「盟主誕生 3」

:GURENEID

 俺が落とし穴から這い上がると、会いたくてたまらなかった彼女   ファルカータは微笑んで俺に囁いた。
「せっかちさん」
「あ…」
 蒼い日傘をさして、紺紫色のワンピースを身に纏ったファルカータ。台詞一つで、作業に追われて泥まみれだった俺の背景に花吹雪を巻き起こす。

 彼女が訪れたのはある日の午後、空は何処までも青く突き抜けていた。
 海辺の作業場に賢者ワグナスと共に恋人が姿を見せ、俺はそれはもう幸せで足が浮かれた。

「こんにちわグレイさん。グレイさんの言う女性がどんな方か是非お会いしてみたくて、思わずエジンベアまで伺ってしまいました。そうしたら、お二人を会わせてあげたくなったのですよ。夕方には帰らなければなりませんが、少しの間こちらに居られるそうです。ゆっくりお話して下さいね」
「ありがとうございますワグナスさん…!良く来たね、ファル…」
 俺はしこたま賢者様に頭を下げ、作業着で手を拭いて彼女の手を握る。

「……。陽に焼けたのね。町作りはどう?」
 改めて、好きだな…と思った。抑揚の少ない低めの声も、赤みのある髪も。
「順調だよ!あのね、すごいんだ!」
 嬉しくて、事のいきさつを話す、俺の身振り手ぶりもおおげさだった。
 ダーマまでなんとか辿り着き、そこでナルセス君に会った。

 そこから、町作りは急速に発展する。


 彼の人脈と行動力、持ち前の明るさで、人がこうして集まって、なんと国家までがこの町作りに協力してくれている。
 信じられない話だった。
 俺じゃとてもじゃないけど、できなかっただろうな。

 砂漠の王国イシス、貿易の国ポルトガ、勇者の生まれ故郷アリアハン、豊かなロマリア、エジンベアの姉妹国ランシールさえも。
 アッサラームの商会、そしてそこから繋がるバハラタ。ダーマの新しい商人たち。
 ほぼ世界中の人の手がここに集まろうとしていた。

    『夢』みたいだった。

「……。すごいだろ!クレイモアが作った地図もあるんだよ!見てみて!」
「お姉ちゃん!これ見て!私が考えたの!」

「世界は、創れるものだったのね…」
 切り拓いた土地に、様々な建設途中の骨組み、材木の山。作業に明け暮れる人々。日傘を手に、見上げたファルカータはぽつりと呟いた。

 ただの未開の土地だったはずだ、ほんの数ヶ月前までは。
 作業に何十人もの人が集まって、何処も競って骨組みを組み立てている。

 せかす声も指示の声も、木材の合わさる音もうるさいぐらいだったのに、彼女は感動したようにずっと動かずに見つめていた。
「……。こんな感じなんだけど、…いいかな…?」
 そんなファルの横に静かに立って、俺はどきどきしながら訊く。

「新しい世界が、見たいわ…」
 そう願った彼女のため。動き出した俺がここにいるから。

「見たことがないわ…。こんな世界。新しい世界ね。完成が楽しみよ」
 振り向いた、ほんの微かな彼女の喜びの表情。そのためだけに、何度海に飛び込んでも俺は良かった。

「グレイ、…差し入れを持って来たの。…食べてくれる?」
「えっ!え、え、え、…!!ほんと!?嬉しいよ!」
「たくさん作ったから、皆さんの分も…」
「わあっ!ありがとうファル!!皆も喜ぶよ!おおーいっ!皆〜!」

 陽光照りつける午後のひととき、俺は物影でファルが作ったという大量のクッキーに顔がほころんでいた。
 手を洗って、布を無造作に敷いた木材の上に二人並んで腰掛ける。

 いつもなかなか、個性的な材料だったファルの作る食べ物。
 今日はなんてことはない普通のクッキーの様だった。
 口にほお張って、噛んでる内に、すぐに異変は訪れる。

「…あれ?……あ、ごめん。なんだか紙が挟まってたみたいだ」
「ええ。ちぎって入れてあるの」
「………?」
 口から便箋(?)の切れ端を出し、広げると文字が書かれていた。はっきり言ってこれだけじゃ何が書いてあったかなんて分からない。

「グレイに…。手紙を書いてみたの。読んでくれる?」

(間)

 自分の手に、分けてよこされたクッキーの山。そして皆に振舞われたクッキーたち。全部集めないと手紙が完成しない。
「…なんだー?紙切れ入ってたぞ。ぺっ!」
「うおおおおおおおおおっっ!!」
「…?やだー。何これ?ぽいっ」
「それ!それを俺にくれ〜〜〜〜!!!」

 皆の元に咆哮あげて紙切れを集める、そんな俺の必死ぶりを見て後ろで…
 クスリ、女神は悪戯に微笑むのだった。


「…楽しそうですね」
 そんな悪戯を知っていたのか、横に賢者も加わり、俺の阿鼻叫喚に笑う。
「賢者様、ありがとうございます。…彼を、守って下さい。お願いします」
「おやおや、私はあなたの保護を彼氏さんに頼まれているんですよ?」
「いいえ、私よりも。…虐げられてきたのは、彼らなのですから」

 深い黒い瞳に、確かに悲しみがたゆたっているのを、俺はまだ消せていない。


「手紙、これしか集まらなかったよ…。飲み込んじゃった人もいて…。今から解読するから!!」
 大騒ぎして回収してきて、集まった部分だけでも読もうと思ったら、さすがファル、手紙は暗号制だった。
 どうしても解読できなくて、しぶしぶ持久戦を覚悟する。
 結局彼女が帰るまでに手紙を読むことはできずに終わった。

「また会いに来るわね、グレイ」
「うん…。ごめんね手紙読めなくて。今度会うまでに解読しておくから!!」
「またね、お姉ちゃん!迎えに行くまでの辛抱だからね!!」
「あなたも気をつけるのよ。クレイモア」

 賢者に魔法で送られて行くファルカータ、俺は消えた後も、惜しみなく手を振り続けていた。早く、早く、彼女を迎えに行けるように、明日もまた必死で働く。

++
■H勇者一行参上

 月日は流れ、町の装いもぼちぼち整い始めていた。
 教会が中央広場に三角形に並び、そのまた中央には美しい彫刻のされた噴水が工事中。
 商業区にも何件か店が完成し、作業員を対象に仮営業も始まっている。
 農業区も区画整備が終了。居住区も希望者から土地がうまり、数件の住まいが立ち並ぶ。俺は宿に部屋を長期で借り、永住予定のグレイさんなどは頑張って小さな家を建てていた。
 土地代もいらなければ、自分で建てれば経費も安い、夢のマイホームが可能なのがこの町。多くの人が流れ辿り着き、すっかり『町』の輪郭ができつつあった。


 そんな時、待っていた報告が俺の元に届けられる。
 アリアハンから旅立った勇者ニーズは、父親『勇者オルテガ』の高名あって、世界中で名前が知られている。
 その勇者の仲間たるこのナルセスに、勇者一行がランシールに到着したとの報告が届く。ランシールに着いたら、長い船旅も終了。(その先はどうなるのか分からないけど)とにかく着いたらここにも来て下さいとお願いしてあった。

 賢者ワグナスさんに連れられて、念願の勇者一行がこの『希望の町』に訪れる。
 その日はそれこそお祭り騒ぎだった。


 勇者ご一行様、本日のスケジュール。
@町の広場でサイン&握手会
A各教会で教え(手形)を残す。
B定食屋、武器屋など商業区の店数件を回り、各店についてコメント。
C温泉に入り、コメントを残す。
D宿に泊まり、この町へのコメントを残す。


「え〜。ニーズさんの予定はこうなっております♪」
「なんだコレは!!俺は宣伝用に来たんじゃないぞ!」
「はいはい!スマイルスマイル!行きますよ〜!」(強引)
勇者さん達には、しっかり宣伝効果になって貰わないといけないからねー♪

 まず、最初のサイン会。これはもちろんニーズさんだけじゃない。ミトラ神の神剣を持つ(仮の)隼の剣士アイザックも人気だし、我らがラーの化身、ジャルディーノさんもここでも崇拝される。
 エルフの魔法使いも珍しいし、僧侶サリサちゃんだって応援されていた。
 賢者ワグナスさんもここぞとばかりに『賢者ぶり』を発揮してサインしまくる。

「ええっと…。何がいいかな?じゃあ、「闘魂」!」(書き書き)
「頑張って下さい剣士様!」
「もちろん!必ずバラモスを倒してみせます!!じゃあ、あなたには「勝利」!」
「あの、私は商売繁盛を…。剣士様は元は農家の出とか…」
「うむ!「商売繁盛」!!任せろ!!更に「健康第一」!」(書き書き)
「良いですか、ルビス様はこう仰っておりました。人は皆…」(ありがたい教え)

 サイン&握手会は、アイザックと賢者ワグナスさんの二人がそれはもう楽しそうに書きまくっていた。
 これで、町の人たちの士気がUP。
 それに、勇者達が守ってくれるという、安心感も与えることになる。


「俺はもう帰る!!」
「あああっ!待って下さいよニーズさん!困ります!勇者としてしっかり働いて貰わないと〜!」
 予測していた通りに、最初のサイン会からニーズさんは嫌がって「帰る」と駄々をこね始めた。俺はがっしりとしがみついてテコでも離れない。

「いっぱい商品候補あるんですよ?勇者ニーズまんじゅうとか、これで君も勇者ニーズになれる!額冠&マントセットとか!」
「メラ」
「あ、アチチチチチッ!」
「人を商売の道具にするなっ!!」
「まーまー。これでも商標取るの大変だったんですから協力して下さいよ〜。勇者ニーズはアリアハンのものだ!ってアリアハン商会と競いあってるんですよ〜。どっちがどの商品出すとか〜」
「ふざけんな!全部燃やす!」

「お兄様、素敵な町ですね。あちらに新しい建設技術の使われた教会があるそうですよ。一緒に見に行きましょう」
 ニーズさんに妹が腕を組み、帰る所を巧い事引き止めてくれる。
「そうですよ!行きましょ行きましょ♪」
「コラー!!」

 教会では、さすがに僧侶の出番となる。
 ジャルディーノさんのありがたいお話に人が集まり、教会の壁にジャルディーノさんの手形を残した。
 これがこの先良い観光名所になったりするんだ♪わーいっ。
 サリサちゃんはまだ有名じゃないから宣伝効果は薄いけれど、ミトラの教会には後々あの聖女ラディナード様が訪問することになっている。
 もう、それも大きな宣伝効果になる!

 ルビスの教会に至っては、その女神の御使い様が直々にいらしているのだから、その宣伝効果は図り知れなかった。
 賢者ワグナス現れる教会!これだけで世界中から人が集まってくる。

有名人万歳!!ヾ(>▽<)ゞ


「え〜っと、それからですね、仮営業中のお店なんですけど…。宣伝文句が欲しいらしいんですよ。勇者ご推薦メニューとか。隼の剣士御用たち、とか。なので協力お願いします」
 ただ約一名非協力的な人を言い聞かせつつも、俺は仲間たちを連れて商業区を回ってゆく。

「はいはい〜。ニーズさんこちらの料理にコメントをどうぞ」
 まずは開店したばかりの定食屋だった。売りにしようと思っている料理セットをニーズさんに試食してもらう。俺も食べさせて貰ったけど、新鮮魚介類ふんだんのスープが美味いんだこれが。
「いまいち」
 案の定、いいコメントをよこさない黒髪の勇者さま。
「舌がとろけるようだそうです。ここのメニューに書いておきましょう。勇者ニーズ、感動のあまり涙したと…」
「コラ!!嘘を書くな!訴えるぞ!」

 勇者さまの文句は左から右へ流されていた。さよ〜なら〜。


「アイザック、ここの武器屋、どうかなぁ」
 次に武器屋へ。店長さんが剣マニアで、隼の剣士に大きな憧れを持って大歓迎してくれる。
「なかなかいい品揃えだな。手入れも行き届いてる」
「あっ、ありがとうございます剣士様!!あの、先ほど剣士様からサインを頂いたのですが、こちら店内に飾っても良いですか?!」
 店長さんは顔を紅潮させ、瞳をキラキラさせて応対する。
「ああ、もちろんいいぞ!『剣は魂』で良かったかな?」
「はいいっ!ありがとうございます!ありがとうございます!!」
 隼の剣を触らせてあげて、なかなかアイザックもファンサービスが上手だった。

「アイザック、ここの畑はどうかなぁ?」
 なかなかアイザックは宣伝として巧く使える奴なので、農業区にも連れて行った。
「いい土だ。そうだな、良かったら苗うちから分けてやるけど?」
「本当ですか?ありがとうございますー!!」
「アイザック様、万歳!」
 農家にも大人気、アイザック。なんと土作りに参加して汗まで流してくれた。

 各お店に勇者一行から宣伝文句を頂いて、疲れたところを、今度は海賊頭ミュラーさんが掘り当てた温泉へと案内していく。

 この頃にはしっかり整備されて、景色のいい所までお湯を引いた、雰囲気ばっちりの露天風呂。
 山の途中なので、眼下に希望の町が見える。その先には広大な海。
 深い山の自然もかなり気持ちがいい。
 脱衣所はすでにあり、近くに宿も建設している途中。大地の一族お墨つきとあって、絶対に人気になること請け合いだったけれど、ここはやはり勇者一行にも入って貰わないといかんと思った。

 勇者一行も旅の疲れを癒した。
 いい売り文句だ♪


「いいお湯だった…v景色もすごく綺麗だった!また来たいね♪」
 湯上がり、頬を上気させた可愛いサリサちゃんが嬉しいコメントをくれる。
「素敵な場所ですね。気に入りました。何度でも来たいです」
「ほほほ、ホント〜vありがとー!ここのお湯は、美容にもいいんだよ。ってミュラーさんが言ってた。あと、肩こりとか」
「へ〜!宣伝しておくね!きっと皆来るよ〜」

 温泉に入り、この町の宿に泊まり、勇者一行は多くの宣伝要素を残してランシールへと戻って行った。
 これから勇者さん達は、「地球のへそ」と呼ばれる地下遺跡へと挑んで往くらしい。

 帰り際、シーヴァスちゃんが、そっと俺の両手を掴んで寂しそうに呟く。
「素敵な町ですね。さすがナルセスさんです。…でも…。早くまた、ナルセスさんとも旅ができるようになりたいですね」
 その言葉は胸に突き刺さり、見送りに振る手を鈍らせた。

 ひょっとしたら、大きな回り道をしているのかも知れない…。

 不安はよぎる。でも、町を作りながら、僧侶の修行だってちゃんとしていた。
 していると言うか…。基本はもう学んで、本当なら卒業もできるまでの段階は踏んで来てる。でも、俺はまだ何かにつけて中途半端だった。

 武器を持った直接攻撃も弱いし、回復魔法も攻撃魔法も効果が薄い。効力が人並み以下なんだ。信仰している神の御心さえまだ分からない状態で。
 何かがまだ、俺の中で掴めていなかった。

 だからまだ、帰れなかったんだ。
 今帰っても、イシスで感じた疎外感をきっと味わってしまう。
 信仰という道と、戦うという事の、答えをまだ俺は模索していた。

++

 あらかた町の外観ができあがって来た頃、「希望の町」に関わる世界各地の諸侯が一同に集まり会議が開かれた。

 イシスから貴族のドエールさん、神官マイスさん。ランシールから聖女ラディナード。おまけにラルクの兄貴が参加。(一応アッサラーム代表を担う)
アリアハン、ロマリア、ポルトガ、バハラタからはそれぞれ国王の使いが代表で参加している。
 ダーマの商人達からは代表が一人選ばれて参加していた。
 そして、この町作りの発端となったグレイさん。
 弟のビーム。エジンベア貴族のクレイモア。
 
 そして俺。

 もはや小さな「町」などではなく、「都市」を見越したこの町に自治は必須となり、人が多く集まる所にはそれなりの「法」が必要になった。
 何処かの国には属さない、自由な場所ならではの約束事を作るべきだ、と最初に求めたのはイシス王女の側近、マイスさんだった。

 リーダーを立て、自治都市ならではの独自の法を決め、町会の結成を促し、町の維持にも税金は必要になってくると説いた。

「アッサラームを手本にすればいい。あそこも都市国家だからな。あそこの決まりをここ用にアレンジすればいいさ」
 アッサラームの法書を持って来て、教えてくれたのはラルクの兄貴。
「悪事もいずれ起こるでしょう。自警団なども必要になると思います。ミトラの神官たちは町を守る役目を指示しようと考えています」
 聖女ラディナードの発言に他の信者たちも我も我もと連なった。

「じゃあ、町会の会計は私やります。いいよねグレイさん。私そういうの得意だから任せて!」
 人事を決める際に、手を大きく上げてクレイモアちゃんは立候補に立ち上がる。
「じゃあ…。俺も。会計やるよ」
 意外な事に、いつもとんがりまくりなビームも協力的に名乗り出た。
「そうだね。二人なら任せてもいいよ。ビームも金銭面にはうるさいし、しっかりしてるんだ」
 意見を求められたグレイさんがにこやかに賛成して、人事の相談も進んで行く。

     が、



「ところで、やはりリーダーはグレネイド君なのかな?」
 会議の盛り上がる中で、ふと赤毛の神官が冷めた口調で水を差した。
 確認したかったのだろう、町作りの言いだしっぺ、グレイさんを視線に捕らえて腕を組む。
 普通に、俺はグレイさんがリーダーでいいと思っていた。
 当然、そうなるのが自然だと思っていたんだ。
 集中する視線を浴びながら、青い髪の青年、グレイさんは立ち上がり、テーブルに両手を着く。

「…考えていたんだけど…。俺はリーダーなんて器じゃない。ここまで町が大きくなったのも、全部はナルセス君のおかげだった」

 なんでそこで俺の名前が出てきたのか    …。
世界の諸侯がいる席で、俺はとんでもない宣告をもたらされる。

「確かに、始めに言い出したのは自分ですが…。実際に町を作ったのは、ナルセス君だと思っています。彼みたいな行動力ある人間が、彼こそがリーダーにふさわしいと思っています」
「ちょっ、ちょっ、ちょっ…!!何言い出すんですかグレイさん!そんなの無理ですよ!俺は…!」

 慌てて俺も音を立てて立ち上がった。あまりの衝撃に椅子を背中に倒す。
 そんな事俺にできるわけが無い!

「……。ナルセス君、あのね、実は…。町の人たちにそれとなく聞いていたんだ。町の誰もが、君を介してここへ集まって来ているんだよ。君を知らずにここへ来た人でも、ここで君を知った。この町で君を知らない人なんていないんだ」

 立ち上がった俺の瞳に、いつも通りのグレイさんの温かい双眸が微笑む。
 静まり返った会議室に、俺の鼓動が耳の横で音を立てていた。

「希望の町に、君の笑顔が一番希望をもたらしたんだよ。皆君が大好きなんだ…。これは町の人皆の意見だよ。皆君の元に集まりたいって言っているんだ。誰一人として例外はいないよ。君の名前を町に付けたいと思っているんだ。どうかな?」

 どうかなって…。
 情けない程に、俺は躊躇う…。

 そんな、そんな……。

そんな嬉しい事言われちゃっていいんですか。



 棒立ちになって、俺は、この年になって
 大勢の目の前で頬を塗らす事態に陥る。


パチパチパチパチ…。
 滲んだ視界から、何故か手を叩く音が聞こえて顔を上げた。
 叩いていたのは金髪の美少年だった。
「僕も、ナルセス君がリーダーにふさわしいと思うよ。町の名前も、ナルセス君の名前を使う事に賛成です」
   ド…エールさん…」
 友達、と思っていいのか。友達になりたいと思っている貴族の少年が拍手をくれて、そこでぶわっと何かが込み上げて抑え切れなくなる。

パチパチパチパチ…。
 あろう事か、拍手は新たに高く鳴った。信じられなかった。

 まさかあのマイスさんまで俺に拍手していたからだ。
「僕も彼を推そうと思っていたんだよ。グレネイド君が悪いとは言わないけれど、一番の功労者であり、町人から支持されているのは彼だから。彼なら意見が別れる事もないだろうね。賛成だよ」

パチパチパチパチ…。
「もちろん俺もナルセスを推すな。弟分ってのもあるけどさ。それなりに上に立つ者って言うのは図々しさもないと務まらないし?グレイは真面目すぎるよな?人に指示するタイプじゃないんだよ。やれよナルセス!応援するぜ!」

「あ、兄貴…。そ、んな…」

パチパチパチパチ…!

 拍手は一斉に巻き起こった。
 聖女ラディナードは立席し、強く手の平を叩き合わせる。
「あなたには幸運が見えます。町にあなたの名を冠す事は、この町の幸運を約束することになるでしょう。意義はありません」

「ナルセス君頑張って!私も賛成!ナルセス君のおかげだもの!町がこんなに大きくなったのは!」
 弾けるように、クレイモアちゃんも立ち上がり…。
 気がつくと各国の使者も、グレイさんもビームも、俺以外が全員手を打っていた。
 拍手の波が全身を撃っていた。
 
 こんな事は初めてだった…。


 頭の中が真っ白で、ずっと、ずっと拍手の音が響いて止まない。

「皆君を待ってるよ。ナルセス君。もちろん、君が勇者の仲間なのは分かっているし、きっとまた旅に戻って行くんだろう。もちろんそれは止めないよ」
男泣きしていた、俺の前にグレイさんが立ち、両手を掴み上げる。

「でも、魔王討伐の旅も、数年だよね?きっと、戻ってからの方が長いよね?盟主としての名前だけでもいいんだ。これは、俺からの…。ささやかなお礼として、受けて欲しいな」
「んな…。勿体なさすぎますよぉ…」
「ナルセス君の才能はすごいよ。君以外にリーダーは考えられないよ。…僕たちをこれからも面倒見てくれないかなぁ…」

 握られた両手に、力がこもる。
 俺は鼻を何度もすすって、すすって、答えを待つその場の人達にか細く答える。

「…ありがとうございます。こんな嬉しい事は初めてです。…でも、少しだけ、時間を下さい…。今夜一晩だけでいいです。明日には返事をしますから…」

「うん。分かった。突然こんな事言って、驚かせちゃったよね。申し訳ない。良い返事を待ってるよ」
    すいませんっ!」

 会議も放り出して、俺は外へと駆け出した。
 脇目も振らずに、目指した場所はただ一つ。

 今まで…。彼女に泣きつかれた事はあっても、泣きついた事は無かった。
 悲しいからじゃなくて、この苦しいくらいの幸せな叫びを訊いて欲しくて。

++

 長期で借りている宿屋の一室の、隣を彼女は同じように長期で借りていた。
 ノックの返事も待たずに扉を叩き開け、俺は涙まじりにすがり付く。
「訊いてよアニーちゃん!俺、俺…!  !!  !!」

 会話は勢いだけで、良く内容が聞き取れなかっただろうな。
 自分が何を言っているのか、分からない。
 確かめる気も無く、定まらない矢の雨のように、俺は彼女にまくし立て、叫びは疲れていつしか止んだ。


「………。ナルセス…。良かったね」
 ベットに腰かけ、膝で泣く俺の髪に、優しく彼女の手がふれる。

「…信じられなかったよ。俺が、そんな、認められるなんて…。ドエールさんが、マイスさんが、聖女様が、各国の要人が俺に手を叩いてくれたんだ。俺を認めてくれたんだ。こんな嬉しい事ってないよぉ…」

「うん。私も嬉しいよ。名前、付けようよ。この町に。ナルセスの名前を」
 頭を撫でる、懐かしい感覚を俺は思い出していた。
 アリアハン襲撃で亡くなった母さん、暫く思い出すこともなかった。懐かしむことは無かった。俺はいつも前ばかり見ていて、振り返ることは皆無だった。

 気がついたら、俺はもう「子供」じゃなくなっていたんだ。

 宿は新しく、まだ木の香りがしている。
 新しく生まれようとしているこの町で、俺も生まれ変われそうな気がしていた。
 優しい彼女の膝に甘えたまま、俺は、誰にも口にしなかった『夢』を語る。

「訊いてくれる…?俺さ、…ずっと、憧れていたんだ」

 多分男だったなら、きっと誰もが英雄に憧れたと思う。
 ニーズさんは、オルテガの息子ってだけじゃなくて、魔王を倒してきっと歴史に名前を残す。アイザックも、きっとアリアハンの騎士になったりして、歴史に刻まれる名剣士になるに違いない。
 ジャルディーノさんなんか、時が過ぎても決して消えない、伝説の大僧侶になるに決まっていた。シーヴァスちゃんは伝説のエルフの魔法使い?
 サリサちゃんは次期聖女様か?

 俺は何になれるんだろう? って思ってた。
 歴史に名前が残せるなんて、『夢』だった。


「俺の名前、地図に刻まれるのかな…。だってそんなの、この先、ずっと続くんだよ?時代が変わっても、ずっと俺の事が、残るのかな?名前が…。嬉しくて、泣けてくるよ…」

「ナルセスだからできることだよ。勇者や、他の人にはできないよ。自信持っていいと思うよ。…付けようよ。ナルセス。大丈夫。…不安なの?」
 答えなくても、頭を撫でる手は分かったように優しかった。
「…私も、頑張って支えるよ。私も、強くなるね。…この町、好きだし」

 アニーちゃんの言葉に、俺はがばりと体を起こした。
    そうだ。俺も好きだ。この町」

「じゃあ、決まりだね」
 大好きな彼女が、勝利の女神のように笑った。
 俺は無言で強さの証のように彼女を抱きしめて離さなかった。

++

 翌朝、早朝。
 決意を持って俺はグレイさん家の戸を叩いた。
 居住区に自分で建てた小さな家で、今は共同で弟とクレイモアちゃんと一緒に寝泊りしている。

「返事を伝えに着ました」
 朝日を背に、かつてない程に俺の眼差しは真剣さに光る。
 寝起きで寝癖まじりだった、グレイさんも目を擦って、俺の言葉を待った。繋げた言葉に、グレイさんは言葉が返せなかった。

「断ります。グレイさんの気持ちは嬉しかったのですが、断ります」
 後ろに起きて来たビームも顔を見せたのだが、俺の言葉に声を失って固まる。

 俺の言葉は、しんとして   冷えた朝の空気に凛として響く。

「俺は、この町が好きです。ここに居る皆がとても好きです。もちろんグレイさん達も。…生きてるこの町が好きなんですよ」
 力を込めて握りしめる、手の中に残っているのは支えてくれる恋人の手の温もり。それだけで俺は奔って行ける。

「だから、お願いされてなんて、引き受けたくないんです。だから…」

「俺から、言わせて下さい。始まりはグレイさんだったけど、俺の町にもしたいです。この町を育てたい。この町を俺に下さい。この町を俺に任せて下さい!」
 でかすぎる誓いだった。もはや後戻りはできない。
 何十人、何百人もの、未来を俺が左右する。


「………。すごいな。やっぱり、ナルセス君しかいないよ」
 グレイさんの口から言葉が出るのに、相当の時間が過ぎたように感じた。
「グレイさんも含めて、この町の皆を、幸せにしたいです。よろしくお願いします!」
 俺は深く頭を下げ、右手を差し出した。
 すぐにも、グレイさんの手が重なる。
「…ありがとう。君に会えて、本当に良かったよ」

 誰かを幸せにしたいと願った、『志』は引き継いだ。
 絶対に忘れないと約束します。


 かくして、数日の後に、各国に新しい町の名前が報された。
 「自由の町」、「希望の町」などと通称で呼ばれていたが、正式に名前が発表され、これから地図にも刻み込まれる。

 町に集まった人々の支持を受け、盟主となった若者の名前を取って、
 「希望の町」
 改名。「ナルセスバーク」




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