■あの日降り落ちた雨は、長く数日間続いた。
ロイジック城跡地には水が溜まり、美しい湖と姿を変えようとしていた。

その湖の底に、サーミリア・ディニアルは眠っている。

旅が終結を迎えて、共に戦った仲間たちはそれぞれの国へと帰っている。
ユイジェスとニュエズ王子はミラマへ。弟王子は<真実の輪>をラマス神殿へと残し、シオル    サエリアはひとまず自国シャボールへと戻る。
レーンも聖地に戻り、<命の杖>を再び女神像に戻した。

ジッターラ王女は暫く隣国ラマスに保護され、神殿で休息していたが、後に国の復興のために国へと戻っていった。
併合の案も出たらしいが、誰よりも王女自身がそれを拒んだ。

他国のことはまだ全貌を知らないが、自国ラマスは水の力も甦り、親父も目を覚まし、追放されていた元神官フィオーラも復帰している。
全てがいい方向へと動いていた。

勿論、親父がすぐに受け入れられたわけじゃあない。
親父はこれから償いのために、尽力し信頼を取り戻さねばならないのだった。

ロイジック城後の湖に花束を浮かべ、俺は母親への祈りを捧げる。
腕には腕輪が輝いているが、この先のことで自分は迷っていた。このまま自分が腕輪を所持していいのか、国を背負っていいものかと    

天気は快晴。
穏やかで、温かい風が自分ともう一人、体格のいい男の傍を巡っていた。

「なぁ親父。俺がこのまま、国を背負うようになれば、・・・親父はどうする?神殿に一緒にいるのは居心地が悪い可能性が高い。上に立つ立場でないなら、もっと楽な生き方ができるんじゃないかと思うんだ」
父親は息子より上にも横にも一回り大きく、無精ひげを擦ると、にわかに軽快に笑い飛ばした。
「何を俺のことなんて気にしてるんだ。盛大に嬢ちゃんと結婚式でも挙げて、晴れ晴れと上に立てばいいんだ。俺は誰よりも、お前とサーミリアに償わなきゃならん。あのロイジックの姫様にもだな。政治には絡めないが、父ちゃんはいつでも息子の味方だ。中傷などお前がいれば気にならん」

今まで知らなかったが、父親は随分な愛妻家だし、息子がどうやら可愛いらしい。
そう思うと、妙に恥ずかしくなるんだが、俺はこらえて気のない顔を作った。
「なんで、母さん、親父みたいのが良かったんだろう・・・」
「何を言うか。昔は俺ももっと痩せてて、それはいい男だったんだ。勿論サーミリアは世界一美人だったがな。そうだな。お前は母親似、だな」
「じろじろ見るなよ」

「ルーサスー!お父さーーん!」
ここまでは馬で来ていたのだが、馬の場所で昼食の準備をしていた少女が弾むように駆けて来る。
「お昼ご飯できたよ。お父さんの好きな、きのこ鍋です♪」
「おおおっ!ありがとうよ嬢ちゃん。いいルーサスの嫁さんになれるぞ」
少女の髪をぐしゃぐしゃにして、親父は「がはは」と喜ぶ。
「えっ・・・!?えと・・・。そ、そんなっ」
からかわれて、すぐにも真っ赤になってしまうから、リカロは親父のお気に入りだった。

「だいたい、あの姫さんは嬢ちゃんのために、併合を辞退したんだろうが。明らかにルーサスに気があったのにもかかわらず」
「・・・お父さんも、そう思います・・・?お姫様、ルーサスを見る目が違うんです」
「思うな。うちの息子だ、惚れないわけがない」
「だーーーっ!」
息子自慢の恥ずかしさに、ブチ切れて親父を殴り飛ばす。

「照れるな照れるな。邪魔な中年は先に行くから、しっかりプロポーズするがいいぞ、息子よ」
「クソ親父!」
背中に罵倒して、ブツブツ文句を零していると、リカロが小動物のように自分のことを見上げているのに、沈黙させられてしまった。

「あのね、私・・・。今まではっきりと口にしたことはなかったけど、あのね。ずっとね」
言おうとしてることが分かって、知りきっていたことなのに、今更ながらにどきりとする。
リカロと離れた時に思い知らされた、
そしてまたリカロに会えたならいくらでも言ってやると仲間には豪語していたのに、実はまだひと言も口にできていない。

「リカロ、俺は・・・。この国を守っていこうと思ってる。まだやるべき事はたくさん残ってるからな・・・。これからも、一緒にいてくれないか」
予想以上に、自分は頬を赤くして、彼女に願った。
リカロは小さな体をジャンプさせて、ぎゅっと自分の体に腕を巻く。
「・・・うんっ!・・・ルーサス大好きだよ。ずっと傍にいさせてね!」

相手を強く抱きしめると、「邪魔はしない」と言ったくせに、野暮な父親の声が響く。

「おおーい。あんまりいちゃついてると全部喰っちまうぞ〜!」




■数ヶ月後、レーン・ポスドは船に乗り他国を目指していた。
一人になりたいという気持ちもあった。
比較的平穏な自国を出て、サラウージ大陸の復興に参加してみようか、という考えもある。
長い金髪を頭の後ろに結び、潮風がその尻尾をゆらゆらと揺らしている。
甲板で黄昏る彼女に、声をかけるのはどこの不届き者だったのだろうか。

「どちらへ向かわれるのですか?ラマスでルーサス・ディニアルたちの手伝いでも?」
露骨に嫌な顔で彼女は追い払おうとしたのだが、青い瞳は顔を知ると呆気に取られて見開いた。
長い髪から耳が長く突き出している男、彼はレーンの見知ったエルフ。
「・・・・。ミラマにいなくていいの?あなた・・・」
第二王子も傍にはいなく、どうやら単独行動のようだ。
「ユイジェス王子はもう大丈夫です。立派なものですよ。それに、ニュエズ王子に貴女のことを頼まれていたのです」

「・・・・・・」
ミラマの宮廷魔術師サダ・ローイの笑顔は飄々としていた。レーンは考え込み、彼を邪険に追い払う案は取り消す。

「お供させて頂きますね。どうぞよろしくお願いします」
「・・・なんだか嬉しそうね。サダ」
「そうですか?」
本心は言わないが、相手が自分を心配して追って来てくれたことは分かる。
空は     何処までも快晴。

片想いの相手に想いを告げて、私はあの人と別れた。
正直まだ胸は苦しかった。
だから少しの間、甘えさせてもらおうか・・・。

「じゃあ、・・・こちらこそ、お願いね。ありがとうサダ」
右手を差し出して微笑んだ私に、相手は少してれたように見えた。




■ミラマの第二王子が私の手を引いた、あの日から月日は二年を数える。
二年間、荒廃した王国を復興させるために苦闘に明け暮れた、私にも一つの伏し目が訪れようとしていた。

生き残っていた貴族や騎士たちの中から、新しい王国の基盤はできあがり、ジッターラ王女婚約の報せが民におりた。
国民は報せに喜び、王女の幸せを声高く祝う。跡継ぎの誕生にも国は沸き立った。

ジッターラはお腹を撫でながら、二年前の勇者たちに思いを馳せた。
何度も彼らは助けてくれたし、祝いにも駆けつけてくれることでしょう。
ラマスではルーサス・ディニアルがリカロと結ばれて、国の状態も安泰と聞いている。父親は息子の補佐をしながら、何度も私に会いに来てくれた。
憎む気持ちはなくなった後でも、変わることはなく。

親子はよく、母親に会うために城の跡地に赴いていた。
あの場所はそのまま、もうじき新地に新しい城が完成する。

「これは・・・。私の、夢、ですね」
窓辺でくすりと微笑んだ王女は、澄み渡った青空に対して話しかける。
「人の心は、夢で繋がっている・・・。あなたはそう言いました。今、確かにそれが分かるのです。この国は、一つの夢の軸に向かって歩いている」

また彼らに会う日が楽しみだった。
旅しているレーン王女はどんなに強くなったでしょうか。
シャボールを含め、大陸をまとめようとしているユイジェス王子は?

「考えて下さるかしら。この子の名前。あの方たちのように、強く、優しくなるように」
ジッターラは、生まれてくる子供の名前を彼らに考えてもらおうと決めていた。
もしかしたら戸惑うかもしれない、反応を想像して彼女はくすくすと笑う。

彼女の指には指輪が光っていた。
変化の神の声を彼女が聞いた事はない。指輪の存在のために黒い感情が淀めく事もなかった。
同じことは繰り返さない。そして、変化の神すらも「変わって」ゆく。
その変化を愛しく思える。それは女神への敬愛なのかも知れない。




■いつものように優しくそよぐ風が、ユイジェスには精霊たちが歌っているように聞こえた。風の中に兄の声が聞こえたような気がして、ユイジェスは振り返る。

けれど確かめる必要なんて本当はない。
兄はいつでも自分の傍にいてくれるのだから。


あれは、     つい昨日のことのようだった、別れ。

「やはり喋ってしまったんだね。サダ・・・」
ユイジェスとレーンを連れて現れたエルフの友人に、兄王子はため息をついて言った。聖なる島ライラツの神殿最上階には、通常閉鎖されているが、創造神の石像が世界を見つめている。
石像から空へと、今は光の柱が伸びていた。

「ニュエズ様!ニュエズ様がこの世界からいなくなるって、どういうことですか?!」
レーンは息を切らしたまま、彼に詰め寄り悲鳴のように糾弾する。
「兄さんが、アイローンの、代理人・・・」
レーンのようには、自分は詰め寄ることができなかった。これが最後の時なのに。

「お前と私の役目は違う。ユイジェスが真実の神を見つけたように、私も行かなければならない。これまで、創造神の穴は、女神たちの結束が途切れてできた穴は、先代のアイローンが埋めていた。お前たちが守った世界を、私も守りたいのだよ」
「そ、んな・・・」
兄を慕っていた、レーンの細い肩が震える。気丈な彼女は泣き崩れるタイプではなかったが、掴んだ兄の腕だけは離せないようだった。

「子孫を残して、アイローンは神の代理に立った。だが、それももう限界。女神たちが修復するまで、私も柱にならなければならない。もしかしたら、数年で帰れるかも知れないが、約束はできないだろうな」

 二人の王子 これはそのせいだったのですか?
兄にどう声をかけていいのか、見当もつかない。泣くこともできなかった。
泣いてしまえば、今生の別れと決めてしまう行為に思えたから。

「ミラマを頼むよ。そして、サエリア王女のことも・・・。いつでも、お前のことを空から見守っているよ」

せっかく、これからは仲良くしていけると思っていたのに。兄の背中が霞んで見えなくなってしまう。「行かないで!」と叫ぶこともできない。

「ニュエズ様・・・!私は、ニュエズ様のことがずっと好きでした!」
妹のように思っていただろう、レーンの叫びに兄は一度だけ振り返る。
「ありがとう。レーン。また会えることを願うよ」

兄の優しい笑顔が、忘れられない。
「ぼ…、俺も、兄さんが好きだったよ!」
自分のことを「俺」と言い始めたのは、兄に対しての対抗心からだった。
真実の神を見つけてからは、素直に「僕」に帰っていたのだが、やはり兄には悪ぶってしまうらしい。

口にした時にはもう、兄は光の中に消えてしまっていた。



足元に広がっていた植物が、風に揺られてユイジェスの足をくすぐった。
どこか、「寂しい顔をしないで」、と励ますようでもあって、微笑む。
「ありがとう。大丈夫だよ」
遠巻きに王城がうかがえる、眼前には崩壊した塔の名残、足元には青い小さな花がたくさん揺れていた。

城の方角から一人の娘が近付いてきた。
長い髪を抑えながら、遠慮がちにユイジェスの隣に並ぶ。
「長く反対していた人達も・・・、ようやく分かってくれそう。サエラも許してくれるかしら」
亡き妹のことを思う、姉は不安に俯く。

「サエラ、・・・今日はね、報告に来たんだ。僕たちは、一緒になろうと思うんだ」
青い花の群れは、しん…と動きをおさめる。
「ごめんなさい、サエラ。でも、ユイジェスを決して不幸にはしないわ。ここで貴女と二人の時間だって邪魔しない。ユイジェスのことを、貴女の分も、守らせてね・・・」

軽いつむじ風が巻きおこり、合わせて青い花びらがくるくると回った。花びらが姉の髪に積もって、黒髪を綺麗に彩ってくれる。
「祝福してくれてるよ。・・・ありがとう。また来るね」
青い花を一輪摘むと、口付けて、ユイジェスは花を胸に挿した。

見送る花吹雪に、そっと手を振る。





その遙か向こうに、やはり見つめている   空。
兄も祝福してくれるのだろう。


心は、いつでも一つになれるから。

きっと兄とはまた会える。だから自分は笑っています。
「元気でやってるよ」
兄への伝言を残して、弟はまた歩き出す。

永遠に、夢は途切れることはない。
ユイジェスの頭上には、いつでも青い空が広がっていた。













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