化学物質問題市民研究会10周年記念連続講座U
有機リン問題を考える第2回
有機リンの生体影響ー臨床・最新の研究
講師 石川 哲さん(北里大学医学部名誉教授)
2月16日(土)、社会文化会館において有機リン連続講座第2回を石川哲先生を講師に開催しました。講演のあらましを紹介します。(文責 化学物質問題市民研究会)
■はじめに
第1回には有機リン剤の遅発性神経毒性をお話しました。今回はさらに深く詰めて感覚器の神経毒性について話して、さらに、治療、予防、将来についてお話したいと思います。
米国では、有機リン剤の神経毒性のうち特に脳の発育、行動学的見地からのうつ、ADHD,あばれ、などの問題、精神知能のコントロール系、バイオリズムの乱れ、ハイリスク群に対する対処法、などが2005年以後盛んに報じられています。政府系のレポートでも方向性は大体同一ですが、今回は2007年カリフォルニア環境保護庁のレポートを含めてお話して行きます。この報告書も第一に小児、特に学校での有機リン剤との接点、発症、その対策などに触れています。基本はクロルピリフォスが中心です。
■神経毒性、特に脳への毒性が問題
有機リン毒性で今一番新しいのは、2007年のカリフォルニア環境保護庁の報告書Integrated risk assessment: EPA California, "Child specific dose for school site risk"- November 2007である。クロルピリフォス中心の米国の有機リンに関する動きを見ると、参考になると思う。
・有機リン剤の小児の脳発育に対する問題
・行動学的見地から:ADHD、うつ、暴れる
・精神・知能のコントロール系の解明
・自律神経機能、バイオリズム、睡眠、内分泌機能の更なる研究進展の必要性
・運動能力の劣化
・化学物質のハイリスク群救済をどうするか? などが有機リン毒性で問題になっている。
有機リン剤を中心とした物質の神経、特に脳への毒性が問題となっている。日本でも話題になったのは神経系毒性で、国会でも2006年3月、加藤修一参議院議員が有機リン剤の神経毒性をとり上げて議論された。その時、国は対策をすると明確に答えたが、その後何の進展も見られない。
■米国で増えている銃乱射事件
米国でも困っているのは、風光明媚な農村で若者が突然銃を乱射したり、あるいは自殺するという事件が頻発していることである。私が米国にいた40年以上前には、こういうことは無かった。その後、米国でも有機リン農薬がたくさん使われるようになった。1966年、テキサスのオースティンの大学でタワーの上から大学院生が銃を乱射したのがこれらの事件の最初である。有機リンの精神・神経症状は、暴露が積み重なってある程度年数が経ってから表われる。
米国では、キャンパス内での有機リン散布などに気をつけるようになっていたが、最近また緩んできている。オースティンの事件以来、銃による事件が一時期減少したが、最近また増えてきつつある。一昨日もシカゴのイリノイ大学で起こっている。この種の事件はヨーロッパではほとんど起こっていない。ヨーロッパでは規制が厳しく、有機リンはほとんど使えない。米国と日本は甘く、中国はもっと緩やかだ。日本でも、有機リン剤を止めさせなくてはならない。
■カルバメート剤とネオニコチノイド剤も
カルバメート剤は有機リン剤と作用が似ている。有機リン剤は、神経伝達物質のアセチルコリンを分解する酵素コリンエステラーゼを不可逆的に壊すのに対して、カルバメート剤は可逆的に壊す。
最近はネオニコチノイド剤(アセトアミプリッド、イミダクロプリッドなど)が米国、日本で登場している。みなさんも既に体内に取り込んでいる。ネオニコチノイド剤は名前の通り、ニコチンに類似した作用を持ち、分解性が遅く残留する。有機リンに作用が似ていて問題であるが、人体影響はほとんどが無視されている。
■有機リン剤の眼毒性と神経毒性は明白
化学物質過敏症(CS)という名前をつけると、化学会社がすぐに反論してくる。名称にクレームをつける人たちがいて、「シックハウス症候群はある、しかし、CSはない」と断言する御用学者も何人かいる。しかし、有機リン剤の眼毒性と神経毒性が明らかになってきた現在、無視できなくなった重要課題である。特に胎児、小児、発育期、思春期の人体への影響が問題になっている。
■フェニトロチオン(スミチオン)は毒性に種差
パラチオンは自殺に用いられたことと、誤用による事故つまり急性毒性で、日本では1971年に使用禁止となった。フェニトロチオンはパラチオンと少々構造が違い、弱毒性と言われている。しかし、我々の実験では、げっ歯類には毒性は弱いが、妊娠している犬などでは毒性が強い。外国の実験でも種差により毒性が変化する。ヨーロッパでは禁止、米国でもほとんど使われていないが、日本では使われている。
昨年、有機リンの中毒になった私自身の経験を紹介したい。昨年の夏、山小屋に行った際、部屋に入って2時間くらい経った時、急にものすごいめまいに襲われた。ふわっと浮いている感じのめまい、まるでフラッフラッとバレ−を踊っている感じだ。翌日、管理事務所に問い質したところ、スミチオンを撒いたことが判明。すぐにその場所から逃げて、アトロピン(有機リン中毒治療薬)を飲んで何とか免れた。急性中毒は、まずめまい、そして激しい頭痛、吐き終わると下痢・腹痛、私は血圧の上昇が見られた。すぐに症状が出るのはまだ良いが、コリンエステラーゼは遅れて下がり、人によっては4、5日、あるいはさらに遅れて変化が出る人も稀にいる。これは極めてわかりにくい。
有機リン分解酵素のパラオキシナーゼは遺伝に左右され、100人中3、4人の割合でひじょうに低い人がいるという(Furlongら)。白人は一番強く、次は黒人、その次は東洋人でエスキモーは一番弱いということが分かっている。子ども、妊娠中の女性、女性、老人は弱い。同じ様に暴露しても、反応は全く異なる。
■コリンエステラーゼ値だけでは診断が難しい
有機リンに暴露して1週間後に医者に行って、有機リンが壊すコリンエステラーゼを測っても、大体、正常値に戻っている。頭痛、めまい、吐き気などの症状があっても、有機リン中毒ではないと言われる場合がある。佐久の患者では、中毒症でもコリンエステラーゼは全体の1/3しか下がらなかった。コリンエステラーゼは人種や遺伝的な違いなどが影響し、コリンエステラーゼだけを調べて診断するのは、ひじょうに難しい。色々な検査をしての総合的な診断、有機リンに暴露した(食べた、触った、吸ったなど)ことを医者に詳しく話すことが必要である。
■シックハウス症候群は減少、CSは増加
北里研究所病院臨床環境医学センターの1998年と2004年の診断数(受診者総数は、ほぼ同じ)の比較をしたものを示す。いずれも7月、8月のデータで、夏休みなので他の月の半数くらいの受診数である。シックハウス症候群の診断数は、1998年は55%であったが、2004年は20%で、患者数は減っている。逆に化学物質過敏症は、18%から30%に増えている。 "シックハウス症候群はあるけれどもCSはない"とか、"すべて精神疾患だ"などと言う人が昔からいるが、このデータは、そうではなくて厳然と患者さんは今でも存在していることを示している。そういうことを言う人は、実際に患者さんを診ていないでアンケートなどに拠っている。
ホルムアルデヒドによる患者さんは、2003年の建築基準法の改正後、大変減ってきている。それゆえ、悪い化学物質はやめようとみんなで考えて中止すると、業界もそれに対応し、その結果、患者さんが減ってくる。
■慢性患者診断には他覚的検査法が重要
慢性の患者さんを見つける時の方法として、他覚的検査法が重要で、我々も長い期間研究や開発をし、患者診断に応用している。
他覚的検査利用による診断は、MCS研究の世界的傾向である。CS患者の補助診断でQEESI(化学物質過敏症の発見のための問診票Quick Environmental Exposure Sensitivity Inventory)のスコアを対比しつつ診断、そして経過が追える。また、治癒で有効、無効の判定が可能。年齢、性別に作った対照例データと比較もできる。ただし、その検査で陽性に出る他疾患は除外する必要がある。これには医師による診断が大切である。
■瞳孔は、外から見える唯一の自律神経
我々は、感覚器の検査に力を入れている。脳内血流状態(NIRO)、瞳孔反応検査(有機リンによって縮瞳が起きるが、それは3分の1で全部には起きない)、滑動性眼球追従運動、重心動揺検査(有機リン中毒で"フラッ"となった)、幅輳・調節検査(ものを見る時には両目を寄せて、瞳を縮めてレンズを膨らませる。その能力をテストする)、視覚コントラスト感度(荒い縞模様は見えるが、細かい縞模様は見えにくい。コントラストと縞模様の大きさ、光の強さを変えることで、ある曲線を描く)、嗅覚検査(香水、アルコール、ニコチンの3つを患者さんは嫌う)、などを補助的診断として用いる。
これらの検査をして、症状、化学物質との接点を含めて総合的に判定しなくては、正確な診断はできない。薬物負荷による脳内血流状態(NIRO)、滑動性眼球追従運動、重心動揺検査、瞳の動きが特に重要である。米国では、視覚コントラスト感度がCSや有機リンの慢性中毒の診断に一番使われている。
瞳孔(ひとみ)は、外から見える唯一の自律神経である。"瞳が開く"(散瞳)は交感神経の働きで、ホルムアルデヒドでは散瞳が弱くなる。"瞳が縮む"(縮瞳)は副交感神経の働きで、強毒性有機リン剤(パラチオン、サリンなど)で起こる。しかし、弱毒性と称されているものでは、すべての人が縮瞳することは稀である。若い人の瞳は一般に大きい。朝大きく、夕方小さい。驚く、興奮状態、やる気強い時は、瞳は大きい。その逆では瞳は小さい。一般に、老人は小さく(60歳以上。レンズの弾力性がなくなるので、ひとみを絞って見えやすくしている)、糖尿病では瞳は小さい。
■デンマークの予防対策
デンマーク工科大学で、パソコンから出る有機リン(リン酸トリエステル)の仕事への影響を見る実験を見学する機会があった。20畳位の狭い部屋にパソコンが数十台並べられて、一斉にスイッチを入れる。カーテンの向こうでは、難問を解く能力が落ちるかどうかテストが行われていた。デンマークでは、コンピュータの周りにフレッシュエアを送る装置が据え付けられていた。デンマーク、スウェーデンは、シックビルディング症候群の研究に世界で初めて取り組んだ国であり、予防対策をきちんとやって研究を続けていることに、改めて感心して帰ってきた。
日本では、費用が大変かかることからこのような対策は未だ取っていない。今できることは、オフィス、部屋の換気をよくすることである。
■室内汚染ガスだけではなく、大気汚染も問題に
今、大気汚染、特に黄砂がひじょうに問題になっている。昔はさらさらしていたが、最近では油をたくさん含んでいて、拭いてもネバついて取れない。ナイルウイルスも、1週間で米国に飛んでくる地区がある。寄生虫、バクテリア、それにも増して、他国で空中散布された農薬が全部、風下の日本に飛んでくる。このことを忘れてはいけない。米国の宇宙局では、今ひじょうに神経を使っていて、日本で撒くものにも気をつけていると聞いている。
今までは、子どもが頭が痛い、ぜん息だというと室内汚染ガスを第一に問題にしてきたけれど、今後は黄砂・ダストによる大気汚染も問題にしていかなくてはならないと思う。
■治療の基本
有機リン剤の影響が考えられる場合の治療の基本は
- 家またはビルは強度の換気の励行と、原因となる化学物質をできるだけ除去、それでも、反応が起こる時は忌避が基本である。
- 自身の住宅のみでなく、隣、近隣の環境などにも注意する。米国では、散布する薬剤を近隣に公布する義務を負わせている州(ニューヨーク州の北部地区)がある。
- 性能の良い空気清浄機の使用
- 疑わしい化学物質に接する時は、特殊マスク使用
- 病気は治ると信じる、自身が落ち込んでは治らない
- 足浴、低温サウナ、温泉、運動療法、ミネラル(Mg, Zn, Se)、ビタミン剤(C,E)、アミノ酸(タウリン、グルタチオンCoQ 10) 、脱リン剤(アトロピン、スコポラミン、パム等)などの治療法
※ 石川先生第1回講演会、第2回講演会の資料集、記録DVDをお分けしています。16ページをごらん下さい。
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