ランセット【論説】2025年2月8日
アメリカの混乱:健康と医療のために立ち上がる
情報源:The Lancet, Editorial, February 8, 2025
American chaos: standing up for health and medicine
https://www.thelancet.com/journals/lancet/
article/PIIS0140-6736(25)00237-5/fulltext

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
https://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2025年2月17日
このページへのリンク:
https://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/kaigai/kaigai_25/250208_
The_Lancet_American_chaos_standing_up_for_health_and_medicine.html


 WHOとパリ協定からの脱退。USAID(米国国際開発庁)が閉鎖され、援助が停止され、世界中で健康プログラムが中止。3兆ドル(約480兆円)相当の連邦政府の助成金とローンが凍結され、メディケイドの機能が危うくなった。国立衛生研究所(NIH)(世界最大の生物医学研究機関)全体の主要活動が全面的に停止。疾病管理予防センター(CDC)への作業停止命令。ジェンダーの多様性の否定。メキシコシティ政策の復活。報道管制により、60年ぶりに CDC の「疾病と死亡の週報」が発行されなかった。ドナルド・トランプの国内および世界における行動は、米国の優先事項の慎重な再評価ではない。米国民と米国の対外援助に依存している人々の健康に対する広範囲かつ有害な攻撃である。

(訳注:メディケイド(Medicaid)とは、アメリカ合衆国連邦政府が州政府と共同で行っている医療扶助事業である。連邦政府が運営する医療保険であるメディケアと共に、1965年に創設された。|ウィキペディア

(訳注:GGR:グローバル・ギャグ・ルール(メキシコシティ政策)とは:メキシコシティで国際人口会議が開催された1984年、共和党のレーガン大統領(当時)が初めて導入したことから「メキシコシティ政策」と名付けられ、通称「グローバル・ギャグ・ルール:Global Gag Rule (GGR)(口封じの世界ルール)」とも呼ばれる米国の開発協力政策。クリントン政権によって1993年に廃止されたが、以後、共和党と民主党の政権交代に伴い導入と廃止が繰り返されてきた。トランプ前大統領も、就任直後の2017年1月に再導入した。同政策は、米国国外で、米国の資金援助を受けているNGOなどの組織・団体は、その国で合法でも、1. 人工妊娠中絶手術の実施、2. 中絶に関して医療スタッフが患者に行うカウンセリングや医療機関の紹介、3.規制を緩和し合法かつ安全な中絶を可能にするよう求める活動 を規制し、これらに資金を使わないことを約束しなければならないとしていた。|ジョイセフ (JOICFP)

 また、健康および医療研究コミュニティに対する攻撃でもある。研究者の作業能力は大幅に制限されるか、完全に停止されている。言論の自由は制限されている。米国政府のウェブサイト(および科学雑誌に投稿された原稿)では、「ジェンダー」、「トランスジェンダー」、「LGBT」、「ノンバイナリー」など、特定の用語の使用が禁止されており、指令により、CDCの従業員と契約者全員に対して、新しい論文の投稿が一時停止されている。ランセット誌では、すでに影響が感じられている。査読者は減少し、著者は自己検閲を行っている。医療機関は新政権を公に批判することをためらっているかもしれないが、この臆病さは間違いである。トランプ氏の行動は、彼らが引き起こしている損害について非難されなければならない。

 大統領のエイズ救済緊急計画への資金を含む米国の援助の 90日間の凍結は、「命を救う人道的プログラム」の免除があっても、特に HIV 予防と重要な集団に対するサービスを宙ぶらりんにしてしまった。これらは抽象的な懸念ではない。この号のワールドレポートが示すように、医療従事者の大勢が解雇され、診療所は閉鎖され、患者が影響を受けている。イーロン・マスク氏は USAID を「悪」で「犯罪組織」と呼び、同機関を廃止しないまでも、骨抜きにすることを正当化しようと虚偽を流布している。これらの決定は完全に間違っており、その影響は広範囲に及び、疾病管理と健康の公平性における数十年にわたる進歩を後退させる。トランプ氏の行動は、特に女性の健康、特に性と生殖に関する健康と権利に対する攻撃である。気候と健康に関してなされてきた緩やかな進歩は、今や停滞し、さらには逆転する可能性が高い。病気になる人も、亡くなる人も増えるだろう。

(訳注)トランプ/イーロン・マスクの USAID 関連情報:
  • USAIDめぐるトランプ氏の主張拡散 名指しされたメディアは否定
    朝日新聞 2025年2月15日
  • USAID (米国国際開発庁) めぐりトランプ大統領 マスク氏の投稿で “誤情報“ 拡散
    NHK NEWS WEB 2025年2月13日
  • 【解説】 米国際開発局(USAID)とは? なぜトランプ政権の標的に?
    BBC 2025年2月5日
  • 「 USAID 閉鎖をトランプ氏が承認」、マスク氏発表 局長代行にルビオ国務長官
    CNN 2025年2月4日
 今が試練の時だ。私たちのコミュニティはどのように反応すべきか? 当面の結果は混乱、混乱、混乱(confusion, disruption, and disorientation)だが、恐怖や諦めで対応を決めることはできない。集中、戦略、そして希望が必要だ。すべての大統領令が法的異議申し立てに耐えられるわけではない。市民社会、ジャーナリスト、政府の内部告発者、そして当面の害について声高に訴えてきた一部の議員のおかげで、一部の命令は緩和または調整されている。保健、医療、科学の各コミュニティは、患者を擁護し、プログラムを擁護し、健康と幸福に良い政策や制度を求めるロビー活動を行う上で、極めて重要な役割を担っている。米国における世界保健に対する超党派の支持は深刻な二極化に道を譲り、世界の保健コミュニティ(the global health community)は米国が信頼できないパートナーであるという事実と向き合わなければならない。イロナ・キックブッシュがこの号のコメントで指摘しているように、他の加盟国は今後の課題に対応できる組織に資金を提供し、構築する必要がある。

 保健コミュニティはこれまで何度も大きな障害を克服し、人類の幸福に多大な貢献を果たしてきた。それらの経験から、健康とは何か、健康には何ができるのかというビジョンが明確になった。すべての人に健康の権利があること。アメリカ人の健康は、あらゆる場所のあらゆる人々の健康にかかっており、その逆もまた同じであること。協力と建設的なパートナーシップが不可欠であり、科学には世界に対する理解を深めるだけでなく、人々を結びつける力があること。健康は社会にとって良いものであり、社会に有益であり、経済の原動力であり、発展への道である。医療は、最も困難な状況にある人々を助け、苦しみを和らげ、生活を向上させることができる。公平性、つまり必要に応じて治療することは、医療の根本である。そして、ケアすることは弱さではなく強さの行為である。

 過去 3 週間は多くの怒り、恐怖、悲しみを生み出したが、パニックに陥っている場合ではない。医療界と科学界は団結し、このビジョンのために立ち上がらなければならない。その精神に基づき、ランセットは今後 4 年間、米国政府の行動と健康に対する政府の決定の結果を監視し、検討する説明責任の中心となる。

化学物質問題市民研究会
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