「花を摘みに」



「お母上、すみません。ドレスに迷ってしまいまして……」
 髪を結った娘が赤いドレス姿で玄関先に姿を見せた。慣れないハイヒールに足を入れ、慌てて転がるように庭先に現れる。
 実のところ、迷ったのはドレスだけでは無かったのだが……。
 下着に迷い、化粧に迷い、髪形に迷い、アクセサリーに迷い、持って行くバッグに迷い。挨拶の下りにも延々と迷い、ようやく終わった時には数時間が経過していた。

 先に身支度を終えていた黒髪の女性が、慣れた口調でやんわりと微笑った。
「やはりそれが一番いいですね。ニーズも喜ぶでしょう」
「お母上ったら!世界で一番美しく、愛らしいだなんて〜〜!」

 女性はそんな言葉は決して言ってなかった。しかし妄想癖のあるらしい、娘は頬に手をあててクルクルと回る。
 この家にとっては他愛ない、日常のやりとりに過ぎなかっただろう。

 勇者が魔王を倒して帰還し、国を挙げての祝いに湧くアリアハンの片隅で。
 遥か北方、異国の娘は勇者を祝うために浮かれていた。


 そんな二人の前に、望まない来客が訪れる瞬間まで。




 ザザッ     
 風を断つように、黒服の娘が上空から舞い降りた。

 めでたい夜に不似合いな黒い服はあちこちが裂け、長い銀髪も編んではいたが乱れて頬に貼り付いていた。白い肌には明らかな憔悴の色を映し、着地に屈んだ姿勢を、息を整えるようにゆっくりと立ち上がる。
 来客の視線は、まっすぐにジパング娘に注がれていた。
「迎えに来ました。サイカさん」
「え……。どちら様でしょうか?」

 黒髪の女性は突如現れた客の姿に震え上がり、叫んだと思うと青く染まって腰を抜かした。彼女がこの世で最も恐れる、悪魔の容姿に激しい動悸が止まらない。
「し……!死神……!!」

「死神!?」
 ジパング娘に緊張が走った。娘はその存在に心当たりが二つある。
 一人は彼女の恋人(多分)の兄を連れ去った死神。もう一人はその兄が想いを寄せる死神。どちらだろう?と覗った、その死神との間に女性が庇うように立ち塞がる。

「サイカさん……!逃げるわよ……!」
 娘の手を取り、もつれた足で外へと向かった。その横手に、一瞬のうちに死神は移動し、払った手刀でいとも簡単に女性を突き飛ばし娘の手を取る。

「行きましょう。貴女の父親が待っています」
     !?父上がっ!?」
 女性に駆けつける気も飛ぶほどに、死神が語ったのは衝撃の誘いだった。

 娘の父親は数年前に亡くなっている。
 いや、正式には帰って来なくなった。
 この国、アリアハンの勇者、オルテガと共に火山に落ちて死んだのだと言われていたが………。


 死神は、今なんと言ったのだ?
 黒髪を結った娘が、耳を疑って問い正すように死神の瞳を凝視していた。「待っている」死神はそう言った。

 行方不明、死んだと思っていた父親が、
 生きていると彼女は言うのか      


 前ふりもなく、死神の指先がふっと娘の額に触れる。
         。うっ………!」
 苦しげに呻いて、やがて娘は静かにそっと、庭の上に倒れて眠った。夜風に芝生が僅かに薙いで、彼女の鼻先を掠めて揺れる。

「サ、サイ、カさん………!ううっ!ゴフゴフッ………!」
 死神は娘に手を伸ばす。病弱な女性に一瞥をくれたが、断ち切るように背中を向けた。この家に残る、僅かな懐かしい匂いを振り切るかのようにして。



 月が隠れる。木々がざわめく。
 死神は音も無く消え、女性の咳もやがては掠れた。


==


「少し疲れたな。大丈夫か?」
 バラモス城での激闘の後、少し休んだとは言え、まだ数時間後の夜だ。疲労の色濃い連れを気遣って声をかけた。

「うん……。ちょっと緊張しちゃったみたい。ありがとう」
 アリアハン王や、その他の国賓、騎士貴族、勇者の勝利に駆けつけた上流階級の中に混じって、緊張しないと言うのもちょっとおかしい。
 俺も空気が合わないと感じていたからな……。
 外に出たのはやっぱり良かったみたいだな。

 勝利に酔いしれる人々の歓喜の声が響いている。ずっと歌も音楽も止まらなかった。着飾った吟遊詩人、実は不死鳥ラーミアであるシャルディナを横に迎えて、暫しの感傷に浸る自分は月を仰ぐ。


「その「勇者」、俺たちだから」


 そう、シャルディナに語った。自分達の勝利を疑わず、頑なにバラモスを目指し戦い続けた日々……。志は果たした。シャルディナの「空を飛ぶ」と言う悲願も叶った。
 もう飛翔を阻むものも何もない。

 彼女の横顔に潜む憂いを、疲労のせいだと決めていた。
 彼女が無口なのも、俺と同じように思いを馳せているだけだと……。



「あの、あのね、アイザック……」
「なんだ?」
 はっきりしない態度で、言いかけてシャルディナは言葉を飲んだ。
 釈然としないなぁ……。問い詰めていいものかどうか対応に迷う。

 賑やかな王宮の窓から、聞き覚えのある音楽が響いてきた。

「あ、これシャルディナが歌った曲だな。…そうだ、バラモスを倒したんだから、また芸団戻ってもいいよな、シャルディナ。また歌いたいだろ?」
「……。うん……」
 せっかく話題を明るく変えたのに、まだ引きずるシャルディナに少し声を尖らせる。
「なんだよ。言いたいことがあるならハッキリ……」



 その直後だった。



      突然、世界が闇に覆われ、月が消え、会場の灯りが全て落ちて視界が闇へと墜とされた。
 背筋が凍る、不気味な声が名乗りを上げた。
 【闇】は意識を持ち、世界全てを呑み込んで、遥か彼方【地の底】から響き渡る。


わが名は ゾーマ 闇の世界を 支配する者



 悲鳴や、食器の割れる音が王宮から喧騒となって鳴り響いた。
「ゾーマ………!」
 知った風にシャルディナが肩を押さえる。彼女を庇って、そっと寄り添い、事態に目を馳せ周囲を見張った。
 底知れぬ不気味な気配に息を潜める。
 闇と言う闇が、全て見透かして俺達を見下ろしているような不快な衝動。

「なんだ、今のは……。ゾーマって……。シャルディナ知ってるのか?」
「………。アイザック、聞いて、あのね……」
 ようやく気づいた、彼女の憂いの正体が、この魔王に在ったことを。

「まだ、終わりじゃないの。実は……。アレフガルドに」
 ぎゅっと胸を掴んでしがみつく。彼女の細い肩は小刻みに震えて恐れていた。
「アイザック達に、アレフガルドに行って、ゾーマを倒して貰わなきゃならないの」
 浮かれ気分に冷水を浴びて、気の引き締まる思いに口元を引き締める。


「ワグナスさんが、きっと明日にでも話すつもりだったんだと思う……」
 ネクロゴンドの古城に残った賢者や、もう一人のニーズはまだ戻ってはいなかった。余りに遅く、気がかりだったけど……。
 まさかこの【ゾーマ】と何か関係があるのか?
 もしかして何かあったんだろうか。

「あのね、アレフガルドは、ルビス様が創造した世界。この世界の下にある世界なの。神々の戦いにおいて、過去にラーミアがこの世界から貫くように下の世界へとゾーマを突き落とした。それが【地球のへそ】」
「………………」
「バラモスも、ゾーマの部下に過ぎないの…。ごめんね、言えなくて……」

 あのバラモスが、
 この世界の魔王が『部下』に過ぎなかったなんて。


「……。分かった。大丈夫だ、俺たちは何者にも負けない。アレフガルドだって、何処へだって行ってやる」
「………。うん……」
「だからそんな不安そうな顔するな。必ず勝つ」

 決意を込めて、小さな吟遊詩人を抱きしめて    
 まだ旅は終わっていなかった。再度燃え盛る闘志に胸が熱くなる。




 その胸が、全身が、一挙に凍結する【死】の気配。

 殺意に反射的に振り向いた。その眼前に紅い瞳。鋭い鎌の切り口が血に濡れた大きな口を開けていた。
 身をよじり、盾になって地に伏せる。

「があああああっ!」
 背中から斜めに、紙を裂くように容易く斬られた骨と肉。血飛沫を上げて半回転し見上げれば、虫を潰すかのように鎌は冷酷に何度も何度も降って来た。

「ア……!アイザック!やめてっ!やめてっ……!」
 死神の機械的な攻撃に悲鳴を上げて、泣きながらシャルディナが割って入った。興を殺がれたのか死神は不意に手を止め、神の娘の肩を掴み、白い背中にずぶりと右手を埋め込んだ。
「なっ……!ああっ!」
 人目を避けて、封じていた翼を引きずり出し、躊躇も無くむしり取った。皮膚の裂ける音がし、白い翼が血に染まる。綺麗に刈られた芝生にも血の吹き溜まり。辺りは血の匂いに染めあがる。

「ぐっ……!このっ……!」
 胸に倒れるシャルディナごと、身を起こすが思うように動かない。力を入れれば激痛が走り破れた身体が血を噴出す。
 力を奪われたシャルディナが、ハッとして慌てて助けを呼んだ。仲間の誰かでも傍に居れば状況は変わる。
 煩そうに鎌を振り上げた死神は、いつもの様に嗤ってはいなかった。
 それが逆に確実な【死】を予感させる。


 パーティのため鎧を脱いでいた俺だが、剣だけは装備していて助かった。ようやく隼の剣を抜くことに成功し、支えにして出血を圧して立ち上がる。

「ユリウス、そのくらいで」
 血の滴る翼をぶら下げ、なお激しく瞳を燃やしていた死神ユリウスの動きが止まった。後方現れたもう一人の死神が、止めなければこのまま二つの死体が生まれていたかも分からなかった。
 いつも冷笑を称え、余裕綽々に見えたユリウスは、この日は完全に殺意の塊に燃えていた。よく見れば、乱れた髪に乱れた衣服、少なからず負傷したその姿は、激闘の後である事が予想できた。
 憎悪はその相手に向けられたままのものか    


「ラーが来ます」
 撤退を余儀なくされる『神の名』に、目に見えてユリウスの表情が変わっていった。嫌悪に眉根を寄せ、舌をめくって毒を吐く。
「許さない…。夢の神……。ラーミアの死体を突きつけてやろうと思ったのに」

 夢の神、あのルタという吟遊詩人と戦っていたのか。
 かの神にとってラーミアは確かに大事な存在。


「目的は終わっています。行きましょう」
 冷静に撤退を告げる、三つ編みの死神の腕には、ドレスの女がだらりと身体を預けていた。霞む視界ではっきりとは見えなかったが、間違いない。
 ニーズの恋人、サイカじゃないか。
 サイカを一体どうする気だ!?


「ま、待てっ!サイカを……!」
 気迫だけで吠えた。足が動かず、隼の剣を決死の思いで投げつける。剣の閃光は死神フラウスに迫ったものの、威力足らずにかわされ、土に刺さるに留まった。
 俺の行動にユリウスの鉄槌が下される。剣を投げた腕を鎌で落とされると覚悟した。

 ガキィッッ     ン!

 投げ込まれた理力の杖。火花を散らして鎌を飛ばし、そのまま持ち主も二階バルコニーから飛び降りた。立ち位置を明け渡して、死神ユリウスは霧のように姿を消す。
 落下の衝撃に暫し耐えて、ユリウスの退去を知るとすぐさま俺たちの回復呪文に入る僧侶。頼りになるラーの化身、ジャルディーノの回復呪文にほっと安堵の息が漏れた。

「待ちなさい!」
 死神フラウスの方には駆けつけた僧侶娘、サリサが後を追っていた。動きにくいドレスだった事もあり追撃は失敗。サイカも安否も分からないまま、悔しそうに僧侶娘は唇を噛んでいた。


 バサバサバサ     ッ!


 無数の羽音に夜空を見上げた。
 暗くて良く分からないが飛び交う魔物の群れ。回復呪文を受けながら、嫌な予感にぞっとしていた。甦る悪夢の夜     

 後追いを断つかのように放たれた魔物たち。
 眠れぬ夜が始まろうとしていた。


==


 王の傍ら、武勇伝を延々と語らされること数時間。
 話の合間に女どものダンスの相手。主役とは名ばかり、自分は接待役なのだと知り、疲労に参って早く終わることばかりを願っていた。

 そんな願いが届いたのか知らないが……。
 不意に終結を迎えた祝賀パーティ。
 遮ったのはなんと、呼んでもいない新たな魔王の名乗りだった。会場は騒然となり、不安と戸惑いで波のようにざわめきが押し寄せる。

 一斉に落ちた灯りが次々と灯され、ようやく周囲が見渡せるようになった頃、人々の視線は一点を目がけて集中された。


「い、一体どういう事じゃ!勇者ニーズ!」
 それは    言わずと知れた、この国の勇者、つまり『俺』。

 震え上がり泣き叫ぶ女たち、灯りを掲げ、場を沈めようとする騎士たちを裂いて、アリアハン王が俺の前に言及に詰め寄った。
 「魔王を倒した」と言ったのに、それは嘘だったのかと疑うような狂気の視線。せっかくの祝賀パーティに水を差し、恥さらしもいい所だと王の顔は怒りで真っ赤に膨れている。

「俺にも何が何だか……」
 アリアハン王以外にも、誰もが俺に群がり問いた。さっきまでは武勇伝を聞かせてくれと引っ張りダコだったのに、今度は犯罪者のように囲まれ、吊るされ、正直腹が立つ。

 生憎、説明してくれそうな賢者はいないし、仲間も視界の中には見えなかった。(多分同様に囲まれているのだろう)

 とにかく、このままでは拉致があかない。
 王、貴族、その他もろもろに押し潰されて身動きが取れず、脱出に喘ぐと助け舟は意外な所からやって来た。


「キャアアアア!魔物よっ!」


 更なる混乱。女の悲鳴が場を裂いた。窓を叩き割って来襲した飛行系魔物の姿に、今度は取るもの取らずに人が建物の奥に消えてゆく。
 もみ合いへし合い、転倒して混乱から抜け出した。復活した少ない灯りの中で、何体かの魔物の存在に剣を抜いた。丸テーブルがいくつも倒れ、食事や皿が散乱した会場を縫い、一気に三体の大ガラスを討ち落とす。


 パーティの為に着飾った仲間が多数だったが……。
 勇者は普段の格好がいいとかで、武装していた事が好を相した。不意に訪れた戦闘は、さっきまで散々せがまれていた【勇者の実戦闘】が見れる大チャンスだったのに、そんな浮かれたギャラリーの姿はない。


「ま、魔物じゃと!何とかせいっ!勇者ニーズっ!!」
「……はい」
 いきり立って命令するアリアハン王に、憮然として返事した。苛立ちのままに、会場に飛び交う魔物たちに剣を振るう。
 アリアハン周辺の魔物は弱い方だが、どうやら『ゾーマ』の声に興奮したのか普段より凶悪性が増していた。大ガラスに人面蝶、さそり蜂、明らかに過去より強さが増している。

「ベギラマ!」
 さそり蜂の集団を焼き墜とし、人面蝶を窓の外へ叩き落して広間に戻った。けたたましい鎧音を立てて一人の騎士が伝令にかしこまる。


「王様!大変です!街にも魔物がっ!」
「な、なんじゃと!………っ!ええいっ!早くいかんかっ!勇者よ!」
「……はい」
 半ばヒステリーに王に命令され、広間の安全を確かめると一つため息を付いて奔り出した。

 国王には選りすぐりの騎士が付いているし、各国の王にはそれぞれ強力な従者が付いている。王城は比較的安全な部類に入るだろう。
 どうやら魔物の強襲はここだけに収まらないようだ…。
 祝いに駆けつけていた国賓たちも、こぞって自国を確かめに帰路に着く。


「お兄様!」
 広間を出ると、ドレスの裾を持ち上げた妹が反対側から駆けて来た。
「今着替えに行くところです。お兄様は、…外へ?」
「ニーズっさぁーーーん!」
 右手からは息を切らしたナルセスが着替えながらやって来る。異常事態に素早く戻り、僧侶姿に戻って駆けつけたと豪語した。

「他の奴らは?」
「ちょっと分からないです。アイザックは武器持ってるからそのまま戦ってるかも。ジャルディーノさんは確か、姫様のところへ行くって言ってました」
「サリサはスヴァルさんと一緒です」

「そうか。シーヴァスは着替えたら城の屋上で魔物を撃ち落とせ。俺は西の門へ行く。ナルセスは南の門!」
 指示を出し、それぞれが目的の場所へと展開して行った。残るアイザックとサリサなら、各自ほっといても魔物撃破に飛び出すだろう。ジャルディーノも、重傷者を救って回ってくれるに違いない。

 王城を飛び出し、襲いかかって来たスライム数対を蹴散らすと、城門広場を西に抜けて門へと駆けた。商業区を抜け、住居地の隅に在る自分の家を横に見ながら、遅れて遂には現れなかった母と馬鹿の安否が少し気がかりだった。



 俺が出る前から延々とドレスだのに迷っていたからな……。
 迷いに迷い過ぎて結局間に合わなかったんだろう。サイカの馬鹿はある程度は戦えるし、家に居ればある程度は防げるはずだ……。



 門では城の兵士、騎士、町の男たちが武器を手に取り応戦していた。一角うさぎや大アリクイ、バブルスライムなどが多数押し寄せ、狂気の瞳で人を襲う。明らかに魔王の名乗りに感化され凶暴化していた。

「怪我人は下がれ!後は俺がやる!」
 ギラの魔法を連発して、周囲はたちまち魔物の山で塞がった。重傷者には回復呪文をかけてやり、魔物を追い払いながら門を閉じる。
 昇ってくるヤツや飛行系魔物を撃ち落としながら、暫くはこれで持ち応えることができるだろう。


「ニーズさん!」
 現状を確かめて額の汗を拭った矢先、息を切らして名前を呼ぶ者に視線を向けた。ドレスを脱ぎ、すっかり戦闘態勢になった仲間の金髪娘が駆けつける。僧侶サリサが息せき切らし報告するのを、俺はどんな顔で聞いていたんだろう。

「い、家には行ってみました?実はサイカさんが、連れ去られたかも知れなくて……」
「なに?」
 熱かった身体に、ヒヤリとした緊張が奔るのを感じていた。

「アイザックとシャルディナさんが、死神に襲われたんです。片方の死神がサイカさんを抱えていて……。すいません、逃がしてしまいました」
 魔王の名乗りよりも余程、暗雲立ち込める思いに目が眩む。
「ここは、私が見ますから……。ニーズさん、家に行って見て下さい」
「…………。分かった。頼む」
 呆然となるのを極力無視し、半ば棒読みで言葉は落ちた。


 まさか。 まさか。

 どうしてアイツが連れていかれるんだ?



 門から家までを瞬く間に駆け抜け、叩き割るようにして扉を開けた。
「サイカ!おい!何処だ!母さんっ!」
 やけに静かな家の中に向かい声を張り上げた。鍵はかかっていなかった。良く見ると、庭先に女物のバッグが転がり落ちている。走って拾うと、その先に母親がぐったりと倒れているのが見つかった。

「母さん!しっかり!」
 大きな外傷はないが、咳き込んだのか吐血の痕が口元に広がっていた。
「ニーズ……」
 呼びかけにうっすらと、青い瞳を開き、掠れた声で宣告する。

「死神……。サイカ、さんが、死神、に……」



また。


まただ。



「勇者ニーズ、死んでもらいます」


 銀の死神が、大きな鎌を握りしめ【死】を告げた。
 鎌の閃光に怯み、視界が真っ赤に染まり絶望に膝を折った『あの日』。


「さようなら。もう一人のニーズさん」



 生きたまま見る【悪夢】を、また俺に突きつけると奴らは言うのか。
 俺から大事なものを奪い続ける、二人の死神。

 俺から、母から「ニーズ」を奪い、
 「ニーズ」の心を奪い、傷つけ、もて遊び。

 今度はあんな『馬鹿』までも。




「死神ーーーー!!!」




 魔王じゃない、魔物でもない。
 ただひたすら死神が憎い。

 世界の為なんかじゃなく、ただ俺の安穏の為だけに、
 絶対にお前達を撃ち潰す。



 家の中には、ドレスやメイクに迷った痕跡が空しく散乱されていた。母を休ませ、爆発しそうな怒りを抑え、ただ今は魔物を倒すしかない自分が空しく反吐が出る。
 早く戻って来いワグナス。
 説明を聞く前に八つ当たりで殴りたい衝動にも駆られていた。

 奴らが残ったネクロゴンド城に行ってみるべきか迷いながら、持ち場に戻る足が、がくりと崩れて転倒した。
「ハ……。ハハハハ……」
 どうやら相当疲れているらしい。

「ハ……。ハハ………」
 乾いた笑いを零して、立ち上がる気力が湧かず、多分俺は泣いていたんだと後から思う。

「サイカ………」
 もう二度と会えない気がする。


「勇者様は、…今のままですと、大事な人を失う…でしょう」


 奪いは必須。かの占い師は俺にそう予告していた。
 ニーズは生きていたが、はたして今回も生かしていて貰えるのか。そもそも何の理由でアイツを攫ったのかが見当もつかずに途方に暮れた。


「ニーズ殿〜!ニーズ殿の晴れ舞台!思いっきりおめかししてお出かけしますねっ!」
 言って腕に抱きついた、
 他愛ないやり取りが、あれで最後になるなんて    



 馬鹿なのは、俺だ。
 こんなに立てなくなるなんて。
 笑うしかないなんて。





奪われた野花。
闇夜の道に、延々と光なく…。



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