兄弟のように並んだ三教会の鐘が鳴り響く。
 いま誕生した初々しい夫婦の門出を祝福するようにして。

 リ    ン…。ゴ    ン……。
 カランカラン……!




「誰が為に鐘は鳴る」



「病める時も、健やかなる時も、変わらぬ愛を誓いますか」
 婚姻用の正装によって面を布で隠した、神父が優しく新郎に尋ねた。この日の神父役を担うのはランシールの聖女、ラディナード・フィルス。
 新郎は緊張した面持ちのまま、多少固い返事を返す。
     は、はい。誓います!」
 姿勢は真っ直ぐ、床に刺したピンのように直立で跳ね上がる。

「…では、ファルカータ・デニーズ。貴女にも訊きましょう。夫、グレネイドを病める時も、健やかなる時も、変わらず愛することを誓いますか」
 新郎の横に並ぶのは「元」エジンベア貴族の令嬢。彼女は家を抜けてこの町に永住することが決まっていた。
 純白のドレスに身を包み、思い入れ深い赤い薔薇のブーケをそっと握りしめる。新婦の口元が綻ぶと、誓いの言葉がなめらかに告げられた。
「はい。誓います…」

 ようやく、二人の願いが叶う。今日は記念すべき門出の日。
 これからは二人、ずっと、この町で幸せに暮らしてゆける。

 式に参列する俺も、心の底から二人に祝福のエールを送っていた。


 式が終わり、夫婦がヴァージンロードに顔を見せると、待っていたとばかりに民衆から盛大な拍手や花吹雪が飛んだ。
「おめでとうグレイ!ファルカータさん!」
「おめでとう!お幸せに!」
「奥さんを泣かすんじゃないぞ〜!」
 晴天に舞い散る花吹雪。気持ち良いそよ風までも二人のために演出家となるらしい。
 
「ありがとうございます。ありがとうございます…!」
 新郎はお礼の言葉を連呼していた。その頭を町人にもみくちゃにされながら。
 新婦ファルカータさんは後ろで穏やかな微笑みを浮かべ、夫をそっと見つめていた。

 久しぶりに、町に幸せムード到来!


 ……久しぶり、というのも、無理はないんだよね。
 突如この町を襲った集団洗脳事件。(と言われている)
 一人の死者も無く、事なきに済んだけれど、傷つけ合った記憶は消えない。大事な人が倒れていった、【悪夢】はいまだに脳裏にこびり付いたまま    
 
 負った傷や怪我は癒えた。けれど負った恐怖は魔法のように消えはしない。
 支配された事に怯え、人を襲ってしまった我が手に怯え、この一月人々の心は萎縮し、心から笑い、はしゃぐことなんて皆無だった。
 占い師も姿を消した。黒いメダリオンから身体に移った文様も消えた。
 メダリオンは普通の銀メダルになってしまい、ただのゴミと成り果てた。
 
 それでも、この町が活気づくには、
 人々に笑顔が戻るには、時間が必要なのだと思う。
 かつて崩壊寸前に陥った、アリアハンの城下町のように……。


 人々の洗脳が解けて盟主解雇から逃れることができた自分。
 実は一か月ほど寝たきりで、町を盛り立てる所か起き上がることもできなかったんだよね。アニーちゃんに介護して貰いました。(役得)
 寝込んでいたのは、ジャルディーノさん、ドエールさんと行った呪文の反動。当然二人も寝込んでいて、暫くイシスで養生を余儀なくしていた。

 なんとか動けるようになった所で、景気づけに「いっちょ結婚式でもでもやったるか!」と準備は進められて、あれよあれよとやって来た本日。

 本当は勇者一行も呼びたかったんだけど、ニーズさん達は連絡が取れなくて断念。一体何処の海を彷徨っているんだろうなぁ?
 なので仲間内でお祝いに駆けつけてくれたのは僧侶ジャルディーノさんだけとなっていた。他には神父役に聖女様。ジャルディーノさんと一緒にナスカ姫と、従者に神官マイスさん。イシス貴族のドエールさんもフラフラしながら参列している。(まだ本調子じゃないらしい)
 それからアリアハンから自称勇者のお嫁さんことサイカさん。(旦那に会えず残念そう)俺の従兄弟のラルク兄貴も参列。どちらかと言うと聖女様の勇士を拝みにやって来る。

 皆それぞれ、ヴァージンロードの左右で出迎え、拍手を惜しみなく送っていた。


「おめでとうお姉ちゃん!グレイさん。…ううん。お義兄さんだね!お姉ちゃんをよろしくね。絶対幸せにしてね!」
 人込みの中から一人、少女が飛び出して、新郎の手を取って念を押した。新婦の妹クレイモアは、ピンクのミニスカドレスでお洒落にキメている。
 ずっと姉の幸せを願って、二人を応援してきた妹。嬉しいだろうなぁ……。
 
 クレイモアにはおおよそ事件の真相を話してあった。
 あの占い師兄弟が『魔物』であったことを…。
 親しくしていた彼女には相当ショックだったようで、その時の驚いた大きな瞳は忘れられない。二人が自分を利用して、この町を大きな呪場に仕立て上げたこと。二人が人を洗脳して、多くの命を奪ったこと……。

 それ以来、彼女の口からあの兄弟の話題が漏れることは一度も無い。
 これでいいと思うんだ。もう二度と、利用されないためにも……。



「うん。精一杯、ファルのこと考えるようにするよ。今までありがとうクレイモア。これからもよろしくね」
 新郎は幸せそうな照れ笑い。クレイモアも満足そうにスキップして、後方の青年とバトンタッチする。後ろには共にこの町で数ヶ月暮らしたランシールの騎士クロードが(この日は許されて)貴族らしい正装で品良く笑った。
「おめでとうございます、お二方。あなた方の未来に神の祝福がありますように」
 信仰するミトラ神に祈りを捧げて祝辞を述べると、彼は更に後方の少年を振り返って促した。

「さあ。ビームもいつまでも拗ねてないで。お祝いするって言ってたじゃないか」
 後方にいたのは新郎の弟ビーム。ずっと二人の結婚に反対していたので、この日になってもまだ素直になれないらしい。(多分クロードに借りた)正装がだぼついていて、不似合いなんだが笑わないでおこう。
「……。あ……。えと…。…めでとう……」
 所在なさそうに視線を彷徨わせながら呟いた。彼の前に新婦がスッと進み出た。

「お兄さんを取ってしまってごめんなさい。でも、義弟ができて嬉しいわ。祝ってくれてありがとう」
「………」
 すぐには返答ができないでいると、左右から「何やってるのよ」とか「ほら。笑顔笑顔!」などと小突かれていたりする。
 はたから見ていて結構面白い♪

「う…。………。上手く言えないけど………。兄貴に変な物食わせるなよな。あと、不幸にしたら絶対許さないからな!」
 笑顔はどうしても無理だったらしい…。ビシッと鼻先に指を突きつけて言いつける。新婦はクスリとして、その発言を好意的と受け取った。
「わかったわ。ふふ。ありがとう…」

「お姉ちゃん。ブーケ、できればちょこ………っと、欲しいな。なーんて思ってるんだけど………」
 ビームを小突き終わったクレイモアは、「ブーケ」の行く先を姉に問いた。花嫁のブーケは受け取った人が次に結婚できるとか、幸せな結婚ができるとか言われている縁起もの。おそらく彼女だけじゃなくて、水面下で狙ってる女性は多いに違いない。

「ごめんなさいクレイモア。渡す相手はもう決めているの」
「えー…。そうかぁ〜」
 断られてクレイモアはがくりと肩を落とした。新婦は視線を上げ、「渡す相手」を人込みの中に探している。

 彼女は控えめに人垣の後方に隠れるように小さくなっていた。もともと小柄なのに臆病に連れに寄り添うさまは、ますます彼女をかよわく見せる。
 紫紺のドレスも立派なもの。しかし彼女は式の間中もずっと連れの後ろを行ったり来たり。美しいドレス姿をなかなか拝ませてはくれなかった。

 二人の連れは揃って赤毛。従兄弟同士。片方はイシスの誇るラーの化身(化身じゃなくて本人だったけど、そこはさすがに世間には秘密)僧侶ジャルディーノさん。もう片方は言わずと知れたイシスの神官マイスさん。
 二人とも普段と余り変わらない衣装であったが(僧侶、神官衣だから)、左右から小さな姫をエスコートして夫婦の前にやって来た。
 こうして見ると、姫様を守るナイト様様。イシス組には更にドエールさんも居たので、見目の良さは拍車を増す。

 今まではジャルディーノさんは「かわいい」感じだったんだけどなぁ……。
 姫様を守ると決意した以降は何気に「男気」が生まれたような?
 やはりあれかね?愛する人ができると人は変わるのかな。ジャルディーノさんも「男」だったってことなんだねぇ……。(今更)


「おめでとうございます。二人の道にいつも愛が溢れていますように。どうか、末永くお幸せに」
 始めに少年僧侶が夫婦に祝福を捧げた。続いて従兄弟の兄が姫様の肩を支えながら挨拶する。
「ご結婚おめでとうございます、お二方。どうぞお幸せに」
 新郎新婦が礼を返すと、さすがに礼儀を重んじて、二人の間から小さな姫君がおずおずと前に進み出てきた。

「……。おめでとうですわ。どうぞ、お幸せに……」
 イシスのナスカ姫の声はか細く、周囲の喧騒に負けていた。
 エジンベア王子の傷害事件の後はろくに口もきかなかったと聞いている。養生も兼ねてジャルディーノさんはイシスに残留、その間毎日部屋に通ったらしい。成果あって、徐々に彼女は表情を取り戻し、少しずつ会話もするようになって来た。

 ずっと部屋にこもっていたので、気分転換も兼ねて式に来てくれたんだろうな。
 「元気になった」とはまだ言えないけれど、少しずつ、笑顔を見せてくれればいいね。

 冴えない表情のナスカ姫に、新婦は微笑んでブーケを差し出す。
「お越し下さりありがとうございました。どうかお受け取り下さい」
「え……」
 姫がブーケの意図を解らないはずがなかった。戸惑い、目の前の赤い薔薇たちに視線を落とす。
 「次に結婚できる」「幸せになれる」、私が……?
 姫はきゅっと唇を引き結び、俯いて思案に暮れた。


「姫様……。受け取りましょう。ファルカータさんの気持ちです」
 優しく少年僧侶は姫に囁く。
 新婦、ファルカータさんも同じ王子に悩まされた相手。お互いあの王子の妻になろうとして苦しんだ…。
 忌々しい王子の顔を思い出して姫は身震いして、ぎゅっと自分の両腕を抱きしめる。気遣って僧侶はその上から庇うように両手を添えた。

「大丈夫ですよ。ファルカータさん達もこうして幸せになるんです。幸せのおすそ分けですよ。受け取りましょう。姫様も幸せになれます。絶対に……」

 ファルカータさんの気持ちは嬉しかった。
 私も幸せになれるだろうか。未来に不安を抱えながらも、ナスカ姫は花嫁のブーケに手を伸ばす。
「あ…りがとう、ございます……」
 感極まってしまって、嬉しいのか哀しいのか、判別しにくい涙に濡れるイシスの姫。それ以上は肩を震わせるばかりで一言も話すことができなかった。
 花嫁のブーケを胸に抱いて、僧侶の胸に甘える。
 幼い少女の心を苛み続ける傷痕、気遣う少年。二人ごと保護するように赤毛の神官は動いた。
「…すみませんね。まだ姫はこんな調子ですので。ご好意傷み入ります。披露宴には欠席させて頂きますが、また落ち着いた頃に顔を見せましょう」
 神官マイスに促されて、イシス組は一礼の後、広場から退室していった。


「おっめでとう!お二人さん!」
 夫婦を祝おうと順番を待っている者の数は多い。イシス組が去るのを見送って、商人がここぞとばかりに片手を上げて登場する。
 アッサラーム式のターバンを頭に巻いた空色の髪の商人。そう言えばラルクの兄貴も「あの日」この町にいたんだよね…。惨事にならなくて本当に良かったよ。
 兄貴は恋人の神父役を拝めてそれはご機嫌だった。

「どうぞ幸せにね♪一時はどうなることかと思ったけど〜。まっ!結果オーライって奴だ。ラディもカッコよかったし。たまには男装もいいね!逆にそそられるって言うかね!いや〜めでたいめでたい!」
「私のことは余計よ」
 遅れて現れ聖女様は冷静なツッコミを入れる。
「ラディのウェディングドレスも綺麗だろうなぁ……。いいなぁ〜」
「だから、私のことはやめなさい」
 随分気温差の激しいカップルであった。


「ああっ!もうブーケは無いのですねっ!ガーーーン!」
     そういえば、当然狙っていたであろう自称勇者のお嫁さんが現れた。
 どうやら「もしかしたら遅れて旦那が現れるのでは…?」と期待して、周囲を探して出遅れてしまったようだ。
「ああ。すみませんっ!でも、サイカさんはブーケが無くても、幸せじゃないですか。心配無用ですよ」
 新郎は、ヴァージンロード最後の方で途方に暮れるジパング娘に苦笑する。
「うぐっ。それはまぁ、そうなのですけれども……」
 紅い着物のジパング娘は口をむぐむぐさせて未練を示した。
 まぁ、この人はこーゆーの好きそうだし。憧れたりするんだろうな。

「ごめんなさい。どうしても、渡したい方がいたのです」
「…まぁ。無いものは仕方がないのです。…気を取り直して。おめでとうございます。どうぞ夫婦円満。子宝に恵まれますように。しかしニーズ殿、一体いずこに……」(ブツブツ)
 どうしても夫が気になるらしい。(苦笑)
 あの人も、もう少し奥さんとマメに連絡取らないと駄目だよね〜。


 この後、新郎新婦は少しばかり町を巡って帰ってくる。
 その間に広場に披露宴の準備をして出迎える。披露宴参加組みは受付などに一旦姿を消して、町でエールを送る者は各自選んだ場所へ移動。
 俺たちは残って披露宴の準備。当然司会はこのナルセス様だった。

「グレイさん。ファルカータさん。おめでとうございます。無事にこの日が迎えられて、ホント良かったですよ」
 初めてダーマで会った時から、この人達を応援すると心に決めた。
 女のために町を作るなんて言った人。さまざまな人の力を借りて、本当にできちゃったもんね………。そしてエジンベアの束縛からようやく抜けて、夫婦になる。
「ここまで出来て、本当に良かったです。応援するって決めた、あの日の決意が達成できた。どうか…。本当に。幸せになって下さいね」

 この人たちの「幸せ」は、俺の目指した一つの結果なんだろう。
 ずっと、いつまでも。二人仲良く、幸せでいて欲しいと願いやまない。

「おめでとうございます…。末永く、お幸せに…」
 俺の横には幼なじみの恋人が感慨深く頭を下げた。アニーちゃんのドレスは蒼と白のドレスで、それはもうとっても可愛い。

「君達には……。本当になんてお礼を言っていいのか……。ありがとう。ありがとうね……。一緒に町を創ってくれてありがとう……」
 あの日ダーマで会わなかったなら、今日のこの日は無かったのかも知れない。グレイさんは俺の両手を握り締めて頭を下げては男泣き。
「新しい世界を……。ありがとうございます……」
 ファルカータさんは深く深く、ゆっくりと噛み締めるようにして、ドレスの裾をつまんでお辞儀してくれた。

 何度口にしても、まだ涸れることの無いお祝いの言葉。
 和む俺たちの傍に「披露宴準備組み」が集まってくるとまた賑やかさが増す。


「そろそろ二人を町に行かせてあげたらどうかしら」
「ん!そうだな!ラディの言う通り!披露宴はラディもドレス着るんだろ?セクシーヒューヒューなNEWドレス!」
「それは置いてきたわ」
「そんな!ひどいっ!!」
 温度差激しいカップルとか、新郎新婦の弟妹たち。それからクロードの姿もあった。

 新郎新婦が町巡りに向かったところで、神父衣装の聖女様は唐突に弟の手を取った。
「…ところで、クロード。ビームが貴方のことを認めてくれたの。もうランシールに戻っても構いません。この勲章も返します」
「えっ!?」
 突然の事態に飛び上がり、実弟は「まさか」とばかりに当事者を見つめた。

「……。お前には感謝してる。騎士にでも何でもなれよ」
 驚愕のクロードに一度は真摯に見つめ返し、後半は突き放すようにフイッと横を向いた。状況が理解できるまで、数秒。1、2、3。

「本当に……!!! 嬉しいよビーム!!!」
「うわっ!またっ!」
「ありがとう!ありがとうビーム!嬉しいよ!!!」
 クロードはビームの両手を握って上下に振る。更に左右にも振る。その場で回転もした。

「…良かったわね…。クロード…」
 姉の瞳は嬉しさに細まって…。
 彼女にはこの結果が見えていたのかも知れないな。世間知らずな弟を敢えて彼にぶつけて、双方の理解と成長を計った。
「ああ、でも、姉様……。すみません。僕は、もう少しこの町に居ようと思います」
 しかし意外なことに、弟は騎士勲章を姉の元に預けると断った。

「もうそろそろナルセスも旅立つのでしょう。せめて彼が帰って来るまで……。僕はこの町を守っていたいのです。もう少しここで、働いていたいと思います。宜しいでしょうか姉様……?」
「何言ってんだお前!お前なんかもういらないって!ランシール帰れよ!」
 取り合えずいいこと言う彼に対して文句を言うのは某弟くらいのもので。話題に挙げられて俺はボリボリと頭をかいた。
「……。あー…。うん…。解るよね?ぼちぼち行こうと思ってるよ」

 いつまでこの町で暮らすのか。
 その節目に、丁度いいのがグレイさん達の結婚だった。彼らが結ばれるまでが、俺の背負った責任と言うのかな。
 ぼちぼち勇者の旅に戻ろうかと養生しながら考えていた、それが周囲にも伝わっていたんだろうな。

 すでに修行期間は充分。逆に寄り道してしまったぐらい。
 もうちょっと満足に戦闘できるようになるまで、イシスでジャルディーノさんと一緒に体力回復と鍛錬を行う事に決めてある。
 町のことは気にかかる。でも後を任せられる相手がいるなら………。

「クロードが居てくれるんなら安心だね。俺からもよろしく頼むよ」
 グレイさんと交わしたように、彼とも固く右手を重ねる。あの日と同じように、志を右手に込めて強く握る。どうかこの町を守って欲しい…。

「……。解ったわ。思うようにやってみなさい。私はいつでも構わないわ」
「ありがとうございます、姉様!」
 姉も快く了承して、クロードの滞在はまだ続くことに決まった。
 クロードも最初は文句ばっかりだったんだけど、いい顔するようになったよね。聖女様も弟の成長に温かい微笑みを送っていた。(約一名明らかにげんなり顔) 



 披露宴の準備の合間、誰にも聞こえないように俺の耳元でアニーちゃんが囁いた。
「…一つのことが終わったね。…また、頑張ってね」
 広場に並べたテーブルにクロスを敷きながら、通りすがりに何気なく告げる。
「おう!」
 ちゃんと俺のことを解っている彼女。どんなに離れていても、いつでも俺の支えになってくれる。俺を勇気付けてくれている。
「大好きだよ。アニーちゃん」
 小声でラブコールして手早く投げキッスを飛ばした。飛んだキスに付き合って笑う。


 再び戻って往く俺の道。勇者ニーズの旅に同行して、魔王バラモスをぶっ倒す。俺も胸を張って戦うことができるだろうか?
 あの人たちはどれだけ強くなったんだろう。どれだけ成長したんだろうな。
 自分は果たして追いつけるのか    

 胸がドキドキ高揚している。
 俺はこの町からまた旅に出る。

++

 町で初めて行われた結婚式。披露宴も終了間近、日の翳りと比例してお祭りムードも鎮まっていきました。
 久しぶりの騒ぎに疲れ、早く帰路に着く者も多い。
 昼間の喧騒は薄れ、街道を歩く靴音もまばら。

 あの日の悪夢を恐れるのか、町人は「夕刻」から身を守るように家に閉じこもり、夜の外出を避けるようになりました。固く扉に鍵をかけ、重いカーテンで窓を塞ぐ。
 空は茜から薄蒼に装いを変えてゆく。

 宴が終わり、人が消える。
 やがて誰も居なくなり、夜を伝える教会の鐘が始まった。

 私は、      ここで別れた彼のことを反芻しては、
 悲しくて、教会の壁に爪を立てて震えていた。

 ここに来るのは、これで最後。「さよなら」を確固たるものにするため    






「………。僕は、彼女を愛しているから……」
 まだ口走る彼に、私は放心して町を去った。これだけのことをしても、揺るがない彼の気持ち。恨めしささえ覚えて、町の外で追いかけて来た彼と向かい合う。

「どうして追いかけてくるのですか……。貴方はもう、勇者であることも捨てる気なのですか……?」
 いつまでも煮え切らない彼を穿つように冷たい雨が降って来た。傘もささず、冷えてゆく二人の身体。どうして別れて以降、出会う彼はずっと「痛々しい」のですか……?

 山側の出口、生い茂る緑に隠れて潜む彼は【森の迷い子】にも見えてくる。
 ムオルで暮らす彼の笑顔は温かかった、それなのに。記憶のある、ないにしても、会う度に彼は存在がおぼろげになる気がして………。

 私のせい……?


 同じことを言っても、私が説得に応じないことは解っていたのでしょう。彼は言葉を模索し続けて、見つけられずに沈黙ばかりが重なった。

「闇の衣は光の玉でしか消えない。もう、解ったでしょう……。私たちは大魔王を覆う闇の衣。貴方にしか討てません」
 ムオルで彼にそう伝えた。
 ラーの力で「もしかしたら」と期待したけれど、現状では叶わぬ願い。大魔王には私たちを消さなければ辿り着けない。勇者であるなら、私を殺すのは必然。

「……。解ってる。…だから、最後の時まで一緒にいよう。ぎりぎりまで一緒に居て、大魔王を倒したら、僕は……」
 幼少の頃から想い、焦がれてきた彼が吐露する言葉。雨に煙りながら私に近づき、ぎゅっと捕まえると唇を重ねた。
 抱き合うことは嬉しかった。心をほどけば、そのまま彼の胸に埋もれて、二度と離れられなくなる。囁くのがこんな告白でなければ     

「……僕は……。君を殺したあとで、のうのうと生きていようなんて思っていない」
「…………」


      いま、なんて、言いましたか………。

「どういう、意味ですか………?」
「……。そのままの、意味だよ…」
 世界がひび割れる音が鳴り響く。鼓膜の中で陶器が粉々に砕け散ったようにして。

「なぜ……。どうして!どうしてそんな事を言うのですか?貴方は生きたくないのですか……!」
 血相を変え、彼の襟を掴んで激しく揺さぶった。どうか目を覚まして欲しい。そんな世迷言を言わないで欲しい。
 「生きたい理由なんて見つからない」、青い瞳は哀しく囁く。生きる情熱をいつの間にか失っていた。
 いつからそんな人になってしまったのですか?
 あんなに必死に生きようとしていたはずなのに。

「先が短くても……。家族や友人と共に生きる道はあるじゃないですか!短いからこそ、必死に生きるのではないのですか?そんな、そんな……!それが人というものでしょう!」
 いえ、それが『あなた』だったはず。
 訴える私に彼は無言で……。
 私が提示する項目は胸に引っかからないのでしょうか。生きる目的にはならないと言うのでしょうか。

「そんな哀しいことを言わせるために、私、貴方を助けたのじゃありません……!」

 「死にたくない。死にたくない」と。
 幼いながらも独り、死に立ち向かう貴方が好きだったのに。
 私がユリウスから救い出したのは、彼に「生きて欲しい」からだったのに……。

 こんなに哀しいことはない。こんなに悔しいことはない。

 
「フラウス、聞いて、僕は……!」
「聞きたくありません!」
 抱きしめる両手から乱暴に抜け出し、怒りの限りを込めて頬を撃った。
「貴方なんて、私の好きな貴方じゃないっ!」

 私がこの人をこんな腑抜けにしてしまったのでしょうか。
 私がこの人を駄目にした?悔しくて、哀しくて、思わず本気で死神の鎌を首に当てた。もう一度でも「死にたい」なんて口にするのなら、望み通り首を断ってしまいたい。

 頬を撃たれ驚き、振り返った時には首筋に鎌の刃が当たっていた。彼は殺気を悟って硬直し、緊張して唾を飲み込む。

「……さよならです。勇者ニーズ。私の愛した人はもういないのですね。残念です……」
「フラウス……。君は、僕に生きろと言うの」
 酷なことを宣告されたように、彼の双眸は細くなる。
「当たり前です」
「独りで……。生きなきゃならないんだね……」

「アリアハンで家族と共に暮らせば良いでしょう」
「母さんもすぐに居なくなる。僕らが帰るまで生きているかどうかも怪しい……。ニーズは彼女と結婚するのだから、僕は邪魔になるよ」
「……。では、貴方も素敵な人を見つければいいのです。すぐに見つかります」
「新しい恋をしろって言うんだね……」

 どれもこれも、彼を奮い立たせる「目的」にはならないようでした。

「……。では今、貴方は何のために生きているのですか……?私のため、ではないでしょう?自分のためですか?家族のため?信じてくれる仲間のため……?」
 難しい議題に押し黙る彼。
 迂闊なことを口走れば首が切られる瀬戸際に居る。

「……。勇者になるのは、自分のため。多分、自分の憎しみを晴らすため……なんだろうね……。家族や仲間は戦う理由にはなってるよ。でも大魔王を倒した後、僕には何もなくなるんだ……」

「ネクロゴンドの王子や、翼竜の生き残りは、貴方の傍にいるのではないですか?」
 貴方のことは大抵知っています。どんな人物と過ごしているのかも熟知している。あの彼らがこの人を孤独にしておくはずがない。
「どうかな…。リュドラルにも好きな相手がいるし、生きていれば彼女と一緒に暮らすと思う。ネクロゴンドを復興する可能性だって高い。アドレスも、好きな子を追いかけるんじゃないかな」
「…………」
 なんて、寂しい人なのだろう……。
      いえ、知っていたはず。彼は小さい頃からずっと孤独を噛みしめて生きてきた人。父親に捨てられ、死に追い立てられ、周囲に心を閉ざし自ら孤独に苛まれる人。

「どうして私のことだけは、そんなに信じてくれるのですか……」
 この人の弱い心を助けるべきか、敢えて突き放すべきなのか葛藤し戸惑っていた。
 …考えてみる。どう足掻いても、私は彼を救えないでしょう?

 私を愛せば愛するほど、私を討つ傷は深くなるのだから     


「私、信じています。あなたは負けたりしないのだと……」
 いつかと同じ台詞を口にして、首に宛がった鎌を離した。

 私なんて居なくても、彼を想ってくれる人はたくさん居る。
 彼を守ってくれる人は必ず居る。
 例えどんなに揺らいでも、揺れるだけで、決して敗けたりはしない………。

 一度目を伏せ、心を固めた。鉄のように頑なに、彼への想いを閉ざしてしまう。
 誓いにともなって、私は彼に初めて語る。今まで決して語らなかった『彼』のこと。初めてその名を読み上げる。

「オルテガは生きていますよ。下の世界で」
     !!!」
 これ以上、彼に衝撃を与える言葉も無いでしょう。腑抜けた勇者は、この名前で目が覚めるはず。

「貴方が死んだら、彼に役割が戻るだけです。勇者を降りたいのなら、そう賢者にでも伝えることですね。きっと何か手を打ってくれるでしょう。最も簡単なのは、今私に首を取られることです。…どうしますか?」

「…………」
 青い双眸が険しく変わった。私の皮肉に反応して怒りに全身が熱を生む。敵同士のように初めて睨み合い、お互いの間に走った緊張。
 一食触発の雰囲気に、いよいよ彼も「道」を決めた。
「僕は、勇者になるんだ。光の玉は誰にも渡さない」
 ようやく死神に対してふさわしい顔になる。


      思えば、初めから父親の名前を語れば良かったのかも知れない。
 そうすれば彼は憎しみにかられて、大魔王を倒すまで無我夢中で生きてくれる。例えそれが幸せな生き方では無かったとしても……。

 父親を憎むこと。それこそユリウスの思惑の範疇内。
 知りながら、私もそれを利用してしまう……。
 ノアニールでユリウスと戦い、傷つき倒れた勇者オルテガの記憶を奪い、破壊した。ユリウスには石化の能力。私には記憶を奪う能力が備わっていた。
 勇者オルテガより妻子の記憶を奪い、家庭崩壊を導いたのはこの『私』。彼を苦しめる孤独の原因を、生み出したのは自分だったのです…。

 事実を伝えればオルテガへの憎しみは私へと移るでしょう。父親に罪は無い。記憶を壊した後で彼に恋した自分は真相を隠し、彼に嫌われるのを畏れて偽り続けてしまった…。
 一度は伝えようとした罪はユリウスによって邪魔された。
 ユリウスの元に一度還された私は制約を受けて行動しているため、オルテガの記憶に関する情報を口にすることができない。

 口にできたなら、貴方は私を憎み、父親を許すのでしょうか……?

 そんな私が彼に愛されるなんて、初めから有り得なかった。解っていたこと。
 だからもう一度、これで終わりにしようと………。


「そうですね。私は死神。貴方は勇者。この次はそうして会いましょう」
 言葉に抑揚はなく、冷徹に言い放つと、踵を返して森へと消えた。どうか次に会う時は彼が生きる力に満ちて、真に『勇者』であるように願いながら     
 



 

 夜を告げる教会の鐘は、
 ミトラ教会から始まり、ラー、ルビスへと流れてゆく。
 ここへ来るのはもう最後。この町で暮らした数ヶ月の時を思えば、名残惜しい感傷もあるけれど………。

「さようなら。ニーズさん………」
 昼にはここで新しい夫婦が生まれた。舞い散った花びらの残骸漂う噴水の縁に立ち、花祝いの日に贈られたブレスレットを水に落とした。

 これからの事を少し考えて、亡霊のように立ち尽くす。
 夢の神と賢者ワグナスの二人にユリウスの分身は吹き飛ばされて……。暫く彼女は動けないはず。ファラは巧くいっただろうか……?

 僧侶ジャルディーノの石化は失敗、オーブも彼らの手に渡ってしまったけれど、気が重くなるのはただ一人の所業ばかりだった。
 結局のところ、私の悩みは全て「彼」。
「急いで下さいね…、ニーズさん……。ユリウスは遊んでいるんです。まだ、遊びなのですよ……」
 私では彼は救えない。願うのは………。

「勇者様は、…今のままですと、大事な人を失う…でしょう」

 この町で出会った彼の半身。もう一度強く願う。
「守って下さい。あなたの大事な人を……」

++
 
 兄弟のように並んだ三教会の鐘が鳴り響く。
 いまひとたび、別れてしまった二人の為にも……。



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■後書き■
商人の町編、終了です。ここでジャルディーノ改革はほぼ終了。
すいません。商人の町でナルセスは賢者になりませんでした・・・!<(_ _)> 
そう思っていた方、ごめんなさいです。まぁ、いずれ・・・。(もごもご)
エジンベアから、かなり怒涛の展開だったと思います。皆様お疲れ様でした。

2006・5