サイエンス・ニュース・オンライン2000年9月2日
フタル酸エステル類に対する新たな懸念
−プラスチックの成分が男児の発育に影響−

ジャネット・ラロフ
情報源:Science News Online 09/02/00
New Concerns about Phthalates
Ingredients of common plastics, may harm boys as they develop
by Janet Raloff
http://www.sciencenews.org/20000902/bob1.asp

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会
掲載日:2000年9月12日

 フタル酸エステル類(Phthalates)。スペルも発音も難しいこの化合物は、もし輸血用バッグや食品容器や子どもの玩具の安全性についての議論の中に出てこなければ、きっと直ぐに忘れられてしまう。
 フタル酸エステル類は現代社会では、どこにでも存在するようになった。これら油性の物質は溶剤としても使われるが、その多くは硬い物質を柔らかくする柔軟剤として使われている。全世界で年間、約数十億ポンド(1ポンドは約0.454キログラム)のフタル酸エステル類が製造されている。

 この半世紀余り、フタル酸エステル類は一見安全なものとして使用されてきたが、1998年の終わりに、いくつかの健康や環境に関する団体及びアメリカ消費者製品安全委員会(U.S. Consumer Product Safety Commission)は玩具、乳幼児のおしゃぶり、及び医療器具の製造者に対し、製品からこれらの有毒な化学物質を取り除くよう要求した。当時の認識としては、科学者達は成人のがんとフタル酸エステル類に著しく曝されることとは関係があると考えていたこと、動物実験では器官にダメージを与えることがないと考えられていたこと、そして化学者達がフタル酸エステル類は使用中のプラスチックから溶け出すことがあることを実証していたこと、等である。

 少なくとも、いくつかのフタル酸エステル類は男児の生殖器官の発達に影響を与える可能性がある。政府の諮問機関である”専門家委員会”は、15ヶ月にわたる慎重な審議と1,000近くの研究報告書の検討の後、このような結論をつい最近出した。
 フタル酸エステル類に関するこの新たな審議は、国家毒性計画(NTP - National Toxicology Program)の下で、生殖に関するリスク評価センター(CERHR - Center for the Evaluation of Risks to Human Reproduction)によって実施された。これは米環境健康科学研究所(NIEHS - National Institute of Environmental Health Sciences)の一組織である国家毒性計画(NTP)が、設立後2年にして手がけた最初のプロジェクトである。

 審議は、もっぱらフタル酸エステル類の先天的欠損症及び生殖器官へ及ぼす影響について行われた。過去3年間にわたる動物実験により、フタル酸エステル類は低濃度であってもオスの生殖器官に著しい影響を与えることが判明していた。
 しかし委員達は、低濃度のフタル酸エステル類が動物に影響を与えるのは、その動物が極度に影響を受けやすくなっている、ある特定の時期だけである、とした。この動物実験における特定の時期とは、人間でいえば妊娠3ヶ月目に当たり、多くの女性がまだ妊娠に気がつかない頃である。
 いくつかの健康や環境に関する団体が専門委員会の評価を大きく伝え、フタル酸エステル類を含む該当製品の全廃という彼らの要求を再び全面に押し出した。CERHR委員会自体は、そのようにはことを進めなかった。実際、委員会はそのようなことでパニックを起こすのはおかしいと主張した。

 最も広く使用されているフタル酸ジ-2-エチルヘキシル(DEHP)以外のフタル酸エステル類については、人間の生殖機能への有毒性に関して入手出来るデータはまだ予備的なもので、不完全であると専門委員会は所見を述べた。さらに生体組織が影響を受けやすくなっている時期にフタル酸エステル類に曝されたということが明白な事例は数が少なく、対象とした集団も比較的小さい、とした。そしてある場合には、フタル酸エステル類に曝されることにより生じる危険よりも、それらの化合物が提供する製品の恩恵の方を重視することもあり得るとの結論を出した。
 環境保護庁(EPA)で生殖に関する毒性について指導している専門委員会会長、ロバート・カブロックは「我々はどのようなフタル酸エステル類に対しても、健康にとって問題ないというクリーンな証文を発行したわけではない。我々は危険がないとは言っていない」と述べている。

 委員会は精力的に600件に上るDEHPに関する調査報告書を検討し、他の6種類のフタル酸エステル類についても同様な検討を加えたが、緊急の課題である発達系に対する毒性についての回答を見出すことは出来なかった。「このような多くの調査を行ってもフタル酸エステル類の毒性に関する結論が出ないのは、委員会の調査の仕方に問題があるのではないかと言われかねない」とCERHRの理事、ミカエル・シェブリーは述べた。

 「一つの理由は、研究者達によるフタル酸エステル類の調査報告書が、成人が職場で曝される化学物質により被る、がんの危険性と生殖不能に関する評価のために用意されていたことである」とカブロックは述べている。
 また、委員会メンバーであり、生殖毒性学専門家である化学工業毒性物質協会(CIIT - Chemical Industry Institute of Toxicology)のポール・フォスターは「多くのデーターは20年以上も前の古いものであった」と付け加えた。フタル酸エステル類は胎児に影響を与え、将来の生殖機能に害を及ぼすかも知れないと科学者達が疑いを持ったのはわずか5年前のことであり(SN: 7/15/95, p 47)、その疑いは現在もまだ、解き明かされていない。

 10月には正式に提出されるこの報告書で、委員会は、欠落していることが判明したデータについて、新たに調査するよう提言するであろう。また、来月中には、長らく待たされていたいくつかの調査の結果がまとまり、不足していた報告書のいくつかの主要な部分を埋めることができるとカブロックは述べている。

 期待される調査結果の一つは、一般的な母集団おけるフタル酸エステル類への被曝に関する測定方法の提言である。分析化学者であるジョン・ブロックは、アトランタのアメリカ疾病対策センター(CDC - Centers for Disease Control and Prevention)に参加した直後に実施したテスト以来7年間、測定方法について検討を重ねていた。ガスクロマトグラフを用いて人間の血液中の農薬及びその関連汚染物質を測定している時に、いくつかの信じられないような測定値を観測した。

 ガスクロマトグラフはサンプルガス中の化学成分を一連のピークとして縦軸方向に描き出す。それぞれのピークの高さがその成分の含有量を示す。しかし、時には2つの全く異なる成分のピークが同じ場所に表示されることがある。
 ブロックは、これが血液サンプルから得られる、いくつかの異常に高いピーク値の原因ではないかと疑った。例えば、有毒な農薬であるリンデンは、人間の体内で通常見出される量の数百倍も高い値を示した。
 それぞれのピークを示す分子量を決定する質量分光測定法で調べてみると、リンデンのピーク値を示す場所は、実際にはフタル酸ジエチルによって占められていた。ブロックは他のいくつかの化学成分のピーク領域もフタル酸エステル類によって占められていることを発見した。
 彼はそのデータを仲間に見せて、この20年間、実際には実験室内バックグラウンドのフタル酸エステル類を測定し、表示していたということを教えられた。これらの化学物質はサンプルを採取後に、恐らくは実験機器や床や壁や作業者の化粧品からサンプルに混入したものと想像される。

 しかし、ブロックはこの仮説が間違っているかも知れないといぶかった。この6月にメイン州バー・ハーバーで行われたワークショップにおいて、ブロックは7年前に彼がテスト結果として得た非常に高いピーク値、多くの場合ppm(parts-per-million)レベル、は本当にフタル酸エステル類の濃度を反映してたかどうかを思い悩んだことを思い出した。それらの値は通常想定されているよりかなり高い値であった。
 過去5年間、ブロックは汚染が混ざることのない、体内のフタル酸エステル類の測定指標を開発してきた。そのテスト方法は酵素によって生成され尿中に排出されるフタル酸エステル類の断片に的を絞ったものである。やがて公開されるブロックの報告書により、アメリカの成人のフタル酸エステル類の測定方法が明らかになるであろう。
 7月中旬に行われたCERHR専門委員会のフタル酸エステル類に関する最終会議での講演で、ブロックはある個体群におけるフタル酸エステル類の被曝量は当初考えられていたものより遙かに大きいということをほのめかした。

 環境保護庁(EPA)のフタル酸エステル類毒物学者、アール・グレイもまたその報告書について耳にしていた。彼自身が行った動物実験で(SN: 4/3/99, p. 213)オスの生殖機能の先天的欠損を誘発するのに必要な被曝量は、ブロックが述べている人間の被曝量よりも低いであろうと感想を述べている。
 ブロックは、彼の人間の尿中の発見に関するグレイの考察について否定も肯定もしていないが、グレイはラットに関する自分の新しい研究について快く解説している。『毒物科学(Toxicology Sciences)』として出版される予定の報告書の中で、グレイは男性機能を損なうフタル酸エステル類の毒性は分子構造によるとしている。

 グレイは妊娠したラットに6種類のフタル酸エステル類の内の1つを体重1キログラム当たり750ミリグラム、胎児の生殖器官が発育している間中、毎日与えた。その結果、DEHPはオスの生殖組織に欠陥を誘発した。床のタイルや接着剤や人工皮革に含まれるフタル酸ベンジルブチル(BBP)も同様であった。庭の散水ホースや玩具等の塩ビ製品に用いられるフタル酸ジイソノニル(DINP)の影響は少ないが、量が多くなると同様に生殖組織の先天的欠損を引き起こすとグレイは述べている。
 EPAの他の研究者達による新しいデータによれば、DEHP、BBP、及びDINPの全てが発達期間を通じて胎児のテストステロン(主要な男性ホルモンの一種)の濃度を低くしている。グレイのデータは、このようなオスの胎児のテストステロンの生成を妨げることが毒物の構造的類似性に関係していることを示している。

 フタル酸エステル類はエステルとして知られる2つの側鎖を持つ環状の分子構造である。発達初期にテストステロン生成を妨げるフタル酸エステル類は、環の同じ側にぶら下がる比較的短いエステルを持つ傾向があることをグレイは発見した。エステルの1つを環の反対側に移すと、その化合物は発達系に対する毒性がなくなると彼は指摘している。

 昨年、フォスターのチームはフタル酸ジ-n-ブチル(DBP)もまた、胎児の睾丸中にあるテストステロンの生成を活性化する酵素の働きを弱めると報告した(SN: 4/3/99, p.213)。その影響を受けた動物は色々な奇形を持って生まれた。DBPはプラスチック、接着剤、化粧品、色素、食品用ラップ等に使用されている(SN: 7/15/95, p. 47)。

 これらの発見に関し、グレイは全てのフタル酸エステル類に男性生殖機能損傷の罪を着せるのは間違いであると主張している。しかし、テストステロン生成の抑制効果は多分、相加的であると考えられるので、フタル酸エステル類全体をまとめて考慮すべきであるともグレイは述べている。

 CIITとEPAの両グループは現在、若いオスのテストステロン生成が低下したときに、どの遺伝子に欠陥が生じているのかを発見しようと試みている。消失するものが何なのかも分からない。グレイはそれがセルトリ細胞(訳者注:精細管内の長く伸びた細胞、精子形成時に精子細胞が付着する)でなければよいがと述べている。おとなになるとこれらの睾丸内に存在する特別のものが、必要に応じて精子を生成する(SN: 1/22/94, p. 57)。もしフタル酸エステル類が間接的に未成熟なセルトリ細胞を傷つけるならば、思春期にいたるまで睾丸が影響を受けやすいままとなるであろうことをグレイは心配している。

15人のメンバーからなる専門家委員会は、DEHP、BBP、DINP、及びDBPに加えて、フタル酸ジ-イソデシル、フタル酸ジ-n-ヘキシル、及びフタル酸ジ-n-オクチルに関するデータの検討も行った。主に政府と大学の科学者で構成されるこの委員会は、それぞれの化合物に対し、3つの問いを設定した。

  • 入手可能な動物実験データは発達系または生殖系に対する毒性を示しているか?
  • 人間のどのグループが最も被害を受けやすいか?
  • そのグループはその毒性物質に曝されやすいか?

 多くの審議を重ねた後に委員会は、7種類のフタル酸エステル類の内5種類については、妊婦やプラスチック製品を口にする幼児を含むどのグループに対しても、懸念は”低い、極微、あるいは無視出来る”という結論に達した。
 また、フタル酸ジ-n-ヘキシルについては、データが余りにも少なく、結論を出すには至らなかった。この化合物は、自動車の部品、玩具の取っ手、床材、犬のノミ取り首輪、食器洗い機のカゴ等に使用されている。

 広く使われていること及びその毒性から、委員会はDEHPに対し大いなる懸念を抱いた。玩具、食品包装、家庭用品に用いられるプラスチック内で緩く結合しているDEHPは溶けだして空気や水や食品を汚染する。
 通常の環境中でこのフタル酸エステル類に曝されても、健康な胎児または乳幼児の男性生殖器官はその発達に十分な脅威を受けると、委員会は結論付けた。また、委員会は重病の赤ちゃんが大きな影響を受けているという深刻な懸念を表明した。現在、アメリカの病院では輸血と点滴に、DEHP-軟性ビニル製バッグとチューブを使用しており、さらに、呼吸補助用品もDEHP-軟性プラスチックで出来ているからである。

 通常、毒性物質への被曝に関する指針を作成する場合に、当局は安全係数を設定する。例えば有害な影響が、ある既知の濃度で生じた場合には、安全規制は通常、その値の1000分の1あるいはそれ以下の濃度を許容濃度として設定する。しかしながら、入院中のある子ども達は長期間、大量にDEHPに曝され、その被曝は動物実験において男性の生殖機能を損なう被曝量に匹敵することがあると考えられる。このような場合には”安全係数はないであろう”と委員会は結論付けた。

 このような危険があるにもかかわらず、委員会の科学者達はDEHPを添加したプラスチック製医療器具の恩恵はそのような危険に勝るであろうと認めた。

 委員会の結果に対するパブリック・コメントの期間である60日を経過した後に、国立環境健康科学研究所(National Institute of Environmental Health Sciences )はこれらの結果をとりまとめ、関係機関に送付することになっている。アメリカ食品医薬品局(FDA)はDEHPの毒評価を独自に完了しているが、ここにも送付される。昨年ミネアポリスに拠点を置く市民グループ、”危険のない医療介護”はFDAに対し、血液バッグや他の用品にDEHPを含む旨のラベル表示を義務付けるよう請願した。

 提議65オフィス(Proposition 65 office)としてよく知られている”環境健康リスク評価カリフォルニア局”も委員会の審議を注意深く見守っている。この部局もまた、DEHPによる発達系と生殖系に対する危険性を警告する表示を義務付けるかどうかを早急に決定しようとしている。このような表示の義務化は、産業界に対し、特に日用品や医療介護用品の代替品を開発するよう拍車をかけることになるであろうとサクラメントにある”カリフォルニア州提議65オフィス”の主任顧問、コリーン・ヘックは述べている。

 カリフォルニア州は多くの製品について全米販売額の20%近くを占めているので、このような動きはアメリカ全土にインパクトを与えることになるであろうとヘックはみている。カリフォルニアでビジネスをしようとする製造業者は、損傷を与えるDEHP製品に警告の表示をするか、あるいは製品の材質を変更するしか道はない。

 ヘックは「製造業者は、がんや先天的欠損を引き起こす物質を含む製品にラベル表示をしなくてすむよう材質の組成を変えて、新たに製品を市場に送り出すことに数百万ドルの金をかけていると伝え聞いている」と述べた。さらに彼女は「提議65オフィスのなすべきことは、市場に変化を促せるよう消費者に情報を提供することである」と付け加えた。

 しかし、医療用品においてでDEHPの使用を止めて、他のプラスチックに変えるということは、当面はかなり難しいことである。1999年10月に開かれたFDAのワークショップにおいて、DEHPは当初は予想もされなかった”恩恵”を持ち合わせているということを言う参加者がいた。完全には理解されなかったが、この柔軟剤はそれを含むプラスチック容器内の血液に微妙な変化を与え、血液の保存期間を長くし、血液の品質を改善するというものである。
 従って、我々は直ぐにはDEHPを全廃し、他の可塑剤に置き換えることは出来ないとニューハンプシャー州レバノンにあるダートマス−ヒッチコック医療センターの血液銀行及び輸血サービスの理事、ジェームス・アウブションは主張している。

 いくつかの企業が既に大金を費やし。長期のテストを行って、血液保存の代替プラスチックを開発したが、まだ買い手は現れていない。

参照文献:
References:

1999. Scientific issues in blood collection, storage and transfusion (plasticizers in blood bags). Food and Drug Administration Workshop on Plasticizers. October 18.

1999. Citizen petition before the United States Food and Drug Administration. Health Care without Harm, Citizen Petition for a Food and Drug Administration Regulation or Guideline to Label Medical Devices that Leach Phthalate Plasticizers and to Establish a Program to Promote Alternatives. June 14.

Cartwright, C.D., I.P. Thompson, and R.G. Burns. 2000. Degradation and impact of phthalate plasticizers in soil microbial communities. Environmental Toxicology and Chemistry 19(May):1253.

Ema, M., E. Miyawaki, and K. Kawashima. 1999. Developmental effects of plasticizer butyl benzyl phthalate after a single administration in rats. Journal of Applied Toxicology 19:357.

Li, L.H., W.F. Jester Jr., and UJ.M. Orth. 1998. Effects of relatively low levels of mono-(2-ethylhexyl) phthalate on cocultured sertoli cells and gonocytes from neonatal rats. Toxicology and Applied Pharmacology 153(December):158.

Mylchreest, E ... and P.M.D. Foster. 2000. Dose-dependent alterations in androgen-regulated male reproductive development in rats exposed to Di(n-butyl) phthalate during late gestation. Toxicological Sciences 55:143.

Petersen, J.H., and T. Breindahl. 2000. Plasticizers in total diet samples, baby food and infant formulae. Food Additives and Contaminants 17(February):133.

Additional information about phthalates can be found at the Center for the Evaluation of Risks to Human Reproduction
Web site at http://ehis.niehs.nih.gov/cgi-bin/cerhr.html

Additional information is available at http://www.phthalates.org/html/pegenfaq.htm

(訳:安間 武)

化学物質問題市民研究会
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