかの注意深い受け止めは直接長崎で被ばくされたことにつながっています。長崎の苦難をしっかり生きた人が福島の新しい被爆者の方達の脇にしっかり立っているのです。
 福島の状況を伝えるテレビを観ていると、国のあるいは自治体の役人が、「子どもたちの内部被ばく」と言う言葉を使うのを聞いた。それを聞いて林さんは涙がとまらなかったと言われます。彼等は知っていたのだと。微細な放射性物質が体に入り、30年、40年と放射能を発揮し続けて、がんのような病気を引きこす恐ろしい内部被ばく。林さんが書いておられる言葉を引用します。
 "幾人のクラスメートが、被爆者たちが、内部被ばくのために原爆症を発症し、死んでいったか。原爆症の認定を得るために国に申請する。国は却下。被ばくと原爆症の因果関係なし。又は不明。ほとんどの友人達が不明と却下されて死んでいきました。被爆者達の戦後の人生は、何だったのでしょうか"。そう言って林さんは福島の新しい被爆者の将来を深く憂えられるのでありますが、フクシマがヒロシマ、ナガサキを生き延びて来られた人たちと、はっきりと結ばれている。それを見据えて、この国の将来とどう結びつけて考えるか、特に子どもたちのこととして大きな問題だと林さんは言われます。
 林さんは不屈の人ですが、それでも、あるいはそれゆえに、国、政府が、そして特に産業界が、多くの地方自治体が、そして政治家が、「福島の原発事故はなかった」とさえ言いかねない態度を示しています。少なくとも、「福島の事故は終った」と、政治家はすでに言っています。そうした政治家らが突っ走っている、その進み方に林さんは沈み込んでしまいます。その林さんが昨年7月の代々木公園で脱原発の集会があることをテレビで見つけられ、ひとり新幹線に乗って駆けつけました。林さんの言葉です。
 "駅から公園までの短い距離の中で、これほど素直で率直な人々の命への思慕−思い慕うことです−を感じたことはありません。
 戦後60数年の年月の中で、人々がとった最後の選択なのです。それがこの集会なのです。闘いを生き抜いた私たちのバトンは若い人々に確かに渡っている。感動でした。大震災から引きずって来た迷いも、惑わされた揺れも終わりです。浦上の丘でもらった命ひとつの謙虚な私に帰って、代々木からの新しい出発です"。このように林さんは小説を結んでおられます。
 現在私は3つの決意を持っています。第一は、広島、長崎、そして福島をなかったことにしようとする、そういう連中とは闘う。第二は、もう一台の原子炉も再稼動させない。そのために働く。そして第三は、今日のデモを完走ではない、完歩するよう努力するというのが私の決心であります。
(編集注)大江さんの発言の中で、役人が「内部被ばく」という言葉を使った部分について、表現に曖昧さがありましたが、東京新聞2013年3月12日朝刊に大江さんの真意が掲載されたので、それに従いました。


■内橋克人さん(経済評論家)/メッセージ代読
 福島に学ぼうとしないおろかな政治家を、かくも多数国会に送った私たち自身の責任をも糾さないわけにはいかない。

 今この時間、私は原発事故被災の地、いや正しくは被ばくの地、福島の地にいます。
 あれから2年、あれほどの原発事故の責任を取る者は誰一人なく、その上、さらに新しい原発安全神話が作られようとしています。厳しくなった安全審査の基準をクリアーしさえすればもう大丈夫、再稼動は当然という空気が、安倍政権の入念な工作によって作られています。脱原発という国民的な合意を足蹴にし、再びこの狭い震災大国日本列島を放射能汚染のリスクで囲い込もうというのです。昨年末まで盛り上がった脱原発の勢いもそのうち賞味期限切れと高を括る安倍政権の合意なき国策、決定のやり方は、一億玉砕と叫んだ戦前の軍国日本とどこが違うのでしょうか。
 福島で始まっているのは新しい差別です。子どもたちの被ばくを減らしたいと神経をすり減らす若い母親達を、こと荒立てる過剰防衛の厄介者と誹謗する、避難者を逃亡者と言い立てる、かつて原発安全神話を小学中学高校生に刷り込んだのと同じ手法の文科省製副読本が配られ、リスクを過小評価し、まるで福島はなかったことにするような教育が平然と行なわれています。このむごい現実を皆さんは許すのでしょうか。今回寄せられた10代からの手紙は、カタカナで書く"フクシマ"を、一日も早く漢字で書く"福島"に戻せと訴えています。
 被爆者をばらばらに分断し、互いに対立させる合意なき国策がどうして復興などであるでしょうか。フクシマそして福島に学ぼうとしないおろかな政治家を、かくも多数国会に送った私たち自身の責任をも糾さないわけにはいきません。今こそ私達は、賢さを伴った勇気を取り戻そうではありませんか。


■斎藤夕香さん(福島県からの避難者)
 新しい人に情報を伝える。誰かが言わないと国は変わらない。

 私は子どもが4人おりまして、震災当初は、福島市飯野町という所にいました。原発から約50キロ弱くらいの町です。震災が来る前は本当に平和に暮らしていました。正直、原発のこととか、放射能のこととか、何も分からなくて、何も知らなかった人間でした。でも震災が起こって、原発が爆発して、毎日、新聞とテレビを観ているうちに、いろんなカラクリを見つけてしまいました。
 最初は、新聞とテレビばかり見ていました。でもだんだん地面の高い線量を報道しなくなって、空間線量ばかり報道するようになって、何かおかしいなと思い、ネットでいろいろ調べるようになりました。あそこは、放射線管理区域で、人が住んじゃいけない地域なのだと、自分で測って、目で見て、やっと分かり、それからいろんな周りの生活がすっかり変わってしまいました。
 2011年5月23日に、20ミリシーベルト撤回交渉に文科省に行きました。その時から、自分の仕事も手に付かなくなって、周りの家族や友達とか、一番大事だと思う人にこの状況を説明したのですが、実感を持ってもらえなくて。やはり目に見えないので、そこをどういう風に伝えて行こうかと思いました。うちは子どもが多いので、中学校、小学校、保育の先生それぞれの所に言いに行きました。除染をする前に、外に出そうとする大人がたくさんいたのです。子どもをそんな所で遊ばせてはいけないということが分からないのです。本当に知らされていないのです。
 県外の人たちの方が、すごく知っている感じでした。報道の人たちがたくさん福島に来て、何で避難しないのと言われていたのですが、うちは避難区域ではなくて、強制的に避難しろとは言われていない区域で、でも放射線管理区域ですけれど、指示が出ていない地区です。なので、自主的に避難するほかなくて、でもほとんどの人が動けないというのが現状です。
 私は、何とかして動かなくてはいけないと思って、やっと去年の1月に京都に避難を決断して動いたので、遅い方なのです。知っている人とか決断が早い人は3月、4月に決断して避難しているのですが、情報を全く持っていない人は、避難できないし、むしろ何で避難するのという感覚で、みんな生活していた状況でした。
 多分ここにいない人たちは、よく知らない。こんなことをしていることをよく知らない人たちがほとんどだと思うのです。本当は、そういう人たちにちゃんと知らせなくてはいけないと思うのです。私達はここで、同じ人同士でグルグル情報を回していてはいけないと思うのです。ですから、新しい人に伝える作業がすごく必要だと思い、今は、京都に市民放射線測定所というのが去年の5月にできて、そちらのお手伝いと、避難ママの会を立ち上げて、細々ながらこれからの子どもたちの保養の資金を集めながら、とにかく新しい人たちに伝えるという作業をしています。
 これからは、若い人たちに伝えるという作業が本当に必要だと思います。どんどん新しい人たちに伝えるという作業をみなさん一人ひとりがやったら、絶対に変わると思います。福島の人たちも頑張っているので、みなさんの協力で何とかこの世界を変えたいのです。この国がこんな国だなんて最初は本当にがっかりしていたのですが、今、こうやってこんなにたくさんの皆さんがこっちを向いて聞いてくれているということを確認できたので、これからも協力してください。


3月11日講演会 東京・きゅりあん
 1,000名以上入る会場は参加者であふれました。内橋克人さん、大江健三郎さん、坂本龍一さん+後藤正文さん(対談)、清水修二さん(福島大学教授)、澤地久枝さん、吉岡斉さんの講演がありました。その中から、落合恵子さんの閉会の言葉を紹介します。


■落合恵子さん(作家)
 3・11を平和と反核と反原発の日に

 このところ、私の心の中でずっと繰り返されている言葉があります。亡くなったドイツのジークムント・バウマンの「液状化する社会」という本の中の、「社会は危険と矛盾を生産し続ける一方、それらへの対処は個人に押し付ける」という一節です。まさに、この社会を私たちは迎えているのだと思います。
 国策としての原発、国は危険と矛盾を生産し続ける一方、事故が起きた今でもなお、それらへの対処を個人に押し付け続けようとしています。このことを私たちはしっかりと心に刻むべきだと思います。
 事故からまる2年が経ちましたが、いったい何が変わったのでしょうか。廃炉は決まったのでしょうか。いいえ、決まっていません。原発輸出は禁止されるのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。福島の子どもたちは安心して外で遊べるようになったのでしょうか。それもありません。離れ離れに暮らすご家族がもう一度一緒に暮らせるようになるのは何時の日か、答えは出ていません。
 長年原発を推進してきた自民党が政権第一党です。円安、株高、経済最優先で浮かれているのは経済界だけだと私は思います。この政権は、安全が確認された原発は再稼動すると平然と言明しているのです。同時に、米軍普天間基地の辺野古への早期移転を決めると言明しています。防衛費はどんどん増えていき、福祉は削られ、オスプレイは日本中を飛べるようになりつつあるのです。憲法改悪を国民的議論に高めようと発議しています。たぶん参議院選までは静かに潜行しているのでしょうが、選挙後はより露骨になってくると、予想ができます。
 「3月11日」を時計の振り子を戻す"記念行事の日"にすることに、私は反対します。私たちはこの日を、何年経っても、10年経っても、20年経っても、50年経っても、やっぱり平和と反核と、もちろんその時に原発が止まっていたらいいのですが、原発に反対する再スタートの日に決めたいと思います。
 この国の歴史はいつだって、無辜(むこ)の市民のかなしみと喪失と憤りを置き去りにして、その上につかの間の繁栄を築いてきただけではないのか。原発に、その法則を決して適用させてはならないと思っています。
 同じ考えや志を抱く者同士が集まる会は心地よいですが、そこで止まったら自民党第一党のままで終わるということを、もう一度心に刻みませんか。
そんなことは無いと思いますが、たとえ、1年後この会場が埋まらなかったとしても、数年後たとえ数人になったとしても私たちはやり続けませんか!



ふくしま集団疎開裁判意見書
福島の小児甲状腺がんの発生率は
チェルノブイリと同じかそれ以上のおそれがある

松崎 道幸さん (深川市立病院内科・医学博士)

 先ごろ、福島県県民健康管理調査検討委員会(座長:山下俊一福島医大副学長)は2011年度の調査で、甲状腺がんの子どもが既に3人、そして強い疑いのある子どもが7人いることを発表しました。この調査結果について、どのように評価したらよいのかについて、ふくしま集団疎開裁判の原告側意見書として仙台地方裁判所に提出された松崎道幸さんの意見書を転載します。委員会は「放射能の影響ではない」とほとんど断言していますが、意見書を読むと、一刻も早い避難が必要であることが改めてわかります。

意見書
松崎 道幸 (深川市立病院内科・医学博士) 2013年2月19日

1. 福島と同じ方法で実施された子どもの甲状腺検診データがチェルノブイリにある

 2013年2月13日、福島県県民健康管理調査検討委員会において、甲状腺検診を受けた18才以下の子どもたち3万8千人から3名の甲状腺がんが発見されたことが報道されました。 しかも、このほかに甲状腺がんの疑いのある子どもさんが7名おられるということです。したがって、原発事故から2年も経たないうちに、3万8千人の子どもたちから最大10名の甲状腺がんの発生が予測されるという事態になりました。この福島の数字が多いのか少ないのかを判断する上で、参考にできる調査があります。
 それは、チェルノブイリの原発事故の5年後から開始された日本の医学者による被災地周辺の子どもたちの甲状腺検診結果です。 この検診の最初の詳しい報告は、1995年に山下俊一氏(現長崎大大学院医歯薬学総合研究科教授・福島県立医科大学副学長)、長瀧重信氏(長崎大学名誉教授)らが共同著者となった論文(以下「山下チーム論文」と記す)としてThyroidという医学雑誌に発表されています。
(【論文名】チェルノブイリ周辺の子どもの甲状腺の病気 【著者】Ito M, Yamashita S(山下俊一), Ashizawa K, Namba H, Hoshi M, Shibata Y, Sekine I, Nagataki S(長瀧重信) 【掲載誌】『Thyroid(甲状腺)』第5巻第5号、365〜8ページ、1995年)。
 これは、事故時10才以下だったチェルノブイリ周辺の約5万人の子どもたちを対象に、事故から5〜7年後に初めて甲状腺超音波検査を行った結果を報告したものです。 このチェルノブイリ検診が、今回の福島の検診結果を解釈する上で参考になるのは、次の共通点があるからです。
@ 原則として調査地域のすべての子どもを検診対象とした。
A 超音波検査で直径5ミリ以上の結節性病変のある者を穿刺細胞診の対象者として選択した。

下表に、チェルノブイリと福島の小児甲状腺検診の概要および結果を示します。

原発事故後の小児の甲状腺検診
  チェルノブイリ 福島
検診時期 事故の5〜7年後 事故の1年後
超音波検査所見
精査基準
径5ミリ超の病変 径5ミリ超の病変
検診者数 55,054名 38,114名
甲状腺がん数 4名 3名
(他に7名が疑いあり)
がん(結節)の直径 平均16mm* (平均15mm**)
データ出典 【論文名】チェルノブイリ周辺の子どもの甲状腺の病気【著者】Ito M, Yamashita S(山下俊一), Nagataki S(長瀧重信)他【掲載誌】『Thyroid(甲状腺)』第5巻第5号、365〜8ページ、1995年 2013年2月13日福島県県民健康管理調査検討委員会(報道)
* Ito M, Yamashita S, Ashizawa K, Hara T, Namba H, Hoshi M, Shibata Y, Sekine I, Kotova L, Panasyuk G, Demidchick EP, Nagataki S. Histopathological characteristics of childhood thyroid cancer in Gomel, Belarus. Int J Cancer. 1996 Jan 3;65(1):29-33. http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/(SICI)1097-0215(19960103)65:1%3C29::AID-IJC6%3E3.0.CO;2-3/pdf
**(福島民報)「新たに2人甲状腺がん 県民健康管理調査」 http://www.minpo.jp/news/detail/201302146637


2.福島の甲状腺がん頻度はチェルノブイリ周辺の高汚染地域と同じだった

 チェルノブイリの検診では、径5ミリ超の甲状腺病変を超音波検査で検出し、穿刺細胞診検査などで診断を行った結果、55,054名から4名(1万4千人に1人)の甲状腺がんが発見されました。 下記地図に山下チーム論文の調査地域と放射能汚染度を示します。同縮尺で、福島周辺の放射能汚染度も併置しました。


 下表は、山下チーム論文の表1をもとに、地域別の超音波検診数と甲状腺がん発見数を示したものです。調査地区中最も放射能汚染の高度なゴメリ地区では8,949名中2名に甲状腺がんが発見されました。

超音波検査による検診人数と甲状腺がん発見数
(山下チーム論文 表1をもとに作成)
地域 汚染度 検診人数 甲状腺がん
モギレフ やや低 12,285名 0名
ゴメリ 8,949名 2名
ブリヤンスク 12,147名 0名
キエフ 10,578名 1名
ジトミル 11,095名 1名
合計 55,054名 4名

3.福島調査では3名が甲状腺がんと確定
  他の7名も甲状腺がんの可能性が極めて濃厚


一方、福島調査では、38,114名から3名の甲状腺がんが確認され、なお、7名の結節(平均直径15mm)が甲状腺がんの疑いが濃厚であるということで精査中です。 毎日新聞***は、最終診断が未確定の7名のこどもについて、「7人は細胞検査により約8割の確率で甲状腺がんの可能性があるという。7人の確定診断は今後の手術後などになるため、最大10人に増える可能性がある」と報道しています。 ***http://mainichi.jp/select/news/
20130214k0000m040061000c.html

したがって、現在の時点で、福島では、1万3千人に1人が甲状腺がんを発病しており、もし、他の7名がすべて甲状腺がんと確定したなら、3千8百人から1人甲状腺がんが発生したことになります。
左図は、チェルノブイリ周辺と福島の検診人数を四角形で、確定甲状腺がん数を黒丸、甲状腺がん疑い数を灰色の丸で表示したものです。(図の左はゴメリ地区だけを表示)
原発事故数年後にチェルノブイリの高汚染地域(ゴメリ地区)では4千5 百人に1人が甲状腺がんと診断されました。しかし福島では原発事故後2年も経たないうちに、甲状腺がん確定例が1万3千人に1人、疑い例も含めると3千人に1人と、ゴメリ地区に匹敵する発生率になる恐れがあることが明らかになりました。



5. 山下チーム論文は、初期被ばくだけでなく、慢性低線量被ばくも甲状腺がん増加の原因であろうと正しく指摘していた

 山下チーム論文は、チェルノブイリの小児甲状腺がんが、急性の直接被ばく(事故初期のヨード被ばく)だけでなく、その後の持続的低線量被ばく(放射性降下物による地表汚染)によって発生増加していると述べています。私もこの結論に同意します。
 私たちが出来るのは、子どもたちにこれ以上の放射線被ばくをさせないことです。子どもたちを現状の放射線汚染地域に住まわせることを見直し、移住・疎開等を真剣に考慮すべきです。
【山下チーム論文367ページ右段本文最終段落(松崎訳、太字も松崎)】
 我々の研究は、細胞診によって55,054名の小児の甲状腺疾患に関する疫学的証拠を初めて明らかにしたものであり、チェルノブイリ周辺において小児の甲状腺がんがん高率に発生していること、また甲状腺免疫異常が増えている可能性のあることを示唆した。放射線感受性の高い小児は、初期の急性被ばくならびにその後の持続的低線量被ばくにより、直接的あるいは間接的に甲状腺が傷害される可能性がある。本研究は今後の調査解析に寄与する重要な基礎データとなるだろう。そして、腫瘍および免疫異常を伴う小児の甲状腺疾患が放射性降下物によりもたらされたものであることを示唆している。
 Our results provide the first epidemiological evidences of cytologically diagnosed childhood thyroid diseases among 55,054 children and suggest a high incidence of thyroid cancer and possibly also of autoimmune thyroid disease around Chernobyl. In radiosensitive children, the thyroid may be affected directly or indirectly, by either immediate exposure to radiation or continuous exposure to low-dose radiation in the contaminated area. To shed light on these possibilities, long-term follow-up studies should be organized through international scientific cooperation. This study will serve as an important data base for further analyses, and suggests that childhood thyroid diseases, including both neoplasmsand immunological disorders, are consequences of radioactive fallout.8,949

結論
  1. 現在の福島の子どもたちには、被ばくから数年後のチェルノブイリ高汚染地域の子どもに匹敵する頻度で甲状腺がんが発生している。
  2. 甲状腺がんは今後激増する恐れがある。
  3. 福島中通とその周辺の放射線レベルの高い地域に居住を続けることは、医学的にまったく推奨できない。速やかかつ真摯に移住、避難等の抜本的対策を講ずるべきである。
  4. 福島の事態は、放射線防護に関する「権威ある」国際機関および専門家が言い続けてきた「予測」をはるかに上回ることが日増しにあきらかになっており、従来の言説にとらわれない先取的、予防的対策が重要であることを認識すべきである。
以 上


編集後記

3.11の2周年として、各地で集会・デモが繰り広げられた。東京の主な集会・デモは記事で紹介されているとおり。マスコミは、昨年夏の盛り上がりと比較して人数が減っていることを書きたてる。しかし、マスコミは部分的、皮相的に取り上げるだけで、起こっていることを全体的に把握する能力はない。反原発の動きは、持続し、拡大しているというのがこの間の流れだ。▼官邸・国会前抗議行動が丸1年も、数千の規模で続いていること自体、驚異的なことだし、経産省前テントひろばも、1年半も存在し続けている。金曜日の抗議行動は全国で100箇所以上、テントも10カ所は下らない。9日、10日は東京でもメインの3つ以外に、新宿で国民投票のデモ、お台場では9日・10日にロックフェスティバルNO NUKES 2013、10日、11日はデモと同じ日比谷公園で、東日本大震災市民のつどい「ピースオンアース」が音楽、トーク、出店で、原発のない暮らし、社会をアピールし、11日の被災者への黙とうには、平日の昼間にもかかわらず1000人以上の人が参加していた。▼全国でも、大阪1.1万、名古屋5000人など、200カ所以上で集会・デモが行われた。東京近辺でも、市や区単位の「ローカルデモ」も毎月のように行われている。私の家の近所で3.11前後には、練馬区で2週間にわたる映画祭や10日午前のデモがあった。「中央線黄色い電車連合」や「西武線沿線連合」などといって、「ローカルデモ」同士もつながっている。1月新春デモ、2月節分、3月ヒナ祭り、4月花見と、季節感も交えながら、デモも日常化している。日本も「デモのある国」になったのだ。今までデモなどなかった界隈を、今までデモを見たこともない人々の目の前をデモ隊が通るというのもなかなか新鮮だ。▼昨年12月の選挙結果はひどかったが、長期戦を覚悟し、息長く、地道に集まって、続けていくという覚悟が広がっている。わかっている人同士訴えあってもしょうがない、ここに来ていない人たちにどう広げていくのか、ということがよく言われる。脱原発の意志を広げる以外にも、裁判、告発、被災者支援、現地支援、生活の組み換えなど、日常的にもできることはいろいろある。▼南海トラフ巨大地震で予測被害額220兆円、福島第一で停電により使用済み燃料プールの冷却停止、などのニュースが流れる。こんなことでどうして、再稼働などいえるのか、推進派の頭はどうなっているのか。一般の人も一時的に思い知らされても、たちまち思考停止と忘却に流れさてしまう。それにしてもわずか2年で、あまりにも忘れやすい。▼原発だけでなく、一部に偏在して必要なところには回らない「お金」、価値の裏付けもなくGDPの3倍以上にも膨れあがった金融マネー、成長が可能でも必要でもないのに、成長しないと倒れる経済の仕組み、官僚が机上で決めて現場で役に立たない予算等々、人が作ったシステムが、生きている人々を絞め殺すという事態が目の前で進行している。弱者に落とされた人々を食い物にすらしてシステムが維持される。「アホノミクス」でバブルを煽るマスコミを見ていると、劣化がさらに進んでいることがわかる。「デフレ」は歴史的、構造的なもので、小手先の「政策」でどうにかなるものではないだろう。「対策」の弊害も多く、バブルに終わるか、「景気がよく」なっても、おこぼれはわずかな人にしか行きわたらないことは証明済み。「日本で中間所得層の復活はない」と竹中平蔵は言い放っている。金持ち、大企業、アメリカの利益大優先のシステムにいつまで依存しているのか。お金とシステムに縛られない暮らしを、地域で本腰入れて作って行かなければと思う。(花岡邦明)


化学物質問題市民研究会
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