ずっと子供の頃から夢見ていました。
絵本の中のお姫様のように、
いつか自分にも、素敵な王子様が現れるのだと…。 |
「たった二人の王国」
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「こんにちは。リュドラル様。朝食はもうお済みですか?」
ネクロゴンド王城、敷地内の最隅に、その塔は隔離されて建っていました。
見張り塔として建てられた一つでしたが、今は一人の王子様の住居となっていました。城壁の向こうには森と湖、そして山脈へと繋がり、王城敷地内とは言っても、景色は森の中の廃塔と言う方が近かったのです。
十四歳になったばかりの私は、今日も胸をドキドキさせながら、塔を訪ねていました。
塔の下層しか使用してはいなかったのですが、部屋を覗いても返事は無く、外に外出中なのかと、私はがっかりしていました。
「おはようミレッタ!」
「きゃあっ!」
驚かせるために隠れていたらしく、ベットから男の子が飛び出して、私は尻もちをつく。仕方なく掃除でもしようかと、寝室を覗いた途端の悪戯でした。
「あはははっ!来るのが見えたから、驚かそうと思ったんだー。ごめんね」
毛布をかぶっておどかした男の子。柔らかい金の髪に琥珀色の瞳、彼がこの塔のたった一人の住人でした。
「大丈夫?」
しりもちをついたまま、呆然としている私に手を差し伸べて、男の子は私が手を取ると朗らかに微笑む。
「誕生日おめでとう、ミレッタ。はいプレゼント。姉さんに買って来て貰ったんだよ」
「え…。本当ですか…?」
嬉しくて、渡された小さな袋を、私は両手で受け止めた。拘束された彼は、買い物になど出かけられない。だからプレゼントなどは、期待してはいなかった。
言葉だけで充分嬉しいと思っていたのに…。
「あのね。絵本だよ。姉さんにリストを貰ってね、僕が選んで買って来て貰ったんだ。ミレッタは絵本が好きだから」
「リュドラル様…。ありがとうございます…」
包装を開くと、可愛い挿絵の絵本が私を待っていた。嬉しくて、笑顔の端で涙が浮かびそうになります。
「ちゃんと、お姫様が幸せになるお話なんだよ。そーゆーの好きだもんね」
喜ぶ私に、満足そうに笑う、
彼は、ネクロゴンドの「隠された王子様」でした。
陽のさす庭に出て、頂いた絵本を、二人で草原に広げて読みふける。
不幸な生い立ちの娘が、けれど心の優しい娘で、困難を乗り越え、素敵な王子様に出会い、結ばれる物語。
私は、こんなハッピーエンドのお話が大好きでした。
「良かったね。お姫様。幸せになれて」
「はい。そうですね」
草の上に寝転がって、心地好い風が頭上を通り過ぎてゆく。
年下の彼は、知りませんでした。
自分がこの国の、重要な王子様であることは。
王家の血筋であることは知っていても、自分は王子扱いされていないことを、熟知していたのです。
国に伝わる神具の、継承者であることも、当然知らない。
自分が閉じ込められている理由も、たった一人である理由も、おそらくは鮮明には知らないのでしょう。けれど、彼は暗さも不平不満も、特に見せることがなかったのです。
だから、逆にこちらが不安になるのでした。
見ているこちらの方が、時々、切なくなってしまうのでした。
初めて会った時から、彼はずっと木漏れ日のように、温かいままでした。
監視役とは名ばかりで、私は秘密の王子様に片想いして、通い詰める、ただの少女に成り下がっていたのです。
「今日のミレッタ。可愛い服だね。新しいの?」
草の上で寝返りを打って、両手で頬杖ついて王子様は微笑んだ。誕生日の祝いに新しく服を買って貰ったので、実はドキドキしながら着用してきた。
気づいて貰えて、とても嬉しかった。
可愛いと言われて、一気に体温は上がり、私は草にまみれて立ち上がろうとした。
のに、慌てすぎて、スカートの裾を踏みつけて、ステンと転ぶ。
「きゃあっ」
「わあっ!」
足がもつれて、あろうことか、気が付くと自分は、リュドラル様を下敷きにしてしまっていた。思い切り密着してしまって、更に心拍数が跳ね上がる。
「ごご、ごめんなさいっ!わ、私ってば…!」
「大丈夫だよ。ちょっと重かったけど」
目の前が真っ暗になり、涙ぐんで、私は顔に影を落とし、今日の別れを決めた。
「……。ごめんなさい。リュドラル様…。私、そんなつもりじゃ…。さようならっっ…!」
「あれっ?もう帰るの?って、前見てミレッタ!」
無礼に涙して、逃げ出そうとした自分は、周囲が見えなくなっていた。庭木にぶつかって、ふらふらと倒れる。
気が付くと、いつも私は、彼に迷惑をかけてばかりだった。
普段はそんなことはないのに、どうしても、彼の前だと緊張して、失敗ばかりしてしまうのでした。
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気が付くと、リュドラル様のベットに、私は寝かされていました。
飛び上がりましたが、美しい女性が私の反応に微笑していた。
「ミレッタ、せっかくお洒落して来たのに、残念だったわね」
いきさつを聞いていたのでしょう。綺麗な女性はクスクスと笑う。落ち着いた物腰、紫の長い髪、とにかくシャンティス王女は憧れるような美人でした。
二十歳前半ほどの王女様は、リュドラル様同様に王家の血筋であり、彼には姉として親しまれていた。恥ずかしくて、私は小さくなります。
「新しい服、可愛いよ?ちょっと汚れちゃったね。また着て来てよ」
「は、はいぃ…」
申し訳なさ過ぎるので、私は、おずおずとベットを後にします。
「でも、ミレッタのドレス姿も可愛かったのよ?」
「ドレス?見たことなーい」
「お祝いのパーティで、白いドレス、可愛かったわね…」
「ドレス姿も見せに来たらどうかしら?」
美しいシャンテ様は、名案とばかりに提案して下さった。
ふっと持ち上がった提案は、私の中で、大きな意味を持つことになる。
騎士名家の末娘である、私の誕生日パーティには多くの人が集まってくれた。
シャンテ様も来て下さったし、家族も友達も、王家の方まで数名が出席して下さった。
けれど、一番いて欲しい人の姿はない。解ってはいても、実はものすごく寂しいことだった。
大勢の友達と踊るよりも、たった一人の人に、誘われて踊ってみたい。
それこそ、絵本の中のお姫様のように…。
「白いドレスかー。いいな!すっごく見たいよ!」
「……。リューも、たまには、おめかししてみる?」
「……、僕…?でもそんな服、持っていないよ姉さん」
「作ってあげるわよ。三人だけで開きましょうか。ミレッタの誕生日パーティ」
私が神妙になっている間に、姉弟の間で、話は瞬く間に進んでいました。
「あの、シャンテ様…。リュドラル様も…。良いですから…、そんな…」
「ふふふ。いいのよ。私もリュドラルのタキシード姿見てみたいわ。お祝いさせて頂戴」
横目に、見えるリュドラル様の正装を想像すると、顔を押さえて私は俯いた。
「きっと素敵よ」
シャンテ様のはからいで、小さな塔でのお祝いパーティが決行された。
翌日、白いドレスの私は、ドレス姿のシャンテ王女に手を引かれ、塔の一室に招かれました。部屋の壁に花を飾り、手作りのケーキと、ご馳走が盛大に私を迎えてくれます。
そして、心躍った私の前に、花束を抱えた王子様が現れるのです。
まさに、私が心待ちにしていた、たった一人の王子様でした。
タキシード姿の金髪の王子様は、少年ながらも、とてもかっこ良くて、とにかく素敵でした。思わず頬を染めて、見惚れてしまうのです。
「いらっしゃいませ。お姫様」
てれ笑いをしながら、準備していた言葉で、私に花束を渡す。
「……。これでいいのかな?姉さん」
「ええ。かっこいいわよ」
すっかり舞い上がっていました。
そのまま天井を突き抜けて、空でも飛べそうな勢いでした。
いつか…。いつか…。
本当に、私だけの王子様になってくれたなら…。
「はううっ」
うっかり空想に浸ってしまって、私はブンブンと激しく首を振る。
「ミレッタ?手止まってるよ?」
横の席のリュドラル様に見抜かれ、私は慌ててケーキを口に運びます。
「とても美味しいです!シャンテ様!このケーキ!」
「ミレッタ。ほっぺの所に生クリームついてるよ」
「ええっ!ど、どこですかっ!?」
「あらあら。そういう時は、なめてあげると喜ぶのよ。リュドラル」
やり取りを客観していたシャンテ様は、色っぽく、とんでもない事を弟に教える。言われた私は、跳ね上がって驚いていました。
「なめるの?」
「い、いけませんそんな!」
手をバタバタと振って口ごもりながら、私の椅子は後ろにバタンと倒れていた。衝撃に食べ物の乗ったテーブルが揺れて、慌ててリュドラル様が追ってきます。
「何してるのミレッタ!大丈夫?!」
「あ、お、お顔が近いです、リュドラル様!あの、その、心の準備が…!」
「???」
早い鼓動の遠くで、シャンテ様の笑い声だけが、嬉しそうに繰り返していました。
私一人で舞い上がって、先走りながら、
意中の人は常に、疑問符を浮かべていたのでした。
夕刻から始まったささやかな宴は、月夜と共に、終焉を迎えようとしていました。
王女の歌で王子様と手を取り合って踊り、お酒を飲んでもいないのに、確かに少女の私は酔って目を回しつつあった。
「お酒が切れてしまったわね。補充してくるわ」
大人の王女様は気を使って、私を彼と二人きりにします。
窓の外、星空を見上げる少年は、真摯な瞳で三日月を見つめるのでした。
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彼が『月』を見る時、私の小さな胸は、悲しみを含んだ軋んだ音を鳴らすのです。
「リュドラル様は…。月がお好きですか…」
「うん。好きだよ。でも太陽も星も、風も水もなんでも好きだな」
男の子は、初めて出逢った頃から、自然すらも友達のように、愛おしそうに語るお方でした。
関係のある人など、私やシャンテ様、他数名の騎士程度しか持っていない、寂しい身の上の王子様。親も家族も知らないこの方は、それでも悲しみも苦しみも、感じさせない不思議な少年だったのです。
静かな湖面のように、綺麗な部分しか見たことがない。
傍に居ると、自分を温かくさせてくれた。
存在自体が、今まで出逢った誰よりも優しかった。
彼には白馬もきらびやかな衣装も必要ではなくて、生まれながらに、その心が高貴だったのです。
城も民も、いなくて構わない。
たった一人の王子の住まう王国の、私はお姫様になりたかったのです。
「なんで泣いてるの?僕また、何か変なこと言ったかな」
言えない想いが苦しくて、いつの間にか、潤んでいた瞳に気づいて、王子様の表情は曇ってしまいました。
「ごめんなさい。気にしないで下さい…」
「………」
蒼い月窓の下、彼はそっと私の手を持ち上げる。
「お姫様は、幸せにならないと、いけないんだから。泣いていたら駄目なんだ。僕にできることなら、何でも言ってね」
私は十四歳を迎え、親から見合いの話を持ち出されていたのです。
代々騎士である家柄は、私を自由にはしてくれない。想い人は王家の重要人物。私との間柄など許されることもない。
届かない夢だったのです。遠い月の王国に、地上から手を伸ばすことなんて。
シクシクと、涙が落ちて、いつか星のように積みあがることを願いました。
星屑の道になって、いつかあなたの元に辿り着けたなら……。
「ミレッタ…」
涙する理由も解らずに、王子様は困っていました。
「……。あの…。リュドラルさま…」
「うん。なぁに」
「私…。お姫様になりたい、のです…」
「…うん。知ってる。なれるよ。大丈夫」
「王子様は…、あ、の…」
言いかけて、途中で怖気づき、私の勇気はかすんで消える。
長い沈黙が降りました。席を外したシャンテ様が、帰って来るのを臆病な私は願っていた。
肩までの髪を揺らして、私は振り向いて、彼と距離を取ろうと背中を向けたのです。
「僕も…。王子様になれるかな」
必要のない心配事を、呟く、その声は私の心を矢で射抜いた。
「あははっ。ごめんね。全然かっこ良くなくて…。でももう少し背が伸びて、強くなって、かっこ良くなれたら、その時は僕も王子を目指してみようかな」
「………」
もう充分です。
振り返った監視役は、月を背に微笑む、幼い王子に心を射抜かれていたのです。再び私は泣き崩れ、更に彼を困惑させた。
「リュドラル様は、素敵な王子様です。本当です…」
「ミレッタは…。泣き虫なのかな。ごめんね、僕分からないよ。そんなに泣かないで」
そっと近付いて、泣き虫な私を宥める、彼の背はいつしか自分を追い越していた。出逢った頃から数年経ち、彼も大人になっていく。
子供じみた夢は、時と共にただの空想に変わり、お互いの境遇に踏み潰されていくでしょう。誕生日は幸せであり、そしてとても悲しい。
でも今は、ひたすら夢を見ていました。彼がとても好きでした。
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私が仕えるのは、月の王国。私はその国の姫になりたかった。
二人だけの狭い王国の 。
ギアガに穴が開くのは、その数日後。
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BACK
書いてみたかったミレッタのお話です。リュドラルが子供っぽいのは十一歳だからです。ミレッタの方が年上なのですね〜。
ミレッタは乙女ちっくであり、ロマンチストです。サイカと気が合いそうなのです(笑)
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