ピューリッツァー危機報道センター 2015年7月22日
インドネシア:ディッタの世界
ラリー C. プライス

情報源:Pulitzer Center on Crisis Reporting July 22, 2015
Indonesia: Dita's World
By Larry C. Price
http://pulitzercenter.org/reporting/indonesia-uncommon-disease-ditas-world

訳:安間 武(化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2015年7月30日
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http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/mercury/news/150722_Pulitzer_Dita's_World.html

【ラウラウ、インドネシア】本道を外れ、段々になった丘の斜面を下ると、明るい水色に塗られた一軒の小さな家がある。その小さな家の背後に、とても小さな竹のあばら家が、鳥かごのように石積みの基礎の上に置かれていた。あばら家の中は、竹で出来た壁の隙間から差し込む弱い光以外は暗かった。

 細い骨の脚がけいれんし、引き上げられ、次に反射的に引き延ばされる。彼女の足は鋭くて震えている。彼女は腕を後ろに振り回す。彼女の体は妙な角度にねじ曲がる。彼女は動く時にうめき声を出す。

 少女の名前はディッタ。この4坪足らずの竹の小屋が彼女の世界である。

 ディッタは、この地域で”奇病(uncommon diseases)”と呼ばれている神経・身体異常の犠牲者である。この病気は、経済はほとんど小規模金採掘だけで成り立ち、水銀汚染が激しいスラウェシ(セレベス島)のこの地方の人々を苦しめている。

 ディッタの母親クスティン(43歳)は語る。ディッタは、3歳になるまで、走り、話し、笑い、遊ぶ普通の小さな女の子であった。その後、彼女はよろめき始め、歩行が困難になった。彼女はけいれんを起こすようになった。地域の医師はディッタに何が起きているのか理解することができず、彼女の母親が言うには、彼女の助けになるようなことは何も提供することができなかった。

 ディッタが7歳になった時、彼女の奇妙な症状は悪化した。彼女は、腕と脚を思うように動かせなくなった。彼女の四肢はねじ曲がり、硬直した。彼女の手と指は曲がった。彼女は話さなくなった。そしてクスティンは、彼女の娘は何が悪いのか誰にもわからなかった、と言う。現在彼女は10歳であるが、この小屋を離れることはない。

 そしてこのように影響を受けているのはディッタだけではない。

 スラウェシの至る所、金が採掘され、その処理に水銀が使用されている場所では、赤ちゃんが奇形で生まれ、正常に成長しているように見える子どももやがて会話や歩行ができなくなり、成人は抑えきれずに体をゆする。保健当局は、この”奇病”を水銀中毒と呼ぶ。

 生まれた時には正常に見えるが、後から発症する麻痺や神経系障害を含んで、この病気と形成異常は、重い水銀中毒の典型的な症状である。

 環境汚染を調査する非営利のインドネシアのNGO、バリフォクス(BaliFokus)と、自主的に現地で活動するインドネシアの医師グループ、メディカス基金(Medicuss Foundation)は、2015年の2月から3月に、ディッタが住むボンバナ県ラウラウを含む水銀汚染の激しい3か所で、予備的な健康評価と環境テストを実施した。ボンバナでの水銀大気濃度測定値は、低い正常値から、ある金取引店での41,000 ナノグラム/m3 まで大きな変動幅があり、この最高値は、世界保健機関と米保健福祉省により確立された安全レベルの40倍である。10,000 ナノグラム/m3 以上の場合には緊急避難の対象である。バリフォクスはまた、米と魚、水と土壌で、世界保健機関の安全基準の600倍から3,000倍の水銀濃度を検出した。

 バリフォクスとメディカス基金による共同報告書は、調査した3か所の水銀汚染場所で、”大人と子どもに重度水銀中毒の疑いがあるいくつかのケース”を記録した。

 ディッタは検証された子どもたちの一人である。彼女の症状は典型的な水俣病であり、その病名は、多くの子どもと大人が慢性的な水銀中毒により引き起こされた奇形と神経的損傷の被害を受けた日本の都市の名前に由来する。

 バリフォクスがディッタの竹小屋の空気を測定したその日には、測定値は正常で25 ナノグラム/m3 以下であった。しかし、6〜7年前、ディッタの母親と父親は彼らの家の裏庭で金アマルガムを加熱することに深く関わっていた。環境技師であり、バリフォクスのディレクターであり、調査を監督したユーユン・イスマワティによれば、金アマルガムの加熱は、水銀蒸気を飛ばす金採掘プロセスの一部である。

 ディッタの母親クスティンもまた、難聴及び黒色に変色した口蓋を含んで水銀中毒の症状を示していたとイスマワティは述べた。

 アマルガムの加熱中、周囲の水銀蒸気は、10,000 から 45,000 ナノグラム/m3 になるとイスマワティは説明した。”もし、2人又は3人の人が加熱すれば、その濃度は 2倍又は 3倍になる。竹の壁を考慮すれば、水銀は長年の間小屋の中に流れ込んできたと私は思う”。

 国連環境計画(UNEP)によれば、人力金採掘(小規模金採掘とも呼ばれる)は、世界中で最大の単一水銀放出源であり、大気中に年間約 1,000トンの水銀を放出している。2011年、UNEP はインドネシアにある約850の小規模金採掘のホットスポットを特定した。

 小規模採掘者は、プロセスのある段階で鉱石から金を分離するために水銀を利用する。採掘者は、鉱石を選鉱ナベで洗う。そして鉱石に水銀を加え、ボールミルと呼ばれる粉砕機の中でかき混ぜる。水銀は金に結合してアマルガムが生成され、それを露天の穴や鍋の中でアセチレントーチにより非常に高温に加熱する。加熱されると水銀は蒸気となって飛び、後に純金が残る。プロセスのどの段階でも水銀は環境に放出される。すなわち選鉱中に川や流れに漏れだし、ボールミルからの土埃中に放出され、加熱中に大気に放出される。

 ラウラウの至る所、及び近くの他の小さな村落で騒音が常に響いている。裏庭の小規模金処理設備はどこにでもある。スラウェシには採掘された多くの金がある。ほとんどではないにしても多くの田舎の所帯は金鉱石を処理し製錬することにより彼らの収入を増やしている。

 人々は、階下に粉砕機がある小屋に、又はディッタのように、水銀アマルガムが加熱される場所の近くの家に住む。水銀蒸気に満ちた空気と埃を吸い込んでいる。

 水路に漏れだし、又雨で地下水に行きついた水銀は、彼らが食べるコメや魚を汚染する。

 水銀は神経毒であり、体内に蓄積し、脳、神経系、腎臓、肝臓、心臓を含むその他の多くの臓器に深刻なダメージを与える。水銀中毒はまた潜行性があり、しばしば明白な症状が出るまでに数年がかかると、健康専門家らは言う。胎内で影響を受けた赤ちゃんは、一見正常に見えて生まれて来ても、幼児になると運動機能と認識力をすぐに失うかもしれない。

そして、症状が明かになった時には、特に医療が十分ではない開発途上地域では、通常手遅れである。そしてまた、影響を受けた個人がすでにその汚染地域に住んでいないなら、水銀中毒を直接証明することはしばしば、困難である。

 ディッタがそのようなケースである。裏庭での水銀アマルガム加熱は中止されており、彼女はもはや水銀蒸気を吸入していない。しかしダメージは起きている。

 この日は、外の気温は高く、湿度が高かった。小屋の中の空気は、換気用の穴を通じて弱く循環している。

 クスティンは濡らした布をとり、娘の額の汗を優しく拭く。母親が触れると、ディッタは小さな体を丸め、クスティンは彼女の脇で優しく彼女の体をひっくり返す。クスティンは娘にささやき続けるが娘が理解しているかどうかわからない。しかしクリスティンの声の響きはディッタを和らげているように見える。

 母親は子どもの合図を読むことを学んでいる。体を後ろに反らし揺する動作は痛みを意味する。子どもの痛みは母親にとって大きな苦痛であるが、今は苦痛を和らげるものはない。

 ”ディッタは多くの痛みを感じており、気も狂わんばかりだ”と彼女は言う。”彼女は毎日、痛みがある。いつも”。

 


化学物質問題市民研究会
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