「…そうだなぁ…。もう、あそこも用済みだからな…。じゃあ、こんなのはどうだ」
 死神の弟とも呼ばれている魔法使いファラ。奴の提示する条件。
 その意味、たどり着く結末。理解するのに要したのは数十秒。

「竜を連れて来なよ。お前の身近に二匹いる。そうしたらオリビアは生き返る…」

 意地悪く、少年が唇をめくり上げて嗤っていた。何故そんな条件を出したのかは解らない。魔法使いの紅の瞳は、応じなければ瞬殺すると物語る。
 従わなければ、おそらく戦闘になるだろう。自分に勝てる見込みなどない。
「……分かった。必ず連れて来てやる……」

「フン……。そんなに怯えなくてもいいよ。ほらっ。いい物をあげるから。これを奴らに飲ませればいい。動けなくなるから。こっちの薬を使えば魔法も封じられる」
「………………。へぇ……。そいつは、どうも」
 やたら親切なのが余計に不気味で、受け取った二つの皮袋をそっと覗いて、口先だけで礼を言った。一つは冷気を発する氷の欠片のような物。もう一つには薄桃色の怪しい粉が詰まっていた。どちらも掌に収まる袋に入っていたが、裏世界で高値がつく珍品に違いない。
そして、この物体が偽者でないことも解っている。
 こんな代物まで揃えて、一体何が目的なんだ……。


「それじゃあ、僕は岬で待っているから」
 魔法使いは霧の中にマントを翻して、黒い染みを拭き取ったかのように消えてゆく。奴の姿が完全に見えなくなると、どっと脱力して腐った床に尻餅を付いた。

 到底生きた心地がしなかったね……。

 耳の裏で血管が破れそうに脈打ち、全身の震えが馬鹿みたいに止まらなかった。汗ばんだ両手で肩を抱え、抑めるのに懸命になる。それは情けなくも恐ろしく長い時間……。
 考えていたのは今後の行動。どうする……。どうすればいい……。

「シーヴァス………!」
 魔族の標的にされた竜の娘。思い描いた肖像に思考は乱れて……。

 これまで彼女が囁いた言葉。俺に向けた紫の瞳。
 視界に弾けた竜の巨体。反して自らに怯えていた細い肩が甦る。

 ギィ……。ギィッ………。
 船が波に揺られて軋む。音は苦しそうで、まるで死者の嘆きを彷彿とさせていた。
 規則的な波の揺れ。震動にやけに冷静になり、青ざめていた俺の頬に色が差す。
 
 どれぐらい揺られていただろう………。
 立ち上がる時には「腹」は決まっていた。



「裏切り=決別 2」

 通称、オリビア岬。懐かしい岬のシルエットが近づこうとしていた。
 暗雲が広がり、陽光は容赦なく遮断され、左右から伸びる岬の影は魔物の牙にも良く似ている。ロマリア王国の東、商人の町アッサラームの北。ひしめき合う大陸の狭間に小さな監獄島が浮かんでいた。この付近には浅瀬や岩礁が多く、島に入るにはオリビア岬をくぐるしか手段がない。
 だからこそ島に監獄が置かれたのだろうが、周囲に町もなく、船の通りもなく、辺鄙で寂しい場所だった。
 そんな場所にも細々と生活する者たちがいる。岬の麓には名もない小さな村があり、村人は自給自足で暮らしていた。その村で生まれ育ち、歌姫として人気だったオリビア。俺の母親代わりだった女性……。

      数年前のことだった。彼女は帰らぬ恋人を想い、岬に身を投げこの世を去った。
 それ以来、岬に不気味な歌声が響くようになり、歌は嵐を呼び、近づく船を波に沈めた。進入不可となった岬。監獄島。オリビアは呪いを放った魔女と罵られ、村人だけならぬ世界各地の悪評を買った。

 深く昏く、よどめく海。
 仄暗い海の底には無数の死者が眠っている。
 彼らは今も空に、届かぬ手を伸ばし続けているのだろうか……。

「オリビアさん……。どうして……」
       まだ俺がガキの頃。盗みを働いた俺を庇って引き取った。優しい女性だった。
 目を閉じれば優しい歌声が甦り、頭をなでた手も、その温もりも、笑顔も鮮明に浮かんでくる。俺にとっては唯一の、家族と呼べた相手…。

 左右よりそそり立つ岬の前に船を止め、昼なお暗き、呪われた海を見下ろしていた。忌々しい、深き憎しみの洗いざらいを視線に込めて    
 海はまるで底なし沼のようにして、じっと俺を見つめ返して揺れていた。
 この海底で「あの人」が待っているのだろうか。それならば自分は……。


 到着してから数刻。
 ゴウゴウと風が鳴り、脅すように波が高まる。いよいよ嵐のお出ましだった。
 イカリを深く下ろし、手近な岩礁に引っかけ、船を留まらせた。これ以上先に進めば局地的な嵐に襲われ船が沈む。そのギリギリの線で俺は魔法使いを待っていた。
 不必要な乗員は陸にあげた。最低限の乗員と、捕虜が三人乗っているだけ。甲板上には俺と捕虜だけが出て、訪れるはずの取引相手をじっと待つ。

 俺の後方、船長室の横、足元で三人の捕虜は縛られたまま、疲労しきってぐったりと眠りについていた。竜の娘と、オレンジ色の飛竜、そしてオマケにミトラの僧侶。
 転がる三人にはそれぞれ皮の毛布がかけてあった。…まぁ、せめてもの暖という奴だ。オリビア岬は北方であり気温は低く、風が吹けばさぞかし冷える。

 ビュウウ……。ビュウウウウ………。

 泣くような潮風が髪を乱し、旋回する風には冷たい雨が混じっている。雨は頬を打ち、すでに髪はたっぷりと水分を含んでしまった。厚いマントを着ていても歯が鳴り響き、冷えた耳が痛んで仕方がない。

 ビュウウ……。ビュウウウウ………。

 風が擦り合い唸る歌。
 いつの間にか「彼女の歌」に変わるのに、そう時間はかからなかった。


「やめてくれよ」
 目蓋を伏せて頭を振った。悲しい歌声なんて、聞きたくもない。
 恋人を想う嘆きの歌は耳障りで、激しく俺の心を穿つ。

 ビュウウ……。ビュウウウウ………。


「……。待ってたよ。盗賊ルシヴァン」
 小さな旋風を纏い、黒ローブの魔法使いが船縁へと降り立った。肌と瞳以外の色素は全て黒く、暗い空に赤い瞳が煌々と浮き出て現れる。
 船縁に立ったまま、俺の足元に一瞥くれると少年は満足そうに薄く笑った。
「約束どおり竜も二人。僕の渡した薬が役に立ったみたいだね。嬉しいよ」

「………。言われたとおり、竜二人を連れてきたんだ。岬の呪いを解いて貰おうか」
「そうだね。そうしよう」
 魔法使いファラは、船の先端へと影のように音もなく移動した。そのまま魔物の言葉で何やら嵐に向かって呼びかけ始める。俺などには到底理解できない魔物の言語。

「来るんだオリビア。お前の息子が会いに来たよ。寂しいお前に嬉しいだろう……?」


 ゴウウウ……!
 ゴオオオオオオウウウ………!


 呪いの歌は岬を駆け巡り、風雨を巻き起こし、船は激しく左右に揺られた。身体を支えるために必死にマストにしがみつく。甲板に波が届き、足元をすくわれれば海の藻屑にされかねない。浸水され、木の葉のように小さな船は嵐に揉まれた。
 このままでは沈むのも時間の問題     

 潮と雨で濡れ鼠になりながら仰ぎ見た     船の先端に両手を掲げた魔法使い。その頭上に狂気の亡霊が浮き出てくると、阿鼻叫喚の歌に耳を疑い、頭を打つその嬌声に俺の視界が闇に染まる。俺の脳内で何かがガラガラと崩れ落ちてゆく…。

「ウアアアアア!ゴアアアアアア……!」

    ま、さか………!これが……!?」

 生前の美しさは何処へ行った。呪いを放つ悪霊に総毛立って固まった。
 骸骨のような顔にくぼんだ瞳、逆立つ髪にボロボロの衣服。変わり果てた母親の姿に思考が止まる。吐き気に襲われ、蒼然として口を覆う。

「ハハハ……。驚いたの?そうだ、これがオリビアだ。会いたかったんだろう?ほら、もっとこっちに来ればいい。近くで顔を見せてあげなよ」
 一人、暴風雨にも船の揺れにも影響されず、悠長な口調で少年は振り返るとのたまった。近づきたくてもすっかり腰が引けている。直視できない。側になんて行けるものか。
「………。クソッ!テメエがこうしたんだろうがっ!早く元に戻しやがれ!」
 目を背けながら、噛みしめた歯ぐきには潮の味。

「ふん……。そうだったね。じゃあ……」
 ススイと黒い影は移動し、各手にエルフ娘と飛竜を持ち上げ、生気無い顔を見下ろした。二人が無力なのに微笑んで、その双眸は殺意に歪む。
 風雨に揉まれ、波に翻弄される俺からは決して届かない黒い背中。しかし立ち昇る殺意はまざまざとここまで届くのか。魔法使いの次の行動に息を呑む。

 先端へと引き返し、亡霊に捧げるべく二人の竜の身体を掲げた。風を受け、冷たい雨に打たれる肢体。二匹の竜の身体はぶらり、垂れ下がって人形のよう。
 オリビアは両手を広げ、二つの供物を歓迎してケタケタと笑った。興奮気味に高らかに歌い、嬌声に耳が破れそうになる。

「ハハハ……。ハハハハハ………!」
 何が可笑しいのか、悦にはまって少年は嗤い転げた。猛り狂う天に向かい、さも満足そうに惜しげもなく歯を晒す。
「アハハハハハ……。ハハハハハ………!
 不意に嗤い声を飲み込んで、少年はそっと両手を離した。
 すれば当然、落ちてしまった二人の竜。瞬く間に波に呑まれて見えなくなった。

 捕虜の彼らは両手足を縛られている。エルフ娘は呪文も封じられているし、何より二人は水、冷気といったものに弱い。疲弊し、嵐の海を泳ぐ体力なんて残っていない。
 つまり二人には『死』しかないと言うことだ。

「……………!」
 余りにもあっけなく。二つの命が海に消えて    
 何一つ変わらぬ嵐に乱れる銀髪。貼り付く髪を除けてる暇も惜しかった。二人の落ちた縁に駆けつけ、ただ無言で海を覗く。
 そんな俺の背中にこそ、奴は嬉々として笑うらしい。

「ハハハ……。目障りだったんだよ……。ざまあみろ!人間なんかとつるむからこんな事になるんだ!ハハハハハッ!思い知れ……っ!」
 甲板に下り立ち、両手を広げた少年は指揮者のように扇動した。

「荒れ狂え!呪いの歌を歌え!
 もっとだ!アハハハハハッ!!」


 大口を開け高笑った。魔法使いとは対照的に、俺はがくりとうなだれる。
 予想していたことだ。二人は死んだ。


 ………このままなら      





        うなだれた姿勢で、胸元をぐっと引き寄せた。
 仕込んだ道具袋に確かな感触     


     なっ……!?………!ムグッ……!ムグ……ッ!」
 魔法使いに飛び掛り、右手に掴んだ皮袋を力の限りに口に押し込んだ。袋の中から薬や石が転がり込み、少年の体内で炸裂する。

「なんだ、コ、レは……!ウガッ!ガハアアアア……ッ!
 用の済んだ皮袋を投げ捨て、甲板へと受身を取り手をついた。倒れた魔法使いに覆い被さり、もう一つの皮袋を胸から引き出し歯で開く。
「アンタの薬だよ。しっかり残してあったんだ。残さず喰らいな!」
 飲ませたのは氷河魔人のカケラ、そして魔封じの薬。奴の用意したもの全てをそっくりお見舞いしてやる。暴れる手足を強引に抑え、水袋で強引に流し込む。

「ガハッ!ガハッ     !」
 想像以上に悶絶し、少年は爪を立てて俺を引き裂き、蹴り飛ばした。視界が二転三転して、空が回り、壁に陳列されていた樽の山に激突する。魔法使いは膝を立てて起き上がり、憎憎しげに噛みしめる歯ぐきから僅かに冷気を零していた。
「クソッ……!」
 吐き捨てたのは、同時だったか。
 鋭い爪は肉を抉り、俺の身体にじっとりと浮かび上がる血の滲み。甲板の潮を舐め、呻いたが、しかし俺以上に参っているのは魔法使いの方だった。
 体内から彷彿される冷気と魔封じに予想以上に苦悶している。顔は青く変色し、声を出すのも辛いのか、叫びはかすれ、喉を抑えて嘔吐していた。しかし内臓物はそう簡単には吐き出せない。

「………。ふん……。やっぱり、テメエも竜族だったんだな……!」
「な、      にィ………!!」


 狙いは当たった……。魔法使いファラは『竜』。
 用意した薬はそのまま、奴への『有効打』と姿を変える。

「貴、様……!よく、も……ッ!」
 牙を剥き、紅い瞳は憤怒に燃えた。それは背筋が冷たくなったが、ここで引き下がるわけにはいかない。全てはアイツを守るため。

 竜二人を引き合いに出されてから、ずっと魔法使いファラの真意を疑い続けていた。
 何故こんな回りくどい事をする?何故俺なんかを仲介に使う?
 竜が邪魔なら、奴が直接攻撃をすればいい。弱点まで知ってるくせに、余りにも不可解で無駄が多い行動だった。

     それにだ。確かに勇者一行はサマンオサで激しく戦った憎い敵だ。
 なのにどうして『竜だけ』なんだ?
 奴にとって最も邪魔だったのは『ラーの鏡』を使った僧侶ジャルディーノだったはず。あの僧侶さえいなければ、偽王はずっと王として君臨していられた。生贄が欲しかったのなら、何も竜じゃなくたっていい。ラーミア、吟遊詩人シャルディナの方が上等だとは言えないか……?

 不審点は他にもあった。元々奴の目的はガイアの一族、彼らの抹殺だっただろうに。
 なのに何故要求は竜だけなのか。確かに俺にとってシーヴァスは身近だが、海賊姉弟だって傍にいる。要求するなら彼らの暗殺だって良かったはずだ……。


 ………考えて、弾き出した答えは一つだけだった。
 俺は竜の娘シーヴァスの恋人だった。
 俺ならばシーヴァスは簡単に騙せる。抵抗も少なくて済むだろう。
 そして俺ほど<傷つける>奴はいない…。

 どう考えても、狙いはシーヴァスの心を穿つこと。少なくとも俺を使えば確実にシーヴァスの心は折れる。飛竜アドレスには僧侶サリサという弱点が在るが、タフな精神の持ち主のようだからな、標的をシーヴァスのみに絞ったのかも解らない。
 俺ならともかく、僧侶サリサはこんな取引には死んでも応じないだろう。
 つまり、盗賊の俺ならコロッとかかると甘く見られたという事だ。

 何故シーヴァスを傷つけたかったのか。その疑問は謎のままだった。
 特別に竜を憎む。竜を陥れたくなる。精神をいたぶりたくなる。その真相は解らない。

 竜や魔法使いファラを調べる内にある仮説が見えてきた。
 ファラは炎を扱う。体内から炎の魔物を生み出し、竜に属するヤマタノオロチの影も飼っていた。竜は人に化ける魔法を持っている。
 ともすればファラは竜なのかも知れないと      ……

 一体何が不評を買ったのかは知らないが、同族に対する恨み、の線で考えは固まった。弱点をついた手法も同族ならでは、と考えることもできる。
 求められるまま、「はいそうですか」と二人を差し出す訳にもいかない。
 そこで決めたのはこんな作戦     


 最後の最後、土壇場、奴が油断したところで強襲を賭ける。敵を騙すにはまず味方から。天然娘や世間知らずの飛竜に演技を期待する気にもなれず、独断、単独行動で強引に計画を貫いた。
 「岬で待っている」とは言いつつも、常に魔法使いの目はあると思っていた方がいい。脳内の作戦は全て極秘のうち。その時の為にシーヴァスから『星振る腕輪』を奪い装備し、素早さを格段に上げておく。相手に渡された薬群を更に仕入れて在庫を増やし、捕虜達に使うのは微弱に抑えて残しておく。他にも奴に効きそうな道具の類はしらみつぶしに集めて来た。

       そして、もう一つ。


 憤激する魔法使いは黒髪を逆立て、両手を広げると鋭い爪に光が奔った。薬で弱体化しているとはいえ、盗賊風情には余りにも分が悪い。
 素早さを武器に猛攻をかわし続けるが、濡れた足場と狭い船上、追い込まれるのは必至のこと。
「たあああああっ!!」
 背中に船室の壁が当たり、いよいよ爪が喉に届くか、     その時だった。狙いすました剣の一撃が深々と黒いローブに突き刺さった。
 いつの間に移動したのか、死角から閃いたのは破邪の剣、邪悪なる存在を決して許さないゾンビキラーの聖なる光。その柄を握りしめ、眼前に躍り出たのは金髪の僧侶。

「人間と竜が仲良くしたっていいじゃない!人の心を弄んで、許さない!」
 俺の前に壁となり、聖剣で凪ぎ払うと正眼に構えた。
「なっ!お前……っ!     ぐっ!グハッア………!」
 深々と貫かれた場所から血が滴り落ち、魔法使いはくの字に倒れて吐血した。海水の溜まった甲板にみるみる広がる赤い血だまり。人ならば死に至る出血量だ。

「サマンオサでは逃がしたけど……。あなたのした事、決して許さないんだから……!」
 偽の王を置き、国民をいたぶり続けた張本人。
 特攻終えた金髪の僧侶は頭を揺らし、髪を整えると剣を突きつけ高らかに威嚇した。少女ながらも堂々とした立ち振る舞い。小さな肩で息をしていたが、それは頼もしい助っ人の登場だった。

 アドレスを攫うため    と見せておいて、僧侶サリサは戦力の要だった。
 とは言っても作戦を伝えておいた訳じゃあない。甲板に出す時に縄を緩め、被せたマントの中にゾンビキラーを忍ばせた。時間を計算して、この時、このチャンスに眠り薬や魔封じの効果が消えるように調整している。
 目が覚めて、緩んだ縄に愛用の武器、魔封じ薬の不快感も無く、彼女は事態を察してくれたのだろう。

「助かったぜ嬢ちゃん。狙い通りだ」
 まだ奴は生きている。魔族の頂がこれしきで死んでくれる期待も薄い。
 動きを拘束するため「まだらくも糸」を投げつけ、距離を開き様子を伺った。単に時間稼ぎだが、それでも無いよりはいい。目くらましの為に僧侶サリサはマヌーサ(幻影)の呪文を詠唱し、その後側に来て回復呪文を唱えてくれた。

    ルカニ!マホトーン!」
 僧侶は身体を翻し、無言で屈辱に耐える魔法使いに弱体化の魔法を飛ばす。守備力低下と魔封じの呪文。ダメ押しに味方にピオリム(素早さ増)の呪文をかけ、暫し息を整えた。

「ルシヴァンさん…。大丈夫ですか。一人でこんな無茶するなんて……」
「ハハッ。頼りにしてるぜ聖女さま」
「……。早くシーヴァス達を助けないと……」
「分かってる。策があるんだ」
 口早く話し、間中、奴から注意を離さない。

 ぜいぜいと、苦しそうな息遣いが聞こえていた。上手い具合に薬が効き、どうやら魔法は撃てないらしい。戦況はこちらに圧倒的に優位に見える。
 魔法が使えないならば      奴にできるのは直接攻撃のみ。

 紅い瞳が光り、黒い影は飛び上がるようにして鋭い爪を伸ばして来た。僧侶の幻影を引き裂き、盗賊の影を引き破り、本物の僧侶娘に喰らいつく。
「おらよっ!」
「ガアアアアッ!」
 船が揺れ、揉み合った僧侶と黒いローブ。二人を追いかけ甲板を奔り、黒い肩にダガーを力任せいに打ち込んだ。毒牙の粉つきの刃だ、身体が痺れる。

「うっ…とうしい真似、しやがって………!」
 バタバタと畳んだ帆が破れそうに騒いでいた。揺れに積まれた樽は転がり、視界は風雨ですこぶる悪い。麻痺毒に歯噛みしながら、魔法使いファラは観念したかのように濡れた甲板に突っ伏して吐き捨てる。
 
 観念した訳ではなかった。いよいよ本性を見せるために、隠れて瞳をギラつかせていただけの事    
 黒い背中を破り、紫がかった黒い首が伸びて来た。大蛇とも似ているが、紛れもなく竜の首。僧侶サリサはジパングで戦ったヤマタノオロチを思い出し、似ていると俺に叫んで教えた。オロチとファラは同じ魔竜ヒドラの一族なのだろう。

 完全に竜化はせずに、人の背に五本ほど竜の首が伸びた姿に変わると、ファラはうつ伏せのまま竜を駆使して襲って来た。
 肝心な本体が虫の息なまま、竜化しようともダメージが消えるわけもない。吐いた炎はか細く雨に震えて泣き落ちる。交錯する竜の首も動きがのろく、そう簡単には捕まらない。

     バギマ!」
 二対五と一瞬だけ不利に陥ったが、僧侶との間を開き、首を分散させれば処理できた。僧侶は真空の呪文で竜を引き裂き、俺は投げナイフやブーメランで応戦を続ける。
「きゃあっ!」
 大きな誤算は嵐にこそあった。予測できない風にあおられ、船が大きく揺れると滑る。片側に追いやられ竜に接触し、足を噛まれ僧侶の体は宙に舞った。

 ギイイイイイ………!

 投げられた僧侶の体に牙が迫る。
 しかし誤算は竜にとっても言えたこと。船が前に大きく傾き、竜の牙は狙いを外して空を噛んだ。僧侶娘は運よくマストに捕まり、太い柱を足場に駆けると気合を入れて飛び込んだ。

 ズサリと、肉を断つ音の後に大きな塊の落下音。落ちたのは竜の首の一つであり、まだビチビチと反応しては数秒後、悲鳴を上げてバタリと倒れた。

「ウアッ!ウアアアアアアッ………!」

 首の一つを失い、いよいよ嬌声を上げて魔法使いはのたうち回り、竜化も解けて仰向けに転がった。天を仰ぐ視界の先にはミトラの僧侶が見下ろしている。

「なんだ、よ……。殺せよ!殺せ……!」
 抵抗を止めて、目蓋を伏せた敵を眼下に、僧侶娘は沈黙していた。
 正気を失ったように喚き立て、おびただしい出血を押さえることもない。正直見るに絶えない醜さの敵に対して憐れんでいるのだろうか。
「あなたの為に、スヴァルさんが……。サマンオサの人たちがずっと苦しんで来たの……」
「……そうだ。僕が仕組んだことだ。……。早く殺せばいい。それがお前らの望みだろう」
「……………」
「ここに居る僕は本体だ。とどめをさせる。………。良かったな。ラーに焼かれて、僕は回復できないダメージを負っていたんだ……」

 サマンオサで戦ったファラは本体でなかったと聞いている。出血も無かったと言うが、目の前の血飛沫は確かなもの。千載一遇のチャンスに、尚も僧侶は唇を噛んでいた。

「どうしてシーヴァスとアドレスを狙った?ただの私怨か?どんな理由だ。最後に聞かせて貰おうか。アイツらは何か?魔族にとって大きな障害にでもなっているのかよ」
 僧侶サリサの思考は読めない。
 時間が惜しくて反対側から近づき、今後の為に真意を問いた。
「……フン。アイツらなんか、小物だ。ラー以外は雑魚と言っていい。ろくに道具もなければ戦えない奴らばかりじゃないか」
「そんな奴らにお前は殺されるんだけどな」
「………………」
 嫌味に何も言えなくなった。
 魔法使いファラは自虐的に笑い、打ち付ける雨に問いかけるように呟いた。

「どうして、だ……。そこの僧侶はともかく、盗賊のお前がどうして僕に逆らった……。そんなにあの女が大事、なのか……。勝ち目の無い相手に、死神に立ち向かってまで、守るべきような存在……。命を賭けてまで……?」
 狂気の魔人から、魔法使いの顔は少年のそれへ還ってゆく。恥ずかしい問いかけに、俺は真面目に答えなかった。
「ご想像にお任せするぜ」

「……。私にとっては、シーヴァスもアドレス君も大切な友達だよ。あなたは竜なのね……。本当は、人と仲良くしたいの……?シーヴァスだって、竜であったことに悩んでいた。人と過ごす事にすごく悩んでいるよ。ねえ、竜族なら、人と暮らせるんじゃないかな……。こんなこと言っちゃ駄目……?」
 最後の方は俺に問いかけてきた言葉。
「そりゃ却下だな。少なくとも、俺は賛同できないね」
「そうだ。それが当然なんだ。いつまでこうしてるつもりだ……。早く殺せよ……!」

 二人が海に落ちてからだいぶ時間が過ぎてしまった。うかうかしている時間は無い。俺の右手は容赦なく喉元を狙って動いた。それを間に入って彼女が止める。
「なんで止めんだよ!お人よしにも程があるぜ!いいか、コイツはな……!」

「私じゃない!シーヴァスなら止めると思うから止めてるんです!」

 いきなりの発言に面食らい、開いた口が塞がらずにパクパクと空気を噛んでしまった。

「シーヴァスなら、きっと同じ竜で、喜んで迎えると思うんだもの。そうだ、アドレス君だって、たった一人の生き残りの竜なんだよ?竜が仲間になればきっと喜ぶと思うから……!」
「………………」
 なんてことだ。余りにも大きすぎる誤算が僧侶の優しさだった。
 『竜』    確かに悩んでいたシーヴァスの姿を知っている。しかし………!


「………。ハン。ハハハ………。全く、女って奴は、どうして皆こうなのかな……」
 「迷い」に答えも出せないまま、事態は終結に向かって動いていた。

 悲しみを含んで少年は嗤い、何度目かの血反吐を吐いて顔を伏せる。船が岩礁に乗り上げ大きく傾斜した。俺達の体は反動で浮き上がり、各々死に物狂いで何かに掴まろうと手を伸ばす。僧侶の目の前を黒い影が落下してゆく。
「掴まって……!」
 人の手など、彼が掴まるはずも無い    
 僧侶の優しさは空しく雨を掴み、魔竜は荒れ狂う波間に消えた。

「……っ!ファラ!ファラ………!」
「………。平気だ。おそらく死にはしないだろうよ。それよりも    

 僧侶には悪いが、俺は感傷に及ばない。
 これしきで死ぬような相手なら苦労はない。十中八九、しぶとく浮かんでくるに決まっているさ。心配する僧侶を無視して、オリビアの前へと駆け寄った。
 船の先で空を見上げる。見れば見るほど、再会に心が弾むことは有り得なかった。
 頼みの綱、希望の品物。オリビアの恋人、エリックのロケットペンダントを取り出し、悪霊に投げつけると反応を願う。

 幸せだったあの頃、懐かしい歌姫オリビアの微笑みが闇に浮かび、舞い踊る。

 亡霊が、ふと宙を舞う小さな光に注目し、歌を止めて見入ってくれた。
 呪いをかけた術者が死んだ(弱った?)せいか、嵐は暫し息を潜める。
 待ちに待った恋人の匂いが届いただろうか。物に染み付く想い……なんてものは信じちゃいないが、それでも確かに恋人達は望んだ再会を果たそうとしていた。



「エリック……!エリック………!会いたかった、ずっと……!」
「オリビア………!ごめんよ!オリビア……!」




 邪悪な魔法が解け、歌姫が生前の美しさを取り戻す。
 男は両手を広げ、彼女を強く抱きしめて、何度も何度も謝った。
 恋人同士は愛を確かめ合い、「もう離れない」と誓い合うと昇華してゆく。

「…………」
 愛の奇跡を見せ付けられた。呪いが解けても、安堵するにはまだ早い。
 僧侶娘は事態が解らないものの、晴れゆく空に感動し、去り逝く二人に祈りの言葉を唱えていた。
 最後に、思い出したように歌姫は船先に戻って来て、     俺の前にふわりと浮かぶと、にこりと優しい微笑に包まれた…。
 彼女にとっては、どんなに時が経とうとも俺は息子。いまだにガキ扱いして頭を撫でた。一言「ありがとう」と綺麗な声で囁いて。返事も聞かずに昇ってゆく。

「………はっ。ようやく終わったぜ」
 昔から変わらず、貴女の息子はひねくれ者なんです。
 空が瞬く間に晴れて波が凪ぎ、キラキラと輝いても俺の気持ちはムカムカしている。

「アンタなんて大嫌いなんだよ。クソババア。年増。イジイジして自殺なんかしやがって!俺は待つ女は嫌いなんだ。縁が切れてせいせいするぜ!」

 どうして、俺がいたのに身を投げた。
 あの日の悔しさは忘れられない。
 アンタにとって俺は、それだけの存在だったと宣告されたも同然だったんだ。俺はオリビアに裏切られた。その日に断ち切られた二人の絆。消えない恨み。憎しみ。怒り。

 でも、俺しか助ける奴なんていなかった。
 数々の恩の為に動き続けた長い年月。


「これで終わりだ。     畜生!もう二度と御免だぜ!二度と化けて出るんじゃねえぞ、クソババア!」
 遥かな過去に決別するための吐きだめ。
 ようやく俺は自由になれる。盗賊であることも、息子であることも。
 母親の為に生きることから逃れられるんだ。
 ずっとこの別れの日を待っていた……。

 僧侶に干渉されるのも避けて、間髪入れずに呪文を唱える。
「レミラーマ!レミラーマ!」
 俺の一族に伝わる探索の呪文。望む『宝』の位置が光る。前方二箇所の海に発光があり、右手を指して僧侶に指示する。
「光った場所にアドレスがいる。頼んだぜサリサ!」
「え!えええ?はいっ!」
 一息に飛び込み、遅れて僧侶も海に飛び込み救出に向かった。アドレスは竜型で沈んだ。それならば彼女でも救出が容易い。それも考慮のうちの事。

 一転して澄んだ海水をかき分け、かき分けて………。
 ゆらゆら揺れる、彼女の白い手を強く強く引き寄せた。

==

 苦しかった、ずっと………。
 胸が苦しくて、息が苦しくて。あの人の行いに胸が痛んで………。

 ぽたり、ぽたりと頬に滴が垂れてくる。それは彼の髪から離れ、冷たい私の頬に到着した海水だった。浮遊する幻から覚めた時には、すぐ間近に迫っていた彼の顔。

 嵐の海に落とされ、溺れたことは覚えている。切り目が入っていたのか、すぐに縄は解けたけれど、それでも波が激しくて船に戻ることは叶わなかった。

 彼の頭上、広がっているのは信じられない程に美しく澄んだ青い空。
「助かったのですね、私は………」
 自らの呼吸の音、横たわる床の感触を確かめると、麻痺した意識の束が少しずつ甦ってくるのが分かった。視界を巡らせれば、「まだあの船」の上。暗中の嵐から一変した快晴に目を擦り、寝たまま見れる、範囲の状況を確認していた。

 その視界に大きく広がる紫の双眸。真摯な瞳に面を食らった…。
    シーヴァス!大丈夫かっ!無事なんだな?何処か痛いところは無いか!」
 ぽたり、ぽたりと……。私の全身からも絶えず小さな滴が流れ甲板を伝っていた。
 緩やかに波間に漂う船の甲板。息を切らし、必死に肩を揺さぶる彼の形相を不思議そうにまじまじと見つめた。

 私は終始無言で、返答を貰うことに諦めて、盗賊は冷え切った身体を温めるように強く強く抱いてきた。
 そんな彼の身体もひどく冷えきっていた。海水に浸された全身。まさか私を助けてくれた?
 何故……?死神ファラは一体どこに………。

「無事で……。良かった。良かったシーヴァス……!」
 余りにも強い腕の力に、ますます思考は混乱して    
 何故そんなに無事を喜んでいるのですか。もう捨てた女を。
 敵に売り飛ばした女の事を………。



 景色が途切れ、重たい意識の底に沈み、幾時間かの時が流れた。

 窓から差し込む朝の光に目が覚めて、宿屋らしき部屋の内装をぐるりと見渡す。自分は古びたベットに寝かされていて、すぐ傍には銀髪の男性がイスに座ったまま、うたた寝していた。見つめているとすぐに私に気がついて、立ち上がると私の状態を確認する。

「……大丈夫そうだな。良かった。心配してたんだぜ」
「………」
「すまなかった。言えた義理じゃないのは分かってるが……。この通りだ。許してくれシーヴァス。お前を危険な目に合わせちまった事、本当に悪いって思ってる」
 深く頭を下げる彼を見て、私は横になったまま驚愕の余り声も出ず、横になったまま呆然としていました。
 
 静かな宿の部屋。穏やかな朝の光。まるで夢の中の景色のようで……。

「…許せ、ないか…。そうかも知れないな…。せめて言い訳ぐらいさせてくれよ。俺は母親代わりだった女性の、汚名を晴らすために幽霊船を捜していた」
 盗賊は沈黙の私に誤解して、寂しそうに顛末を話し始めました。
 幽霊船で死神ファラに遭遇し、取引を提示されたこと。断われば恐らくは殺されていた状況。そしてファラを油断させるために打った芝居     

「サリサもアドレスも無事だ。隣の部屋で休んでる。言い忘れたが…、ここはオリビア岬の麓の村。俺の世話になった辺鄙な村さ。お前の兄貴達も宿にいる。面々にはもう、しこたま謝ったんだ……」
「………………」
 お兄様は、許したのでしょうか。それとも決断は私に委ねた…?
 嵐の夜に攫われてからもう何日。きっと心配していたに違いない。
 

「まだ、駄目か。……どうしたら許してくれる?俺は……」
 こんなに私に対して、必死に懇願する彼を見るのは初めてだったのです。苦悩は握り合わせる両手の力に滲み出ている。覚悟を決めたように、彼は再度、頭を垂れて謝った。

「………っ。この際、洗いざらい吐くしかねーよな。俺はお前を助けたかったんだ……」
「……………!」
 俯く彼は知らない、けれど、思わずドキリとして全身が強張った。
 胸が高鳴り、頬が熱を発してゆく。
 何を言おうとしているのでしょうかこの人は………。

「分かってる。お前は勇者の仲間であって、竜だし、すんげえ強い。それでも男として、俺だってお前を守りたい意地があるんだよ。…あったんだ。逃げる事も、泣いて助けを求める事も冗談じゃなかった。馬鹿みたいな賭けだったが……。なんとかこうして生きて帰れた……」

 窓の外には緩やかな海岸線。美しい岬はまさかあの「オリビア岬」なのだろうかと疑った。思わず頬をつねってみたくなったのです。
 おぼつかない手足で、今にも私は飛び出しそうな衝動に駆られている。
 本当は信じていたかった。
 その彼を、僅かな期間でも疑ってしまった自分に許される事でしょうか……。


「……まだ、駄目か?………。シーヴァス……。デボネアに言われて、お前を捨てたことを怒ってんのかよ。言っとくけど、アレはその場だけのつもりだったんだぜ。幽霊船を見つけたらそしらぬ顔してお前のところに戻る予定だった」
「………。嘘つき、ですね……」
「…そうだな。だけど別れた後でヨリを戻すな、とまでは条件にはなかっただろ?別れたことには別れたんだから、特別詐欺でもないはずだ」

「………………」
「なぁ……。笑ってくれよ」
 ふてぶてしい考えに唖然として、うっかり私は笑うことに出遅れていたのです。
 当惑する彼はどうしていいか解らずに、私の肩を抱き上げると強く胸に引き寄せる。耳元で苦しそうに呟いた。信じられない告白でした。

「ようやく自由になれたんだ。お前だけにできるんだ。お前じゃなきゃ駄目なんだよ…。アッサラームでお前を見かけた時から、俺はお前に惚れていたんだ。正直に言うぜ。惚れていたのは俺の方だったんだよ……!」

 なんで、すって………。

「初めてエルフを見たんだな。驚いたな……。想像以上に美しい種族だと思った。だが一目惚れなんて馬鹿馬鹿しいだろう……?見た目は綺麗でも中身がどうかは解らない。だからお前にちょっかい出したのさ。醜い本性、曝け出すんじゃないかと思ってな」
「………………」
「だがお前はどこまでも純粋だった…。本気で火が点くのを恐れて、離れれば追って来るし。あげくの果てには竜だしよ」

「…でも、どうしてもお前がいいんだ。許してくれ……。もうお前を裏切らない。他の女もどうでもいい。足を洗って、まともな仕事を探す。俺と一緒に生きて欲しいんだ」
「ルシ、ヴァン……!」

 なんて、ことでしょうか…。今更ながらに彼をしっかりと抱きしめる。
 ずっとこうしていたかったのに。ずっと信じていたかったのに。
 テドンで二人重なった夜に誓った、この人を愛してゆくこと……。


「そんな、そんな。嬉しいことが聞けるなんて……。私、怒っていません。サリサとアドレスさんには二人で謝りましょう…。お兄様たちにも謝りましょう……。あなたの罪は私の罪です」
「許してくれるのか、シーヴァス…。まだ俺を見ててくれるのか…」
「はい…。私、あなたと一緒に生きてゆきます」

 あなたが「笑ってくれ」と願ったから。
 心の底から微笑みました。嬉しくて、暖かくて…。
 私の方こそ、許して欲しい。些細なことであなたを疑ってしまったこと。

 もう二度と、あなたを決して疑わない。


 
 寝ずに付き添い、疲弊していたルシヴァンを休め、私は部屋に兄達を呼びました。
「良かったです。お兄様は、すでに許してくれていたのですね…」
 攫われた私達を海賊達と追い、オリビア岬まで駆けつけ、麓に停泊していた船からこの村まで辿り着いたお兄様達。
 あらましはルシヴァンから聞きましたが、魔法使いファラの追撃はなく、それどころか海に落ちてから彼は一度も姿を見せてはいなかった。

 潰えた……、とは考え難かったのですが……。

「………。仕方ないだろう。土下座までされればな。やり方はどうであれ、奴は奴のやり方でお前を守ったんだ。…サリサも煩かったしな……」
 勇者はムスリとして、同じ仲間の僧侶を横目見る。
 予想はつきます。サリサはルシヴァンの事を一生懸命庇ってくれたのでしょう。

「シーヴァスの事、これからは必ず守る、大事にするって言ってたし……。真剣なプロポーズに、さすがにニーズだって水差せないよな。どうなる事かと思ったけど、とにかくみんな無事で良かったよ」
 部屋にはもう一人、黒髪の戦士アイザックの姿がありました。

「俺がどうこう言える次元は、もう終わったんだろうな。命を賭けてお前の為にした事だ。真剣だって事が分かったから、もういい」
「大人になったなぁニーズ……。……。でもここだけの話、最初はすごい剣幕だったんだ。俺も怒っていたけどさ……。収まって良かったよな」
 お兄様は憮然として口を尖らせたのですが、横でアイザックは破願して。
 部屋に談笑が広がると、私は喜びを噛みしめていたのです。

 呪いの解けたオリビア岬に降り注ぐ陽光。
 死んだ港に魂が戻り、寂しい村にも活気が戻ろうとしていました。

 岬の先には閉ざされ、もう何年も誰も行き来できなかった監獄島が浮かんでいる。
 島は海賊たちの目的地。勇者サイモンが流刑された場所    



「それでね、シーヴァス。ファラの事なんだけど……。シーヴァスのね、意見も聞きたいんだ。彼の事が少しだけ分かったの。彼は……」
 僧侶サリサの告げる真実に、私は     



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