「ルーサス・・・!ルーサ・・・・!    !」
焦りと、恐怖が彼女を襲い、おのずと声が涸れていった。
重くなった彼の身体を、震える両腕で抱きしめ、その彼の儚さに果てしなく啼いた。

どうして、初めて出逢った時からずっと、「彼」には悲しみばかりが積もっているのだろう・・・。
閉じられ、開かない瞼を見つめると、どうしようもなく涙は溢れて落ちる。

甦ったラマスの国を、彼は、
彼こそ見なければならなかったのに     


うがたれた中庭には大きな窪みが生まれ、その外周でリカロは動かなくなった旅の相棒を抱いて、声を上げて泣き始めようとしていた。

ロイジックの王城は半壊し、暗雲の眼下で静かに風にその身をさらす。
女神リモルフに心を奪われた、盗賊男は冷徹な眼差しで冷ややかに世界に一瞥をくれると、口元だけで微笑んでいる。

しかし、冷たい世界を凪ぐ風に背くように、泣き咽ぶ少女の前に立ちはだかる、金の髪の娘の存在に注意を動かした。
恋した少年の死に嘆く、少女の隣に現れた、ジュスオースの王女の手には、白い杖が握りしめられている。


「・・・大丈夫ですか?レーン王女・・・」
変化の神の破壊の波動に吹き飛ばされて、瓦礫に埋もれて負傷した金髪の王女は、装備していた<杖>を掲げて意識を集中している。
その傍らではミラマの宮廷魔術師が王女をしっかりと支えていた。

「大丈夫よ。しっかり支えてて」
凛として、開かれた王女の蒼い瞳には優しさが溢れ・・・。
「リカロ、誰も死なせはしないわ。私を信じて」
昏い世界の中でも美しい光を灯すように、希望の光を呼び出そうと神に祈る。

黒い邪神を背景に背負っても、聖なる戦乙女の如く、彼女は自らが『希望』のように立ち誇っていた。


「レーン・・・。ぐすっ・・・。<命の杖>・・・、命の神様は、ルーサスを助けてくれる?私はどうなってもいいよ。でもルーサスは生きて甦ったラマスを見ないといけないのっ。お願い・・・、助けて・・・。ルーサスを助けて・・・!」
手の甲でぐすぐすと涙を拭く、リカロは幼子にも重なって見える。

「お願いサダ。その間、私を助けて。後で何でもするわ!」
「何でもなんて必要ありません。心配なく。思う存分やって下さい!」


白亜の女神像が抱きしめて、誰の手にも預けられる事のなかった<命の杖>。
白き像とは程遠い、髪がほどけ勇ましさも備え持つ、傷だらけの娘の手に委ねられ、今 空に向けて呼びかけられる。

白い杖の先端には透明な石、<命の神>の封じられた<命の石>が埋め込まれている    が、今呼応するかのように静かに熱を帯びようとしていた。


「命の神アリーズよ!私の声が聞こえますか!彼の命をもう一度呼び戻し下さい!女神アリーズよ   !!」


足掻く地上の虫たちの叫びを「戯れ」として、変化の神の視線は緩やかに時間の流れを眺めていた。
自らが創造神の涙に封印され、その後数百年の間、他の女神の姿を感じたことはない。衰え、弱くなってゆく姉妹たちの存在。
命、心、真実    、そして変化。

世界を創造した大いなる「父」の四人の娘、他の女神は息を潜めて滅びの時を待っているのか。



「負けないで下さい!ラギール・ジョーン!諦めないで下さい!もう一度<変化の神>と戦って下さい・・・!心を支配されないで下さい・・・!!」
    邪魔な「声」が、瓦礫の影から意識に働きかけるのを聞いた。
変化の神は視線をひそめ、声の主が<心の神>と共に在ることに軽く驚きを覚える。

残る三人の女神のうちの一人、<心の神>の存在が黒髪の娘と共に在った。

自分と、自分の宿る傀儡、盗賊男との距離を取って左右に、
娘は二人現れてしまっていた。
娘の二人ともが、女神の存在する<石>を所持する者。

「ルーサスは・・・。あなたの息子さんは、まだ間に合います。必ず生き返りますから、まだ諦めないで下さい!ラギール・ジョーン・・・!!

黒い大きな影を背負う盗賊男は、微動だにしなかった。
いや、傀儡としての操作を拒んでいたのだ。
まだ微かに頼りなくも残っている、希望へとの望みをかけて・・・。


空は、何処までも暗かった。
落城されたその日から、この城の空には光が射した事など無かったはずだった。
城も忘れていた景色だったのかも知れない。
けれど、    確かに、一筋の光が暗雲を裂いて、白く輝く杖の御許に辿り着いた。




ふわりと    
・・・

柔らかく、光の中に天使の羽根が舞い落ちるのを、確かに誰もが見つめていた。
金の髪の王女のかざした<命の杖>、
その頭上にはうっすらと、まごう事なき女神の姿が浮かび上がる。

「命の神・・・・!アリーズ・・・・!?」
女神の降臨を見上げ、急いでリカロは両手を組み合わせ、彼を抱きつつも懸命に祈り、叫び始める。
「お願いです!ルーサスを助けて下さい!お願いです!」


「私は・・・、この瞬間のために・・・。全ての力を温存し、今まで沈黙を守り続けていたのです・・・」
命の神の声は、確かに、鈴の音のように世界に響いていた。
レーンは、女神の想いを今感じ取った。
今までどんなに呼びかけても返事を返さなかった命の神。・・・そうではない、返事を返す事ができなかったのだ。

全ては、変化の神を鎮める、たった一瞬のために。
<命>という尊いものを守る自らが力を失えば、この世界から命が薄れてゆく。
それだけは阻止しなければならなかった。
だからこそ女神は何があろうとも沈黙を破りはしなかったのだ・・・。


命の神は、光の中で、そっと瞳を閉じた。
杖を携え、天へと掲げる、レーン王女も瞳を閉じた。
二人によって世界の時間が止められてしまったかのような、静かな時間が流れてゆく。音さえも、光の弾ける音さえも、この場所には聴こえていない。

「召び戻しましょう。愛しい、この世界の命の一つを。これからの世界に、まだ必要となる彼を・・・」
この地に、この一点に、女神たちが集まろうとしていた。







声が聞こえた。
誰かが呼んでいる。

何処か懐かしい、優しい祈るような、声が・・・・。

「ルーサス・・・」
それは、    懐かしい、母さんの声。

盗賊となりはてて帰って来た俺にも、母さんは果てしなく優しかった。
盗賊ザガスの息子と、罵られる俺にも、母さんは優しかったんだ。

その母さんが、水の中、息をひきとる。
見たくは無かった。
目を背ける     ・・・

「ルーサス、水の石の中にいるのはサーミリア様なの」

親しい、相棒の少女の叫ぶ声がこだまする。
水神の司祭だった母親のこと、水神の傍にいったとしてもおかしいことではないが・・・。でも・・・。

「水は災いなんかじゃない。サーミリア様は水の中で死ねて幸せだったって言ってたよ。ザガスが、ううん、ラギールさんがそうしてくれたんだって。お父さんは悪い人じゃないんだよ。お願い解って・・・!」

そんな、馬鹿な・・・。

「悪いのはリモルフだよ!」
「ルーサスのお父さんだよ!サーミリア様が愛した人だよ!」


「す、すまねえな、ルー・・・ス。サーミリア、を・・・」


母さん。そして、水。
俺の知らない父親。

額から外され、踏み砕かれた<真実の輪>
もう、俺には正しきことは見えない。でも、視たいんだ。知りたいんだ。

「親父…、俺、は…!」


冷たい、水の感覚が押し寄せ、俺を包んでいるのがわかった。
やめてくれ・・・。俺ももう、死ぬのだろうか。
母さんと同じように、水に息を止められて・・・。

「ルーサス・・・!」
『水』 は、母親の姿をして俺を抱きしめていた。
「か、あ、さん・・・!」

「お願いルーサス。あの人を助けて・・・。私が感じられますか。私が見えますか。私の祈りは届きますか・・・?」

優しい、母親、涙がこぼれる。
俺を包む『水』は、母さんの涙なのか    
俺は、ずっとこうして水に包まれていたはずだった。
生まれる前から。生まれてからも。母の胎内で。母の傍で。

泣かないで下さい。
冷たい、悲しい涙はもうこりごりだ。

冷たい。冷たかったのは、俺の身体。
「わかったよ。もう、わかったから・・・」
自分と、母親のために、俺は強く母親の存在を抱きしめて祈った。


初めて、
水の精霊イセーリア  ラマスを初め、水神として崇められる
『水』に全身全霊を込めて祈った。


「ルーサス・・・!うわあああああんっ!」
気が付けば、俺は泣きじゃくる少女と強く抱きしめ合っていたようだ。

俺の全身は蒼く光り、腕には<水の腕輪>が強く蒼い光を放っている。
怪我もなく、体は完全に回復されようとしていた。

そして、温度を取り戻した、肌に落ちたのはひとつぶの『雨』。
少し前まで炎によって乾燥していた大気が水分を含み、空から訪れる、恵みの贈り物が音を弾き始める。

ぽつり。
ぽつり・・・。


優しく、温かく、そして悲しみを隠して、俺を包む母親の愛情。
まだ本当の心も知らない、教えて欲しい、
その雨は盗賊ザガスにも降り注いでいた。






     
・・・


空は蒼く姿を変え、雨が渇いた大地を冷やそうと涙を落としていた。

変化の神を背負う、男の左右に命の神と心の神、二人の娘が荒れ狂う邪神を抑えて、その前にゆらりと、雨に打たれた少年が俯いて立ち尽くす。

二人の娘の一人、シオルは首飾りを握りしめ、緑の髪の少年に注目し、そして彼の父親の心に呼びかける。
彼女には父親の心の叫びが全て流れ込んで聞こえる。

ロイジック城を占拠し、世界を蝕もうとしていた盗賊ザガス。
本当の名前はラギール・ジョーン。
盗賊である彼は古の遺跡より<封じられた神々の涙>の一つ、<変化の石=指輪>を発見していまい、それ以来外せなくなってしまった。

心を変化の神に縛られ、邪魔な真実の輪に近付き、そして輪を守っていた女性と結ばれる。
けれど、彼はそんな中でも、家族を愛し、指輪から逃れようと抵抗していたのだ・・・。


変化の神には、目障りだったことだろう。
愛した妻は殺害してやった。けれど息子はまだ生き残っていた。
この息子さえ自らの手で消し去ったなら、傀儡は抵抗を失うと思っていた。
事実、父親は意識を失いかけていた。自虐の思いから、自我を失う。

でも、今ルーサスはあなたの前に立っています。
今こそ     


もう一人、レーンは立ち上がったルーサスの姿を嬉しそうに見つめ、背中を支える魔術師に対して安堵の台詞をこぼしていた。
「やったわ・・・。私、認められたのね・・・」
「ええ。あなたは始めから聖女として認められていたのですよ。きっと」
大きな仕事を終えて、肩で息をする王女を、ミラマの宮廷魔術師は優しい気持ちで支えていた。


少年の傍には、ショートカットの少女がぴたりと寄り添う。
「良かった・・・!良かったよぅ・・・!嘘じゃないよね。お化けじゃないよね・・・!」
たくさんの涙を瞳にためて、リカロはルーサスにぎゅっとしがみついた。
彼の身体は温かかった。
服は破れて血の痕も残っていたけれど、傷の類いは完全に塞がっていた。

「ん・・・。ありがとう」
濡れた前髪で顔を隠したまま、魔法使いの少年は少女の頭を乱暴に撫でる。


「まさか…!雨がっ…!まだ水は生きていたのか…!」

始めは数滴、しかし雨足は次第に強くなる。
空では変化の神リモルフが戸惑いにぶれ始め、邪神の足元では盗賊の前に、少年は少女と寄り添いながら、真摯な瞳を上げる。

「目を醒ませよ、親父・・・。もう終わりにしようぜ」
その額に、常に閃いていた真実の石は失い。
その代わりに、ルーサス・ディニアルの腕には<水の腕輪>が閃いていた。

「貴様…!目障りなっ!消し去ってくれる!」

「生きて・・・、いるのか・・・」
黒い影と、下の男とでは、反応が擦れ違う。
本来の姿=体格の良い、青黒い髪の中年男性は、安堵の表情と、自分に向けられる息子の言葉に戸惑う表情との、交差のもとに震える。

「親父・・・。俺はアンタのことを知らない。一緒に居ても、ろくに話もしなかったからな・・・。本当のアンタを見せてくれ。母さんや、俺の事を思っているって言うならそれを見せてくれ・・・!」

    雨のせいだろうか、
黒い女神の影は、心もち形を小さくしてゆく。

「何故だ…!何故人間の心一つ乗っ取ることができない…!」

変化の神は世界を震動されるような咆哮をあげた。長き時間に渡り、この男の精神を蝕み続けたと言うのに、此処に着て再びこのような激しい抵抗を受けるとは・・・。
女神の怒りは、半壊したロイジック城を横揺れに揺さぶり、サラウージの大陸すらも地響きさせる。
このまま大陸ごと、沈ませかねない怒りの地震だった。

「信じられぬ…!この私にも変えられぬものがあると言うのか。そんなものは存在しない。存在しない…!」

「親父!!」

揺れる大地の上を奔り、息子は父親の前へと飛び出した。
「お前、うるさいんだよ・・・!返しやがれ!」
男の腕を掴んで、忌々しいその<指輪>にルーサスは手をかける。
封じられた神々の涙、その一つ、変化の石が埋め込まれている始まりの指輪。

戦いの果てに、創造神が流した涙、石は神の涙と伝えられていた。

「返せよ!出て行け!俺の親父を返してくれ!」

指輪は固く、呪いのように火花を散らせても外れない。
足元は地震を止めずに、どうしても父親から指輪の呪いを解き放つのを拒む。

「返せ
    !!」

衝撃を受けて、ルーサスの体は弾け飛ぶ。
後方に居たリカロを巻き込み、半壊していたロイジック城に飛び込み、瓦礫を生み出しながら一瞬の間に数十メートルもの距離を移動する。

「キャッ・・・!」
横の、レーンも支えていた魔術師サダと共に同様に吹き飛ばされていた。
反対側のシオルも等しく。

再びえぐられた大地の真ん中で、呪われた男だけが指輪の光る腕を伸ばしていた。
数十メートル範囲内、何も動くものが存在しない。

満足そうに黒い影は哂おうとしたのだろう、
けれどそれは叶わなかった。




ガラリ。
瓦礫の中より腕が伸び、雨に煙る世界を見つめた、青い髪の王子。
彼に抱えられて、続いて世界を見つめたのは、栗色の髪のこの国の王女。

変化の神以外の、女神の姿も消えてしまっていた。
亡国の王女は嘆いた。世界の終わりをこの目で見たかのように。
「外せないのですか・・・?指輪は・・・。あの盗賊を殺害したのなら、全てが終わるのではないですか・・・。もう、私達は敗けたのですか・・・」

青い髪の王子は答えた。
世界の新たな始まりを知っているかのように、微笑みで。
「いいえ。ジッターラ王女。雲が晴れますよ」

重たい雲に穴を開けて、場違いな青い空が顔を覗かせてゆくさまを指差す。
雨はまだ降り注いでいた。

少し離れた場所で、瓦礫が場所を開けるように、弾けてどけてゆく異常な姿を確認する。道を開いていたのは王子の弟だった。

「決着をつけなくちゃ・・・。行ってくるね」
「ユイジェス・・・」
傍に守られていた黒髪の娘は腕を伸ばしかけ、けれど信じて見送った。
    それは、彼の額に光が視えたせい。


ラマス神殿より、ルーサス・ディニアルが持ち出した<真実の輪>
盗賊ザガスに踏み砕かれ、輪は何処へ吹き飛んで行っただろうか。

拾い上げた者がいる。

ミラマの第二王子、鮮やかな青い髪を風に揺らした、ユイジェス・マラハーン。
黒い影は満足そうに哂おうとした。
<真実の輪>を額に当てた王子が、それを阻む。

「ラギールさん・・。ルーサスが待っていますよ」
指輪は腕を伸ばし、必死に王子が近付くのを拒んだ。王子は風の剣と、大地の盾と、そして今は真実の輪を見に付けし者。
細身の風の剣をスルリと伸ばして、軽く一閃    、指輪は悲鳴を上げて空へと放り出された。

「アアアアアア!…其処にいたのか。妹よ」

ユイジェス王子は崩れ落ちる男を抱きとめ、空に揺れる黒い女神に親密ささえも持って返事していた。
「そうです。真実の神は、ずっと俺と共に居た」




「久しいですね。姉様・・・」
四人の女神の中でも若い、おそらく末の真実の神は、ユイジェスの背にそっと現れると王子の肩に手をかけ、微笑む。

「何度も消えかけた私ですが、ユイジェス王子のおかげで消滅せずに済みました。彼が私を信じてくれたからです」


四つの精霊と四人の女神、
封じられた神々の涙、全ての石がここに揃った。
そして開いた青い空から、王子を見つめるものは   


「変えられないものは、存在します。本当は世界の誰もが知っている」
世界の瀬戸際、世界を変容させようという女神の元に、青い髪の王子が提示する真実の名前は・・・。
世界は涙を潜めて、彼の見つけた『答え』を待つ。




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