ピコ通信/第169号
![]()
目次 |
2012年8月26日(日)東京
国際シンポジウム 「科学の不定性と社会〜いま、法廷では?」 8月26日(日)一橋記念講堂大ホール(東京)でJST-RISTEX「科学技術と社会の相互作用」領域・研究プロジェクト「不確実な科学的状況での法的意思決定」科学グループ主催の国際シンポジウムを傍聴しました。東北大学の本堂 毅准教授らのシンポジウム組織委員会が実施したこのシンポジウムは、私たち市民が"科学"とどのように向き合うかについて考える機会を与えてくれたように思います。シンポジウムを紹介するチラシは次のように述べています。 "原発の稼働の可否,地球温暖化への対処など,科学技術の問題は科学が答えを決めるのでしょうか.専門家の判断は絶対なのでしょうか。学校では「正解のある科学」が教えられます.しかし,先端技術の評価や環境予測など,現実社会の中で科学は正解を用意できません(不定性)。では,主権者たる市民,行政,そして司法は,このような本質を持つ科学,これを用いる専門家 とどう向き合えば,主体的判断に活かせるのでしょうか。 このシンポジウムでは「不定性」が端的に現れる法廷を例に日本の制度的問題を明らかにし,世界最先端の「コンカレント・エヴィデンス方式」(マクレラン判事),「専門知の不定性」(スターリング教授)の知見を踏まえることで,科学の不定性を直視した社会制度のあり方を議論します。" シンポジウムでは、下記の方々の講演と、さらに講演者を含んだパネリストによるパネルディスカッションが行なわれました。 講演者(講演順) ・本堂 毅(東北大学理学研究科) ・吉良貴之(常磐大学) ・ピーター・マクレラン(オーストラリアNSW州最高裁コモンロー首席判事) ・尾内隆之(流通経済大学法学部) ・アンドリュー・スターリング(英国サセックス大学) ・小林傳司(大阪大学コミュニケーションデザインセンター 難解なテーマであり、内容を必ずしも十分に理解できたわけではありませんが、非常に重要な問題を提起しているように感じたので、どのようなメッセージであったのかをお知らせするために、本稿では、本堂先生の講演の概要を紹介します。また、本シンポジウムに関するウェブページがあり、講演者/パネリストの紹介と講演資料に加えて、関連する貴重な資料にもアクセスできるようになっていますので、関心のある方は是非ご覧ください。 http://www.sci.tohoku.ac.jp/hondou/0826/syokai.html 「科学の不定性と社会 いま,法廷では・・」 東北大学大学院理学研究科 本堂 毅 ■背景とシンポジウムの目的 大震災以降、科学と社会のギクシャクが顕在化してきた。様々な専門家が「科学的助言」を行ない、例えば「直ちに影響はない」というフレーズが流行語になったが、これは科学と社会、科学と意思決定への社会的な不信を示している。 シンポジウムの目的は、科学と社会の「ボタンの掛け違い」を探ること、その直し方を探ることであり、科学の不定性、特に「直ちに影響はない」というような多義性を英サセックス大学のスターリング教授に、実践例として、コンカレント・エヴィデンスをオーストラリアのマクレラン判事にお話いただく。 ■ボタンの掛け違い 「ボタンの掛け違い」の古典的な例は地球温暖化の議論の中に見える。よくある議論に「温室効果ガスによる温暖化は科学的証明がなされていない」というのがある。そして科学的証明がなされていないのに「対策を行なうのは非科学的」でケシカランという意見がある。そのときの前提は科学的根拠があるという暗黙の了解である。 しかし自然科学というものは技術も含めて一般的に100%正しい証明は「原理的に不可能」である。もちろん実験的に扱えるものは,より厳密な証明が可能だが、地球温暖化のような現象は実験不可能であり、したがって、IPCCが言っていることもせいぜい90%程度で正しいということであり、例えば100年経って99%になるか?というようなものである。それが科学の現実である。 「証明=納得のレベル」であり、科学者によって相場感覚が違う。午後、大事な試験があるのに熱が出た。副作用があるかもしれない解熱剤を飲むかどうか? ピストルのシリンダーに一発だけ弾を込めて、それをまわしてから引き金を引くというロシアンルーレットの確率は1/6(17%)。しかしこれをやってみようという人がいるかどうか? ここで分かることは証拠と判断は違うものであるということである。社会的判断は、科学的に確たる証明があってなされるものではない。むしろ社会的判断に必要なレベルで科学的知識を最大限に使うことが望ましいし、そうあるべきであろう。 ■勝つための「弁護のゴールデンルール」 法廷は、科学的知識を社会的判断に生かす最も典型的な場である。そして弁護士は依頼人に対して全力を尽くさなくてはならないことになっている。勝つための奥義を教える本『弁護のゴールデンルール』キース・エヴァンス著 高野隆訳 現代人文社(2000) は、反対尋問の重要な奥義として▼『誘導尋問を用いよ』・・・Yes、Noで答えさせる。▼『欲しいものが手に入ったらやめよ』などをあげている。 証人は弁護士(代理人)の質問にしか答えられない。また民事訴訟規則は、「当事者は誘導尋問をしてはならない」としているが、一方「正当な理由がある場合はこの限りでない」としているので、実際には勝つために誘導尋問が行なわれている。 ■誘導尋問の例 代理人:この物質を一回に摂取して死亡する量は,成年男子の場合500μgで正しいですか? 証人:はい(Yes)。 代理人:この物質の影響として,現在、科学的に厳密に証明されている影響はこれだけですね? 証人:はい(Yes)。 代理人:今回の摂取量は,1日平均0.1μgで,それを1年間摂取したということですから,0.1x365,すなわち40μg以下ですね? 証人:はい(Yes)。 代理人:40μgは科学的に証明されている致死量500μgの10分の1以下ですね? 証人:はい(Yes)。 代理人:ということは,その程度の微量曝露では影響が現れる可能性について,科学的に確たる証拠はないのですね? 証人:はい(Yes)。 代理人:尋問を終わります。 科学的には厳密・・・でも、何かおかしい。「直ちに影響はない」と同じ違和感? ■何が問題か 科学は対象を選ばなければ現実的な議論ができない。例えば、急性影響と慢性影響があって、急性影響だけが科学的にはっきり分かっているという例はたくさんある。 ところが慢性影響が議論されるべき場に影響がはっきりしている急性影響だけを持ち出して、微量曝露の影響については科学的に確たる証拠はないですねと切り捨てることもできてしまう。しかし、例えばシックハウス症候群では、急性影響の致死量の何万分の1、何十万分の1というような微量でも、生活のクオリティ(QOL)に関係するような慢性影響がでる。 このような議論は、裁判官にとっても市民にとっても知りたいことがはぐらかされてしまい、不幸なことである。 これは科学的証拠の多義性の問題であり、何を議論するのか,その対象の選択が,科学的議論の前提に必要だ。対象が噛み合わないと不毛な議論となり、科学と社会の間で不信がますます深まる。大事なことは、何を対象として選ぶか、急性影響か慢性影響かということは、科学自身では決まらないということである。これを今日は"不定性"と呼んでいるが、それがあたかも科学により決まるように議論されることがある。 ■どうすればよいか 不定性の話をすると、それよりまず科学的知見をきちんと活用すべきであるとの意見を度々聞かされる。しかし現状は、不定性(科学で決まらない側面/規範的判断)と科学的知見が混同されており、科学自体の議論が阻害され、本来、科学以外の法律家や社会全体がしなければならない社会的規範・判断の議論がおざなりになっている。 この様な状況の中では、科学的知見の活用の際、不定性(多義性,不確実性など)について、どこまでが科学で決まり、どこまでが科学で決まらないか、科学的に厳密な知見とは何かを整理することによって、科学をより活用した制度ができ、社会がよりよいものになっていく。 ■ふたつの行動規範の衝突 制度設計上の問題として、行動規範の衝突がある。科学者は、公平性・中立性が求められる(科学者の行動規範)。一方、今の制度の下では、弁護士は依頼人に対して全力を尽くさなくてはならず(弁護士の行動規範)、仮に誘導尋問をしないで穏やかに尋問していたら非難の対象となり、最悪の場合は懲戒請求されるかもしれない。 捏造に相当することをやっているからといって、弁護士ひとりを責めてもどうにもならない。これは科学の性質を法曹界が知らないという背景があるからであり、もしそのような状況があるなら、その責任は科学者側にもある。非専門家に科学とはどのようなものかということを伝えていないからである。 ■科学的不定性を踏まえた"再構築" 法廷が科学を用いる理由は、科学のもつ普遍性と、対立する紛争当事者が共有できる公共知である。しかしそのことが誘導尋問などの恣意的なやり方で歪められたら、法廷が科学を用いる大前提が壊される。 そのようなことが起こる制度は作りなおさなければいけない。そのためにこのシンポジウムを開いている。科学と社会の意志決定を考える時には、科学者に丸投げすることはできない。一方、誘導尋問のような無秩序な攻撃をしても不毛である。したがって第三の道を探さなくてはならない。そのために社会的文脈と科学的合理性が共存するような制度設計をしなくてはならない。それを考える際にコンカレント・エヴィデンスというものが非常に参考になる。 (本堂先生の講演概要はここまで) ■コンカレント・エヴィデンス 本シンポジウムで講演されたピーター・マクレラン氏(オーストラリアNSW州最高裁コモンロー首席判事)の講演によれば、これまで,科学的な争点を含む訴訟においては,専門家証拠は法廷において一人ひとりの証人を個別に尋問する形で行われてきた。 これに対しオーストラリアで開発されたコンカレント・エヴィデンス方式では、専門家が2名以上であれば、専門家が互いに合意できる点とできない点を共同して裁判所に証拠を提示し証言する。 この手続きは▼裁判前準備にかかる時間を最小にできる▼重要な点を迅速に確認し議論できる▼従来の反対尋問でなされる質問に比べて、より建設的で有益な質問がされるなどが長所であるとしています。 ■化学物質問題と科学的不確実性 当研究会は、従来から化学物質やナノ物質、水銀などが、また3.11以降は原発の放射能が及ぼす有害影響から人の健康と環境を守る活動に関わっています。高用量/急性曝露については有害影響や因果関係が比較的はっきり見えるので、行政や産業界もそれなりに対応しますが、低用量/慢性暴露影響については科学的不確実性が存在することを理由に、科学に基づくアプローチ(science-based approaches)や科学的証拠(scientific evidence)を掲げて、行政や汚染者に不都合な有害性や因果関係を認めず、規制対象としないケースが多々あります。例えば、内分泌かく乱作用、低用量複合汚染、化学物質過敏症、電磁波による健康影響、ナノ物質の健康と生態系への影響、水銀の低用量曝露、そして放射能の低線量/内部被曝などが典型です。 「人間の健康あるいは環境に危害を与える恐れがある場合には、原因と結果の関連が科学的に完全には証明されていなくても、予防的措置がとられなくてはならない(予防原則に関する1998年ウィングスプレッド声明から)」とする予防原則に基づく対応が求められます。 (文責:安間 武) |
日本の原子力政策は米国が決めている
日本の主権はどこに行ったのか
米高官は、日本側による事前説明の場で「法律にしたり、閣議決定をして政策をしばり、見直せなくなることを懸念する」と述べ、将来の内閣を含めて日本が原発稼動ゼロの戦略を変える余地を残すよう求めたということです。 同紙は、「事前に米側に報告して『原発ゼロ稼動』決定への理解を求めようとしたが、米側は日本が原発や核燃料サイクルから撤退し、安全保障上の協力関係が薄れることを恐れ、閣議決定の回避を要請したのではないか」と、政府関係者の指摘を伝えています。 ■脱原発は国民の意思 7月2日から8月12日まで実施されたパブリック・コメントでは、無効票を除いた88,282件のうち、約76,800件(87%)が2030年時点(2030年代ではない)の原発依存度をゼロにするシナリオを選択しました。 今夏、政府が世論誘導を狙って広告代理店に企画を委託して、全国11カ所で行なった「意見聴取会」や全国から無作為に選んだ6,849人に電話で質問した上で討論会への参加を呼び掛け、そのうち285人が東京都内に集まって実施したといわれる討論型世論調査でも、政府の意図に反して、国民の脱原発の強い意志が明確になりました。これは日本の原発維持/推進を期待している国際原子力マフィアにとって看過できない重大事であったに違いありません。 ■原子力規制委員会・規制庁人事 野田政権は、今までの原子力安全保安院及び原子力安全委員会を一元化して新設された原子力規制委員会について、国会の同意なしに原子力ムラ支配の人事案を9月19日に強行しましたが、少なくとも委員長と2人の委員は明らかに原子力ムラ関係者です。 もともと新組織は、福島原発事故の反省の下に制定された原子力規制委員会設置法の主旨に基づき、「規制と利用の分離」、「原子力ムラの影響排除」、「国民の信頼の回復」を目指したはずでした。 また、事務局機能として20日に発足した規制庁の幹部も原子力推進官庁からの官僚がずらりと並び、これらは絶大な権限を持つ規制委員会の「原子力ムラ支配」を確実にするために、日本の原子力マフィアにより巧妙に仕組まれた人事です。 国際原子力マフィア、原子力ムラ、御用学者、既得権益、隠蔽、捏造、誘導、やらせ、二枚舌、厚顔にめげず、脱原発が実現するまで、抗議行動を続けましょう。(安間 武) |