「………あら、狸寝入りだったのね」
 ずっと寝付かずに息を潜めて待っていた。ようやく枕元に相手が現れ、むくりと起き上がり出迎える。時間は夜半、決戦前夜の満月の夜だった。

「多分来るだろうと思っていた。リュドラルとの別れは済んだのか」
 こんな時でもぶっきらぼうな物言いは変わらず、正直自分が嫌にもなる。……そんな事すら受け入れて、美女は悪戯に笑い、別れを楽しげに切り出すのが憎かった。
「ええ。もういいわ。最後にあなたの顔を見に来たの」


 同室の仲間達は寝静まり、深夜の来訪者に起きる者は俺一人。ベットから起き上がり寝癖を治すと、女盗賊は横手の窓のカーテンを開け、名残惜しそうに円い月を盗み見ていた。数年夜の住人だった女が、最後に見る地上の月。


「私のこと、覚えていてくれるかしら?それから、私の消えた後も、リュドラルの事を助けて欲しいの。それだけが願いよ……」


 サマンオサ復興祭の後、俺に零したささやかな願い。
 今もこの先も、胸に刻み込まれた永遠の染み。


「色々助けられたな。感謝してる。お前との約束は必ず叶える。お前の事も、決して忘れない」
 ベットに腰かけたまま、月を眺める女盗賊に別れを告げた。
     これが最期。この先どんなに夜が訪れようとも、女に出遭える事はない。


「ありがとう、愉しかったわ。今夜も、それ以外もね」
 心の底から満足げに悲劇の王女は微笑むから。
 もう俺に言えることなんて何もない。

 テドンの教会では痛々しさに「笑うな」と何度も文句を言ったものだった。この僅かな期間の間に弟と再会し、騎士の少女に再会し、もう彼女に未練はない。
 今夜見せる女の笑顔は、切ない程に幸福感に輝いていた。
 もう俺に、何も言えることはないのだと、とっくの昔に解っていたこと    


「リュドラルのことお願いね。そして信じているわ。あなた達の勝利を」
「……分かってる。安心していけ。お前に会えて良かったよ」
 ならば俺も笑うしかないだろう。何気ない別れのように、他愛なく送り出すのが女のため。
「私もよ、優しい勇者さん」
 雰囲気を察し、立ち上がり、静かに窓辺に迎えに行くと、安らかな表情をして女が自分を解放した。森の光りが部屋を包み、不死鳥ラーミアの魂はシャンテの魂の具現化を止め、自身の形を取り戻すと俺の手元にゆっくりと降りてくる。
 光りは球体に終結され、竜のモチーフに安置されると部屋は暗くなった。

 グリーンオーブが静かに息づく、俺の掌が僅かに温かい。







「満月 2」





「………ミレッタ、居るの?僕だよ!リュドラルだよ!」
 冷たい扉を叩き、王子は騎士の名前を呼んだ。暫く叩き呼び続けた後、    ふっと扉の奥に温かい気配を察し手を止めた。
 そっと震えた鈴のような微かな声。懐かしい少女の声に胸が逸る。

「リュドラル様………?今、お開けしますね」
 騎士らしく毅然としていて、尚且つ優しい少女の声。胸が早打ち、扉が開かれるのを今か今かと慌てて見つめた。扉が口を開く、隙間から覗く彼女の姿は可憐で儚いあの日のまま     

 ほこらを映す北の湖はさざなみ打ち、風が髪を薙いで舞った。新鮮な空気が祠の中に流れ込むのを、追うように彼女めがけて駆けてゆく。
「ミレッタ………!          っ!」


 我先にと雪崩れ込んだ。誰も僕を抜こうとする者なんていないのに。弾けた喜びもつかの間、彼女を抱きしめようと伸ばした指先は触れる前に凍結する。
「………………………っ!」
 予想していたかのように、重なった視線を、そっと下げて彼女は俯いた。

 なんで。どうして………!
 目の前に佇むのは、『あの日』別れた騎士の少女。僕の予想していた、僕と同じ分だけ年を重ねた少女の姿はそこには無かった。

      彼女がもう、時が止まっているなんて。
 姉さんと同じように、もう、この世の者じゃなくなっているなんて     



 蜜柑色の肩までのクセっ毛。大きな青い瞳。外見年齢は十五歳ぐらいかな。年上だったはずなのに、僕の方が少し年上になってしまった。前に立てば、身長差も開いている事を知る。
 立ち尽くす僕にあまり目を合わせずに、彼女は俯いたままずっと頭を下げていた。


「ご無事だったのですね……。お待ちしていました。そちらの方々は?」
 僕から距離を置き、気丈な騎士は後ろの勇者たちに一礼すると中へと案内してくれた。表情は穏やかで、曇りもなく、悲哀も大きな再会の喜びさえも見当たらないまま。

 一行は案内されて扉をくぐり、ほこらの静寂を破りながら荷を降ろす。移動する靴音だけが空しく響く質素なほこら。ひどく淋しさのこみ上げる場所だった。

      誰も、敢えて彼女の『状況』を聞こうとはしなかった。
 むしろ聞けなかった………、のかな。
 ほこらの中は人の生活する気配も皆無だったから。




 勇者達を左右の別室で休憩させると、ネクロゴンド三人組で話をするべく『闇のランプ』を擦って姉を呼び出した。闇のランプは以前僕がニーズさんに贈った魔法の品で、闇を生み出し、短期間だが周囲を夜に変えてくれる。
 姉はすぐに現れ、数年もの歳月の過ぎた、遅すぎる再会に彼女をそっと抱き寄せ泣いた。僕も寄り添い、万感の想いで唇を噛みしめる。
 僕が生きているのは、この二人のおかげだから………。


「聞いてもいいかしら。きっと貴女も私と同じ状況ね。オーブによって活かされているの」
「シャンテ様も………?………。はい…、そうだと思います」
 
 僕達は中央、オーブを祭るための部屋、台座の前で手を取り合い彼女の説明を聞いていた。あるはずのシルバーオーブの姿はない。
「私は……。気がついたら、この場所で月を見上げていたのです」

 実の兄との逃避行。シルバーオーブの加護もありここまで来たが、兄は彼女を庇って洞窟内で最期を迎えた。一人オーブを手にほこらに逃げ込んだミレッタは、その後は一歩も出ずに『王子』が来るのをひたすら待った。
 元々ここはシルバーオーブを安置し、王城周辺に加護を与えていた聖なるほこら。魔物達は侵入できず、彼女の身も安全なはずだった。
 手持ちの食料がついえ、彼女の体も冷たくなるまでは     


「それなのに私は気がついたら、…あそこ、天蓋に見える月を仰ぎ、眺めていたんです」
 台座に月光が降り注ぐような位置に開かれた高みの窓。今は朝の光が降り注ぎ、薄く線を成してほこら内部に立ち並ぶ。
「すぐに女神のご威光だと察しました。私は女神に待つ事を許されたのです」
「………。そうね。そうなのでしょうね」

 姉シャンテもこちら側の経緯、その後の国のこと、世界のことを順を追って彼女に教えた。
 彼女の為に残酷部分は極力削り落とされた、優しい歴史。姉の処刑のことや、僕達の傷のこと。テドンの繰り返す夜の事などは伝えずに。それでも僕は口を挟んだりはしなかった。姉の優しさに水を差すことはない。


「それでね、遅くなったけど勇者と一緒に君に会いに来たんだよ。もうこれでオーブも全部揃ったんだ。バラモスを倒しに行けるし、ラーミアも……。女神の生まれ変わりにも会ってるんだ。聖女様も準備をしてくれている」
 なるべく希望が持てる話を選んで、その度に彼女が微笑むのが嬉しかった。

「本当に良かったです。そうですか、これで世界は救われるのですね。ならば私は、すぐにでもオーブに還ります」
「えっ………!」



 そんな、あっさりと。
 まだ、だって、ようやく会えたばかりなのに………。




 明るく別れを切り出す彼女を前に、僕の眼前は闇に染まった。まるで何も未練など無いかの様な彼女の態度にショックを受けて絶句する。
 僕ばかりが会いたがっていたのかな。僕に会えて嬉しくないのかな。
 僕と一緒に居たくはないのかなと………。

「…………。ミレッタ、相変わらずね」
 何が《相変わらず》か全く分からなかったけど、ため息まじりに姉は髪をかき上げた。
「二人、デートでもして来たらどうかしら?一日くらいいいじゃない」

「「デート!?」」
 思い切り二人同時に飛び上がり、互いの反応に顔を見合わせると一気に体温が沸騰した。余りに想定外な発言過ぎて。
「な、何言ってるの姉さん。デートだなんて……」
「そ、そうですよ。私、その…、望んでませんから!」

「リュドラルは行きたいわよね」
 姉の瞳は半ば脅迫めいて睨んでいた。腕を組んで、じっと同意を待っている。
「うっ……。えっと……。…………っ」
 
      そんな。えっと、でも、でも………。
 確かにミレッタと一緒に居たいよ。でもデートなんてした事ないよ。しどろもどろになって、心臓がバクバク暴れるのを止められない。
 今まで、それはね、疎いアイザックにひと言ふた言助言したりしてきたよ。
 他人のことはいくらでも言えたのに、自分の事になるとこんなに顔から火が出るなんて……。

 みんな、アイザックなんかも、こんな風に勇気を出してリードして来たのかな。そう思うと、恥ずかしがってもいられないと覚悟を決めた。
 もう分かってる事じゃないか。自分の気持ちなんて。

 残された時間なんて少ししかないのに        


「……うん!行きたい!ミレッタとデートがしたい。行こうミレッタ!」
「………………!!」
 右手を差し出して彼女を誘った。もう顔から出た火は頭で噴火しているが、その姿のまま、眼前に佇む少女の返事をずっと待つ。
 待っていて、………待っていて………。ずっと彼女が動かない。

「………ちょっとミレッタ、しっかりしなさい」
 目の前で手を振り、肩をがくがく揺さぶって呼び戻す。茫然自失と化していた少女は「ハッ」と現実に戻ってきた。目をパチクリ見開いて、頬に手をあて姉に訊ねる。
「あの、今……。何かすごいことを聞いたような気がしたのですが……」

「ミレッタ、一緒に出かけよう。君とデートしたいんだ」
 両手を取り、しっかり瞳を見つめて丁寧に口にした。伝わる温もり、冷たい手。わなわなガクガク震えたかと思うと、彼女がポロポロ泣き出すからたまらない。
「……えっ!ごめん!なんで泣くの!?」
 余りに唐突で驚いて、飛び上がるように離れた僕は、ひたすら謝り理由を訊いた。本人にとっても涙は予想外だったらしく、慌てて拭くが止まらない。更に彼女は狼狽して取り乱し、必死に冷静を取り戻そうとするができないようだ。

「ああ、すみません!見ないで下さいリュドラル様、見ないで……っ!」
 たまらず彼女は台座の裏に逃げて行った。まるで子供みたいにうずくまり、涙が止まらず困惑しているのが呼吸で知れる。
「そんな、夢みたいな事言われたから……。ごめんなさい。気にしないで下さいリュドラル様……」

「…………。相当デートが嬉しいみたいね。リュー、慰めてあげなさい」
 姉に言われて、こわごわ追って覗き込むと、膝に突っ伏し彼女は泣き顔をひた隠し。
「そんなに嬉しいの?デートすることが……。嬉しくて泣いてるんだよね?」
 行動の意味が分からなくて、僕は戸惑うばかりだった。

 彼女は長いこと沈黙していたが……。
 返事を返さないままでは失礼だと思ったのだろうか。彼女は小さく、とても分かりにくく一度だけこくんと頷いてくれた気がする。

「………。ミレッタって、騎士だからって気丈に振舞うけど……、中身は普通の女の子なんだよね。僕、思い出したよ」
 何もない所で転んだり、いきなり泣き出す事もたまにあった。本当は年相応の普通の女の子なんだってこと……。

「どこに行こうか。アリアハンがいいかな。僕が暮らした町だよ。お気に入りの場所がいっぱいあるんだ」
 まるで「かくれんぼ」から誘い出すように、僕は彼女の手を引いた。


++


 ニーズさんにルーラの呪文で送って貰い、アリアハンの城下町へと降り立った。すでに日は昇り気持ちよい青空の下、いつもの町並みにほっとする。
 夕方待ち合わせることに決め、勇者と別れた僕達は遠くに見えた朝市のテントに出かけてゆく。

「ここはね、勇者オルテガの故郷なんだ。辺境の島国だけど……。とてもいい国だよ。みんな素朴で気さくだし。王家も国民に優しいしね」
 朝市に並ぶ食材たちを覗きながら、アリアハンの位置や勇者オルテガの話題に花を咲かせた。ネクロゴンド騎士の彼女は他国に出かけた事がなく、初めて目にする異国の姿に感動し、些細なことでも興味を示して質問してくる。

「可愛らしい町並みですね。ネクロゴンドとはまるで違う……」
「そうだね。アリアハンは田舎だからね」
 世界一の強国だったネクロゴンド。王城は国民を威圧するように威厳さに満ちて建ちはだかっていた。アリアハンは民衆に密接した王家と言える。赤と白の王城はどこか「かわいさ」も持っているし……。
 嬉しそうに市場を見て回る横顔を見つめながら、そんな僕の顔もきっと浮かれていた。

 人ゴミにはぐれないように手を引いて、まず向かったのは僕の家。アリアハンに来てから一緒に暮らす夫婦は僕の家族であり、恩人でもある。彼女は二人に、それは心より感謝し頭を下げていた。
「これからもリュドラル様のこと、よろしくお願いします」
 礼儀正しい騎士の少女を、両親も気に入ってお茶とお菓子で少し談笑。

 その後は商店街に出かけて、通り道のアイザックの実家、八百屋で品出ししていたおじさんに鉢合わせて挨拶を交した。
「なんだ?リュー坊にも彼女ができたのか?こりゃあ、めでてーこったな」
「かかかかっ!彼女なんて!あのそのっ!違います!」
 否定ぶりは激しかったんだけど、僕は否定しないで世間話に突入していった。正直な気持ちを言えば、あんまり否定されると悲しくなってくるんだよね。

      って、ちゃんと言わないといけないんだろうけど………。



「あ、あのっ。リュドラル様………」
 口数の減ったことに気がついたのか、「怒らせてしまったのか」と不安げに彼女は道行く僕を呼び止めた。考え込んで、少し早足になっていたらしい。開いた距離を走って埋める彼女に心中で反省している。

「……それ、やめない?知り合いが聞くと変に思うからさ、『様』って。リュドラルでいいよ。僕も『ミレッタ』だし」
「そっ……!そんな………。無理です……」
 無理を言ったつもりは無かったんだけど……。ひどく彼女の表情は悲しく萎んだ。例え共に町を歩いていようとも、決して消えない二人の壁。
 困り果てて、彼女がしどろもどろになっていたので、仕方なく僕は諦める道しか残されていなかった。

「……………。ふう……。うん、分かったよ。ごめん」
 思わずがっくりと肩を下ろした。ますます僕の元気が無くなって、彼女も意気消沈してゆくのを感じるのに。
 視界の端にアイスの売店が映り、気分転換も兼ねて二人で注文した。シングルコーンをなめながら、のんびり足は城門前へと辿り着く。
 素朴な城だが、綺麗に手入れのされた花のアーチが陽光に輝き美しい。散歩中の家族や老人など、それぞれのどかに城門前広場でくつろぐ中に紛れ込む。

 中央は花壇に囲まれた小さな噴水。左右、軒並みにいくつかのベンチが並び、その一つに腰かけてコーンをかじった。
 白亜の壁に赤いレンガの屋根のアリアハン城。仰ぐミレッタに過去の会話をふと思い出してぼそりと口にした。

「そういえばミレッタは、お姫様になりたかったんだよね……」
「あ、はい………。覚えていて下さったのですね」
 アイスを食べ終えて、横のゴミ箱に包み紙を投げ捨てた。目の前を散歩の犬が飼い主と一緒に駆けて行く。
「僕も、かっこいい王子になりたかったんだよ……。髪のせいかな、あんまり男らしくならなくて。切ればいいんだろうけど、そうしても、アイザックと居るとね、どうも負けちゃうんだ。短いの似合わないし」
「そんな、リュドラル様は充分………」
「充分?」
 先を聞きたいと聞き返した。じっと近くで顔を見つめると、ミレッタはたじろいで視線を逸らす。話題を流すようにアイスを食べて、食べ終わってしまうと、困ったように包み紙を捨てるために立ち上がった。
 わざわざ立ち上がらなくても、僕に頼めばいいのに……。

「ミレッタは。………可愛いよ。昔から思っていたんだけど………」
 座りなおした彼女に、噴水を眺めながらぽつりと呟く。
「え………?」
 
 もどかしいな。こんな距離は、きっと口にしなければ縮まらないから。
 自分の中からこんな欲求が出てくるなんて考えもしなかった。

 壁を乗り越えたかったんだ、僕は     


 王子だなんて、形だけなのに。
 騎士だなんて、そんな風に見てるわけじゃないのに。



「あ、あの。リュドラル様近いです。あの、もう少し離れて………」
 伝える覚悟を固めた僕は、逃げないように両手を掴んで体を寄せた。彼女の要望は聞かず、俯く彼女の髪に唇よせて問いかける。
「逃げないで。僕は…ミレッタが好きだよ。ミレッタは僕が好きじゃない?」

          !………………!」

 言った瞬間、何かの線が切れたような緊張が走って。
 ミレッタも僕も何秒動かずにいたんだろうか。

 彼女の返事が聞けるまで何度そよ風が吹いて、何度通りを人が行き来したか分からなかった。
 根気強く言葉を待った。待つしか、僕にはできなかったから……。



「リュドラル様………」
 ようやく口を開いてくれた。見上げる大きな瞳には、たくさんの涙がたまっている。
「私、嬉しいです。でも……。そんな事、言わなくても良いのですよ?私に気を使わなくても……。私はこれだけで充分ですから。そんな、そんな……。優しい嘘をつかなくても……いいのに……」
「何言ってるの?嘘じゃないよ」
「嘘ですよ!」
 いきなり強く否定して、掻き消すように首を振った。愕然としてしまって、強く両手も押し返されて離れてゆく。
「嘘です。嘘に決まってます……!そんな………。そんなこと……」
 立ち上がった彼女は、人目も気にせず僕を見下ろし怒るのだった。

「私がもう、……死んでいるからですか?貴方の為に命をかけたから、責任を感じてそんな事を言うのですか。同情で……。そんな事言わないで下さい」
「違うよ!ちゃんと聞いて、ミレッタ」
「聞きたくありません!触らないで下さい!」
 伸ばした手を払いのけて、泣きながら彼女は逃げて行った。レンガの上遊んでいたハト達が驚いて、羽音を立てて飛び立ってゆく。

 ショックに呆然とする僕を、「なんだなんだ」と噂する周囲の人々。人目に晒された僕は、慌てて彼女を追いかけるために腰を上げた。



 人に聞きながら彼女を探して走り回った。蜜柑色の髪の少女、異国の服装も町では目立つ方なのに、商店街の喧騒の中なかなか彼女を見つけることは出来なかった。
「町を出るとは思わないんだけど……」
 町の外を思った時、視界に入り込んだ十字の印。城の東、ひっそりと佇むの教会の姿に足を止めた。自然に囲まれた静かな区画だ。もしかしたら教会に行って泣いているのかも知れない……。
 アリアハンでは精霊神ルビス信仰が主流だが、彼女は熱心なラーミア信仰者。十字の影に女神への祈りが横切ったのかも解らない。


 頭上まで上がった陽を背に教会まで走り、汗を拭いて駆け込んだ。中に姿はなく、教会裏を探せばすすりなく少女の姿をそこに見つけた。
 息を整えて、そっと芝生を踏みしめ近づく。誰が着たのか察した彼女は、涙を拭いて来訪者が座るのを静かにじっと待っていた。
 教会の壁を背に泣いていたミレッタ。可哀想に大きな瞳は赤く腫れてしまっている。隣に座ると、なるべく優しく謝った。

「ごめん。びっくりさせたね。ごめん……。あのね、僕は……。同情とか、責任を感じて言っている訳じゃないんだよ。信じてね……」
「………………」
 腫れたまぶたを伏せて、彼女は風に揺れる小花を眺めながら僕の言葉を噛みしめている風だった。悲しい横顔が呟くのは、余りにも寂しい吐露。
「だって……。そんな……。ずっと離れてたじゃないですか。この町で暮らして……。他に元気に生きてる娘がたくさんいるじゃないですか。こんな亡霊まがいの私に……。嘘です。そんな気持ち……あり得ません……」

「本当に……、ずっと気にしていたのは君だったんだよ」
 せっかく落ち着いていたのに、またミレッタの涙の堰が外れてしまった。泣き続ける小さな肩に、胸が苦しくて息が詰まる。
「ごめんね。どう言っていいか分からないよ。早く迎えに行けなくてごめんね。間に合わなくて、ごめん……!」

 どうして、もっと早く思い出せなかったんだろう。
 どうして、もっと早く全てを解決できなかったんだろう。
 何もかもが遅すぎた。勇者も僕も幼すぎたんだ。
 もっと大人で、もっと旅立ちが早かったなら     



「……ごめんなさい。リュドラル様まで、哀しませるつもりは……」
 襲い来る後悔、『もしも』の話は無意味なことは分かっていた。悔恨に震える僕の姿に彼女はようやく思い出したようだった。
 幼い彼女が立てた、騎士への青い誓いを    
「ごめんなさい。もう、大丈夫です」
 それは当の王子が計り知れないほど、僕に対する『守』の慕情。

「私は、あなたを哀しませたくない……。だから、だから、ずっと気持ちは隠していこうと思っていたんです。笑ったまま消えて逝こうと……。許してくれるなら……。本当の気持ちを口にしてもいいと許してくれるなら……。私はいつでも、いくらでも言えます」
「………。聞きたいよ。言って、ミレッタの本当の気持ち」
 慰めに来たつもりが、いつの間にか立場が逆転しているのに気がついた。真摯な瞳で見つめた彼女はハンカチを取り出し、僕と自分の目元を「ポンポン」と叩いてにこりと微笑った。それは町角の花のように、野原の花のように可憐で可愛くて、僕の胸をかき立てる。

「私、リュドラル様が大好きです。ずっとずっと、出逢った時から大好きでした。………。リュドラル様は、笑ってくれますか」
 彼女の優しさ、精一杯の強さに気持ちが溢れて止まらない。愛しさに任せて強く彼女を抱きしめて、何度も存在を確かめるように頬寄せた。

 せめて彼女が哀しみだけで逝かないように。
 少しでも幸せであるように。僕にできる事はきっとこのぐらい。

「ありがとう。大好きだよ。僕もミレッタが大好きだ」
 教会裏で笑顔を交した、可愛く強い恋人に生まれて初めてのキスを交す。


++


 それから二人は恋人同士と変化を告げて、町で昼食を食べ、出店でアクセサリーを買ったり、森へ散策に行ったりとデートを愉しんだ。

 日が暮れたアリアハンを去り、拠点としているランシール神殿へと集合した。勇者一行もそれぞれ家族や恋人に挨拶を済ませ、いよいよ明日バラモス城へと出発する。
 僕とミレッタの事を計らい、もう数日伸ばしても…という声もあったけれど、伸ばせばオーブの終結、ラーミアの復活を魔物側が知り、ますます守りを強固にしてしまう恐れもあった。少数精鋭で攻め込み魔王打破を狙う勇者一行としては、相手が油断しているうちに事を成したいというもの……。
 それに、日が伸びればまたきっと、今度は離れられなくなってしまうから………。


 ランシールでは世話になっている聖女に彼女を紹介したり、仲間であるアドレスや真の勇者であるニーズさん。そして彼女が信じた女神たるシャルディナへと彼女を会わせ、それは感動に震え、祈りと感謝の言葉を何度も繰り返したものだった。

 士気を高めるために、聖女がパーティを用意してくれていた。内輪だけのパーティだけれど、ご馳走が並び、聖女専用テラスを飾りつけ、立派な立食パーティ会場へと化している。
 勇者一行に聖女ラディナード、僕やミレッタ、姉のシャンテ、シャルディナやアドレスも正装して次々テラスに降りて来た。

「すごい……。まさかこんなパーティに参加できるなんて。夢みたいです」
 ミレッタは落ち着いた若草色のドレスに身を包み、僕にエスコートされてテラスの階段を慣れないヒールで降りてゆく。
 蓄音機から流れる音楽。更にシャルディナが竪琴を弾き、美声を披露してくれていた。夢見心地のミレッタを連れてそのまま乾杯の音頭へと。明日の勝利を願い、カチンカチンと小気味良い音が鳴り響いた。
 夜のテラスに、鑑賞者のように姿を見せる今宵の満月。


 ワインにほろ酔い、料理に舌鼓を打ち、勇者一行との会話も愉しみ、盛り上がった。お腹も満たされてミレッタを踊りへと誘いだすと、頬を染めて嬉しそうにはにかむのに胸が高鳴る。
「…私、いつかリュドラル様と踊りたいと思っていたんです。嬉しいです」
 騎士社会でもパーティは多く開かれたけれど、いつでも僕の姿はなかったから。彼女はいつも寂しさを感じていたと耳元に呟いた。
「そうか……。そうだよね。今夜はたっぷり楽しもうね」
「はい。そうします」
 今夜だけのお姫様を腕に、いつまでも今夜が続けばいいと願っていた。


 ミレッタと踊り、姉さんと踊り。シャルディナを誘ったり、勇者の仲間二人を誘って踊ったりと楽しんだ。遂に悲願が明日叶う、これは前夜祭。
 そして皆で勝利を掴んで、また明日の夜は盛大に皆で歌って踊って騒ぐんだ。
 
 何人か姿が見えなくなるのを解っていても。前夜祭と思っていても。その裏で別れの意味をひた隠して、僕は彼女は大いに笑った。


 姉は僕と踊った後、勇者の仲間達を誘いそれぞれと別れの挨拶を交していた。最後に青い服の勇者の前に進み出て、一際寄り添い不慣れな勇者をリードしながら愉しそうに踊っている。
 曲が終わり、姉さんが次の相手の手を取った。誘われるままに受け取った男性の手。姉は相手を確かめるも、別のパートナーと踊る僕には掠めた横顔。にわかには信じられなくて思わず目を疑った。

「あら、勇者様。光栄です」
 僕は気づかなかった、踊ってる間に彼がこそりと現れ、アドレスや賢者と一緒に食事を愉しんでいた事なんて。勿論彼も奇を狙っていたんだけれど、多くの仲間が彼の姿に驚愕し足を止めて固まっていた。

 正装した白服の勇者に微笑み、姉はリードされて嬉しそうにステップを踏む。弟と違い彼はアリアハン城でこの手の指導も受けていたようだから、踊りの手ほどきも慣れたもの。
 口をパクパクさせていた青き勇者は我に返り、踊りを遮るように二人の傍に駆け寄った。何事かを話しかけたが兄はどこ吹く風で、「踊りの邪魔よ」姉さんはからかう。

「シャンテさんには本当に何度も助けられました。ありがとうございます」
「私の方こそ、勇者様には感謝しています。弟を、ネクロゴンドをよろしくお願いしますね。どうぞご武運を」
 曲が終わり二人の挨拶が終わると、周囲の注目に応えるように、勇者の仲間達に頭を下げる彼が居る。

「今まで弟を助けてくれて本当にありがとう。明日は僕達も後から応援に駆けつけます。勿論その前に倒してくれて構わないけどね」
 笑顔を見せ、呆然と佇む自分の鏡には悪戯っぽく付け加えた。仲間達から沸き起こった歓声。白き勇者はミレッタを誘いまた踊りの輪の中へ。

 話しかけたいのをひとまず抑えて、食事に戻ったニーズさんには姉がすかさずフォローに並んだ。会えた喜びもあれば、今までの蓄積された怒りもあるから。せっかくのパーティに「取り乱さないでね」と面白おかしく諭していたりして。


  けれど実は彼以上に『彼』の存在に驚き、接触しようと緊張している者がいたなんて気がつくのが遅くなった。
 ミレッタと踊った後、白き勇者は飲み物を口にしようと輪を外れた。そこへ慌てて遮るようにドレス姿の魔法使いが現れる。
「………。私も、踊って下さいませんか」
 タイトなドレスに長い髪をアップにしたエルフ娘。ひどく緊張し声は裏返り掠れている。
 ……思えば彼女にとっても『兄』だった。
 だが彼は父親オルテガを憎み、エルフ女性との間に生まれた彼女をすらも憎んでいる。僕の足は止まり、サリサちゃんと会話していたアドレスも食事の手を止め注意を向けた。

「いいよ。僕で良ければ」
 緊迫はつかの間。心配無用に手を取って、彼は妹を抱き寄せ踊りに戻ってゆく。

 (元)ニーズさんは、数ヶ月の行方不明から戻った後、随分吹っ切れた感があって……。僕ら従者に悩みを打ち明けてくれたり、以前より人に優しくなったり。罪滅ぼしにと、変装して商人の町でバイトしたり……。

 思いがけない彼の参加も一大事にはならなくて、むしろ勇者一行の気がかりも消えたようで良かったんだろうな。
 終始楽しく過ごした後、決戦に備えて早めの解散。皆それぞれ各自の部屋へと別れて行った。



「皆さん素敵な方ですね。私、今夜のこと忘れません」
 着替えたミレッタを部屋に入れて、就寝までのひと時を一緒に過ごすことにした。朝まで語り合っていたい所だけど……。
 さすがに最終決戦を前に睡眠不足は良くないし、弓の命中率に差し障るのも難だった。時間を決めて、残り僅かな時間、彼女の聞きたいことを中心に話し続けた。

「綺麗な満月ですね……。明日、頑張って下さいね、リュドラル様」
 満ちた月は、明日より欠けてゆく。それは満たされた想いが、ポロポロと剥がれ落ちてゆく様に似て。

「…ごめんね。そして、ありがとう……。僕のために国を裏切ってくれて。必ず魔王を倒してくるよ」
 消えるのは、僕の胸の中で     。幼い騎士の決断を、『あの日』の勇気を僕は一生感謝して、そして悔やみ続けるだろう。
 そんな僕の苦渋を知っているのか、彼女はそっと首を振った。
「私は裏切ってはいません。忠誠を誓ったのは、国ではなくあなたでしたから」

 どこまでも、僕へ捧げる『想い』を遺して。使い切った時間。時は満ちた。
 冷たい口付けの後に、最期に閃く銀の光り。

 優しく輝くシルバーオーブが両手にそっと納まった。抱きしめる僕は、ただひたすら夜に暮れる。


++


 早朝、二つのオーブをシャルディナへと返還した。
 ラーミアたるシャルディナは僕の心情を心配していたけれど、大丈夫。

 彼女が最高の笑顔を残してくれたから。そして姉さんも、「いつまでも愛している」と、僕の背中を優しく押してくれたのだから。
 
 ラーミアの卵を安置した極寒の地レイアムランドへと、僕達は決戦を胸に出発する。誰の胸にも、横顔にも、強い決意の光が溢れていた。





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