ピコ通信/第118号
発行日2008年6月23日
発行化学物質問題市民研究会
e-mailsyasuma@tc4.so-net.ne.jp
URLhttp://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/

目次

  1. 5月23日神戸 NGO・NPO国際シンポジウム
    フィリピン、インド、日本のNGOが、有害廃棄物貿易、ゼロ・ウェイストへの取組み紹介
  2. 5月24日神戸 市民環境サミット参加報告/関根彩子
  3. 日本政府のアフリカ支援の目玉「殺虫剤入り蚊帳」普及の問題点とNGOの提案
    田坂興亜(アジア学院常任理事、元ICU教授)

  4. 調べてみよう家庭用品(16)難燃剤
  5. クジラの汚染はどうなっているか?第2回
    160検体すべてが水銀暫定許容量を超えていた

  6. 海外情報:
    ・双子の有毒物質 ナノチューブとアスベスト/新たな研究がアスベストによく似たカーボン・ナノチューブは中皮腫を起こす可能性を示す
    ・REACH:EUの会社 化学物質の登録を促される
  7. 化学物質問題の動き(08.05.21〜08.06.22)
  8. お知らせ・編集後記


日本政府のアフリカ支援の目玉
「殺虫剤入り蚊帳」普及の問題点とNGOの提案

田坂興亜(アジア学院常任理事、元ICU教授)

■アフリカ援助額倍増−しかし中身は?

 横浜で開催された第4回アフリカ支援国会議(TICAD-IV)の初日、5月28日に、福田首相は、これからの5年間で日本のアフリカ援助額を倍増する、とぶち上げた。しかし、その日の午後に行なわれた、TICAD-NGO フォーラムに参加していたアフリカや日本のNGOのほとんどは、「倍増といっても、その中身が問題だ!」という反応であった。すでに巨額の返済すべき借金を抱えている被援助国にとって、円借款の形で行なわれる「援助」は、借金の上乗せになりかねない。また、援助の内容も、アフリカの実情を無視した「見当違い」のものであれば、アフリカの人々にとって、益よりも害が大きい可能性がある。

■住友化学の殺虫剤入り蚊帳の支援

 私自身が関わりのある分野で、日本政府が「見当違い」のアフリカ援助策を打ち出している事例の一つは、「マラリアからアフリカの子どもたちを救おう!」という極めて「人道的な」ユニセフのキャンペーンのもとで、住友化学が提案した殺虫剤ペルメトリン入りの蚊帳を普及させようとしていることである。

 今から8年位前、ユニセフから「マラリアからアフリカの子どもたちを救うために、日本政府が蚊帳の普及を支援してくれることになったので、その防虫効果のある蚊帳のお披露目をします」という案内をもらって、品川駅から5分ほど歩いたところにある、ユニセフのオフィスに出掛けたことから、この問題と私の関わりが始まった。会場には、当時の小泉首相と黒柳徹子さんが、その蚊帳を持っている写真が飾ってあり、また、アフリカではマラリアによって、いかに多くの人々、特に子どもたちの命が奪われているかについての統計入りの分厚いパンフレットが配布された。

 そして、この防虫効果のある蚊帳を開発した住友化学の社長が、「この蚊帳は、従来の蚊帳より穴が大きめにしてあり、蚊が入ってくることができるのですが、入るときに必ず蚊は蚊帳の繊維にいったんとまるので、蚊の足が蚊帳の繊維に触れた瞬間に、ポリエチレン繊維に塗りこめられた殺虫剤が蚊の体内に入り、蚊は死ぬのであります。ただし、ここに使われている殺虫剤は、ピレスロイド系の、天然のものと同じ種類のものなので、安心して使えるものであります」と説明した。私は、すぐに手を挙げて「そのピレスロイド系の殺虫剤は、何が使われているのですか?」と質問したところ、社長は、同席していた住友化学の技術者を手招きして、その質問に答えさせた。その技術者は、私のそばに来て、小さな声で「ペルメトリンです」と答えた。

■「触れたら手を洗うように!」と表示

 ペルメトリンは住友化学の製品で、ピレスロイド系の合成殺虫剤である。同じ「ピレスロイド系」といっても、除虫菊の成分で、昔から蚊取り線香に使われてきた天然のピレスロイドと決定的に違うのは、炭素と塩素の結合を分子内に持った、人工的な化学物質であるという点である。つまり、天然のピレスロイドの仲間というよりは、DDTなどに代表される有機塩素系合成殺虫剤の仲間と言えるものである。

 展示してある蚊帳の横に英文で注意書きがあり、
 Do not eat after touching the Olyset Net. Wash your hands first!
と書いてあった。しかし、アフリカの現実の居住環境の中で、蚊帳に入るときや、特に子どもが蚊帳に触れたあとで、その手を洗うことなど考えられないことである! ましてや、小さな子どもは、蚊帳をしゃぶることさえありうる。

■外務省と住友化学は有効、安全と主張

 2004年10月に、毎年日比谷公園で開かれている「グローバル・フェスタ」に行ったところ、「ユニセフのマラリヤ・ロールバック・キャンペーンの取り組み」という特別企画があったので、SUPA(西アフリカで、有機農業や植林を推進している日本の国際協力NGO)の野澤氏と一緒に聴きに行った。ユニセフ代表、日本政府代表(外務省の品田氏)、住友化学の人、それに、アフリカで保健衛生分野の活動をしているNGOの人が壇上に並んでいて、ユニセフと外務省の人は、マラリヤがアフリカで如何に大きな脅威であるか、その脅威から特に子どもたちを守るのに、Olyset Netと呼ばれる殺虫剤入りの蚊帳が如何に有効であるかを、蚊帳を使わない場合と比較して強調し、住友化学の人は、この蚊帳に使用している農薬が如何に安全なものであるかを強調した。一方、NGOの人は、この蚊帳が本来の目的以外で使用されている事例として、「花嫁衣裳」に使われていることなどを紹介し、この蚊帳の使用目的と、その効果についての「教育活動」が必要であると話した。

 こうした説明に対して、私からは、ペルメトリンが、炭素ー塩素結合を持つ人工の化学物質であること、発がん性が欧米で問題になっていること、環境省の「環境ホルモンの疑いがある化学物質」のリストに入っているものであることを指摘し、「触れたら手を洗うように!」という注意書きは、アフリカの現実の中では意味をなさないのではないか、と質問し、また、野澤氏は、殺虫剤の入らない普通の蚊帳の普及をなぜ図らないのか、と質問した。これに対して、ユニセフの人(後でわかったことだが、この人は、ICUの卒業生であった!)「田坂先生のご指摘は、そのとうりだと思うので、検討したい」と答えたが、外務省の品田氏は、「マラリヤ防除にこの蚊帳は極めて有効である」と主張し、住友化学の人は、「ペルメトリンの安全性は、WHOも認めている」と主張して譲らなかった。

■3倍の値段の蚊帳、日本政府は数十億円の支援

 2003−2004年にタンザニアのアルーシャでこの蚊帳の生産が始まり、さらに日本政府が国際協力銀行を通じて5億円近い融資を行なって第二工場が建設され、量産が始まった。こうして量産された農薬入りの蚊帳は、JICAやユニセフを通してウガンダ、エチオピア、スーダンなどアフリカ24カ国で普及が図られていった。日本政府は、JICAやユニセフがひと張りあたり5〜8ドル*でこの蚊帳を買い取るにあたって、2003年から2006年の間にJICAには430万ドル(約4億8千万円)、ユニセフには2835万ドル(約31億円)を無償資金協力・技術協力という形で拠出したのであった。実際、国によっては、この蚊帳はひと張り7ドルで売られているが、野澤氏の話では、農村の貧しい農民が簡単に買える値段ではないという。SUPAが普及を図っている普通の蚊帳なら、2ドルでできるので、より貧しい人々が入手できるし、日本政府がODAを使って普通の蚊帳の普及を図れば、三倍以上の人々が、安全な蚊帳によってマラリアから身を守られることになるのである。

 2006年には、こともあろうに朝日新聞社が、「ユニセフと協力して、多くのアフリカの子どもたちをマラリヤから救った」功績を認めて、「企業の社会貢献」として農薬入り蚊帳の開発をした住友化学を表彰するに至り、「普通の蚊帳」の普及を主張する我々の代案は完全に黙殺される状況となった。

■黒田先生の示した文献とデータを入手

 2007年6月に化学物質問題市民研究会が主催した「脳の発達と化学物質――子どもの脳があぶない」というテーマのセミナーで、都立神経科学研究所の黒田洋一郎先生が、具体的な文献*とデータ**を提示して、ペルメトリンが、遺伝子発現の抑制という形で、子どもの脳の発達を阻害するという話をされ、その後、この文献を黒田先生にお願いして入手した。
* L.Imamura et al., J.Pharmacol.Exp.Therap.,295,1175(2000).
** 黒田洋一郎「科学」73(11)、1214−1243(2003)

■TICADの公の席で、殺虫剤蚊帳の危険性を訴え、普通の蚊帳支援への転換を迫る

 この文献を読んでみると、ペルメトリンが、子どもの脳の発達に重大な負の影響を及ぼしうる、ということがわかった。そこで、5月末に横浜で開催されたTICAD−IVに展示パネルを出すことになっていたSUPAの人たちと相談して、
Save the Children in Africa from Malaria by using Insecticide-free mosquito nets!!
というキャッチコピーのパネルに黒田先生からいただいた文献のデータを貼り付けて、TICADの期間中会場で展示すると共に、私も同じ会場で開かれた28日のTICAD-NGOフォーラムに参加して、殺虫剤入りの蚊帳を普及させることの危険性を訴え、日本政府のマラリヤ対策援助ODAは、農薬の入っていない蚊帳の普及支援に用いられるべきだ、と福田首相が倍増を約束したアフリカ支援の使用用途を再考するように、公の席で日本政府(外務省)に迫った。

 会議終了直後にも、そこに出席していた外務省国際協力局 民間援助連携室の首席事務官 青山健郎氏に直接文献を記した印刷物を手渡して、「後になって、日本の援助が国際的な非難の対象にならないためにも、この文献をよく読んで、農薬の入らない蚊帳の普及にアフリカでのマラリヤ対策支援を転換してほしい」と話したところ、「よくわかりました。文献を調査して、検討してみます」という返事であった。今後、関連NGOと共にその転換を促し続けたいと思う。



クジラの汚染はどうなっているか?第2回
60検体すべてが水銀暫定許容量を超えていた

 今回は、2005年に発表された研究「日本の食品市場で流通している小型鯨類の赤身の総水銀、メチル水銀およびセレンによる汚染レベル」(原題:Total Mercury, Methyl Mercury, and Selenium Levels in the red Meat of Small Cetaceans Sold for Human Consumption in Japan)」( 北海道医療大学:遠藤 哲也、第一薬科大学:原口 浩 他)から抄訳(原文は英語)してご紹介します。

【調査結果】
 今回の調査(検体数160)における10種類の小型鯨類の赤身の全ての総水銀とメチル水銀濃度は、日本政府が水産食品について設定した総水銀の暫定許容レベル(0.4μg/湿重量g)、メチル水銀の暫定許容レベル(0.3μg/湿重量g)を超えていた。
 最も高い濃度を示したのはスジイルカのサンプルの26.2μg/湿重量gで、これは許容値の87倍の高さであった。タッパナガ(南方系コビレゴンドウ)、バンドウイルカ、およびオキゴンドウの多くの製品で10μg/湿重量gを超える濃度であることがわかった。体重60キログラムの人がこれらの製品をわずかな量(4〜10グラム)食べただけで、政府が改定した週間許容摂取レベル(当時の)を超えてしまう。
 もっとも汚染の少なかった種(イシイルカ)のメチル水銀の平均濃度は1.0μg/湿重量gで、サメやメカジキ、マグロなどの肉食性の魚に関するコーデックスのガイドラインと同等であった。調査時点で得られている情報の範囲では、スジイルカの26.2μg/湿重量gとバンドウイルカの98.9μg/湿重量gが、小型鯨類の赤身肉から測定された汚染レベルとしてはこれまでで最高である。

表 日本沿岸のハクジラ類の赤身に含まれる総水銀とメチル水銀*
クジラの種類サンプル数総水銀の濃度分布
(ug/wet-g)
メチル水銀濃度分布
(ug/wet-g)
イシイルカ90.83-2.390.68-1.95
マゴンドウ80.79-2.240.50-1.88
タッパナガ341.21-37.60.93-17.2
ツチクジラ220.75-6.460.56-3.47
マダライルカ44.28-5.322.01-3.16
ハナゴンドウ171.71-9.211.33-8.78
シワハイルカ51.22-9.981.11-6.06
スジイルカ201.04-63.40.97-26.2
バンドウイルカ370.59-98.90.58-15.4
オキゴンドウ417.4〜81.09.02-13.3
* 原論文中のTotal Mercury, Methyl Mercury, and selenium Concentrations in Odontocete Redmeats (Muscles)Caught around Japan.より抜粋しました。

【政府の勧告と人間の健康リスクについて】
 これらのレベルでは、小型鯨類の赤身肉を食べることは、一般および妊婦などハイリスク群において、健康に問題を生じうる。
 日本政府は、魚と小型鯨類の赤身肉の独自の調査を行っており、その結果として、妊婦に対して特別な注意事項を発表している。ハクジラ類に関する政府のデータによれば、イシイルカの総水銀とメチル水銀の濃度の中央値(検体数4)は、それぞれ1.0μg/湿重量g、0.37μg/湿重量gであった。
 日本政府は独自調査にもとづいて、妊婦に対して、ツチクジラとコビレゴンドウの赤身の摂取を1週間に1回以下、バンドウイルカの肉は、2ヶ月に1回以下に制限するよう注意喚起した(当時)。しかしながら、この助言は、先に採択された週間許容摂取レベルの3.3μg/体重kg/週(1週間当たり体重1キロあたり)に基づくものであり、また、その他一般市場で入手される小型鯨類種については考慮していない。そして、日本の厚生労働省が注意事項を発表した直後に、FAO/WHO合同食品添加物専門家会議「FAO/WHO Joint Expert Committee on Food Additives (JECFA)」は、週間許容摂取レベルを1.6μg/体重kg/週に引き下げた。厚生労働省は、妊婦への週間許容摂取レベル勧告を一刻も早く改定し、また対象とする小型鯨類種を広げるべきである。
(抄訳 関根彩子)



 その後、厚生労働省は、妊婦の鯨肉を含む魚介類の摂取についての「注意事項」を改定しましたが、この論文の著者の一人によれば、FAO/WHOの引き下げの程度と比較して、厚生労働省の改定は緩く、対応としては不十分ということです。この部分は次回詳しく取り上げたいと思います。

※ 南極産の鯨肉と調査捕鯨について
 南氷洋のクジラの方が汚染の度合いが低いという傾向がありますが、「南氷洋産ならいい」という安易な議論には注意が必要です。
 日本は、毎年「調査」という名目でクジラを南極海で捕獲しています。「調査」捕鯨は20年間も行われ、データが蓄積されているにもかかわらず、依然として絶滅危惧種を含む1000頭近くを殺して捕獲する方法によって続けられています。この捕獲数は、「商業」捕鯨を行うノルウェーを上回る規模で、「調査」捕鯨でとった肉が、「南氷洋産」として国内の市場で売られています。こうした「調査」法は、科学的な必要性や、生物多様性保護の観点からも疑問視されています。
(関根彩子)



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