噴火した火山地帯から脱出した勇者一行、海賊達の船を、聖地ランシールへと向かうように指示を出した。
 主神ミトラを崇める神殿、聖女の元ならば大怪我をした海賊頭を治療するにも適しているし、何より存在力を失った賢者を呼び戻す手段を『僕』は探したかった。

「…分かった。ランシールへ行こう。何か考えがあるんだろ?」
 神妙に指示を出す、僕を見透かしてニーズさんは従ってくれた。信頼を写す瞳が嬉しくて、僕は黙って深く頭を下げて肯定している。
「一度イシスに戻って、ナルセスさんと一緒に戻りますね。よろしくお願いします」
 賢者が戻れば、すぐにもネクロゴンドへ向かう事になるだろう。
 その時の為にも仲間は終結していて欲しい。
 赤毛の僧侶は微笑み、勇者からひとたび離れ、故郷砂漠の王国へと帰還する。





「赦されるなら」





 ランシールに訪れた『僕』は、毎日「賢者」の元へと通っていた。

 神殿の聖域、白亜の聖室では終始巨大なミトラ像が微笑みを湛え、我ら民を見守り続けて下さっていた。部屋の中央には「隼の剣」が捧げられていた台座。今は剣は持ち主を得て、代わりに寂しく賢者の額冠が座している。

 台座の前には赤い僧衣を纏った青年が一人。
 続けていた集中を解き、大きく息を吐き出した。

「やっぱり……。僕では波長が合わないですね……」
 何度試しても、日数をかけても、僕では形成できない『魔力配列』に思わず苦笑が零れ落ちた。太陽神『ラー』の姿でいることにも疲労を覚えて、帽子を外して浮き出た汗を拭い取る。
     やはり、「あの方」を待つしかないのか………。
 商人の町で死神と痛み分けした夢の神。その原因となった自分への責に暫しの間目蓋を伏せ、沈黙で怒りを潰していた。


「……。あの、ラー様……」
 横手から、清涼剤のような美しい声が僕を呼んだ。 
 再度帽子をかぶり直し、振り向くと笑顔で彼女を出迎える。

 特別な空間を抜け、入り口からおずおずと顔を出す繊細な少女は、かつて大空を駆けた神の鳥ラーミアの転生。眩い金の髪と柔らかい森色の瞳。吟遊詩人シャルディナは、随分緊張した面持ちで歩み寄り、傍まで来ると遠慮がちに僕を見上げた。
「ラーミアでも無理かも知れないのですが、すみません。協力してくれますか」
「あっ……!は、はい……!」

 彼女を呼び出したのは『僕』。ラーミアの力は僕よりも穏やかで、より精霊神に近い柔和な波長を持っている。彼女の力なら或いは、賢者に力を込められるかも解らなかった。

 未だ見つめていた少女の視線に気がついて、顔を下げると彼女は飛び上がり、パッと深く俯いて身動きしなくなってしまった。

「……、シャルディナ……?」
 何か言いたげな、けれど言えずにいるような、所在無い彼女の様子に気がついて。
 僕は目先の仕事を暫し忘れ、悠久なる神々の世界に飛行することを許してゆく。


「………。そうだ……。こうしてラーミアに会うのは、一体何百年ぶりの事なんだろうね。ごめんね、ずっと、助けてあげられなくて………」
     いえっ!そんなっ、ラー様が謝ることでは………!」
 自分を思い出して貰い、嬉しくて少女の頬は林檎のように紅くなる。

「あの、私……。ラー様がラーミアの兄神だと聞いて……。ずっとお会いしたかったんです。お会いできて嬉しいです」
 憧れ焦がれた兄への思慕を全身より溢れさせて、あまりに少女は愛らしかった。思いの丈を受け入れてそっと腕を伸ばし、抱き寄せると強く強く抱きしめる。

 兄とはいえ、ラーミアと深く交流していた訳ではなかった。
 僕は仕事ばかりしていたし、父にしても同じ。いつもラーミアは一人だった。
 そんな妹を見かねて歌を教えた夢の神。ルタ様こそ彼女にとって父であり、兄であり、師であり未来の夫に相応しかった。
 名ばかりの兄なのに、こんなに慕ってくれるなんて………。


 彼女の経緯は、僧侶ジャルディーノの知識としても知っている。
 ルタ様に、聖女に、戦士アイザックに、惜しみない感謝の言葉を繰り返しては何度も髪を撫でて愛撫した。
「ラー様……。あの、時々お話しても良いですか?時々で良いのですけども……」
「分かりました。時々会いに行きますね」
 にこりと微笑むと、花が咲くように少女もふわりと微笑んだ。編んだ髪を揺らして、声も足取りもすっかり軽く弾んでいる。



 ひとしきり再会を喜んだ後。
 賢者の経緯を説明し、必要となる作業を彼女と共に試してみた。

 けれど、どうしても、やはり巧くいかない。
「………。すみません。私には、その、賢者はいないので……」
 賢者という従者のいないラーミアには、賢者に力を分け与えるという行為がどうにも掴めないらしい。それは自分にも言えたこと。

「実は僕もいないんだ。だから勝手が解らない……。ルタ様にもいないけど……」
 ただ力を注ぐだけでは形にならない。栓をせずに水を流し続ける行為に良く似ていた。僕らと精霊神の力の性質もだいぶ違う。もっと波長が近ければ、賢者は戻るかも知れないのに………。

      いや。それよりも。
 問題は、「本人」に受け入れる意思が無い為かも分からないが………。


「ルビス様の兄として、一番力が近いのはルタ様だからね。やはり待つしかないのかな」
 少女を安心させるために微笑みは湛えたまま。

 夢の世界の神、ルタ=ゼニス王は僕を助ける為に商人の町で死神ユリウスと戦った。真の闇と戦い、恐ろしく神気を殺がれた王は現在居城から出る事すら叶わない。
 頼みの綱、ルタ様が復活するまで     
 僕達にできる事は、額冠に神気を注ぎ続ける作業だけ。


「僕達の力でも、ワグナスさんが消えるのを防ぐ事はできています。ルタ様が戻るまで、ラーミアも力を貸してくれますか」
「はいっ!勿論です!」


 二人で通うこと数週間。
 僕は勇者達とランシール神殿にお世話になり、日中ラーとして聖域で働き、夜はジャルディーノに戻ってひたすら休息を摂る。
 仲間達はアリアハンに帰省したり、恋人との逢瀬を愉しんだり。
 決戦に向けて鍛錬に励んだりと有意義に時間を使っていた。



「随分待たせてしまいましたね。ラー、シャルディナ、お疲れ様でした」
 その時は不意に訪れ、中世的な夢の神が光を集めたように降り立った。待ちわびたルタ様の姿に僕達の疲労は吹き飛び、反応するように額冠の宝玉が光を帯びる。
     それは、何処か覚めた光。

 夢の神が『妖精の笛』を奏で始めた。どんな楽器も使いこなすルタ様だけれど、中でも得意とするのは笛と竪琴。若い神二人は聞き惚れて、そっと離れて瞳を閉じる。
 台座に向かい演奏するルタ様は、それは優雅に、音色はまるで子守唄のように柔らかく優しい。

 額冠の宝玉にも演奏は届き、徐々に青い光が増してゆく。
 封印が解けるように賢者の姿が浮かび上がり、薄く開く目蓋の奥には、深い哀しみばかりが波を打っていた。

 宝玉から浮かび出た幻影は、形を確かにし始めると台座の前に降り立ち、そっと額冠を持ち上げると額にあてた。
 完全に実体化すると賢者は平伏し、ルタ神の前に裁かれるように跪く。
 その背中には懺悔の色。 




「………………………」
 長い事、頭を下げるばかりで、私はどう動き出していいか判らずにいました。
 片膝をつき、ひれ伏したままでじっと苦虫を噛み続ける。


 感謝を覚えていた訳ではありませんでした。
 けれど、「おせっかい」とは口が裂けても言えません。

 「生きろ」 
 
       という神々の意思を受け入れるのに、一体どれほどの時間を労したでしょうか……。


「ワグナスさん、良かった……。頭を上げて下さい。ずっと待っていたんですよ。勇者たちも、ミュラーさん達も、みな無事です」
 復活を喜び、膝を折り私の肩を叩いた太陽神様。
「ワグナスさん…!良かった……!」
 もう一人、吟遊詩人の少女が私の横に座り、安堵の笑みを咲かせてくれる。

 けれど、申し訳ありません……。
 私はちっとも喜んでいなかった。


 二人に囲まれても対応できず、頬は硬直したまま微塵も緩むことがない。そんな賢者の心情をいち早く見抜き、和んだ空気を裂いたのは夢の神。

「迷惑でしたか、ワグナス」
 笛を胸元にしまい、ひと言、釘を刺すように囁いた。夢の神は台座の前から動かず、その場で回転してこちらを向いて問いかける。
 戻った悦びなど何処にも無く、逆に苦渋ばかりが滲む賢者の横顔。正直に言えるものなら、「どうして呼び戻したのか」と責めたでしょう。


 もう二度と、ミッドガルドの地を踏む気など無かったのに……。

 挙句の果てに神々御三方の力を借りて、のうのうと甦ってしまうとは    
 あまりに痛すぎる現実でした。
 全てに目を伏せ、このまま消えてしまいたい程に。



「いいえ……………」
 夢神の問いに首を振り、寄り添う二人を拒絶するように再度深くひれ伏した。
「お手数をおかけ致しました。申し訳御座いません……」

 本心など、言える訳がない。

「勇者を導く任を忘れ、この身朽ちてしまうとは……。ただちに責務に戻ります。ご厚意、深く感謝します」
 
 それならば、忘れて、『賢者』として活きるしかないでしょう。

 勇者を導くこと。ルビス神の復活。
 アレフガルドに眩い『朝』を取り戻すこと     
 それが私に課せられた使命。
 私はただ、それだけを、見据えて活きて行けばいい。



「………………」
 重苦しい態度に三神は沈黙して、若い二人は夢神の顔色を窺っていた。明らかに私の様相がおかしいと、意見を求めて振り返る。

「ニーズさん達はどちらに居るのですか?」
 気持ちを切り替え立ち上がると、身なりを正して勇者の居場所を確認した。
「そうですか。まずはニーズさんに会いに行かねばなりませんね。すっかり待たせてしまいました」
 何事も無かったかの様に神殿を去ろうとすると、慌てて追う二人の靴音。

「一緒に行きましょうワグナスさん」
「ミュラーさんは弟さんと一緒にいます。私、案内しますね」
 案内しようと若い二人は申し出て、しかし実のところは違う目的。両脇を固められた私に逃げ道は無いようで。

「………。お願いがあるのですが、宜しいでしょうか」
 隠していても仕方ありませんから、ここで断ち切ってしまいましょう。立ち止まり、振り返らずに願いを告げる。

「どうかミュラーには、私の無事を伝えないで欲しいのです。その方が彼女も諦めがつきますから」
 些細な出来事だと言わしめるように、簡単にさらりと言い放つ。
      なっ……!」
 当然優しい二人は反論して来るのですが、まず私に掴みかかったのは小さな少女。

「どうして……。どうしてそんな事を言うんですか、ワグナスさん……。ミュラーさん、ずっと待ってるのに」
「ですから、もう待たないようにです」
 言葉は柔和に、笑顔も温かく、しかしこれ以上「介入不可」の激しい拒絶が盾を生む。固い意志に少女は戸惑い、唇を噛むと涙が滲むのが窺えた。

「………。どうしてですか?ミュラーさんの事、好きじゃないんですか……?」
 可愛らしい純真な少女に、私は首を傾けて吐息で笑った。好き嫌いで済むのなら、こんなに苦しみはしないのだと。

「ワグナスさんが、『賢者』だから……?でも、そんな……。そんなの、ミュラーさんが可哀想です。ワグナスさんだって、許されますよね。ルタ様!そうですよね!」
 救済を師に求めて後ろを振り返る少女。夢の神は不意に振られ神妙な面持ちを保っていたが、彼女が戦士と恋することを許したのが夢の神自身、否定を返すはずも無い。

「……そうですね。ルビスも承諾するでしょう」
「僕もそう思います」
 思いがけず、太陽神まで同意する。

 私は承認にこたえて、首を振っては大げさに嘆息していた。


「お気持ちは嬉しいですが……。もう決めた事なんです。彼女にはもう会いません。それが一番彼女の為になると、考えた末のことなんですよ。他に相応しい人もいますしね。だから、私はこのままで良いんです」

「ワグナスさんは、幸せになる気はないのですか」
 太陽神が真顔で訊いた。意外すぎる言葉でした。
 意外すぎて、吹き出してしまう程に。
「……プッ!はははっ……。可笑しなことを言いますね。ありませんよ。あるワケがないでしょう」
「ミュラーさんが哀しみますね。あなたの幸せを願っているのに。彼女は、あなたを幸せにしたいと思っているんですよ」
 真実を写す太陽神の強い瞳に怯み、気がつけば数歩後ずさっていた。揃いも揃って私を責める。
「………………」
 冷や汗を掻き、言葉に濁るなんて。到底私らしくない。
 

 
      私の幸せなんて、何故願う必要があるのですか。

 いつも感じる疑問だった。彼女の視線一つがいつも強く願い、行動する。
 絶えず私を想ってくれて、妹のように、友達のように、相棒のように、姉のように、母親のように、恋人のように、悪友のように愛してくれた。

 そんな彼女に、私が何を返せると言うのですか。
 彼女が居れば私は幸せです。彼女は私を満たし、人が描くような幸せな日々を私にもたらしてくれるでしょう。けれど彼女は、私と居て幸せになれるのですか。


「私は………。あなた方とは違うのですよ?」

 空に帰るはずの少女が戦士を選んだ。それを咎めるつもりは有りません。
 ジャルディーノさんは【人】ですから、人を愛することは自然なことでしょう。


「けれど私は、ただの「神の使い」なのです。神が生み出した兵隊。神が生み出した使役人形。主の為に、主いる限り、何度でも再生されて働く魔法生命体に過ぎないんです」

 それが事実。それが理由。

「彼女を巻き込み、彼女だけならぬ国まで蝕まれた一連の事件の発端でもあって。あげくの果てに父親まで失わせてしまった。そんな私が一体どの面下げて彼女を幸せにすると言えるのですか」

 全ては自分の所業。因果応報だと認めている。
 解りきった哀しみに、話も閉じて先に行こうと踵を返し歩き出した。

 これ以上、もう話すことは無いと      




「人も、神が生み出した生命体ですよ。枠を引いているのは、お前自身です」

 笛を吹いて以降、一歩も動かなかった夢神が眼前に立っていた。
         っ!」
 初めからそこに佇んでいたかのように。一瞬で移動し、碧い瞳で賢者を見据える。始めて見る細い眼光にビクリと体が仰け反った。

「ルタ様………」
 感じたことの無い違和感。それは……。
  

        怒り


        まさか     ……


 夢神の怒りを感じ、動揺と萎縮を避けられず、睨まれた蛙のように身が縮む。
 賢者として過ごした何百年、夢神の怒り顔など見たことも無い。終始笑顔を浮かべ、物腰の柔らかい夢の神に、そもそも「そんな感情」があったことすら知らなかった。
 射抜く瞳は澄み渡り、まるで鍛え抜かれた聖剣のよう。

「愛しているのでしょう。素直に彼女に伝えなさい」
「………………。ルタ様、私には不可能です」
 喉を押し潰され、苦し紛れに弁明する。

「素直になりなさい。消えてしまいたい程に、苦しいほどに愛しているのでしょう。お前は彼女がこの先、別の者と生きてゆくのを見ていく自信がなかった。だから逃げ出した」
「………………」
「お前が責任を放棄して自決など……。異例なことです。目を覚ましなさい」

 ピシャリと水で打たれたような、穿つ言葉に凍りついた。
 世界一つを統べる王。その威圧に慄(おのの)いたまま、全身は雷に貫かれ、痺れて無様に震える賢者。

「自覚していないのですか。狂っているのですお前は。彼女への恋に。だから冷静な判断ができなくなっているのです。……受け入れなさい。彼女の想いを。お前をお前でよいと言ってくれる、彼女をいつまで待たせるつもりですか」

 「狂っている」とまで指摘されて、開いた口が塞がらない。


「………。大変申し訳、御座いませんでした………」
 やっとの事で謝罪文をのたまった。
 逆鱗していたのだ、夢の神は。
 私が全てを放棄して自爆し、消滅したことに。
 消滅は必至ではなかった。自ら築き上げた逃げ道だったのだと見抜いていた。

 反論も、弁解もない。
 『罪』として焼き殺してくれれば、どんなに楽か解らないこの重圧    
 


「……苦しいのです。どうすれば良いのか、解らないのです」
 太刀打ちできない。
 そもそも、太刀打ちできる存在ではなかったのだと今更ながらに思い出して。
 これ以上、我を張っていても不毛だと察して、両手をついて教えを請いた。緑の髪が垂れ下がり、情けない賢者の素顔を隠してくれる。

「彼女に伝えるなんて……。できる訳がないのです。縛られた身の私は、女神の元、自由ではないのに。彼女のみにも成れないのに。傍に居ることもできません。年も取らない。彼女が不幸になるのが目に見えています」

 けれど苦しい、この胸を。抱きしめたい衝動を。
 どうやって受け入れろと言うのか。
 どう伝えれば赦されると言うのか    


「ワグナス、彼女を信じてやりなさい。先の事ばかり考えず、今の気持ちをもっと大切にすべきです。そして、ルビスの事を」
 頭上から降り注ぐ神の声は、ようやく怒りの『真実』を説いたのだった。

「我々は、必要あって従者を生んでいますが、誤解しないで貰いたい。彼らは生きています。自由です。お前も然り。今の言葉、ルビスの前に訂正しなさい。人形が欲しいのなら人形を創ります。感情がある時点でお前は尊重されているのです。個人として、自分の分身として、どれほどルビスが愛しているかも知らないで」

「……ル、ビス、     様………!」

 そんなに。そんな風に。
 私は尊重されていたのですか。





 あの日失い、消えてしまった優しい笑顔。
 石化した女神の瞳に、涙の痕が絶えないのは何故。
 私は壊れ、ボロボロと石片となって墜ちてゆく。

 小さな道端の花のように素朴だった精霊神。
 真綿のように柔らかい髪と、小鳥のさえずりにも似た澄んだ声、温かい笑顔、慈愛に満ちた碧い瞳。女神が私を蔑むはずなど無いと知りながら、私は     


「お前の価値を低くしているのは、お前自身。身一つで、彼女を抱きしめれば良いではないですか。なにを格好つけているのでしょう。人はそれを臆病と言うのですよ」
「はい………」
 反論できずに観念して、全ての愚考に頭を下げた。このまま地の底まで潜り、女神の前に詫び伏したい心境に駆られている。

「人と生きてゆくこと。出来ないと思っているのはお前だけ、勝手な思い込みです。ラーも人として此処にいるではありませんか。もっとルビスを信じなさい。お前の為に力を貸してくれるでしょう」

「………。いいのですか。赦されるのですか、そんな事が……。彼女を私のものにする事が……。一緒に生きることが………」
 この手に何が在ったというのでしょうか。
 女神に渡された杖と額冠以外に、一体何が私の手元に在ったでしょう。

 私にとって、愛とは眺めるだけの物でしかなかった。

 悠久な記憶、歴史の流れに埋もれて、出会いも別れも絵画のように過ぎていった。
 この手に掴んで良いのですか。愛を、友を。
 絶対に越えられなかった枠を踏み出して、彼女らに触れてもいいと     



 肯定するように、夢の神は笛を手に取り、賢者に捧げる歌でそれを示し始めた。それは、ルビス様の愛した歌。

 赦すなど、とんでもない。
 あなたは初めから自由だったのだと     





 夕焼け煙る暁の空に、彼女のシルエットは美しく映える。
 声をかけるのにも戸惑う、私は臆病な男でした。


「……全く。体がなまってしょうがないわね〜。それに酒は飲めないし。あーあー…。どうしてこう、ランシールの酒は薄いのかしら」
 美しいと思いきや、神殿内部でリハビリ中の彼女が吐くのは禁酒の愚痴。なんとも場違いな話題に危うくこけかけて、物影に隠れたまま必死に笑いを噛み殺す。

「もっとこう、ガッッツーーンとした奴イキたいわよね〜。アンタちょっとこっそり買って来てよ。聖女に見つからない様にさ」
 彼女はストレッチを止めて、聖女専用、優雅なテラスの椅子に座った。テーブルに足を乗せ、横柄な姿で用意された高価な紅茶に文句を言い、弟に無理を言う。
 相変わらず、弟さんは動じず返していましたが。
「全快したらな」
「はぁ〜〜?何ソレ。今すぐ!今すぐ飲みたいのよ!あ〜。ストレスたまる〜〜!」

 二人とも身体に大きな支障はないようでしたが、ミュラーは短い頭髪を気にしているのか頭にバンダナを巻いていた。おそらくマグマで焼け落ちたのでしょう。
 申し訳ない事をしたと、心中で悔いる。


「……ワグナス……!」
 テラスに降りる階段の前、影に隠れて見ていたのに、あっという間に見抜かれてしまい頭を掻いた。思わず零した美青年につられて、コチラを振り向く姉の視線。

「!ワグナス………!!」

ガタガタ!ガシャーンッ!

 怒涛の勢いで立ち上がり、椅子もカップも蹴散らして「いざ殴りかからん」と迫って来た。まるで猪。私は赤い布。恐ろしい形相に一瞬怯みましたが、そこはそこ、きちんと受け止めるのが男の宿命という物でしょう。覚悟を決めて待っていると、男の手がそれを追い抜き先攻する。

ボガァッ      !!
 
 宙を浮いて廊下に転がり、起き上がると見下ろしていた黒い影。意外にも姉に先回り、賢者を殴り飛ばしたのは冷静な弟の方。
「参りましたね。スヴァルさんも怒っていましたか……」
「当たり前だ。姉さんの前にまず俺が殴ってやる」
 真剣な怒り。普段彼は暴力に走らないものだから、だからこそ知る彼の憤激。

「そうですよね。ミュラーを不幸にするつもりか〜!って所ですよね。すみませんでした」
「それだけじゃない。今のは友人として殴った。俺達にとっては、もうお前も大事な仲間なんだ。馬鹿なことをするんじゃない」
「……………」
 想定外な台詞に目を丸くし、染み渡る友の懇意に目を伏せて礼を囁いた。
「ありがとうございます。嬉しいことです……」
 彼女も彼女なら、彼も彼。私を友として大事に思ってくれていた。なんて温かい姉弟なのだろうか     


「えっ………と、私も殴っていいかしら」
 行き場の無い拳(こぶし)を消化するため、弟の背中からジト目で覗く。すっかり出遅れた彼女は、男の友情物語に毒気を削がれつつも申し出た。

「姉さん、割れたカップ弁償しておく」
 後は好きにどうぞ、と言う意味合いを込めて、弟さんは建物の中へと背を向けた。姉がカップを蹴散らし割ったため、聖女に支払いに行くらしい。

「アイツ、なんでそんなに真面目なのかしら」
 腰に手を当て、真剣にため息をついた彼女にひと言。
「姉が不真面目だからじゃないですか?」

 すかさす視線がこちらに跳び。素早く腕でガードを取った。
「殴らないんですか?今なら無抵抗ですよ〜」
 けれど意外なことに迎撃は無く。構えた両腕の隙間からじっと見つめる紫の瞳。

「ミュラー……?」
 私の手を取り、ぎゅっと掴んで確かめた。
 心臓の音も。身体の温かさも。一つ一つ、愛おしそうに探り寄せるガイアの娘に鼓動が昂る。

「……ちゃんと、戻って来たみたいね……」
 私の無事を噛み締めて、彼女は寄りかかるように胸に溺れ呟いた。
「ええ。神々のおかげです」
 おもむろに首に手を回すと、彼女は全体重をかけて私に圧しかかり、押し倒す。咄嗟のことに支えられず、芝生の上に倒れると、身上の彼女を半ば呆れて見上げた。その時にはもう、彼女の顔は間近に迫り、何度目かの盗まれる口付け。

「ちょっと、ミュラー!ここは神殿ですよ。こんな所でやめて下さい」
 嬉しい反面、場所柄も考えて窘めました。しかし彼女は「ガーッ!」と牙を剥いて黙らせる。(汗)
「うるさい黙れ!知るかボケ!アタシも怒ってんのよ!」
「はぁ……。分かりましたよ。好きにして下さい」
 唇で存在を手繰り、確かめ、噛みしめて涙ぐむミュラーは、気持ちとは裏腹に吐く言葉は罵倒ばかりで。けれど私は温かい気持ちに満たされてゆく。

「ミュラー、聞いて欲しいことがあるんです」
 空には紅と藍のグラデーション。薄く星の姿も映り始めた。
 美しい情景を遮るように生命力溢れた彼女の顔。
 ……いざとなると照れるものですね……。

「ミュラー……」
 有り得ない位に胸が早打つ。声が強張り、腕の震えが止まりませんでした。
「愛しています」
 冷たい大地を背に、炎のように熱い彼女を胸に。
 言い尽くせぬ程の感情をただ『ひと言』に込めて    



「………………………………」

 長い。長い沈黙が続き、まさか彼女が寝てしまったのかと疑い顔を上げてみた。
 同時に顔を上げ目を合わせた彼女は、次の瞬間には強烈に賢者の頬を右手打ち。

「はぶうっ!     い、痛いんですけど……」(涙)
「痛くしてんのよ」
 両頬を引っ張ったり、耳をひねってみたり。信じられないようでアチコチに痛みを喰らわせる。      というか自分の頬をつねればいいのに。なんで私の方をつねるんですか。
「だから痛いですって。やめて下さい」

「ホントに〜〜〜?アンタ本気で言ってんの?」
「本当に本当です。信じて下さい」
「どうしたのアンタ!妙に素直になって。     ドッキリ!?何処かにカメラあるんじゃないでしょうね?」
 突然の告白に疑いまくって、ガサガサと茂みの中を探し始める女海賊は、それはそれは真剣そのもの。

「………。自分で蒔いた種ながら…。まぁ、信じて貰えないのは仕方ないですね。どうすれば信じて貰えるんでしょうか」
 無駄なカメラ探しを止めて頂いて、身体や前髪に付着した木の葉を払って苦笑を浮かべた。信じてくれないのなら、何度でも言うしか手段はないのでしょう。
 時間をかけて。それこそ、何年もの月日を要するかも知れませんが………。

「………。本当、なのね………?」
 おふざけムードが去り、真摯なガイアの娘が挑むように再度訊いた。もう後戻りは出来ない。この手を取ったなら、もう想いは歯止めが効かない。

「はい。心から」
 彼女の両手を強く握り、初めて私から唇を重ねた。夕闇に隠れて、永遠に忘れられない恋の味。それは彼女だけがもたらす、至玉の魔法。






「…ずっとここで助けを求めていたの、アンタ?」
 貴女に出会ったあの日まで。あの日からも    
 ずっと求めていたのはこんな指先。

「大丈夫よ。私がアンタを守ってあげる」
 私はずっと、誰かに助けて欲しかったのでしょう。埋め尽くせないこの孤独を。







 遠く高く塔の中で、女神像も微笑んだでしょうか………?








 ランシール神殿、礼拝堂に勇者一行は集結し、旅の再開を聖女に告げると無事の帰還を共に膝折祈りを捧げた。
 白の聖女の後方には、控えめに吟遊詩人シャルディナさんも見送りに参列している。

「いよいよネクロゴンドですね。皆さん準備はOKですか?」
「ああ。遅すぎた位だ、お前のせいでな」
 勇者ニーズは仏頂面で、小さくけれど聞こえよがしに嫌味を吐く。

「いつでもバッチリですよ!忘れ物ないっス♪」
 勇者の嫌味も何処吹く風に、陽気に手を上げて答えたのは僧侶修行に離れていた陽気な少年、ナルセスさんでした。商人の町にひとまずの別れを告げ、戦地に戻る彼の横顔は以前よりも頼もしい。

「全員揃うと、やはり嬉しいですね」
 暫く揃う事の無かった仲間の顔に安堵にも似た微笑みを浮かべ、エルフの少女の言葉に仲間達が賛同している。
「そうですね。僕もそう思います。暫く留守にしててすみませんでした」
「そうだよね。やっぱりみんな一緒がいいね」
 仲間が揃い、すっかり和やかないいムード。(約一名ムッツリしてますが)

 士気も昂るそんな中、人払いをしたはずの出入り口からもう一人、旅支度を終えた戦士が入室する。一堂の視線を浴びたのは、アリアハンでの友人。そして故ネクロゴンドの最後の王子。
 輝く三日月形の弓を装備し、にこりと少年は気さくに笑った。
 
「今回は一緒に行かせて貰うよ。よろしくね」
    リュドラル!……そうか。ネクロゴンドだもんな。よろしくな!」
 幼なじみの出現に隼の剣士は歓喜して、差し出された右手に熱く固い握手を交わした。二人は幼なじみであり、良き相棒。そして対の武器を持つラーミアの従戦士。

 共に戦う日を夢見ながらも、今まで『別の道』を歩いて来た少年二人。
 いよいよ同じ戦地へ向かう。おのずと頬も紅潮しています。


「………。いいのか。こっちに来て」
 それでもまだ、一人で無愛想な勇者が心配そうに口を挟むと、旧国の王子は多少自虐を含んで微笑うのでした。
「はい。大丈夫です。……と、言うより、僕は行かなきゃならないですから。後ろの事も心配無用ですよ。安心して下さい」
 裏情報で行方知れずだった『彼』が戻ったと聞いている。それでも供が一人欠けていいものかと懸念が残る勇者の片割れ。

 しかし真の勇者はともかく、月の弓の正統後継者、彼なしではおそらく目的地ネクロゴンドは進めない。洞窟から抜けた先、騎士の少女がいるはずの祠には入れたとしても、少女が彼以外の者にオーブを渡さないのは周知の事実     

 彼は、幼き日に別れた少女に会わねばならなかった。
 彼女のため。自分自身のため。そして崩壊した王国のためにも。



「最後のオーブ、持ってくるから、待っててな!」
「うん!準備して待ってるね!」
 黒髪の戦士は三つ編みの少女に声をかけて、お互いは手を振り合いながら暫しの別れを惜しんでいました。

「ご武運、お祈りしています」
 聖女の祈りに見送られ、勇者一行はネクロゴンドへと向かう。





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■後書き■
戦闘が多くてしんどかったです。ガイアの海編。ルシヴァン語りとかラー語りは難しかったな〜。ラーとラーミア会話、ようやくできました。
賢者もさる事ながら、魔法使いファラが感慨深いかな。
いよいよ次はネクロゴンドですね。作者の士気も上がっております。

2007・9