■予感、   していたのだろう。
城はざわめき、そして私の心も逸って早鐘を打っていた。

長い間留守にしていた盗賊ザガスが戻って来たロイジック城、残された唯一人の王族、ジッターラ王女は深夜眠れずに、何度も寝返りをうつ。
絶対的な嫌な予感が押し寄せては彼女の夢を揺らす。
避けようのない、災いがこの場所で起こる先触れかも知れなかった。

確認はしていないけれど、ザガスは『目的のもの』を手に入れたからこそ帰って来たのだろう。やつれた王女は確信し、想像以上に怯えていた。
それは恐るべき破壊の力を持つ、<炎の石>

遥か昔の神々の戦いにおいて、炎の精霊王ガラームは変化の神リモルフ側につき、この世界を『改変』と言う名の破滅に導こうと協力したと言う。
炎の王は封印され、これまでその封じられた石<神々の涙>の行方すらも定かにされてはこなかった。
破壊の炎の力は、世界から歴史から隔離され、沈黙を守って今に至る。



<変化の石>を持つザガスはリモルフの力を持ち、炎の王さえも牛耳るのかも分からない。
世界の全てが焼き尽くされる悪夢が繰り返される、とてもではなく、ジッターラ王女は眠ることができなかった。

激しく窓を風が叩き、淀んだ夜空が泣き声のような不気味な声を響かせている。
この堕ちた王城には常に暗雲が立ち込めていた。
あの、盗賊に城が落とされた、全てが終わり、始まった魔の夜から   

    バン。
唐突に部屋の堅牢な扉が開かれる。
眠れずに起きていた自分と、その男の怪しい瞳は示し合わせたかのように重なった。扉を叩き開けた男は真実の姿ではない、<変化の指輪>によって若い男に姿を変えた、盗賊ザガス当人。
・・・ついにその日が来たのだと思った。

「出番だ・・・。お前たちの処刑の日だ」
盗賊ザガスは煌々と矛先を紅く燃やす槍を片腕に宿し、全身を異様に紅く揺らせながら人外的な微笑を浮かべる。
明らかに正気の沙汰を超えた悪魔の化身が現れたと心は警戒を鳴らす。

「お姫様!?」
私の横、広いベットにもう一人、眠っていた少女が跳ね起き声を上げる。
先日ザガスによって連れて来られた髪の短い少女、名前をリカロと言った。
ザガスの侵入に飛び起き、私を守ろうとすぐさま身構える。この子は武術のたしなみが多少ある   

「これが何かわかるか」
燃えたぎる槍の先端を私たちに突き出し、男は低く呟く。
尋常ではない高温の炎なのか、寒かったはずの部屋が熱を帯び、じんわりと汗が浮き出てくる。
「炎の石・・・」
もう、完全にこの世の終わりだと思った・・・。
<炎の石>を従える事は、かつての伝説の王子でも不可能だったと伝えられている。ようやっと封印するのが精一杯だったのだと・・・。

絶望する私の表情を読み取り、ザガスの口元が上がる。
鳥肌が全身を駆け巡った。

「サラウージ大陸の全てが焼き尽くされる。この世界全てが姿を変えるだろう」
震えるのに遅れて、私は信じられない「もの」を見て
不本意にも短く悲鳴を上げてベットの上を後じ去った。
「ヒッ・・・!!」

影が見えた。
男の後ろにいる黒い影が。

「こんな下等な世界ではなく、私の理想の世界を・・・。おのれアイローンめ・・・」

「「変化の神・・・!」」
リカロと、私の悲鳴は重なる。

「間もなく、全ての神が集まる。そして『人』の終末の時。お前たちは中池にあの女と同じように沈む」

     !!」
神は残酷な宣告をよこした。
・・・なんて残酷なのだろう・・・。
あの中庭の泉、それはサーミリア・ディニアルの死した場所。あの女とは彼女の事。

盗賊ザガスは、いえ、変化の神は、『彼』にまた悪夢を見せるのだと言う。
四年前、落城の日に、私が見届けた悲しくも強い『彼』を   


■聖地ライラツからディホル王国に戻り、それからサラウージ大陸へ渡るための船の手配とユイジェス達は迅速に行動していた。
嬉しい事に準備はすでに兄王子を中心に整えられ、船は人目をはびこって深夜密かに出港されると伝えられる。
積荷も乗り組み員も手配が終わり、夜明けを待たずに小型船はユイジェスらを乗せて港を出る。

港の多くは盗賊・海賊たちに襲われ、船が無く、海への道は閉ざされていた。
ミラマから軍船数隻を運び出し、盗賊に占領されたサラウージ大陸北、ロイジック王国を目指す。
しかしそれは表向きの進路。
ミラマの軍船をおとりに、小型船で先にユイジェス王子ら、神々に導かれた者たちを先導させる。
遅れてニュエズ王子も駆けつけると弟に伝えた。


リカロ一人を欠いた、仲間達は小型船に乗り込み、始まりの大地へと決意をたぎらせる。
闇にまみれての船出、先を急ぐために、ユイジェスは兄とろくに話もできていない事に不満だった。
伝えたいことがあり、瞳はずっと兄を探していた。
出船の間際、港の外れに見送りに姿を見せた兄の姿を見つけるなり、ユイジェスは船を飛び出していた。

「兄さん   っ!!」
来る時が訪れた、そう覚悟したかのように、呼び止められたニュエズ・マラハーンは周囲に指示を出すのを止め、静かに弟が到着するのを待つ。

「久し振りだな。ユイジェス」
微笑む、兄の顔には何故か悲哀の色が濃く見え、ユイジェスは一瞬躊躇う。
これから兄に伝える事を思うと、更に胸は軋んだ。
しかし、・・・言わなくてはならない事だった。
二人の、大事な女の子のためにも。

「兄さん、その・・・」
場の空気を読んだ、兵士たちは姿を消し、慌しい港の中二人だけが隔離されたかのように静まり返る。
隠れた出航のために、周囲の灯りは極力消されていた。暗闇の中、兄の瞳だけが蒼く細い光を映す。
口を開きかけた時、兄は小さくため息のような言葉で遮る。

「・・・もう、いいんだ。分かっている。・・・何も言うな」

そう言って、ニュエズ王子の手は弟の肩に優しく乗せられる。
兄は・・・、激しく後悔を覚えていた、自分が弟に重く乗せてしまった暴言を。

 「王女だけは、私から奪っていくな」

愛した人と、大事な弟の心を殺そうとした自分を激しく恥じて、兄王子は辛そうに謝罪してゆく。

「サエリア王女のこと、すまなかった。よろしく頼む。彼女を、幸せにして欲しい・・・」
乗せられた手には、思いのほか力が込められる。
思いの辛さを比例するかのように。

「兄さんが謝るようなことじゃ・・・。ごめんね。約束、守れなかった。本当に彼女のことが好きだったから・・・」
首を振った、ニュエズ王子はひとたび弟に腕を回し、無言で暫く思いを馳せる。
すぐに離れて、多くの感情を込めて、
「お前のために、私も戦う。だから・・・」

繋がる言葉は、どうしても音になってはくれなかった。


「・・・。信頼しているよ。必ずお前は「勝つ」と   。もう、往け・・・」

時間が押していた。
兄は背を向けて、最後に言葉だけ、振り向かずに宣言して去って行く。
「私もすぐに追いかける。お前たちへの道を作った後で」

「・・・・。うん、分かった・・・。待ってるよ、兄さん」
弟の声は消えて行き、いなくなった後で、ニュエズ王子は右手で口を押さえ自分の息を殺していた。
堪えなければ、胸の内が全て、堰が切れて流れ落ちてしまいそうで。

「辛い・・・、な」 
言葉が漏れ落ちそうで震え、その代わりに涙は地面を一粒二粒塗らす。

愛しい人、愛しい弟、愛しい世界。
そのために自分はこれから・・・。

泣いていたのは、ほんの数分だったか・・・。
ミラマの第一王子は決意を胸に、険しい面持ちで遠い海の向こうを睨みつけていた。サラウージ大陸、盗賊の居城に、最後の答えが待っている。


■泥のように腐敗した湖の中に、そびえ立つ故ロイジック王城、見上げる魔法使いの視線は鋭く、温かみのかけらも見えずに冴え光る。
彼がこの城を訪れるのは二度目だった。

忘れもしない、あれは四年前。
ザガスに会いに奔った母親を追いかけ、駆けつけた時にはすでに庭の泉に死体は浮かび上がっていた。
白く、冷たく、死体と成り果てた母親の無残な姿は今も脳裏に焼きついたままで、悪夢も繰り返し繰り返し自分を苛む。

終わりにしたかった。そのためにこれまで戦い続けて生きてきた。
母親を殺された、ただ一つの恨みのために。


魔の夜から、この城には呪われたかのような暗雲が立ち込め、一行に晴れる気配は見せてはくれない。
光射さない朽ちた城には死臭が漂い、おどろおどろしい不気味な風の鳴き声がこだまする。

小型船での航海は巧く進み、大きな障害もなく目的の城へは乗り込む事ができた。それもおとりの軍船たちが巧く立ち回ってくれたおかげだろう。

ユイジェスとしては兄が追ってくるのを待ちたいようではあったが、連れ去られたリカロの安否を大事に思うために、寄り道もせずに一直線に奔り出す。

「・・・いいか。まずは王女とリカロを助け出す。全てはそれからだ」
湖の中央に立つ、城へと繋がる腐敗した桟橋を渡り、門を越えて緑の髪の魔法使いは仲間たちに気合の声をかける。
四年間肌身離さず身につけている、<真実の輪>も、この日のために全ての力を搾り出すかのように光り輝き、道を示すかのようだった。

ルーサス・ディニアルの額に預けられ、じっと世界を見つめてきたかのような<真実の石>。石の中に真実の女神は存在しているのか?
まだ誰もその『声』を聞いたことはない。


「約束よ。私たちは負けない!皆無事に帰るのよ!」
聖地を抱えるジュスオースの王女、金髪を頭の後ろに結わいたレーンも、強く自分に言い聞かせるように後に続く。
ユイジェスも、シオルも、静かに二人の言葉に頷いた。


魔法使い、ルーサス・ディニアルには<真実の輪>
<変化の石>によって姿を自在に変える盗賊ザガスを見破れる唯ひとりの人物。
ここロイジック王国の南、水神信仰のラマス神殿の後継者でもあった。
ラマスの女神、サーミリア・ディニアルの息子。

そして、あろうことか『元凶』の盗賊ザガスの息子   でも彼はあった。
数多くの因縁と決別するために、彼はこの場所に返ってくる。

王女、レーンの手には母親から託された<命の杖>が聖なる光を放っていた。
まだ命の女神との対話は叶ってはいない。
それでも、彼女の瞳に迷いは無かった。
きっと、最初で最後、女神に会えるのは<変化の神>と対峙する時のただ一度きり。   何処かで彼女は覚悟を決めていたのか。

砂漠を抱えるシャボールの王女サエリア、仲間内ではシオルと呼ばれることにしている、彼女は首から<心の石>を繋いだペンダントを揺らして門をくぐる。
自分を殺しかねなかった「否定」から逃れ、ユイジェスと共に在ることを心を決めた。
創造神の四人の娘、四人の女神の一人、
<心の神>の「心」を宿した人の娘。
戦いの力は強くはないが、防御や治療の白魔法の力はレーン以上でもあった。

そしてミラマの第二王子ユイジェス・マラハーン、<風の剣>と<大地の盾>が共に付き従う。
伝承に残る青い髪の王子の生まれ変わり。
風の王は不本意ながら従っているようだったが、剣は王子の手に柔和に納まって、すでに心を許している感が伺えた。

ザガスに連れ去られた、リカロが<水の腕輪>を所持していた。
あれは彼女の腕から外せないと思っていた。
それは後に奪われたと知る事になるが    

四つの精霊と四人の女神、封じられた神々の涙と呼ばれた<石>の全てがこの城に集まる。
ルーサスを先頭に、夜明けを控えた盗賊の居城に彼らは侵入を果たす。


■懐かしいサラウージ大陸に降り立つと、異変にすぐさま彼女は戦慄を覚えた。

ルーサスの存在を疎み、水神の神殿から追放された元水神の神官、フィオーラ・ミサはユイジェス達と共にサラウージ大陸に上陸した。
しかし、自分の故郷、信仰の国ラマスに不安を覚えて道を別れた。

この大陸から『水』の力が恐ろしく低下している    、そう感じたからである。
『水』の力はラマス、そして北のロイジックを守護していた女神の力。
今では神殿の術者たちが結界を張って死守していたはずだった。

この著しい『水の力』の低下には、神殿の状態が危ぶまれた。フィオーラは神殿へ奔り、途中で馬を駆り一昼夜を駆けた。
息を切らせて駆け込んだ数年ぶりのラマス神殿、そこでは  ・・・

水に飢えた人々が神殿に押し寄せて倒れていた。
日も落ち、空は夕闇に紅く染まる。悲しいくらいの哀愁の風景にフィオーラは目眩いして一度ふらつく。
神官たちの対応も不可能なのか、固く門を閉じ・・・。

神殿の前の泉も干からびている。この国では、水が涸れることなど起こりえないはずだったのに。
空気も乾燥し、砂漠の国を連想させる。
信じられない光景だった。

豊かなラマスの国は消えてなくなっていた。

門を激しく叩いても応対はなく、フィオーラは過去の記憶を辿り、裏手へ回り込む。
裏手は深い森だけれど、その木々も干からびかけていた。渇いた森をくぐり抜け、周囲を連ねる壁の途中に関係者だけが知る隠し扉が存在する。
仕掛けを解いて、フィオーラは汗で貼りついた黒髪をかき上げながら久しいラマス神殿を仰いだ。

不自然な程に、神殿の敷地内は静まり返り、人影も見えない気配も感じられない。
   おかしい。本殿を目指し、神殿の床を鳴らした。

大扉を開き、女神像を祭る大聖堂を望む。
その女神像へと、『水』の力を守護する結界を造っているはずだった。

    なんて、ことなの・・・!」
その結界の元に人が集まっていたようだが、その数十名、立っている者はほんのわずかな上位神官のみ、そしてあろうことか、
水神の像は亀裂が奔って崩れかかっているではないか。
結界が、水の力が消えかけていた。もはやきっと風前の灯火だったのだろう。

「・・・・。フィ、オーラ・・・」
立っていたのは二人、老司祭と、若い神官だった。
若い神官は侵入者に振り返り、驚いてよろめく。
「ロジル・・・!司祭様!」
慌てて駆けつけ、フィオーラは黒髪の若者を抱きとめ、叫ぶ。

「<炎の石>がザガスの手に渡りました・・・!そのせいで水の力が消えかかっている!まさかここまでとは・・・!」
抱きとめた、若い神官は彼女の登場に、思わず抱きしめ返す。
「・・・良かった。・・・もう、駄目かと思っていたんだ。後は、御子たちに任せるしかないと・・・。最期に、どうしても君に会いたかったから。・・・良かったよ。フィオーラ・・・」

抱き支える、若い神官はフィオーラと同じくミサの一族。
彼女の従兄弟にあたる、最も身近な人物の一人ではあった。
けれど、ルーサスを後継者として認めなかった事から、ミサは神殿を追放され、残っていたのはこのロジル唯一人となる。
彼はルーサスを後継者と認め、それ故にフィオーラとは決別し、以降顔を合わせる事もなく数年が過ぎた。

「最期・・・って何よ。相変らず弱気なのね。しっかりしなさい!」
従兄弟に喝を入れるとフィオーラは女神像を見上げ、凛と見つめる。
「今、ロイジック城にミラマの王子、そしてルーサスらが向かっています。今夜には着くでしょう。今夜一晩、持ちこたえてみせます!」
神殿を去った彼女の実力は知られていた。
女神像へ向けて、黒髪を振り乱し、フィオーラは魔力の全てを注ぎ込む。

ロイジック城での戦いが終わるまでに、ラマスから『水』が涸れるのが先か。
ここにフィオーラの戦いが待っていた。


■城内は何処も薄暗く、壁に灯るたいまつの灯を頼りに、無数の足跡が激しく交差して行く。
足音は壁に反射して響き、照らされた影は戦いを彩る。
「アイツ・・・!<炎の石>を解放しやがったな・・・!!」
次々と襲い掛かる盗賊どもを蹴散らし、空気に漂う『火』の臭いにルーサスは歯噛みする。

空気事態がくすぶっている印象だった。摩擦が生じればすぐにも焔が立ち上がるような、『火』の力が辺りに充満している。
城内の部屋をしらみつぶしにリカロを探して回る仲間達。
倒した盗賊たちを脅しもしたが、直前何処かへザガスが連れて行ったと聞かされ、居場所は依然として分からない。

ユイジェスは常にシオルを庇いながら、横目に城の外を見やった。
「何だろう・・・。嫌な予感がする・・・。何か大変なことが起こっているような・・・」
「私も胸騒ぎがするわ。国に何か起きてるのかも知れない」
ユイジェスの不安にレーンも同意を告げる。
横で焦るルーサスが短く舌打ちする音が聞こえた。

    えっ?・・・なに・・・?」
突然、シオルが両耳を押さえて振り返る。何か聞えたのか、周囲をきょろきょろと当ても無く探した。
「どうかしたか」
ルーサスが訝しがる、が、シオルは首を振る。
「誰かに呼ばれたような気がしたの。でも・・・。良く分からないわ・・・」
と、言い終わらない内に、新手の盗賊が通路の両脇から挟み撃ちで強襲してくる。

「このっ!!」
<命の杖>は腰に、レイピアで面倒臭そうになぎ払うレーンのポニーテールが揺れる。手加減しているのか致命傷は与えずに、ビシッとポーズを決めてレーンは指を差す。
「ジッターラ王女とリカロの居場所を言いなさい!命だけは助けてあげるわよ!」
「くそっ・・・!でも、遅かったな、お前ら」
雑魚盗賊は負け惜しみに、一人が鼻を上げて笑う。

「どう言う意味だ!」
返答次第によってはこの男はルーサスに殺されかねない、短剣を構えて身を低くしたルーサスに盗賊は怯む。
「ふ、ふん・・・。姫さんもあのガキも、今頃炎の化けモンの餌になってる頃だ。変化の神によって新しい素晴らしい世界が今夜果たされるんだってよ」

「ルーサス!あそこ!」
ずっと控えていた、シオルが始めて大声を上げて窓の外を指す。
言われたルーサス、そして誰もがそこに探した少女の姿を見つけたが、ルーサスは視界がグラリと歪むのを感じた。

忘れた事はない。この城に侵入してからも、その場所を「見ないように」避けていたんだ。この四年間忘れた事のない、母の死んだ悪夢の中庭、小さな泉を。

    あの「男」は、どこまで自分を苦しめれば気が済むのだろう。
足元がふらつきかけた所を、盗賊たちが見逃すはずは無かった。

「リモルフから『力』を貰えたんだ!お前たちなんかひねり潰せる『力』をなっ!!」
「そうだぜ!」
中庭に向かおうとする前に先手を打ち、盗賊たち三名は指先で自分の前に『印』を描く。
「それは   !!」

誰もが、目を見張った。
ルーサスですらも、暫く何も行動ができずに硬直する。・・・そんな光景を目前に見たことは誰も無かったのだから。

「グアアアアアアアアアアッッ!!」
「オアアアアアアァァ・・・・!!」
「ウオオオオオオオオ・・・!!」


本当に、それが望んだ『力』だったのか。彼らにもう聞く事は不可能になっていた。服が破け、骨格まで変化し、人だったものは異形の力を得て確かに強くなったのだろう。盗賊たちが描いたのは、<変化の神>の『印』。
変化の神は『力』をくれる。
それは『人』でなくなるという事だ。

「馬鹿な奴らだ!!」
どうしようもなく、魔物と化した者を戻す術は無い。動けない仲間達を戦わせる気にはなれず、ルーサスは魔法で焼き尽くす。
異形の魔物たちは、心身の変化に迅速に対応できずに、動きが鈍い。
「・・・・最悪ね」
遅れてレーンも魔物を両断し、命の神に祈る。
「こんな様子じゃ、どいつもこいつも魔物にされる」
「・・・・・・」
吐き捨てるルーサスは、彼らに同情する気にはなれなかった。どうしようもない愚か者に心砕く暇はない。
吐き気を覚えて、黙っていたユイジェスは気持ち同様に喚起をしたくて窓を開けた。

今いるのは三階の通路、眼下、昏い空の下で若い男、おそらく盗賊ザガスが二人の娘を従えて庭園の泉の前で待っている。
娘の一人はショートカットの少女、リカロ。
もう一人栗色の髪の女性が見えていた。このロイジックの生き残りの王女、ジッターラ姫だとは明らかに。

「飛び降りよう。大丈夫、きちんと「風」でフォローするから」
言って、先にミラマの王子は窓から勢い良く飛び出す。<風の剣>を両手で体の前で構え、精霊と意志を通じて着地する。
巧いものだった。

追って、仲間たちも窓から飛び降りる。最後にシオルを抱きとめて、ユイジェスは火の粉舞う城の中央庭園を横切る。

ザガスの前に辿り着く前に、男の背後に巨大な炎の魔人が立ち昇り、待っていたかのように自分たちを出迎えた。
夜とは言え、夜以上に空は昏く、雲がぐるぐると渦を描いて旋回して往く。
炎の魔人が在るだけで火の粉が風に混じって髪を焦がしてくれる。

気温が上がり、火山の火口にでもいるような心境に陥る。
中庭の庭園、小さな泉の水は張ってはいたが毒水のように怪しい色を発光させ、前に立つ男は過去にミラマで出会った時と同じ長髪の若い男。
足元に両手を縛った娘が二人、気を失っているのか無造作に倒れたままにされている。

炎のはぜる音だけがその場を制した。
再会するザガスとルーサスは、睨み合ってまだ抜刀もしていない。
ザガスは帯剣していたが、手にしているのは焔を矛先に宿す<炎の槍>。

炎の魔人が灯りの代わりに庭を照らし、緊張も重なり、集まった仲間たちの額から汗が吹き出す。

「・・・・。なにか、違う・・・」
最も後ろ、ユイジェスの後ろに常に控えていたシオルはザガスを前に違和感を感じて口に手を当てて考えていた。
彼女は、ミラマの城下で一度ザガスと会っていた。
姿を垣間見たと言った方がいいが。
しかし、その時と、今目の前にいるザガスは更に邪悪さが増しているように思った。

そして・・・。

       

やはり『声』が聞こえる。更に強く。何処から聞こえてくるのだろう。
もしかしたら、リカロや、ロイジックの王女の助けを呼ぶ声ではないかと思いもした。
でも違った。
私を呼ぶのは誰なのだろう。


対峙していた二人に割り込んだのは、いつも通り勇ましいレーンの啖呵だった。
「リカロと王女を返して貰うわよ!」
ザガスは、威勢のいいジュスオースの王女を横目見て小さく笑う。
「では、貴女の<命の杖>と交換にしましょうか?」
「なんですって!?」
レーンは眉をひん曲げて噛み付く。そんな交換条件飲めるわけがない。

「全ての<封じられた神々の涙>を持って来てくれたな・・・。感謝の言葉もない。ミラマの王子、全ての<石>をこちらに渡して貰おうか。この二人と引き換えにな」
間合いを保ったまま、盗賊男と青い髪の王子は真意を読み合った。

「断る。それぞれの<石>は、俺たちに託されたものだから。裏切るわけにはいかない。二人を返してもらって、そして二つの<石>を渡してもらう!」
ユイジェスは<風の剣>を正眼に構えると、飛び出すための呼吸を整えた。
それを見て横のルーサスも戦闘モードに息を潜める。
<石>を持つもの達から力が迸り、ザガスの両目が赤く殺意に燃えた。
    それが戦闘開始の合図となる。


■もはや、誰の胸にも迷いは無かったのだろう。
ユイジェスの剣がザガスの槍にぶつかると火花が弾け、同時に風が真空を生み出し相手を弾き飛ばそうと竜巻く。
真空の風の刃は意志を持ち、ザガスを斬り裂こうとするが弾かれてしまう。
軽い火花が突然、ザガスの眼光が鋭くなると巨大な炎の塊と変化してかぶさる。
    うっ!!」
体が炎に包まれたが、ユイジェスは土の上を反転して起き上がる。

「リカロ!しっかりして!起きてッ!」
ザガスがユイジェスやルーサスとの直接戦闘に入るのを見計らって、シオルは急いで二人の元に駆けつけると頬を叩いた。
後ろに揺らめく炎の魔人はレーンの白魔法の迎撃でかゆそうに大人しくしている。その間にとにかく急いで二人を叩き起こし、安全な場所へと連れ出す。

「皆・・・!ううう・・・!」
目を覚ましたリカロはひどく薄汚れ、連れ去られてから水浴びも着替えもしていないのか、爪も伸び髪もボサボサのままにシオルの首にしがみつく。
「シオルだー…!会いたかったよぅ。会いたかったよぅ!」
「リカロ・・・。もう大丈夫。私も会いたかった」

二人はシャボールの国で後味の悪い別れ方をしたまま、ようやっと再会する事ができたのだった。
不安や寂しさや、そしてこんな城で怖かったのか、リカロはボロボロと涙を落とす。

そのリカロの滲んだ視界に、戦線から一時離脱して彼女の相棒が入り込む。
魔法使いは言葉も無く、しゃがみ込んで二人は強く抱きしめ合った。
「・・・遅くなった。悪いな。待たせた」
「ふわあああっ!ルーサス!ルーサス〜!!」
抱き寄せたリカロに安堵しながらも、ルーサスはすぐに戦いの顔に戻る。
「<水の腕輪>はどうした。ザガスの奴も持っていない」
「え、えっと・・・。ごめん。分かんない。取られちゃって、その後どうしたか・・・」

不手際におろおろするリカロは、横にもう一人、足を折り、ルーサスの腕に手を添えた人物の存在に衝撃を受ける。
「ジッターラ、王女・・・」
今更ながらに、リカロは知ったのだった。
ルーサスを待っていたのは「自分だけ」では無かったのだと   

言葉も無く、震えて、ルーサスの腕に申し訳程度に手を添える。
亡国の悲しき王女もずっとルーサスが来るのを待っていた。
暫くの間一緒に時間を過ごしたリカロでさえも初めて見る、王女がハラハラと声も無く泣くさまを。
小さなリカロの胸は喜びから衝撃に色が変わる。

「ジッターラ王女・・・」
「ルーサス・ディニアル。待って、いました・・・。ずっと・・・」
戸惑うルーサスに、リカロは慌てて口を挟む。
「あっ、探しに行くよっ!<水の腕輪>探しに行って来る!だからっ・・・!」

「分かった。王女を逃がしてから頼む」
戸惑いを残したルーサスはマントを翻して、ザガスとの戦闘に戻って返す。
背中を目で追う自分、そして気がつくとジッターラ王女の視線にも彼が映っていた。

彼女の好意は明らかで、リカロは別な感情からまた涙が零れそうになってしまう。
何故なら、彼女は、ジッターラ王女は『特別』だったせいだ。

「・・・・王族の宿命だな」
かつて、ルーサスが口にした事がある。
想いが別にあっても、国のために本当に好きじゃない人と一緒にならなければならない事があること。
サラウージ大陸を立て直すために、北のロイジックと南のラマスはお互いに協力しなければならないのは分かっている。
その証として、ロイジックの生き残りの王女と、ラマス神殿の正式な後継者であるルーサスとが結ばれるのは、私以外の誰もが歓迎することなんだ・・・。

・・・嫌だ。嫌だよ。
大陸の、二つの王国の幸せと自分の恋心、天秤にかけられないのは分かっているけど・・・。
今はやせ細って、やつれたジッターラ王女は、それでもやはり美人だった。
彼女がルーサスを見るだけで胸が締めつけられる。

なんで、どうして、王女様はルーサスを見るんだろう・・・?


「リカロ、城の中なら私が知っています。一緒に<水の腕輪>を探しに行きましょう。その方がきっと早いわ」
見つめていた、王女は振り返った時には瞳の光が変わっていた。
儚い印象は何処かへ行ってしまい、何処か勇ましくまっすぐに立つ。

そんな姿さえも胸を締め付けた。
触発されたのがルーサスなのかと思えば尚更。

「<水の腕輪>は必要になるわ。急ぎましょう。私も行きます」
動きが止まっていたリカロをシオルは急かし、城内へ戻ろうと走り始める。
水の力失くして、炎と対峙するのは難しいと戦況を見て誰もが察する。
仲間達のために早く腕輪を見つけて戻って来なければならない。



女三人はジッターラ王女の案内で、真っ先にザガスの個室へと向かう。
城内に人影はほとんどないが、その代わりに所々に中庭の戦いの飛び火が移り、諸所で火災が起きていた。
それを見て逃げた者も多いのだろう。
まれに出遭ってしまった魔物   おそらく元は「人」だったものとはリカロが前面に飛び出して、奪った槍を棍棒のように回転させ蹴散らす。

シオルの持つ<心の石>は、扱うと相手の「心」に呼びかけることができた。
相手の戦意を消失させ、戦いを避ける。
効果は短時間かも知れないが先を急ぐにはかなり有効だった。

火の粉を避け、しかし、急がなければ逃れられなくなる勢いで火の手は追ってくる。
汗だくで三人娘は城内を駆け、ザガスの部屋の扉、鍵を開けるのに手間を取る。

    駄目っ!壊せない!びくともしないよっ!きっと何か魔法の鍵がかかってるんだ!どうしよう!」
扉に体当たりを繰り返し、それでも強固な扉はびくとも動かない。
明らかに魔法で鍵がされていた。
冷や汗が背筋を気持ち悪く伝う。
そのシオルの頭に、いや、「心」に、また「声」は呼びかける。

「また、声がするわ・・・」
視線を上げ、もう一度深く考えてみる。一体誰が呼んでいるのか。
この城に入ってから、何度となく聞こえてくる声。
ジッターラもリカロも耳を澄ましてみたが、声はどうやらシオルにしか届かないらしい。
「呼んでいるの。助けを求めている・・・。とても、哀しい・・・。    !」

突然、何かに気づいたシオルは、
びくりと体を震わせ、両手で口を覆い顔を蒼く変色させた。

ペンダント、<心の石>を握りしめ、流れきた感情に動揺を隠せない。
「地下・・・。地下です!ジッターラ様!この城の地下に<水の腕輪>があります!」

「地、下」
王女の表情も青ざめた。
地下室は存在する、しかし今となっては開かずの領域と成り果てていた。
滅びた王家、貴族騎士たちの死体が押し込まれた放置場所。四年も経った今、扉の向こうはどんな有様になっているのか・・・。
考えただけでも身震いがする。

案内役を買って出た者として行かない訳にはいかないが、足はがくがくと拒否反応を起こす。

「聞こえました。・・・聞こえたんです。私の予感が当たっていたら・・・。きっとルーサスは救われない。急がないと間に合いません!」
シオルの心は急き、今にも奔り出しそうにたたらを踏む。

リカロとジッターラ王女は、その名前に同様の反応を示した。
「・・・。分かりました。案内します。・・・彼のためならば」
またしても、王女の横でリカロは衝撃を受ける。


ジッターラ王女は、母親を殺され、復讐をザガスに誓うあの日のルーサスを城内から見つめていた。
同じく憎しみに身をやつし、戦い、きっとここに戻ってくる彼を見るために生きてきたと言っても過言ではなかった姫。
そして、本当に彼は戻って着てくれた。
屈辱の年数すらも、癒すほどの希望の光、亡国の哀しき姫は「彼」のために、瞳に決意を呼び戻す。

シオルを呼ぶ声は、
悲しく、ひとすじの波もない湖面のように、静かに静かに、
ずっと 同じ人物 を待っていた。


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