ピコ通信/第163号

発行日2012年3月23日
発行化学物質問題市民研究会
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URLhttp://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/

目次

  1. 水俣病は終っていない 溝口訴訟 福岡高裁38年目の水俣病認定に 熊本県/国は上告を決定「水俣条約」と命名するに値しない
  2. 3・11脱原発行動 世界中で原発やめよう!の声 国会を1万人以上が包囲した
  3. 東日本大震災・福島原発事故一周年 「原発いらない!3・11福島県民大集会」に参加して 山田桃子(東京都在住 会員)
  4. 3/3シンポジウム「東日本大震災・原発災害と私たちの未来」 チェルノブイリ−ドイツーフクシマ:真実を求めて ゼバスティアン・プフルークバイルさん(ドイツ放射線防護協会)
  5. 市民と科学者の内部被曝問題研究会(内部被曝研)が発足しました
  6. 「食品の新規制値」決定プロセスで現れた「やらせ」に抗議する 2012年2月19日 市民と科学者の内部被曝問題研究会 代表者 沢田昭二
  7. お知らせ・編集後記


水俣病は終っていない
溝口訴訟 福岡高裁38年目の水俣病認定に
熊本県/国は上告を決定
「水俣条約」と命名するに値しない

■はじめに

 2月27日、福岡高裁は、溝口訴訟の判決で現行水俣病認定基準を唯一の基準とするのは不十分。本来は水俣病と認定されるべき申請者が除外された可能性があり、その運用は適切でなかったとの判断を示しました。
 一方、熊本県は福岡高裁判決を不服として最高裁に上告することを決定し、環境省は認定基準の見直しは頑なに拒否し、熊本県の上告を全面的に支持するとしました。認定基準の見直しを行うことになれば、未認定患者救済を謳う水俣病特措法のスキームが根底から覆されるからです。
 1977年にできた国の基準で認定された被害者は2千数百人と言われていますが、特措法救済には今年1月末時点で5万人以上が申請しました。これほど多くの未認定患者がまだいるということです。環境省は申請の受付を本年7月31日で打ち切ると発表しましたが、水俣病はまだ終っていません。
 原告溝口さんと支援団体は、末尾に示すように、熊本県に対し、上告への抗議と要求を3月14日に提出しました。

■溝口訴訟のあらまし
(水俣病溝口訴訟弁護団、チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム実行委員会、東京・水俣病を告発する会のチラシ「38年目の水俣病認定をも引き延ばすのか」から紹介)

▼福岡高裁判決 「水俣病を認定せよ」
 去る2月27日、福岡高裁(西謙二裁判長)は、水俣病行政訴訟で、故・溝口チエさんを水俣病と認め、熊本県に対して「チエさんの棄却処分を取り消し、水俣病として認定せよ」との判決を下しました。

▼未検診死亡のまま、20年放置
 水俣市の患者多発地帯で暮らしていた溝口チエさんは1974年に水俣病認定を県知事に申請し、3年後の1997年77歳でなくなりました。検診を受けられぬままに亡くなった申請者に対しては主治医のカルテを県が収集して審査する決まりとなっていましたが、病院調査がなされたのは申請から20年後の1994年。すでにチエさん主治医の病院は廃業しており、それゆえに「資料なし」として翌1995年、棄却処分とされたのです。
 当時、チッソに県債で補償金を融資していた熊本県は、「認定患者が増えることを歓迎しない雰囲気があった」(環境省懇談会での元水俣市長の発言)のです。チエさんは意図的に調査を遅らせて棄却されたとしか考えられません。遺族で長男の溝口秋生さんは毎年、チエさんの誕生日になると県に審査の進捗を問い合わせましたが、返事はいつも「審査中」と言うばかりでした。

▼解決遅い水俣病行政の象徴的事例
 公式確認から半世紀を経て、なお水俣病が決着していないのは由々しいことですが、溝口チエさんの場合はその象徴的な事例ともいえます。調査が延ばされ切り捨てられるまでに認定手続きの中で21年。それに納得しない遺族が提起した行政不服調査で6年、行政訴訟に移ってから一審と二審で合計11年・・・。合わせて38年がたち、長男として行政不服と行政訴訟を提起された溝口秋生さんもすでに80歳のご高齢です。

▼高裁判断、水俣病認定制度の誤り指摘
 福岡高裁の判決は、患者切り捨てに終始していた水俣病認定制度の誤りを正す画期的な判断で、認定基準を変えないままに、低額での「特措法救済」にシフトし、それをも早期に終らせようとしている環境省と熊本県の水俣行政の姿勢が根幹からと問われています。

▼福岡高裁の判決要旨
【現行の水俣病認定基準】
 (旧環境庁が1977年に通知した)現行基準は水俣病にかかっているか否かを症状だけから迅速に判断するためのもので、判断基準を満たさない症状が水俣病であることを否定できるわけではない。水俣病であるかどうかは、医学的見地を踏まえて様々な事情を総合的に考慮して判断する必要がある。

【現行の認定基準の運用】
 現行基準を唯一の基準とするのは不十分。現行基準を硬直的に運用したため、本来は水俣病と認定されるべき申請者が除外された可能性があり、その運用は適切でなかった。

【手続き上の瑕疵の有無と熊本県の水俣病認定の適否】
 チエさんは水俣病にかかっていたと認められるため、これを見逃して行なわれた処分は違法。手続き上の瑕疵があるか否かについて判断するまでもなく取り消されるべきだ。熊本県の棄却処分は違法で、水俣病と認定されるべきなのは明らか。(共同通信)

写真:土本基子
3月1日環境省で上告しないよう要請する
山口弁護士(左)と原告溝口さん
▼県と国のたらいまわし
 溝口秋生さんと山口弁護士、そして水俣の支援者等は2月29日に熊本県知事と面会して上告をしないよう申し入れると、知事は「環境省と法務省と相談し・・・」と口を濁し、3月1日に上京して、東京の支援者らと共に環境省と面談すると、環境省は「上告の一義的責任は県。県から相談があれば話を聞く」と他人事のような答弁をし、高齢を押してはるばる上京した原告を落胆させるばかりでした。環境省とのこの面談には支援団体として当研究会も同席しました。

■行政側は上告を決定
▼熊本県
 3月7日熊本県知事は、処分を取り消して認定を求めた福岡高裁の判決を不服として最高裁に上告すると発表しました。「水俣病認定制度の根幹にかかわる問題が含まれている。福岡高裁判決を受け入れることは難しい」と上告理由を説明しました。

▼環境省
 環境省は熊本県の上告を全面的に支持すると発表しました。国の水俣病認定基準を「十分とは言い難い」とした福岡高裁判決に対し、環境省は「基準そのものは否定されていない」とし、「認定基準は見直さない」との従来からの見解を変えていません。

▼特措法による未認定患者救済への影響
 今回の福岡高裁の判決に従って認定基準が変更されれば、感覚障害のある被害者の多くは、認定申請を選ぶとみられ、特措法による救済スキームは事実上崩壊します。環境省が過ちの歴史を正さない理由はそこにあります。それでは、水俣病認定基準に基づく補償と水俣病特措法に基づく未認定患者救済の違いはどこにあるのでしょうか?

■認定基準の補償と特措法の救済の違い
▼水俣病認定基準に基づく補償
 1977年に定められた基準では、手足のしびれなどの感覚障害のほか、運動失調など複数の症状の組み合わせがある場合に限り水俣病と認定するとしています。認定されると、加害企業のチッソから補償金1600万?1800万円が支払われます。しかし水俣病と認定された患者は1977年以来今日までわずか2千数百人であり、その多くの方がすでに亡くなっていると言われています。

▼水俣病特措置法による救済
 2009年に制定された水俣病被害者救済特別措置法(特措法)は、国の基準では認定されない被害者を対象にした救済制度であると謳われています。感覚障害が確認されれば一時金210万円が支給されます。
 未認定患者の申請数を環境省は当初3万人程度と想定していたと言われていますが、今年1月末時点ですでに5万人以上が申請しました。存命の被害者の方だけでもこれだけの未認定患者がおられるわけですから、1956年に水俣病が公式に確認されて以来の56年間に、認定されず、したがって補償されずに亡くなられた被害者の数はどのくらいの数になるのか誰にもわからず、永久に闇に葬り去られたままです。このような事態を引き起こしたことは、まさに国家の犯罪的行為です。
 救済を受けるためには、認定申請は取り下げなければならないという被害者にとっては厳しい決断が求められます。認定を求める被害者はすでに高齢で、これ以上待つことができないのです。環境省は申請の受付を本年7月31日で打ち切ると発表しましたが、これは様々な事情でまだ申請できない人や、今後、症状が出るかもしれない人に対する救済の道を閉ざすものです。

▼未検診死亡者が462名
 高裁判決後の村田副知事との交渉では、認定を求めたが検診を受けられずに死亡した方々が462名存在し、うち421名が棄却されていたことも明らかになりました。このことは溝口訴訟と同じ状況の人が数多くいる(いた)ことを示しています。

■「水俣条約」と命名するに値しない
 溝口訴訟、認定基準、特措法の現状は、行政と加害者チッソは「全ての被害者を水俣病として認定し、全ての被害者に対して責任を明確にし、全ての被害者を補償せよ」と求める被害者の願いを未だに実現していません。水俣病の全貌を解明するための調査も行なわれていません。水俣湾の水銀汚染へドロの仮埋め立ての安全性の問題や八幡残渣プールの汚染の問題もなんら解決していません。チッソは特措法による分社化で責任を逃れようとしています。
 水俣の水銀汚染の問題は、水俣病が公式に確認されてから56年も経過するのに、まだ終っていないということです。国は、"水俣の悲劇を経験した国"を強調し、2013年に採択予定の水銀条約に「水俣条約」と名づけることを提案しています。これは、水俣病の問題は解決したと世界に宣言し、幕引きをはかりたいからでしょう。
 国は、国とチッソの犯罪的行為を含めて、水俣の教訓とは何であったのかを明らかにすべきです。水銀条約に「水俣条約」と名づけることができるのは、(1)水俣病の問題が全て解決し、(2) 水銀条約に水俣の教訓が反映され、(3) 水銀条約が真に「水俣条約」という名前に値する強い条約になった場合です。
(まとめ:安間 武)



上告への抗議ならびに熊本県への要求
熊本県知事 蒲島 郁夫 様

  1. 福岡高裁で私たちが勝訴した溝口訴訟について、3月7日、知事は上告することを決定しました。私たちは、まずこの知事の決定に強く抗議します。
     知事は、判決が「認定制度の根幹にかかわる問題を含む」ことを上告の理由としています。しかし、高裁判決は、認定基準の不十分さや運用の不適切さについて常識的な判断をしただけです。上告の決定は、法務省や環境省の顔色をうかがった判断です。熊本県民の生命と健康を守り、水俣病被害者の権利を擁護すべき首長にふさわしくないもので、私たちはとうてい容認できません。
     今からでも遅くない。ただちに上告を取り下げ、高裁判決に従っていただきたい。

  2. 高裁判決後の村田副知事との交渉では、未検診死亡者が462名存在し、うち421名が棄却されていたことも明らかになりました。このことは、溝口訴訟で争われたのと似た状況で水俣病を否定された人々が、驚くべき数に上っていたことを示しています。
     9日の記者会見で、細野環境大臣は、「過去において運用の仕方として、反省すべきところがないかどうか不断の見直しは必要だ」と述べています。この言葉を熊本県は真剣に受け止めるべきです。私たちはまず462名について、熊本県がその処分を見直し、なぜ認定と棄却に分かれたのか、棄却された人たちも溝口訴訟基準で見直せば認定の可能性があるのではないか、きちんと検証することを求めます。

  3. さらに現在も認定申請者がいるのですから、認定条件を洗い直し、法の精神にふさわしい運用がなされるよう、ただちに被害者を含めた話し合いの場を設定するよう求めます。
平成24(2012)年3月14日
溝口 秋生
溝口訴訟を支える会


3/3シンポジウム「東日本大震災・原発災害と私たちの未来」
チェルノブイリ−ドイツーフクシマ:真実を求めて
ゼバスティアン・プフルークバイルさん
(ドイツ放射線防護協会)


 3月3日、日本科学者会議主催のシンポジウム「東日本大震災・原発災害と私たちの未来」が、東京・文京区民センターで開催されました。岡本良治さん、沢田昭二さん、綱島不二雄さん、山崎正勝さんの講演に引き続き、ドイツからドイツ放射線防護協会会長のゼバスティアン・プフルークバイルさんが招かれ、講演しました。プフルークバイルさんのお話はひじょうに示唆に富んだものでした。
 本稿では、プフルークバイルさんのお話を紹介します。
(文責 化学物質問題市民研究会)

■チェルノブイリ事故の時も同じ経験
 福島で三重苦に見舞われた方々のことをドイツでもみんな心配しています。福島で起こっている事については、世界中が見守っています。
 チェルノブイリ事故の時、ヨーロッパは同じような経験をしました。チェルノブイリ事故は、最初考えられたよりもずっと大きな影響をヨーロッパに与えたのです。実際に子ども達に何を食べさせたらいいのか悩まなければならなくなった時に、たくさんの人たちが真剣に考えるようになりました。
 大学で教えている人たちも、放射能とは何かを教えるために街に出て行って、市民のための教室などを開きました。その時はじめて、放射線の知識は政治的な影響を如何に受けているかに、多くの人が気づきました。放射線に関する学問は、政治的な考えと強く結びついているのです。

■政治と結びついてた研究
 放射線量がひじょうに少ない時にも、影響があるのです。そのような影響は今、おそらく福島で既に作用していると思われます。
 アイゼンハワー大統領は1953年に「一般国民には核分裂や核融合については曖昧にしか伝えないように」と言っています。隠さずに知らせてしまったら、その先原子力を平和利用することは不可能になってしまうということが、彼は既にわかっていたのです。
 専門家がいかにめちゃくちゃなことを言っているかの例ですが、元東ドイツの原子力監督庁の幹部は「原子力発電施設や他の核施設は安全に運転できると、長年の稼動経験とスリーマイル島事故、チェルノ事故が裏付けている」と。2011年9月のロンドンでのWorld Nuclear Association世界原子力協会 注:原子力利用の業界団体)の総会では、「福島での原子力発電所の事故が、原子力発電所がいかに安全かということの証明である」という発言がありました。原子力を利用しようという人たちの考えを知ると、だんだん気分が悪くなります。
 メルケル首相はチェルノブイリ事故の10年後に現地に行き、「チェルノノブイリ原発はロシアのしっかりした技術だ。ドイツでの原発反対の闘いは危険だ。原発の保安のための労力がデモのために割かれるから。」原発の技術が危険なのではなくて、反対する人たちが危険だと言っているのです。
 山下教授の発言もひどいです。2011年3月に福島での発言「放射線の影響があるとは思わない。線量が少な過ぎるから」。そして、「放射能恐怖症です」とも言っていますが、この考えはロシアのKGBが考え出したものです。「放射能について心配し過ぎて病気になる」というアイデアを広めれば、放射能の影響は隠されると考えてつくったのです。放射能を心配してヒステリックになると体をこわす、散歩して新鮮な野菜を食べていれば何も問題はない、と。

 キエフ市は大きくて人口が多いので、人々を避難させるのは困難です。プルトニウム汚染地図では、なぜか汚染はキエフ市の手前で止まっているのです。

 1990年にIAEAは、国際チェルノブイリ・プロジェクトをスタートさせました。1991年に報告された結論は、「放射線による健康上の悪影響は、適切に調査が行われた地域でも、本プロジェクトの下での調査でも実証されなかった」というものです。調査した子どもたちは全般的に健康であった。白血病、甲状腺がんが増えていることをデータは証明していない。健康のことを考えるのなら、高血圧や歯科衛生に関心をもつべきだと。

 図1
■チェルノブイリ事故の健康影響
 1990年秋、私たちはベルリンでチェルノブイリ会議を開きました。ベラルーシの女性医師が、ベラルーシで甲状腺がんがどのように増えているかを報告してくれました
。  86年からどんどん数が増えています。子どもの甲状腺がんの図(図1)ですが、こちらの方がもっとおそろしい。90年に症例が突然増えています。本当は子どもの甲状腺がんはひじょうに少ないものです。子どもや若者だけではなく、成人にも甲状腺がんがひじょうに増えていることが分かります。(表1)
 0-18歳では、事故以前と比べて58倍、若者は5.3倍、大人は6倍、老人は2.6倍です。50歳-64歳でも5倍、これは驚くべき数字です。

表1
年齢 1973-1985 1986-1998 倍数
0-18 7 407 58
19-34 40 211 5.3
35-49 546 326 6
50-64 63 314 5
64 以上 56 146 26

 ドイツ放射線防護委員会に属していたケッラー博士は国際赤十字に、「甲状腺がんについて、増加した発病率は住民によっても、医師の大多数によっても被曝によるものと考えられている。しかし、増大の原因は、生活が変化して栄養が偏ってしまったこと、膨大な不安、ひじょうに詳しく検査されたためである」と報告したのです。つまり、甲状腺がんは放射線が原因ではないと結論づけているのです。
 この報告は重大な影響を与えています。赤十字でさえ、"新鮮な空気、野菜、不安に思わない健康な生活をしていれば、甲状腺がんにならない"と結論づけ、多くの政府がこれを引用して使っているのです。
 甲状腺がんをなぜ話題にしているかというと、予防できるがんだからです。甲状腺はヨウ素を必要とし、事故が起きた時に排出された放射性ヨウ素を取り込んで甲状腺がんになります。放射性ヨウ素を取り込む前に、ヨウ素をたくさん摂り入れていれば防ぐことができるのです。
 ところが、ドイツ放射線防護委員会のライナーズ教授は、放射線による甲状腺がんは、子どもと若い人にしか現れないとして、45以上の成人にはヨウ素剤による防護を推奨しないと勧告。ドイツでは原子力発電所がヨウ素剤を配布しなければならないことになっているので、この勧告によってヨウ素剤のための支出が半分になったのです。

表2
 チェルノブイリ直後のウクライナの住民の健康状態のデータです。いろいろな病気が急に増えているのがわかります。内分泌系の病気、精神疾患、神経系の病気が増えています。全体の数もどんどん増えていっています。(表2)循環器系の病気も、増え方が激しい。1987年には10万人中2,236人だったのが1992年には98,363人に急増。つまり、住民のほとんどが循環器系の病気にかかっているということです。骨と筋肉に関する病気も、768人から73,440人に増えています。

表3

 住民を、収束作業従事者、避難者、居住禁止区域住民、被害者の子ども(自身ではなく親が放射線影響を受けた)の4グループに分けてみたデータです。健康な人の割合は、1987年は割合高い。その後、どのグループも健康な人の割合がどんどん下がっている。今では健康な子どもは10〜20%しかいないという報告があります。

 子どもの乳歯を薄く切ってみたものです。アルファ粒子の影響が見えます。乳歯全体にこれだけアルファ粒子があるということは、骨にももちろんあるし、体全体にもあるということです。

■ダウン症、死産、男女比、先天性障害
 ドイツのカール・シュペアリングは、ベルリンでダウン症児の出生率が1987年1月に急激に上昇した事を報告しています。当初、原因は分からなかったのですが、その9ヶ月前にベルリンに大量のフォールアウト(放射性降下物/死の灰)降下があったことが分かりました。
 図2

 ベラルーシのミンスクでの調査でも、同じようなデータが報告されました。ただ、ベルリンと違うのはダウン症児の出生率が高いまま移行していることです。ベルリンでは、1月だけ高くてその後、元に戻っています。ミンスクの研究者は、原因が分かった段階で研究を続けるのを断念しました。チェルノブイリがいかに危険かという研究をすると、将来が見込めないからです。
 ヨーロッパのいくつかの国での、死産と健常産を比較したデータです。86年のところで折れている(死産が増加)のが分かります。チェルノブイリ事故後、生まれていたであろう子どもたちが生まれなかったのです。その数を推定すると、何万、何十万となります。
 フィンランドのデータです。(図2)86年5月にあびた放射線量によって5つのグループに分けました。放射線量が高くなるに従って、死産の率が高くなっていくのが分かります。放射線量はマイクロシーベルトのレベルです。一番高いグループで139μSv、一番少ないグループで6.6μSvです。
 新生児の男女比を調べる研究が最近進んでいます。アメリカでは直線で下がっていますが、ヨーロッパでは、1986年で折れ曲がっています。(図3)おそらく、272,000人の女児が生まれなかったのです。男女比率が狂ってきて、女児が生まれる前に死ぬ確率が高くなったのです。

 図3

 大気圏内核実験が行われて、多量の死の灰が降った60年代半ばに、アメリカでもヨーロッパでも男女比の同じような変化がありました。また、ドイツでは最近、原子力発電所の近くでの男女比の研究が行われています。原子力発電所周辺とゴアレーベンの高レベル放射性廃棄物貯蔵施設周辺でも、同じ変化が見出されています。
 チェルノブイリと核実験と原発で共通しているのは、放射線しかありません。
 バイエルン州の先天性奇形についての研究です。先天性奇形のデータ収集は難しいのですが、バイエルン州でだけ数年間データが集められました。心臓に先天性欠陥を持って生まれた子どもについて、放射線量が高かった10の地域と低かった10の地域を比べたものです。その結果、汚染の高かった地域では発生率が高くなっています。小頭症についても1987年以降、倍増していました。バイエルン州はチェルノブイリからひじょうに離れているにもかかわらず。
 2011年春にUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)は、チェルノブイリ事故について以下のことを発表しました。
 急性放射線症の症例は134、うち28例が高い放射線量によって亡くなり、19例がその他の理由で亡くなった。それ以外の100,000人の収束作業員には放射線障害と健康被害があったとの証拠は得られなかった。ただし、6,000例の甲状腺がんの症例があり、その内15例が亡くなった。一般国民の間に、放射線に起因する何らかの健康への影響があるという確証はない。
 福島とその周辺では、私がこれまでに話したチェルノブイリ事故後にドイツやヨーロッパで起きたことが恐らく既に始まっていると思います。通りをただ歩いているだけではこれらのことに気づくことはできません。日本の医師たちは、これからどんなことが起こるのか、どんな子どもたちが生まれるのか、どんな病気が増えていくのか、細かく記録してほしい。
 私が話したのはひじょうに微量の放射線のはなしです。公には何も影響がないとされているレベルです。微量の放射線も大きな影響を与えることを、注意深く見つめて記録して研究していかなくてはいけないと思います。
 医師と科学者のみなさんには、次の言葉を思い出してほしい。劇作家のベルトルト・ブレヒトが、ドイツで核分裂が発見された時期に劇中で書いた言葉です。「真実を知らないものはただの愚か者である。しかし、真実を知っているにもかかわらず、それを嘘と呼ぶ者は、犯罪者である」
(まとめ 安間節子)

化学物質問題市民研究会
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