「………。私も、踊って下さいませんか」
 タイトなドレスに長い髪をアップにしたエルフ娘が、ひどく緊張し僕の前に現れた。声は裏返り掠れ、震えるその手を僕へと伸ばす。
 まさか彼女が、誘ってくるとは思わなかった。
 
     正直なところ、パーティの間中、僕の視界に彼女は映っていなかった。
 景色のように、敢えて注目しないように避けて流す否認の存在。そこから突然飛び出し、接触をはかる彼女に、僕の呼吸は止められてしまう。
「………………」
 動揺する胸を鎮め、姿勢を正し、改めて彼女を見つめ直す白服の勇者。


 彼女がどんな性格なのか、関係を持たない、知ろうともしない僕には全く知識がなかった。どうして緊張しているのか。ただ【もう一人の兄】に初めて挨拶するだけのことに。その気負いの度を越していると感じていた。

 間接的にでも、僕の憎しみを知っている……?
 緊張だけでは説明し足りない、エルフ少女には僕に対する畏怖があった。恐れ強張りながらも、顔を上げて澄んだ瞳で異母兄である僕を見つめる。
 虫唾が走るような思慕も揺れていた。




 冗談じゃない。

 思わず怒りが視線や口の端から漏れかかり、言葉にならない激情が噴火のように身体を抜けた。
 周囲の、王子リュドラルや竜アドレスの注意が背中に痺れを生じる。
 ………解ってる。少なくとも、今は彼女を罵倒する時ではない。

「いいよ。僕で良ければ」
 緊迫はつかの間。溢れる憎悪に蓋をして、僕は彼女の手を取った。手袋ごしにも熱が伝わる。細い腰を抱き寄せ密着し、けれど決して視線を合わせることはしなかった。
 触れ合いながらも二人の間には強烈な溝がある。鋼鉄の壁を作って全身で彼女を拒絶していた。
 ………伝わっただろうか。
 僕の中にある君への【否定】が。


 緩やかな音楽は続いてゆく。
 型にはまったステップに、人形にするかのような感情のないダンス。長い耳が小刻みに震えて、何度も煩わしく僕の髪に絡み着いて眉根を寄せた。
 もうじき曲が終わる。意を決した彼女は、悲しみを含み呟いた。

「お兄様、………と呼んでもよろしいのでしょうか………」

 数ステップ、僕の答えは凍っていた。

「………やめて欲しい」
 ため息のように、諦めたように僕は少しうなだれる。
 ずっと接触しなかった。けれどもう素通りしてもいられないって解るから。


 けれど今夜は【決戦前夜】。
 どんなに憎い相手でも、世界の行方の方が勝る。今夜は正直な言葉で彼女を傷つけ、魔王戦に差し障るような真似はしたくない。
「バラモスに勝った後で、話そう」
 会話は全てそこで終わった。


 お互いのことを。お互いをどう思っているのかを。
 そして、これからどう付き合っていくのかを。

 話は保留にしておいて、作り笑いで彼女と離れた。
     おそらく、もう二度と抱き合うことはない。





「糸」



「ニーズと……シーヴァスだけ、少し残って欲しいんだ。大事な話がある」
 弟と、エルフの魔法使いを呼び止めた。狭い居間には三人だけとなり、誘うように僕はソファーの奥へと腰を下ろした。
 窓の外で庭の木々がざわざわと揺れていた。状況の良く分からない弟ニーズの、心境を代理するかのように窓も軋む。
 
「バラモスに勝った後で、話そう」
 そう告げられていたエルフの少女は、内容を図って静かに僕の向かいに腰かけた。ニーズは半ば怪訝として隣に落ち着く。


 何から話そうか………。
 疲労が込み上げてきて、ぎしりと音を鳴らして背もたれに寄りかかった。
 目覚めてからの連続戦闘に、ここに着て気を失いそうな眠気に襲われ目を閉じる。話す内容も僕を更に気重にさせる。
 白服の勇者は、うわ言のように呟いた。

「まず……。僕のことは【兄】と呼ばないで欲しい。他の仲間達にもこの事に関して口出しされたくない。皆で揃って彼女のフォローをするなら、僕は別行動をさせて貰う」
「なっ……!」
 顔色を変えて弟がこちらを振り返った。案の定の反応だった。
「ニーズ、君にもだよ」
 君が『この子』びいきな事は分かってる。ぴしゃりと反論を閉じて、寝姿勢のまま強制のオーラだけを強くした。


「………。解りました。言いません。仲間達にも、言わないように話します」
 予想していたのか、魔法使いシーヴァスは素直に僕に従った。声にもさほど哀しみも混じっていない。
 
「ちょっと待て。気持ちは分かる……。お前がオルテガを憎んでるのは知ってる。でもシーヴァスには関係がないことだ。シーヴァスは何も知らなかったんだ」
 話し合う余地も許さない、僕の肩を掴んで弟の口調は強くなった。細めた視線は、正面を向いたままで、ひとまずは彼の言い分を聞く。

「シーヴァスはずっとお前のことを慕ってた…。俺も救われたんだ。俺なんかとは比べ物にならないぐらい優しいヤツで……。お前もきっと話せば分かる。だから……!」
「それ以上言わないで。言うなら、また君とは決別する」
 
 君が言えば言うほど、彼女を庇えば庇うほど、
 僕の心が冷め切ってゆく事実。
 憎らしさが募っていくのを君は絶対判らないだろうね。


「……ありがとうございます。お兄様。……いいのです。今は。少なくとも一緒に居られるのですから。呼び方なんて、些細なことです」
「シーヴァス……」
 状況を打破できない自分に苦虫を噛んで、弟は悔しそうに乱暴に座り直した。

「では……。どうしましょう。【勇者様】と呼べば良いでしょうか。それとも【ニーズさん】」
「兄以外なら、好きなように呼んでいいよ」
 僕の言葉は、自分でも嫌になるほど冷たいもの。彼女はそれでも微笑むのが、忌々しくて、不愉快だ。
「解りました。それでは、【勇者様】と呼ぶことにします」



 沈黙が数刻続いた。
 口にする前に、さまざまな思いが心中を交錯するがために。

「それから……。君には朗報なのかな」
 死神に告げられた自分は、【道】を変更せねばならない程に強い衝撃を受け目の色を変えた。母親は冷静にその事実だけを受け入れ、会って話し合うと口にした。
 では、このエルフの少女は、一体どんな反応をするんだろう     


 おもむろに立ち上がり、窓辺に立つとそっとカーテンを横引いた。口にする自分の顔を隠すため、二人に背を向け空を仰ぐ。
 恐慌は去り、今は落ち着いたアリアハンの夜空。月も見えず星もなく、窓には強張る自分の顔がほのかに映る。

「アレフガルドに、オルテガが生きている」
 抑揚もなく、物語の台詞のように単調に呟いた。
「えっ………!」
 冷静で落ち着いていた、彼女の目蓋が跳ね上がる。

「死神から聞いたことだ。確かなことだよ。詳細や居場所は知らないけれど……。下の世界できっと見つかる。探すつもりだ」
「………………っ!」
 興奮のままに立ち上がり、彼女は口元を覆って歓喜に震えた。

「本当、に……!?ああ、お父様!良かった、会いたい……!会いたい……!」
 脳裏によぎるのは、【地球のへそ】で垣間見た幸せそうなエルフ家族の幻。簡単に想像ができたんだ。死んだと思っていた父親が生きている。感動的な親子の再会が絵画のように光を放つ。

「母がオルテガに会いたいと願ったから、探してここへ連れて来る。どうしてこんな事になったのか、話したいと言っていた」
「……はい。そうですね。私も知りたいです。お父様の真意を」
 嬉しそうに、溢れる涙を彼女は拭う。

「その結果によっては……。君との関係も変わってくるかも知れないね」
「………!はい!きっと変わります。お父様は、あなた方を捨てるような人ではありません。きっと何か事情があったのです」
 
 窓に立ったのは正解だったと自分を褒める。
 とてもじゃないが歓喜する彼女を正視できる自信がなかった。…爆発しそうだった。思いつく全ての言葉で彼女を怒鳴りつけ、この世から消し去ってしまいたい。


「会えば、きっと。会えば、話せば……。きっと誤解はとけると思います。仲の良い家族にきっと戻れます」

「だといいね」
 投げやりに吐きこぼした。精一杯の平静を装って。
 彼女の純粋ぶりに腸(はらわた)が煮えくり返る。

「良かったです、本当に……。私は信じています。あなたに幸せが戻る日を」
 
 奪っておいて、言うのかその口が。

「この家で……、家族全員、笑顔できっとまた過ごせますね。楽しみです」

 


 想像はした。
 
 けれど一秒も持たず、幻想には蜘蛛の巣のような亀裂が走り、
 儚く硝子細工のように墜ちてゆく。
 甘い夢さえすぐに壊れる。




 勇者の家を後にした、エルフ少女を弟は宿まで送ると出て行った。
 彼女のフォローをしたいんだろうな。そうすればいい。


 玄関先で彼女がそれを断る声が微かに響く。

「大丈夫です。すぐ近くですから。お兄様も疲れていますから、どうぞ休んで下さい」
「………。ごめん。助けてやれなかった」
 僕との関係を仲介できず、悔しそうに弟は謝る。彼女は長い髪を揺らして首を振った。父親の生存を知ったからか、迷いのない美しい笑顔を復活させて。

「いいえ。これから一緒に旅ができるのですから……。私は嬉しいです」
 草原一面に花がひらくような笑顔を振り撒いて、彼女の声は喜びに輝き、宿に戻る足取りも弾んでいる。
「一緒に居れば、仲良くなることもできます」
 異母兄との明るい未来を、信じて全く疑ってはいなかった。妹の様子にニーズの顔も優しく変わる。



 二人の去った空間を見つめながら、僕はますます自分の闇を認識し自嘲していた。
 覆い被さるように自分が闇に染まっていくのを痛感している。
 彼女は「いい子」だ。純粋で、無垢で、前向きで、心が美しい。だからきっと選ばれる。だからきっと、オルテガは彼女らを選び、アリアハンの妻子を捨てた。

 理由なんて、自分が一番良く解っていた。
 オルテガも自分が幸せになるために、幸せになれる相手を選んだだけのこと。


==


「……悪い。ちょっと頭を冷やしてくる。……朝には戻る」
 親友の、幼なじみの死を告げられ、俺の思考は混乱していた。

 グラグラと視界が途切れ、揺れ乱れる。
 油断すれば、足元から崩れ落ちて行きそうだった。
 
 どうしていいか分からなかった。当たり前のように傍で笑った、共に過ごした友人がもう何処にも居ないなんて   



 魔王バラモスを倒し、仲間と手を取り合って歓喜にわいた。ニーズを胴上げする輪の中に、一人入らずに雨に濡れていたネクロゴンド最後の王子。
 
 アイツは笑っていなかった。
 …どうして。どうして城に残してしまったんだろうか。

 馬鹿みたいに浮かれている、そんな場合じゃ無かったのに。



 後悔していた。果てしなく、尽きることがない位に。
 勇者の家を出て、魔物襲来の傷痕深い、生まれ育った城下町をなぞるように駆けて行く。足は覚束なく、建物や木々に時折ぶつかり、寄りかかり、酔っ払いのように町を彷徨った。それは、未練がましく友の軌跡を探し歩く行為。

 アリアハンの町には、何処に行っても思い出が転がっていた。


 大怪我をしたリュドラルが、記憶を失って倒れていた町外れ。
 暫く世話になっていた教会を仰ぎ、俺の家や畑、アイツが引き取られ暮らしていた小さな民家を通り過ぎる。共に訓練した広場も、狩りに出かけた森の中も、通いなれた商店街にも迷い込めば涙が溢れた。

「リュドラル……!」

 テドンで裏切りの王子との疑惑が浮かび、魔王バラモスの手に一度は奪われた亡国の王子は、神の武器、【月の弓】を手に俺達の前に戻って来た。
 そして俺が勇者と共に旅に出たように、リュドラルも(元)ニーズを追って旅に出た。

 務めを果たし、バラモス城で共に戦い、
 これからも相方として共闘して行けると信じていたのに。


 優しくて、穏やかで、とにかくいい奴で、
 でもどうしようもない位哀しい過去に縛られていた友人。


 いつしか膝は言う事を聞かなくなり、足は鉛の楔のように俺と土とを離さなくなった。でもいい。目的の場所にはもう着いたから。

 夜半も過ぎ、荒れ放題の町には人通りも全く見られはしなかった。やっと終わった魔物との戦いに疲れ果て、町ごとが眠りに就いてるかのような静寂な世界。
 町外れの林には、一本、背の高い杉の木が見下ろしている。


       ここは【ニーズ】が良く居た場所。
 同じように彼を求めて、リュドラルも訪れては幹に触れていた。

 そして俺も友を求めて、その樹にすがりつき、くず折れる。



「ごめん。ごめん、リュドラル……!」
 込み上げる塩水が、頬を伝って地面に落ちる。
 謝るのは一度だけ。
 何も出来なかった俺を一生忘れないから。

 俺がその場に居たとして、守れた保障が何処にもなかった。シャルディナが羽根をもがれるのを止める事も出来ず、ジャルディーノが駆けつけなければそのまま殺られていたかも知れなかった脆弱な戦士。
 情けない。悔しい。
 自分の弱さに泣けてくる。


 弟の幸せだけを願って消えた王女シャンテ。
 恋した王子のために逃亡し、何年も独り待っていた騎士の少女。
 とてもじゃないが、顔向けができない。

 魔王バラモスを倒し、悲願は叶い、呪われたネクロゴンドも、テドンの繰り返す夜も、解放されて王子は幸せになれる筈だった。
 誰よりも本当は、幸せにならなければ為らなかったのに………!



 ザワザワと、嗚咽をかき消すように林が軋む。
 杉の根元に両手を着いた、戦士の懺悔は続いていた。滝のように冷たい夜風に身を晒し、背中を燈す月も無い。
 後悔と自責に目を伏せる自分の下には、ここだけに雨の跡が降っていた。




 ………どれ位、大地を濡らしていただろう。

 冷え切った身体に震えが走って、鼻を啜って涙を拭いた。
 夜明けがすでに近いだろうか?
 大地から両手を離し、正座して夜空に光を探した。勇者の魔法に渦を巻いた、空は未だにうねって暴れる。【月】という光は雲に隠され、冷たい風が林の木々をしならせていた。


 身体と同様、頭も芯まで冷えている。



     やみくもに勝利を信じていた自分は、
 努力さえすれば叶わない夢などないと妄信していた。
 
 夢は破れた。






「お前、強いのか」

「強いよ」





 幼きあの日、ニーズに自分は強く答えたものだった。
 今、同じ事を聞かれれば、到底同じ台詞は出ない。


「弱いよ。弱すぎる」
 大事な人たちを守る事ができない。なんて情けないんだと空に吠えた。


「いつも自分に誇りを持っていたいんだ。今日は負けても、明日は勝つさ。そうやって前を見て生きていきたいんだ」


 一度負けて、また挑める戦いならいい。取り戻せる命ならいい。
 ただ一度の敗北が、もう二度とやり直せない死を迎えるのが実戦なんだ。


 月には会えない。だから俺は立ち上がり、町外れの杉の木の元、会いに来た。ここは不思議な場所だから。アイツが(元)ニーズを求めて、何度も触れた太い幹。
 弓の破片を手に、決意を口にする。

「ごめんな。リュドラル。ごめん…。リュー……!」
 再び謝るも、今度は口調に力を込めて。


「もう二度と、誰にも負けないから……!
 必ず、大魔王を倒してくる!」





 聞こえるだろうか。闇に奪われた天の月まで。
 アイツの願いは解ってる。きっと笑って、「ニーズさんを助けてね」と背中を押すに決まっているんだ。
 二人のニーズを、二人の勇者を、お前の分まできっと助ける。
 
 固く握りしめていた弓の欠片が、ぼんやりと熱を帯びて光を放った。


「……リュドラル……?」
 脳裏に、「ありがとう」と泣き笑う友の姿が鮮明に浮かんだ。
 砕けた弓のひとかけら。見ればまるで、三日月のような形じゃないか。


「…………。そうか。ここにまだ、居るんだ」
 口元が思わず緩み、また視界が滲み始める。

 重たい気持ちが、それだけで光が射すんだから。
 本当にお前はたいしたヤツなんだよ。

 尊敬していた。感謝していた。
 これからだってずっと親友だ。

「一緒に行こう。俺に力を貸してくれ。二人で一緒に勇者を助け、ゾーマを倒すんだ!」


 答えるような、淡い光。
 俺は一人じゃないと理解した。



 ……ありがとう。
 死してなお、俺を労わる彼の存在に心底感謝し、頭が下がった。



「例え俺たちがやられても、
 俺たちが立ち向かった勇気はきっと誰かが繋げる」




 いつしか俺が口にした言葉。お前の勇気を繋げなければ。
 例え空に月が無くても。
     月なら常に【ここ】にある。

 友の形見を胸にしまい、戦士は静かに帰路に着いた。



 隼は月を背負って大地を奔る。
 先行して勇者に道を、拓くために。



==


月は見ていました。

闇に侵食されてゆく地上の困窮、動乱を。

月を仰ぐ者もなく。
長年祈りを捧げ続けた、少女の姿も、もう見えない。
その日を境に、夜も廻ることを忘れてしまった。

砕けた月の欠片は、少年の意志と共に……。







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■後書き■

アイザック、初めて心底泣いたかと思います。
もっと落ち込んで、暗い感じになると思っていたのに。
支えがあるって、強いですね。姿無くても、まだ光のすじは繋がっている。

シーヴァスにも、ひとすじの光明。
その光を疎むのは元ニーズ。


地上編が終わりました。一体ここに来るまで何年かかった事でしょう…。(滝汗)
でも、いよいよ後はアレフガルドを残すのみ。
じっくりと、書いて行こうと思います。

2010・12