BAN 有害廃棄物ニュース 2006年6月22日
アジアの有毒な幽霊船
当局はインド亜大陸の規制されていない船舶解体の危険に気が付いている
ミカエル・キャセイ(The Standard)

情報源:
Toxic Trade News / 22 June 2006
Asia's toxic ghost fleet
Authorities are waking up to the perils of unregulated ship-breaking in the Indian subcontinent
by Michael Casey, The Standard (Hong Kong)
http://www.ban.org/ban_news/2006/060622_ghost_fleet.html

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会
掲載日:2006年6月24日


 巨大な船がアジアに死の航海に出るときには、しばしば人の命を奪うことがることをウペンドラ・シェティは知っている。彼は、船暦50年のチャイナシー・ディスカバリー号の解体のために4ヶ月前にインドの船舶解体場に雇われた大勢の労働者の一人であった。この船は突然、火事になり5人の男が焼け死に、15人以上が怪我をした。

 中国人及びカナダ人が所有する豪華な客船を突然修羅場に変えたような状況はインドの汚染した西海岸沿岸ではよくある光景であった。そのような状況が現在、インド政府を刺激して行動を起こさせ、業界を規制する国際協定の起草に導く議論に巻き込んだ。
 しかしグリーンピースやその他の支持団体はその改善でも十分ではないと述べている。

 アランのような海岸の町で起きていることは、現代的な消費生活とはかけ離れたほとんど知られていないドラマである。
 最後の船旅でアランに向かう船は数十年間にわたって行楽客を乗せて航海し、又は、車や自転車、マイクロ・オーブン、DVDプレーヤー、スニーカーやセーター、石炭や石油など、日常生活に必要な全てを運んで過ごした。

 今、錆付いて貝類が付着したそれらの船は岸に押し上げられ、リサイクルできるものはどのように小さなものでも速やかに取り外される。あるものは15階建てのビルのように高く、フットボール場の数倍の長さのあるこれらの廃船は、健康基準を満たさないアスベストのような有害物質に満ちているので西欧では解体されない。

 したがってコストが安いアジアで解体される。インドは解体産業の先端を行っていたが、インドの解体業者は彼らのビジネスは鋭く落ち込んでおり、隣のバングラディシュがその地位を占めていると述べている。

 国際的に知られることとなった問題が最近脚光を浴びた。2月にフランスの空母クラマンソーは解体のためにアランに向かったが、同船は1,000トン近くのアスベストを含んでいたので、フランスに帰港させられた。

 現在は改名してブルーレディとなった客船 SSフランスは、幽霊船のように数週間インド洋をさまよい、解体を引き受けるどこの解体場にも着岸することができなかった。バングラディシュさえも受け入れず、最終的にインドの裁判所がアランへの寄港を許し、数日中に到着するはずである。

 船舶解体は、教育を受けていない移住労働者がほとんど安全装備もなしに行っており、その稼ぎは1日に1ドルか2ドルであるが、それでも彼らが故郷で稼ぐよりも2倍高い賃金である。

 アラン港湾を管理するグジャラート海事委員会はグリーンピースに対し、1982年に船舶解体産業が事業を開始して以来、アランで372人の労働者が死亡したと告げた。バングラディシュでは過去11年間に180人が死亡し、700人が怪我をしたと警察は述べている。

 しかしグリーンピースと国際人権連合は、労働者からのインタビューに基づき、その数はもっと多く、毎年それぞれの国で50〜80人が死亡していると主張してる。

 ”それはまさにこの世の地獄である”−と国連の国際労働機関(ILO)の船舶リサイクル専門家ポール・ベイレーは述べた。”労働環境は危険な状況である。船舶を解体し、分離する。対象物は動いており、状況はいつも変わっている。”

 西欧にはドライ・ドックと重機があるが、それらは高価である。アジアの解体場では規制が弱く、作業はほとんど手作業である。

 鋼材の価格が4倍に値上がりし、トン当たり数百ドル(数万円)となったので、解体産業が高まった。年間数百の船がスクラップにされ、数千のシングル・ハル構造の船が来年には廃船となる。

 高まる環境的要求と世論の厳しい批判のために産業側は秘密主義となり防御的となっている。グジャラート海事委員会は現場を訪問したいという再三の要求を拒絶した。
 しかし労働者たちとのインタビューで作業の内容が鮮明になった。

 廃船は満潮時に海岸に乗り上げ、労働者らは錨の鎖からよじ登り、船内の家具からエンジンまで手当たり次第、ガスバーナーや素手で取り外す。
 ハンバーで叩く音と金属を焼き切る匂いの中で、労働者らは鋼材を階上から地面に投げ落とす。数十人の男が数百キロの鉄の塊をトラックまで引きずっていく。数ヶ月のうちに船は大量のスクラップとなる。

 バングラディシュの状況はもっと悪いと活動家らは言う。女性は素手でアスベストを回収し、裸足の労働者は油の中にひざまで浸り、医療施設はほとんどないに等しく、子どもたちもしばしば労働者として使われている−と彼らは述べている。

 インドのアラン及びバングラディシュのチッタゴンの沖には、廃船が様々な破損状態で停泊している。労働者らは、事故は仕事の一部であると言う。

 ”私は人が手を失うのを見た。私は人が死ぬのを見た”−と解体場で20年間働いているトリナス・ジェーナは述べた。彼は1996年に友人を一人殺された。
 労働者らは、廃船の所有者はしばしば事故を隠そうとし、怪我をした人には少しばかりの補償を出すだけである。
 ある労働者は背中と両足のやけどの跡を見せたがそれはアランでのガス爆発で大やけどをし永久的な障害者となった。もう一人は、家族の一人が酸素ボンベの落下で殺されたと話した。他の一人は鋼板が崩れて足を失った。

 ビラルは23歳のバングラディシシュ人で彼は13歳のときからこの解体場で働いていると述べた。彼の故郷ジャマルプールではほとんど仕事がなく、七人の家族を養わなくてはならない。彼が船の解体で稼ぐ1日1.1ドルがなければ彼の家族は飢え死にするとビラルは言う。

 アランの医師らは1週間に100人くらいの解体場からの患者を診るが、彼らの多くは有毒ガスで肺をやられており、病が重くて働くことができず、また医療を受けるには貧しすぎて、彼らの村に帰っていく。

 インドの船舶解体業者らは、活動家は危険を誇張していると言い、事故は著しく減っていると主張する。彼らは、彼らの競争相手であるバングラディシュの業者は廃船に高い金を払い、厳しい規制を守る必要がないと述べている。
 そのことはアランに来る船は少なくなることを意味する。アランでは5年前には40,000人の労働者がいたが、現在はわずか3,500人である。173あるインドの解体場のうちほとんど26か所は稼動していない−とその解体業者は述べた。

 ”現在、我々はNGOsと政府から非常に嫌がらせを受けている”−とシブ・シップ・ブレーキング社のハレシュ・パルマールは述べた。”我々は何も悪いことはしていない。我々は多くの雇用を生み出す健全なリサイクリング産業を運営している。”

 インドの解体場は近年、トルコと中国による事例にしたがっている。病院も労働者のために建てられ、ウィンチとクレーンが導入され、労働者も今はヘルメットをかぶり、作業靴と手袋をしている。

 船の検査も増大し、ほとんどの火事の原因である燃料は空にしなくてはならないが、時には不正が行われ、解体業者はこれらの規制を回避していると活動家らは述べている。

 国際海事機関(IMO)は、2008年には署名される予定の協定の草稿を作成中であり、それによれば船舶は船内にある全ての有害物質のリストを用意し、解体場は安全基準を満たすことを求められる。
 この協定に署名した諸国は、スクラップにされる船を認可を受けていない解体場に送り込むことを禁じられる。

 グリーンピースは、ガイドラインは船は母港で汚染を除去されることを要求すべきであると言う。産業側はそれは非常にコストがかかり実際的ではないと言う。

 しかし、船舶解体の人の値段は、20年間、アランの解体場に男たちを送り込んできたインドの東海岸にある5,000人の村アダパダで明白である。この孤立した農村の少なくとも24人の住民がこの船舶解体場で死亡した。

 ディリップ・プラダーマ60歳は衰弱させるような頭痛に悩まされ、最近まで、1996年のアランでのガス爆発以来、床につききりであった。彼は最早働くことができず、物乞いをせざるを得ない。

 彼の娘プーラは、彼は一家の稼ぎ手であり彼の収入なしには家族は食べることもできず、適齢期の娘たちの一人分の持参金も用意することができない−と述べている。
 ”我々は我々の父親を失った”−とプーラは述べた。



化学物質問題市民研究会
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