■サビついて放置されていたはずの地下への扉は、ジッターラ王女を前にして意外にも簡単に口を開く。 過去の王族の遺体が放り込まれて後、誰も地下に足を踏み入れる事はなかったと言うのに、 鍵がかかっていなかったはずはないのだが・・・。 シオルが「聞こえる」という、「声」の持ち主が手招きをしているのか。 灯したランプを片手に、亡国の王女は暗黒の淵まで伸びるような階段を、覚束ない足取りで下ってゆく。 冷たい石壁の一本道をまっすぐに進んで行くと、正面に扉があり、そこからまた左に廊下が続いていた。 足元をチョロチョロとネズミが横切り、閉鎖されていた空間の埃っぽさが鼻につく。 暗闇の中、廊下には死体などの姿はなかったが、戦いの痕跡は壁や床に臭いとして染み付いていた。 牢獄も空だが、人骨が乱暴に押し込まれているのを横目に通り過ぎる。 地下牢獄の、終わり。行き止まりに差し当たり、困惑したジッターラ王女はここに来る理由となった黒髪の娘を振り返る。 「待って。この先から聞こえます。・・・行き止まりじゃありません」 「まさか隠し部屋!?何か仕掛けは・・・」 言われてリカロは壁や床を灯りを頼りに調べ始め、石壁の一部が外れて仕掛けらしきスイッチを発見する。 そのまま勢い良く押すと、行き止まりだった壁はズズズ・・・と擦れる音を鳴らし、左にずれて道を覗かせる。 城の地下の隠し通路のようだった。 「知らなかったわ。こんな道があるなんて・・・」 けれど、非常時用の隠し通路だったのだろうが、道は途中で意図的に崩され閉鎖されていた。おそらくは盗賊ザガスによるものなのか。 何者かの声に呼ばれるシオルは、隠し通路の途中の小部屋の一つに指を差す。 三人の娘は頷き合い、静かに扉を開いた。鍵はかかってはいなかった。 ここは死臭の濃い、地下室であったことを瞬間忘れてしまっていた。 部屋の中はぼんやりと明るく、中央に棺だけが置かれてある。その棺が「神聖さ」まで覚える淡い光を発していた。 今まで感じていた異臭や不快感は消え去り、変わって急に物哀しさが胸を襲う。 棺の蓋はガラス張りで、白い布の上に美しい女性が目を伏せている。 死んでいるのだろうが、眠っているだけにも思えるほど、その遺体は美し過ぎた。 三十台程度の年齢に見える、その女性と会うのはシオルは初めてになる。 しかし、同じく覗き込んでいた二人が驚愕に声を弾かせた。 「ど、どうしてここにサーミリア様が 「・・・!!何故・・・!しかも、こんなにも綺麗に・・・!」 美しい緑の髪の女性。四年も前に亡くなったサーミリア・ディニアル。ルーサスの母親、そして盗賊ザガスの妻だった人。 およそ場違いな彼女の遺体は、二人の娘の心を驚きで震撼させた。 「そんな・・・、まさか、彼女を殺した後でここに安置したと言うの・・・?わざわざ、こんな部屋まで用意してまで・・・」 最もうろたえるジッターラ王女は、混乱のあまりふらふらと冷たい床に座り込む。全くあの盗賊の意図が謀り知れなかった。理解ができなかった。 この城にいる間、ザガスは多くの人をその手にかけて来た。何の迷いも無く、王家をなぶり、民を虐げ続けた。 ただ、このサーミリア・ディニアルだけは、「特別」だったと言いたいのか・・・。 棺の上には、<水の腕輪>がそっと置かれていた。 少し前まで、リカロの腕に納まっていた腕輪。ザガスに奪われたと思ったら、何故かこんな所に・・・。 腕輪に手を伸ばし、リカロは小さな両手の中に腕輪を包み込む。 自然と、彼女の瞳から涙が零れ落ちた。 砂漠の地中、砂に埋もれた泉の中でサーミリア様に出逢った。そして<水の腕輪>を確かに自分は託されたのを思い出す。 サーミリア・ディニアルは、自分を騙した夫の事を、何て話していた・・・? 「それは・・・。「あの人」の優しさです。私を愛する水の中で死なせてくれたこと・・・」 盗賊である事を隠して、サーミリア様に近付き、結ばれた盗賊ザガス。 慈悲深いサーミリア様は、まだ盲目的に夫だったザガスを愛しているのかと、失礼にも考えてしまっていた。 「変化の神への、精一杯の抵抗だったのです・・・」 「ご、ごめんなさい。サーミリア様・・・。私、解りませんでした。サーミリア様が、こんなにも、今でも・・・。ザガスを愛していた事・・・!」 困惑し、思考が乱れる亡国の王女。 誤りに涙して、腕輪を両手に懺悔する少女。 一人凛として立ち誇っていた、シオルは棺の中のサーミリアと心の中で語り合う。 <心の石>を胸に下げるシオルには、彼女の願いが、想いが、ようやく鮮明に映し出されることができた。 盲目ではなく、彼女は盗賊であった「彼」を愛していた。 今も尚・・・。 そして、耳を澄ませば、ずっと聞こえていたはずなのに、誰なのか知る事のできなかった「声」がまた繰り返す。 「どうして、気付かなかったのかしら・・・。盗賊ザガスが、こんなに叫んでいたなんて。こんなにも、サーミリア様を、そしてルーサスのことを愛していたのに」 シオルは棺にそっと触れ、決意も新たに二人を促す。 「盗賊ザガスは、<変化の神>に操られているだけです。今も、ずっと、彼は神に逆らおうと嘆いていた。愛する妻の死に嘆いていました。そして今も、息子と戦うことに抵抗しています」 「・・・うん!分かってる!お父さんと戦わせちゃいけないんだ。ルーサスを止めに行こう!」 リカロは涙を拭いて勢い良く立ち上がり、腕輪を大事そうに両手に預かる事にする。事情を話して、<水の腕輪>はルーサスにこそ渡さなければ 彼の腕にこそ、この腕輪は在るべきなのだと、リカロの心が奮い立つのにシオルも頷いた。 ルーサスはお母さんに会って、そして父親とも会わなければいけないんだ。 もしザガスが<変化の神>から解放されたのなら、ルーサスはきっとお父さんと一緒に暮らす事ができる。 ずっと、ずっと幸せになれるんだ・・・! リカロはずっと疑問に思っていた。 ザガスを倒せば、ルーサスは幸せになれるのか。 でも、もし父親と再会できたのなら、きっと幸せになれる。 その先に希望が見える。家族と仲良く暮らすルーサスを見てみたいと思った。大好きな彼には、幸せになって欲しい。 二人の娘は想いが先走るのに、“彼”に国を奪われた王女は一人躊躇っていた。 「そんな・・・。リモルフのせいだなんて・・・」 唇を噛みしめ、色を失う瞳には過去の恨み憎しみがきっと甦っていたのだろう。そう簡単に割り切れることではない。 そう簡単に許せることではなかった。 自分は何処かで望んでいたのだろうか、あの盗賊がルーサス・ディニアルによって両断されるさまを・・・。 裁いて欲しかった。 自分の代わりに。醜くズタズタになるまで引き裂いて。 「お姫様・・・」 「変化の神は、ユイジェスが倒してくれます。・・・行きましょう。ジッターラ王女」 リカロは心配そうに声をかけ、シオルは心中を察しつつも、急ぐために王女の手を引いた。 そして、迷いのない、穢れのない、 「もうすぐ、真実が見える気がするんです。・・・だから行きましょう。その後で、きっとまた、貴女も生きれると思います」 静かに眠るサーミリア・ディニアルの棺を背に、三人の娘はそれぞれの思いで地下室を駆け戻り始めた。 |
■ユイジェス、レーン、ルーサスの三人は中庭に残り、ザガスとその背に山のように立つ炎の精霊王との戦闘に集中していた。 気を抜けばそれが命取りになる レーンもいくつか魔法の心得があるが、炎の魔人にはてんで役に立たずに専ら回復と防御に徹底していた。 ユイジェスは特別に『印』を描くだけで魔法を行使できるのだが、炎に対抗できる<水>系統の印を持っていないために、<風の剣>と<大地の盾>とで攻撃と防御を繰り返しながらも、決定打が撃てなくて消耗戦に陥ってしまう。 正直、分が悪かった。 同じく<封じられた神々の涙>、神の力を持っているとしても、戦闘に置いては相性と言うものも存在する。 レーンも<命の杖>を背中に差してはいるが杖に攻撃能力はない。実際のところただの「人の力」しか持たない彼女を庇いながら、ユイジェスの息は上がっていた。 炎の王は対峙しているだけでその熱気によって体力を奪ってゆく。 炎の腕をよけ、吐き出される炎を<大地の盾>で受け、<風の剣>で薙ぎ払う。 しかし元々<炎の王>に対しての決定打と言うものを、ユイジェス達は見つけてはいなかったのだ。 <炎の石>、槍を隠していた焼き堕ちた村の長老が口走った絶望の言葉。ユイジェスの脳裏にどうしても甦り、剣を振るう腕を鈍らせてゆく。 「リモルフ以外の誰の制御も聞かぬ、破壊の力じゃ・・・。アイローンの王子でも、抑えられぬ炎の力だったのですじゃ・・・」 「そんな。大丈夫、大丈夫ですよ、長老様っ!神々の涙は他にもあります。私達が必ず守ってみせます!」 反論してくれたのはレーンだった。いつも強気で前向きな頼りになる仲間の一人。 「諦めないで下さい。私達は勝ちます!」 「わしらは、大いなる変化の中で、過去と共に消し去られる運命なのじゃよ・・・。誰もアイローンの王子でさえも、抗うことはできぬ・・・」 戦いながら、汗とも、血とも、区別もつかない飛沫を零しながら、頭の中ではこれまでの様々な情景が甦っては繰り返す。 「レーン・・!大丈夫・・!?」 足が重く、動かなくなったレーンが逃げ遅れ、半身を炎に掠られるのに慌てて助けに戻る。 「私の事はほうっておいて・・・」 防御効果の強い鎧を身につけてはいるが酷い火傷を負い、苦しそうに言い放つレーンは同時に悔しそうにも見えた。 自分が足手まといになっていると、明らかに歯噛みしているように。 「できないよ。レーンは女の子なんだから」 動けないレーンを狙って吹き付けられる炎に盾で防御しながら、彼女を気遣って腕を引く。逃げるわけにも行かないが、このまま戦っていてもいずれこちらが負ける。 一体どうしたらいいか、進退極まったユイジェスはザガスと撃ち合う魔法使いの姿に視線を奔らせた。 相変らず、他人の横槍を拒むような二人だけの剣の練撃が続き、中庭の色の変わった池の周囲を駆け巡る。 ザガスが駆使するのは炎の槍で、時折槍は突き出され炎の玉を噴出す。 意固地になったルーサスが、果たして引くとは思えなかった。こんな明らかな劣勢の中でも。 また再度、作戦を立て直して挑めば・・・。高速でユイジェスの思考は回転し、<水の腕輪>を探しに行った三人が戻るのはまだかと城内を見上げる。 立ち込める空は、 雲も焼かれて焦げ堕ちるように錯覚しては、目が眩んだ。 「そろそろ、潮時だな・・・」 「何がだっ!!」 初めから、ルーサスは殺意は燃え、剣を突き出すたびに怒りは沸騰していった。反して、ザガスは面白そうに嘲笑して恍惚と瞳が光を増してゆく。 必死なルーサスの剣先を槍で受け流し、時折アクセントをつけるかのように軽く攻撃に槍を振るう。ザガスは息も乱さない、汗の一つも流してはいなかった。 灼熱地獄のようなこの熱さの中で、ずっと駆けずり回っていると言うのに! 「遊びは終わりだと言っているんだ・・・」 不意に、剣戟を受けては受け流し、後方に下がってゆくばかりだったザガスは足を止め、槍の尖頭をおもむろに奔らせる。もちろん、ルーサスは避けようと身を翻した。 しかし切っ先から放たれた炎の玉は追いかけ、緑の髪の魔法使いに喰らいつく。 「ぐわあああああっっ!!」 「もうお前と遊ぶのも飽きた。死ね」 ドスリ。と炎を宿したまま、槍は倒れたルーサスの足に深く埋め込まれる。 「ルーサス・・・!」 「おっと。ユイジェス王子にはこれだ」 軽く翳された指先、それは恐ろしい「印」を刻むとユイジェスの足元にも浮かび上がる。印は邪悪な波動を吹き上げ、たまらずにユイジェスは悲鳴を上げた。 ミラマ城下で初めて目にした<変化の神>の『印』。 変化の神は人を魔物や異形に姿を変えさせる力を持っている。 「・・・ハハハ。どうだ。抵抗できなければ魔物になるぞ。人のままよりおそらく強くはなるがな」 「貴様・・・!」 「ルーサス。残念だったな。・・・もうお前は用無しだ」 睨み上げる少年を踏みつけ、火をまとう槍の先端は彼の額の<真実の石>にあてがわれる事になった。 額に嵌められた<真実の輪>、唯一<変化の石>の力を見破れる石に傷が記され悲鳴をあげる。 キリ・・・。微かに石が悲鳴を鳴らす。 石の中に居るであろう<真実の神>ごと両断してしまおうと、盗賊は口元を歪ませて笑う。 「本当にお前たちは愚かだ。何処にもいない女神をいると信じて。この石の中に真実の神など居はしない」 「な・・・」 「ただの抜け殻。石があれば勝てると思ったか。ハハハハハハッ!」 声も高くザガスの哄笑は、今<真実の石>と共に希望ごと砕こうとする。 「女神など、沈黙ばかり。出てくることもできない。もう飽きた」 「女神はいるわ!消えてなんかいない!」 威勢のいい、女の声に盗賊は振り返る。 足を引きずってだが、近くまで来て邪法に抵抗したユイジェスを支える、金髪の娘が盗賊をねめつけて闘志を燃やしていた。 「ハハ。最も勇ましいのは王女様のようだ」 小馬鹿にした笑顔を見せて、しかし炎の王に彼女を掴み取らせる。 「きゃあっ!!」 ユイジェスは気を失っているのか草の上に倒れて、炎の手の中に握りしめられたレーンはそのまま高く連れ去られて行く。 全身焼け石に包まれているような状態で、レーンは身を焦がして必死にもがく。その手すらも焼けただれて、痛みに気を失いそうだった。 「レーン!・・・くそっ!!」 「心配するな。炎では殺さない」 真実の石にはひびが入り、片足から流血しているルーサスはそれでも救出のために立ち上がろうする。 しかし槍は杭を打つように、もう片方の足に突き刺さって地面と繋がる。両足を貫かれてさすがにルーサスも悲鳴を上げた。 自分を見下ろすザガスの視線は、標本に差された「虫」を眺めるかのように冷たかった。人を見る視線ではなかった。 「あの小娘は逃げたがな。・・・誰でもいい。順番などどうでもいいな。全員この池に沈めてやろう」 鳥肌が立った。レーンを掴んだ手はそのまま淀んだ水の中に叩き込まれ、彼女の悲鳴さえも届かなくさせる。 人の息など水中ですぐに止まってしまう。 「レーン! 地面に刺し止められたルーサスは地面を叩き、刺された両足も省みず無理やり這い進もうと身を乗り出す。 何故なのか、哀しいくらいにルーサスは泣けてしょうがなかった。 無力なことが悔しくて。仲間を助けられない事が悔しくて哀しくて、情けなくて。 「俺は、・・・どうしてっ・・・!ただ、お前を倒したいだけだったのに・・・。母さん・・・。母さん・・・っっ!!」 神の声は聞いたことがなかった。けれど、真実の輪だけは誰にも譲る事ができなかった。どうしても、それは自分の傲慢だったのだろう。 どうしても、この男だけは自分で倒したかった 「母さん・・・・!!母さん ずっと、心はあの日に止まったまま。 そして今、悲劇が繰り返されようとしていた。 あの日、同じ場所で、池に浮かび上がった母親のように、自分の無力さゆえにまた命が消えて逝く。 背後には 「お前はゆっくり鑑賞していればいい。ハハハハハハッ!」 悔しいくらいに、刺しごこちを楽しむように盗賊は這う虫に槍を刺す。何処に刺すのが一番いいか、決めあぐねて、肉を貫く感覚を楽しみ哂う。 腕に、足に、腰に、手の甲に。 少年の流す血液を喜んで大地は舐めた。 その少年の眼前に、盗賊は額冠を外し取り、見せ付けるように踏み砕く。美しい装飾が砕け落ち、それは未来を暗示しているかのようだった。 これまで何処かで自分の支えだったに違いない、<真実の輪>が、勝つことへの道しるべが盗賊の靴底に屈辱にも崩されてゆく。 視界が暗くなる。何も音が聞こえなくなる・・・。 目を閉じた、世界で、今何かが光を天に突き上げたのを感覚で知った。 |
■炎の精霊王の腕に掴まれたまま、淀んだ中池に沈められようとしていたレーンは、沸騰してゆこうとする、 『死』にゆく自分、息が止まる、必死にもがいても水が泡を立てるばかりで誰にも届きはしない…。 死への間際の時間、伸ばした指の先に、彼女が掴みたいものはたった一人の想い人だった。 その指先を、大きな手が握り返す。 目をこじあける、先に彼がいてくれた。 「何だ」 中池に光の柱が突き立つと同時に、ザガスが異変に振り返り、すぐさま自分の手にする槍の異変にまた視線を動かす。 炎の石を組み込んだ<炎の槍>、わずかに震動し、したかと思うと急回転して「光」へと飛んでゆく。ザガスの手を離れて何処かへ行こうというのか。 回転する槍は光から飛び出した若者の手に握られ、彼の腕にはずぶ濡れのレーン王女が抱えられていた。 彼の背後には支えるようにエルフの魔術師が共に降り立つ。 新たな人物の登場に、気を失っていたユイジェス王子も細目を開き光景を凝視していた。 「兄さ、ん・・・!サダ・・・!」 「待たせてしまったな。転移の出口に迷ってしまった」 レーンをサダに預け、兄王子は弟の元へ駆けつけて弟の身体を起こす。 「来たことのない場所への移動だったのですが・・・。レーン王女が王子の名前を呼んでくれたのでどうにか・・・。いやはや危なかったです」 冷や汗を拭って、ぼやきながらもレーンの頬を打つエルフ魔術師の声が横に聞こえる。 ユイジェスはまだ気分の悪さに咳き込みながら、草の上に座り込んだままでいた。 ミラマの第一王子は自分を刺す盗賊の視線に即座に立ち上がると、槍を不敵にも差し伸べて声高く宣言する。 <炎の槍>が自らザガスの手を離れ、納まった、その腕を誇示して声は暗雲を切り裂くかのように轟いた。 「炎の王よ!お前の居場所は此処に在る!炎の槍は私の手に在るために用意されていた武器!真の居場所に戻れ!」 「これは・・・」 ザガスの反応は薄く、状況を推し測るように冷静に瞳は動く。 明らかに炎の魔人に変化が起こり、麻痺したかのように動きが止められるのを、ユイジェスは兄の背中越しに見上げていた。 「炎の精霊王ガラーム!お前の力は破壊だけではない。この世界を保つため、私の矛となるため選ばれた使命に殉ぜよ!」 「ウオオオオオオォオオ 兄は炎の王へ向け両手で槍を翳し、自分の中に宿っている炎の『印』を読み上げる。そう、生まれた時から兄は特に強く炎の『印』を宿し、炎の魔法を得意としていた。 その理由をユイジェスはようやっと知る。 抵抗空しく、咆哮を上げながら姿を消してゆく、 「ハハハハハハ。まさか第一王子にこんな仕掛けを用意していたとは・・・。アイローンも馬鹿では無かったと言うことだ」 炎を抑えて、肩で息をする兄に軽く馬鹿にした笑いをもたらす、盗賊ザガスにはまだ焦りの色も映りはしない。 どうしたらこいつの余裕は消え去るのか、誰か教えて欲しかった。 足元に倒れたルーサスはそのまま、地面にうつ伏せて踏み砕かれた<真実の輪>を握りしめて動かない。 負傷が激しく、気を失っていると思われた。 早く助けないと手遅れになってしまう。 「風の剣、炎の槍、武器は二つ用意されていた。それは私たち二人の王子それぞれの武器とするために・・・」 第一王子の背中には何故か哀愁が見え隠れする。ザガスに対する言葉も、ぽつりぽつりと途切れがちだった。 「アイローンは役割を二つに分けた。残念だったな。もう、残るは変化の神、お前だけだ・・・」 灼熱に燃えていた精霊が消えたことで、中庭に異様な静けさが訪れる。 兄の隣にユイジェスも風の剣を携えて立ち上がった。劣勢は一転してこちらに優勢に変わっていた。 ミラマの宮廷魔術師が支えていたレーンもようやく目を覚まし、薄い光に包まれたまま近い最後の瞬間に瞳を凝らした。 「 微かな意識の下で、レーンは誰かの叫びを訊いたような気がした。懐かしい仲間の声のような・・・。 けれど、二人の王子がザガス目掛けて共に踏み出す、その後姿に気を取られてすぐに忘れてしまう。 跳躍の途中、見下ろした盗賊は俯き、顔が良く伺えなかった。 槍の矛先、剣の切っ先、 二つは的を外さない。 「・・・・えっ!?」 ユイジェスは手ごたえに、剣から滴る血に戸惑い、何が起こったのか瞬間では理解が追いつかない。 ニュエズ王子もまさかの事に振り返って凍りついた。 盗賊ザガスは避けなかったからだ。二人の王子の攻撃を。 「ど、どういう事・・・?」 肩、そして胸を裂いて、静かに、盗賊は崩れ去る。その姿は、ブレて、若い男から中年男性へと変貌してゆく。 いや、おそらくは、<変化の石>による変化が解けたのだろうと思われた。 体格の良い、青黒い髪の中年男性は、足元に倒れていたルーサスの隣に、捨てられた人形のようにあっけなく倒れた。 「・・・・・・・・」 覗き込む男の顔は、何処か晴れ晴れと気持ち良さそうに倒れているようにも見えた。 ユイジェスと目が合うと、無精ひげの中年男性は瀕死ながらも笑顔をよこす。 「・・・悪い、な、・・・王子サンよ・・・。指輪を・・・。早く・・・」 それは酷く自虐的で、促されたユイジェスは男がぶるぶると差し出す指に閃く<変化の指輪>に手を伸ばす。 ユイジェスの背後にゆらりと人影が立つ。 殺意に思わずユイジェスも身震いがした。倒れていたルーサスが短剣を握りしめ、昏い瞳で身を起こしていた。 瞳には、復讐以外何も映っていない、緑の髪の魔法使い。 「ルーサス、ちょっと待っ ユイジェスの止めようとした腕を、どかした手もそこにはあった。 ドスッ 殺されようとしている男自身が、止めようとするユイジェスの腕を払って刺されていた。それで本望だとでもいうように、満足そうに首が力を失い、傾く。 「・・・・・・・・!・・・なっ・・・!」 言いようのない後味の悪さに、ユイジェスは地面に両手をつく。 何故だろう、とんでもない事をしてしまったような、過ちを犯してしまったような後悔の念が胸に込み上げて吐き気に変わる。 胸を貫いたルーサスは壊れたように笑っていた。狂気にかられた、今まで耳障りだった大盗賊の哄笑と大差なく・・・。 「は、はは・・・。ハハハハハハハッ!ざまあみろっ!死にやがれっ!お前のために母さんは死んだんだっ!死ねっ!お前なんか・・・!ハハハハハハハッ!アハハハハハハッ!!」 「ルーサスーーーー!!!ルーサスっ!!」 城から三人の娘が息を切らして走ってくるのが視界の端によぎった。 「ルーサス!お願い間に合って!」 ずっと、遠くからリカロは叫んでいたらしく、すでに声はかれかけて掠れていた。 (ラギール・ジョーン!ラギールさん!どうか負けないで下さい!ルーサスと戦ってはいけない・・・!) 首から下げた<心の石>を握りしめ、シオルもずっと彼に呼びかけていたのだ。 城壁傍にジッターラ王女は残って様子を見ているようだが、二人の娘は駆けつけて顔色を失い、・・・リカロはへなへなと崩れ座る。 「まさか・・・!まさか、もう死んじゃったの・・・!?」 倒れている中年男性、勝利したには顔色の悪いユイジェス王子、そして狂気に壊れて笑うルーサスの状況にリカロは息を飲む。 傍には状況を見守るニュエズ王子の姿も見えたが、リカロはすぐさまシオルやレーンの名前を呼んだ。 「シオル!レーン!お願い!助けて!まだ間に合うからっ・・・!助けて・・・!ルーサスのお父さんを助けて・・・!!」 リカロは男を抱き起こして泣きじゃくる。 「・・・。なにを、言っているんだ・・・?」 そんなリカロを男から突き剥がして、ルーサスは牙を剥く。彼の瞳には人としての光が消えかけているようにリカロには見えて、突き飛ばされても彼女は男を庇うように抱きしめる。 「ルーサスのお父さんでしょ!!お父さんなんだよ!バカァ!どうして分からないの!お父さんは<変化の神>に操られていただけだったんだよ!ルーサスもサーミリア様も愛していたんだよ!!助けなくちゃいけないんだよ!!」 男を庇いながら、リカロは早口でルーサスに説明をする。 シオルが息を整えて男に手を差し伸べる。理由は解らないが助けようとする彼女の傍にユイジェスも付き添った。 「ラギールさん・・・!しっかりして下さい!ラギールさん!」 サーミリア・ディニアルと結ばれた、男の名前はラギール・ジョーンと言った。「ザガス」とは盗賊としての通り名。 シオルは真剣な表情で命の神の印を描き、回復呪文を連続で唱える。 憐れな父親を救おうと必死だった。 状況を把握するために、仲間達は集まり、リカロとルーサスのやりとりを見守る。 空にはまだ何処までも重い黒い雲が渦巻いて、夜明けが着ても光が届かない程に厚い闇が包囲していた。 炎の王は姿を消し、盗賊ザガスも正体を見せて倒れた。 暗雲も息を潜めて鎮まりかえり、じっと彼の答えを待っていた。 戦いを始めた少年の、父親との決着を。ここでもう、戦いは終わるのだと、少女は諭そうと城の地下で見た事実を口早に伝える。 必要のない戦いを止めるために。 「ルーサス、水の石の中にいるのはサーミリア様なの。お願い信じて。腕輪を嵌めればきっと解るから・・・。水は災いなんかじゃない。サーミリア様は水の中で死ねて幸せだったって言ってたよ。ザガスが、ううん、ラギールさんがそうしてくれたんだって。お父さんは悪い人じゃないんだよ。お願い解って・・・!」 「忘れたのか。ザガスのした事を。お前の家族だってみんな死んだんだぞ」 無表情な瞳にリカロの姿がただ映る。 ガラス玉のように、感情を忘れてゆく青い瞳が哀しくてリカロは涙が零れる。 「ラマスの人間がどれだけ奴を憎んでいるか知っているだろう・・・?例えお前の話が本当だとしても、誰も奴を許しはしない。俺たちはザガスを倒しに着たんじゃないのか!?そのために戦って来たんじゃないのかよ!」 「そうだよ!でも、お父さんは違うんだよ!悪いのはリモルフだよ!ルーサスのわからず屋っ!頑固者!ルーサスのお父さんだよ!サーミリア様が愛した人だよ!今も愛してる人なんだよ・・・!」 「まだ、生きてるわよ」 二人の言い争いに冷たく、冷静な横槍を入れたのは金髪の王女だった。 サダに支えられて近くまできて、必死に白魔法を施し続けるシオルを見下ろし、埒があかないような二人の口論にひとたび水を差し込む。 「一命は取りとめたようじゃない・・・。許す許さないは別にしても、早く指輪を外した方がいいわ。そしてもう誰にも渡らないらように・・・」 回復魔法に疲労の見える、シオルがラギール・ジョーンを支えていたのだが、レーンに言われて頷く。 指輪の光る指へと触れようとすると、男の手はぴくりと反応を示した。 「う・・・。ルー、サ、ス・・・」 うわ言のように息子を呼んで、ラギールは薄く細目で息子を捜し求める。 「ほらっ!ルーサス!お父さんだよ!やっぱりルーサスが大事なんだよ!」 息子を呼ぶことに嬉しそうに、リカロがルーサスの背中を押して、いまだに信じようとしない父親とまっすぐに向かい合わせる。 「す、すまねえな、ルー・・・ス。サーミリア、を・・・」 息子に手を差し伸べる。ルーサスはその手を半ば警戒しながらふれていた。 ごつごつとした男の手は日に焼けて黒く、戸惑う息子の両手を愛おしそうに何度も握りなおす。 殺伐としていた中庭に、柔らかい空気がふわりと浮かび上がったように誰もが思っただろう。 果たして親子の間には、何年ぶりに浮かんだ温かさだったのか。 まさにルーサスの横ではリカロが歓声をあげる瞬間だった。 ラギールを回復し、傍で支えていたシオルは <変化の石>が閃くのに気がつく。 「いけない |
■気がつくと、中庭に大きな大地の溝が生まれていた。 ルーサスの手を握りしめたまま、ラギール・ジョーン、 手を掴まれていたルーサス以外が吹き飛び、城の壁に打ち付けられ、壁もろとも波状に爆発する神の力に圧し潰されていった。 咄嗟に仲間達は手を取り合い庇い合ってはいたが、それぞれ崩壊してゆく城と共に、そのまま魂ごと持って往かれそうで悲鳴を上げて地上にしがみついていた。 世界そのものを改変させる神の力からすれば、これしきはおそらく息を吐いた程度の力に違いがなかった。 リモルフの吐息一つで、山が吹き飛ぶ。 本気になれば一瞬で<変化の神>は世界を消す事ができる。 ならば、何故、まだ女神は世界を消せないのだろう。 何が女神を阻んでいるのか。 ユイジェスは吹き飛ばされる瞬間、傍にいたシオルを腕に抱え、大地の盾でリモルフの圧力に防御壁を造りだしてなんとか衝撃を殺していた。 エルフの魔法使いサダは第一王子に指示されてリカロとレーンを庇い、ニュエズ王子は城壁間際で隠れていたジッターラ王女を救い出して保護している。 中庭に大きな溝が生まれ、水は蒸発し、あったはずの池は姿を失くしていた。 大地をえぐり、城の大半を崩壊させた男は、そのままの姿で、身体の多くの部分を消し飛ばされていた息子の手を掴んだまま、何事も無かったかのように直立していた。 「忌々しい…。私の手を煩わさせるな。世界は変貌の時なのだ」 男は黒い女神の影を背負い、誰の目から見ても邪神の化身と成り果ててしまう。 声は男のものではない。 くぐもった遠くから響くような、掠れた声がつまらなそうに、手を掴んだままのルーサスをゴミのように投げ捨てる。 「息子…。子供か。そんなに大事か。繁殖の輪の中の一つの繋がりだけのことが。つまらない盗賊風情の分際で。心など、私には解らぬ」 「・・・親、父・・・」 まさかの言葉に、女神の宿る男は動きを止めた。 神に洗礼される以前から全身血まみれだった。 そんな状態でも、どうしても自分の目で、肉眼で、その男を捕らえなければ我慢ができないと思っていた。 例えばこれが最期なら、尚更のこと。 外され、踏まれた<真実の輪>は何処へ吹き飛んだのだろう。手元には落ちてはいなかった。 自分の両目でだけでも、男の本心を知ることはできるだろうか。 今、今更ながらに戦いに明け暮れた少年は気付くのだった。 真実の石が額にあろうとも、心の中までは「見る」ことができなかったと言うことに。 じゃあ、一体コイツはどう思っていたんだ。 俺を、なんだと思っていた。 母さんを何故殺した。 「親父…、俺、は…!」 「喋るな。…お前がいると、操作が鈍る」 女神は残酷で、男は指を伸ばしたかと思うと、指先から腕が剣に変わり、少年の喉元を貫く。 邪魔だった。 長い間ずっと、この子供が。 だから喉を切る。そして胸を貫く。 そして同時にして、必要のない傀儡の意志なども消えて逝く。 操り人形に意志など必要はなかった。 自らが動くため、指輪の持ち主が必要だっただけのこと。 さて、では何から始めようか・・・。 女神はゆるりと世界を視線で舐め回した。 足元で、まだ蠢く小さな生き物の立てる、微かな音に不快感を覚える。 まだ、まずは消さなければならない虫がいたなと女神は思い出す。 自らを封印した青い髪の王子。 忘れてはいない、屈辱と神から世界を奪った罪を。二人の王子に裁きを与えなければならない。 「・・・ルーサス!・・・サス・・・!う、そっ・・・。嘘でしょ!?」 瓦礫の中から、最初に這い出て来たのは小さな少女だった。何箇所か体を打ちながらも、取るもの取らずに駆けて来る。 少年は何度呼んでも返事をしてくれなかった。 喉が渇いてはりついて、声が出ないのに何度もしつこく名前を呼ぶ。 少女は壊れるぐらいに首を振って現実を否定しようとしていた。 重い少年の体、こんなに重かったはずはなかったのに。どうしてか抱えているのが辛くてたまらない。 息も鼓動も感じさせてはもうくれない。 少年の戦いの日々は終焉を迎えたようだ。 幼い少女の胸に抱かれて、彼の時間が止まる。 |
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