ポルトガでの出船パーティ、参列する私は従者マイスのルーラでイシスを発ち、予定より一日早くポルトガ城下にふわりと降り立つ。
 明日は親善大使としてポルトガ王宮に出向くが、今日は全くのお忍び外出でした。

 ここに私が着ている事は女王、母上と、イシスの一部の官僚のみが知っている。
 ジャルディーノにはマイスが便りを出して伝えており、きっとすでに宿で待っているのが予想されました。
「マイスは、何度か来たことがあるのですよね、ポルトガは…」
「ええ。貿易の行き来が盛んですよ」
 初めて訪れる海運盛んな王国は、着いた途端に海の匂いが鼻をついた。
 明るい屋根の町並み、イシスとはがらりと変わり、町並みはカラフルに色鮮やかに染まっていた。

 アリアハンの勇者が王から船を与えられ、この国の港から旅立つ。すでに国を挙げての一大イベントとして盛り上がり、行き交う人々の足取りが非常に浮かれている様に見えた。
 城下町の入り口から、王城はすでに望める。しかし、今日は謁見の約束も無い、まずは予約していた宿を探す。

「ジャルディーノ達の宿は、あちらの方ですね。荷物を置きましたら、会いに行きましょう。そして予定通り、二人でおでかけ下さいませ」
「……。わかっております……」
 すでに、心はどきどきと高鳴っていた。

 もう、会いたくてもすぐに会うことはできなくなってしまった赤毛の少年。
 久し振りに会うジャルディーノは、また少し、大人びていたりするのでしょうか。
 そして、マイスが伝えた、私との外出に、どんな感情を抱いたのか……。

**

「お姫様…。お久し振りです。お元気でしたか」
 私が宿を訪ねると、すでに身支度も整え、ジャルディーノは私を待ってくれていた。
 同じ宿の仲間達に外出を告げ、宿の一階入り口で待つ、私の前に降りて来て深々と頭を下げる。
「久し振りだね、ジャル。今日は姫様のエスコートを頼むよ」
「はい…。わかりました。マイスさん」

 従兄弟同士の連絡はどんな言葉であったのか、知らない私は二人の間の神妙な空気に小さく首を傾げた。

「あくまで今日はお忍びだから、姫として扱わないように。お呼びする時はナスカでね」
「え…。呼び捨て、ですか…」
 何処か意地悪く笑う従兄弟の兄に、ジャルディーノはうろたえ、暫し塞ぎ込む。
 お忍びのつもりで、私はドレスは着ずに、庶民的な服装をわざと選んで身につけていた。呼び捨ては、どちらかと言えば私の希望。

「よろしくお願いしますわね。ジャルディーノ」
 ダンスを申し込むように、私はロングスカートを両手で軽くつまみ、可愛らしく挨拶する。
「一応、これはポルトガ城下の地図。迷った時のキメラの翼。くれぐれも、姫様に迷惑をかけないように。いいね」
「はい……」


 ひょっとして、ジャルディーノはあまり喜んでいない……?
 陽気な町も、青い空も翳るような、ジャルディーノの神妙な横顔に私の心も北風を呼び込む。
「ジャルディーノさ〜んっ!!初デート頑張って下さいね〜!!」
 宿の外へ一歩踏み出すと、即座に声が上から降り注いだ。二階の窓から、見送りに仲間の一人が手を振る声が街道に響く。
 明るい銀の髪の、陽気な少年。確か、仲間の商人の少年。

「………。行ってきます、ナルセスさん」
「私の教えも忘れずに〜。頑張って下さいねー」
 窓にはもう一人、緑の髪の青年がひょこっと現れさわやかに手を振った。
「おみやげよろしくね〜!」
「………。はい」
 見送る仲間の陽気さとはやはり対照的に、ジャルディーノの顔は晴れはしない。

 二人で町を歩く事など、初めての事。
 平気そうに装うつもりでも、私は心臓の音が暴れすぎて痛みさえ覚えていた。
「じゃあ、あの…。一応、見るところは決めてあります。ちゃんと調べておきました。姫様は…、あっ、…じゃなかった。えっと、あの、ナ…」
 どきどき。期待して、私は続きを待つ。
「ナ、ナ…、あの…」
「………………」
 みるみる、下からジャルディーノの顔が紅く染まる。それはとても滑稽で私は思わず吹き出してしまう。

「ぷぷっ!いやですわ、ジャルディーノはっ。たかが名前ですのよ?」
「あ、はい。そうなのですけど…」(赤面)
 おかげで、こちら側に余裕ができました。私は、自分の中で「よし!」と息巻き、トトっと近付き、ジャルディーノの袖口をつまむ。

「ナスカ様でもいいですわ。名前で呼んで下さいね」
「………っっ」
「ジャルディーノ…」
「…………」
「いえ、ジャル」
 気安く愛称で呼ぶと、赤面していたジャルは更にびくりと緊張して跳ね上がる。なんとも言えない、うろたえっぷりで硬直していたのです。
「…真っ赤ですわよ…」
「すいません…。緊張して…。あの…」

「ジャル、その…。手を繋いで欲しいのですけど」
 私は、今日はもう攻める方針でいたのです。
 以前から計画を立てていた今日のデート。手ぐらい繋がなくては寂しすぎます。

「そ、そんな事、…っ!!!」

「見てみなさい。ほら、他の通行人、カップルは普通に手もつないでいます。その方がお忍びとして、人目も騙せそうに思うでしょう。真似事です。深い意味はないのですから。繋いで下さいませ」
「……で、でも。…ナスカ様…」
「もう、男のくせに、情けないですよ!!」
 ぷりぷり怒って、私は強引に手を握り引っ張って歩き出す。
 レンガの街道を、港を目指して。

**

 手を引かれて歩く、ポルトガの町並みは、明るい色彩の町並みとは裏腹に、隠れて僕の表情は辛さに歪んでゆく。
 正直な気持ちは、…泣きそうでした。
 どうしよう…。どうしたらいい…?どうしたらいいのか…。

 ポルトガに帰って来て、セレモニーまでの数日間。唐突にマイスさんからの便りはやって来た。それは、姫様が僕に会いたくて、二人で町を歩きたいと話していること。
 僕にはとんでもない話でした。
 まだ、姫様は僕の事を好きなのでしょうか。どうして…?尊敬して止まないマイスさんからの手紙には、重要な僕への通達が書かれていました。


『ジャルディーノ、あの時君は言ったね。
 僕は、お姫様とは、一緒になりません と。

 姫はいまだ君に執着しているよ。この辺りで目を覚まさせてはくれないか。 姫が告白したのなら、冷たく突き放して欲しい。
 言わなければ、なんでもいい、姫が君から離れるような行動を取ってはくれないか。
 嫌われるのでもいいし、仲間の一人に恋人のふりをしてもらうでもいい。

 一緒になる気がないのなら、きっぱり断るのも姫のためになる。
 期待しているよ。姫と、イシスのために、君が英断をもたらす事を』


 手をつなぎ、視界は突然開けて、視界には広大な海原が何処までも広がる。
白く鮮やかな入道雲。砂浜には海水浴客がごった返して、楽しそうな人の声が絶えず響いていた。

「まああっ!すごい…!こんなに青い海は初めて見ましたわ!」
 歓声を上げて、姫様は海沿いの道の、鉄の枠に身を乗り出す。
「ジャルディーノ、何をしているの、いらっしゃい!ほら!こんなに海が綺麗なのです!」
「……。そうですね。…綺麗です」
 隣に並んだ僕は、ざっと景色を目で追い、そして俯く。
 夏の綺麗な景色を見つけても、考えるのは姫への断りの言葉ばかりだった。

ザザ   ...
ザザ   ...

 心地よい潮風と、波の音が繰り返す。
 気がつくと、僕は姫に横顔をじっと見つめられていた。

「あまり、気乗りしないのですか。ジャルは…」
「………。そんな、事は……」
「…ずっと、顔が晴れません。具合が悪いのでは、ないですわ、よね」
 姫様が俯いて、きゅっと唇を噛みしめる。切ない思いに、胸が苦しくなる…。
「ごめんなさい…。あの、考え事を、していまして…」
「旅の中のことですか?それとも、私といるのは嫌ですか」
「そ、そんなっ……!」

 イシスの王女、艶やかな黒髪の美少女です。とても綺麗で美しくて。砂漠の国、イシスの宝石とまで吟遊詩人は謳います。でも、そんな姫の瞳が、悲しそうに潤み始める。
「少し、浜に降りて歩きませんか?ジャルディーノ」
 空気はひんやりと緊張したまま、姫は人のいない波打ち際へと降りて行く。
 僕は黙って、姫の後ろを付いて歩く。

「やはりオアシスなどとは、違いますね…。うふふ。気持ちよい」
 波の行き来が楽しくて、静かな波打ち際で靴を脱ぎ、姫様は海と戯れる。
 また、きっと長い事、僕は考え込んで姫から注意を離していた。

「また、考え事ですか、ジャル。全く持って失礼ですね。私に対して無礼です」
「あ……」
 裸足の姫は、不意に僕の目の前に立ち、そっと僕の両手を持ち上げた。

「…………。私は……」
 どきりとする……。
 手を握る、姫の指先から緊張が痺れるように伝達する。

姫が告白したのなら、冷たく突き放せ。

 できませんそんな事。でも、受け止める事もできない。
 言いかけて、黒髪の姫の唇は動かなくなる。そのまま何も言わないで欲しかった。
「女から、口にする事、恥ずかしいと思うかしら…」
「でも、私は…。ずっと、待って…。秘めてきたのですもの…」
「ジャルディーノ、私は…。あなたの事を…。太陽よりも…」
「言わないで下さい!姫様…!」

 僕の手を掴んだ、姫の手ごと、強い力で僕は握り締める。突然言葉を遮った無礼者を、見つめる姫の瞳は戸惑う。
「困ります。姫様…。ごめんなさい。困ります。僕は…あなたの気持ちは、一生受け取る事ができません…」
「一生……!」
 姫様を悲しませる、傷つける、また僕はきっと自分を許せなくなる。
 言葉を搾り出す、僕の顔はぎゅっと何かに怯えて震える。

「一生?どうして、そんな事を言うのですか…。この先何があっても?私がどれだけ美しくなっても?あなたが大人になっても……?」
「はい。受け取れません。僕は……」

 周りの人々を等しく好きに思う、けれど恋愛と言う特別な感情がまだ分からない僕。でも、いつかは分かる時が来るかも知れない。
 しかし、目の前の女の子が、イシス王女でなくなる事は死ぬまでないのだから。

「僕は、イシスを、背負う自信はありません…!」

 僕の本音は、鋭く小さな姫の胸を貫いた。

 もう、すでに姫と僕との事で波紋は起きている。
 僕と姫が結ばれるのを良く思わない人々がたくさんいる。
 もう、たくさんだった。見たくなかった。自分を火種にして、争いごとが起きるのは。
「きっと、もっとふさわしい人がいます。こんな僕なんかよりも、強くて、優しくて。姫を大事にしてくれて、かっこよくて…」
「あなた以上に、強くて優しい人などいませんわ!ジャルディーノは素敵です。かっこよいですよ!それに…!」
 姫は、僕とつないだ手を乱暴にほどき、一歩離れて、改めて目の前の「僕」を確認する。
「ジャルディーノは…。私がイシスの姫だから、断ると言うのですか…」
「…そうです。ごめんなさい…」


 波の音ばかりが、相槌を打っていた。
 身体を僕から、大きな蒼い海に移し、細い声で姫は…。啼く。
「ジャルディーノは、私を「姫だから」ではなく、一人の人間として、好いてくれているのだと、ずっと思っていました」
「…………」
「それなのに、王女だからと、私を見てはくれないと言うのですね」
「…………」
「私は…。考えた事はありませんわ。あなたが「セズラートの息子だから」ですとか、「ラーの化身だから」ですとか。力があるから相手に迎えたいなどとは」

 痛むのは、胸が苦しいのは、姫がとても真剣だったから…?
「でわ、私が身分を捨てれば、あなたは私を見てくれますか」
「やめて下さい。女王様が悲しみます…」
「私が悲しむのは構わないのですか」

「どうして…。そんなに…。やめて下さい。僕は、無理です。僕には無理です。僕は上になんて立っちゃいけない人間なんです。姫様にはもっとちゃんと人に、祝福されて幸せになって欲しいです。もう忘れて下さい!」
 姫様が真剣であるから、僕もきちんと彼女をみつめて答えなければ。凛とした声を絞り出し、海を見つめる姫に、まっすぐに打ち明ける。

 返ってくる視線は、姫の瞳は微かな怒りに揺れていた。
 潮風に肩にかかる髪が揺れている。普段見ない町娘姿の姫は、生まれながらのカリスマ性を見せて、僕を責める。
「誰でも、同じだわ。誰も皆、自分の利益にならない相手なら、何処までも反対するでしょう。何処の誰でも影で疎む輩はどうしても居るわ。ジャルディーノはそれが怖いから、私とは居られないと言うのですわね。情けない」

「その通りです…」
 反論はできない。僕は人の悪意と戦う勇気は無い。
「王宮のしがらみ、私も時々嫌になります。でも、それを耐えられるのは、あなたの存在が在ったからなのに…」

「王女である事は、時々とても辛いです。女王にでもなれば、きっと尚更。だからこそ、私はあなたが良かったのに。ジャルディーノとなら、どんな事も乗り越えて行けると、思っていたのですわ…」

「どうして、ですか。僕は、そんな、そこまで言ってもらえる様な、大層な人間じゃないですよ。どうかしています…」
 不意に姫は、歩み寄り、スカートのポケットから小さなブローチを取り出し、僕に促す。
「覚えていますか、、こちら。ジャルディーノに貰ったものです」
「うわっ…!え、まだ持っていて下さったのですか、お姫様…。こんな物…」

「とても嬉しかったのですわ。こんな物が。形ではないのです。気持ちが嬉しかったのです。あなたのおかげで、私誕生日が好きになれたのですわ。あの日から。ジャルディーノは毎年お祝いしてくれたから」

「誕生日だけではなくて…。毎日、ですわ。楽しくなったのは…。そんな些細な事で良いのです。私だって、まだ子供。いきなり国を背負えといわれて物怖じしないわけがないのです。私を、傍で、支えて下さる…気には、ならないのですか。ジャルディーノは…」
 砂漠の太陽ほどではないけれど、日差しが僕を照りつける。
 蒼い海を背景に、やはり王家の気質を見せつける幼い姫様。僕は傍でじっと見つめられ、ただひたすらに葛藤していた。

 ずっと、幼い頃から、見知っていたお姫様。
 一つ年下ですが、姫は僕よりずっと大人でした。僕は自分の小ささを痛感して、見つめ返せずに、姫様からそっと距離を取る。
 波に向かって歩くと、寄せては返す波に捕まり、靴が水に濡れて、僕も姫と同じように靴を脱ぎ捨てて走った。


 波と遊ぶ事が気持ちよい。
 何も知らない子供のままで、きっと僕はいたいんだ……。
 誰かを強く想う事、時には誰かを傷つけても。羨ましいと思っていた。
 でも、同時にとても恐ろしいから。
 
 これは真意だと、思います。恋をしたら、僕は憎しみを覚えます。
 人を恨む事妬む事、嫉妬、欲しいと願って、叶わない時、僕は間違いに手を染めてしまうかも知れない。
 愛情が深ければ、反動できっと深い憎しみも知ってしまうから。
 怖いです、とても…。僕は人を、憎みたくない。どんなに小さな悪意でも。


「気が済みましたか、ジャルディーノ…」
 暫く無心で、足を波に塗らしていた僕の傍に、風に揺れる髪を整えながら姫が近付く。

「ナスカ様…。少し、時間を下さい。待っていてくれなくても、それは自由です。本当は…、気持ちに応えられたら、どんなにいいかと思います。一生、と言ったのは、訂正します。酷いことを言いました。ごめんなさい…」

「では…。待っていますわ。考えて下さると受け取りますよ、私の事を」
 大人びた微笑を浮かべて、姫様は僕の腕に手を添える。
「もう少し…。強くなります。どうなるかは、分からないですけれど…」
 せめて、しっかりと、姫と向き合える強さが欲しいです。
 きっぱりと断る事も、受け止める事もできない、曖昧な自分を変えなければ。

 姫様は嬉しそうに、ぴょんと跳ねるように僕の前に回り込み、細い腕を緩やかに首に絡めた。
    !!ひ、姫様っ!!」
 こんな急接近はありえない、狼狽して僕は肩にふれてどかす事もできなくて、行き場の無い手でわたわたと震える。
「私、ジャルディーノの事が好きですわ。もう、言ってしまいます」

     言葉になりません。
 僕は石になったように、指先を動かす事もできません。

「訊きたいのですが、ジャルディーノには、他に好きな娘はいないのですよね?過去にもいないのですよね?」
「い、いませ、……」
 身体は動かないので、口だけ、ぱくぱくと渇いて動く。

「私負けませんわ。私のように美しい娘など、そうそう世界にいないですもの」
「………。そう、ですね…」
「きっと、ジャルディーノの方から、言ってきますよ。僕と結婚して下さいと」
 嬉しそうなのはいいのですけど、とにかく、僕は離れて欲しかったです。もう、もう、頭に血が上って、倒れそうです…。
「ジャルディーノ、本当に純情なのですね。私の事、忘れないで下さいね」
「うわあっ……!」
 時々、姫は大胆な行動をする事を、今更ながらに思い出していました。
 硬直した僕の頬に、悪戯のように唇をふれさせて、口をぱくぱくする僕の反応を確認する。
「ぷうーっ。いやですわ。あはははははっ」
「………。姫様…もう…」

 もう、お手上げです。心臓が持たないです。
 ふらふらと離れて、渇いた部分の砂の上に、僕はへたりと腰をつく。
「…ふふふ。美しい姫の、行動力に参りなさい。だいたい、ジャルディーノの分際で、私を振ろうなんて図々しいですわ」

「あ、あの。もう、許して下さい…」
 座り込んだ僕を笑って追いかけてきて、頭と境が判らなくなるほどに赤く染まった頬を面白そうに姫はつつく。
「私の事好きとおっしゃい。そうしたら許して差し上げます」

「……。大好きです。ナスカ様…」
「………!」
 僕は、いけないことを、口にしてしまったのだと、後で後悔します。
 中にどれだけ複雑な感情があろうとも、姫は言葉に咎が外れた。
 恋する瞳に、僕はどんな風に微笑んだのでしょうか。
 僕は目も開けたまま、至近距離で過去最高に近付いた姫の顔に驚く、
    暇もない。

 ふれて離れた微かな柔らかい感触、すぐ傍で伏せられた姫のまぶたが開く。
「……ほんの少しでも、私が他の人より上なら…」

「…ジャルディーノ?」
 限界でした。視界がグラグラ回ります。
 覗き込む、姫の顔が遠くなる。僕は熱に浮かれて後ろに倒れていました。

**

「大丈夫ですか?…まさか、気を失うなんて…」
 次に目が覚めた場所、姫の呆れ顔と、宿の天井が僕を見下ろしていた。
 まだ、頭がぼんやりしています。だって、本当に驚いて、そしてとてもショックな出来事でした…。
「失礼極まりないですわ。訊いた事ありません。キスした後で気を失うなど」
「……。すみません…」
 ベットの横で顎を上げる、案の定姫様はふくれていました。
「でも、悔しかったので、あの後、寝ているジャルに何度もキスさせて頂きましたから」
「え”……」

 謝ろうと、身体を起こした、僕は今度は真っ青に色を変えた。
 余りのショックに、頭が真っ白になってまた気を失いそうになる。

「……。嘘です。なんですか、青くなるなんて、心外ですわ!」
「……ごめんなさい。でも、もう、あの……。しないで下さいね…」


「ジャルも気づいた事ですし、姫、そろそろ帰りましょう。明日の準備も御座います」
「!!」
 僕は、死ぬかと思うほど、ショックを受けて声の在り処に気が付いた。
 宿の部屋の隅に、ドアの前に控えていたマイスさんの存在に僕は全く気が付いていなかった。冷や汗が首筋に浮かぶ。僕は言いようの無い怯えに息を止めた。

「…そうですわね…。ふぅ。そう致します。ジャルディーノの顔色も悪いですし」
「あれほど迷惑かけないように言ったのに。仕方がないね、ジャルは」
「……。す、み、ま…せ…」
 謝る言葉も息が途切れ、上手く出ずに、冷めたマイスさんの視線は僕をさらりと流して外に向いた。
「お大事にですわ、ジャルディーノ。また明日」

 嵐は去った。
 僕は、とにかく、ひたすら、今独りになった事に安心していた…。



「ジャルディーノさーん!訊きましたよー!!」
 安堵したのも束の間、ナルセスさんが大きな音を立てて部屋に入ってくる。きっと二人が居る間、別の部屋に行っていたのでしょう。
「デート、どうでした?なんか帰り早かったですけど。なんかマイスさんに担がれて帰って来ましたけど、なんですか?姫とキスして倒れたって本当ですか?!」
「…………」

 初めて、ナルセスさんが恨めしく思えてしまいました。
「ジャルディーノさん、いけませんね…。ナスカ姫様が可哀相ですよ。明日フォローしてあげて下さいね」
 続いて部屋に入ってきたワグナスさん、も同様でした。

「いいなー。初めてのキスってドキドキですよね。しかも姫様美人だし。うはうはー。この、隅におけないですねー!このこのっ!」
「あの…」
 肩をこづく、僕はもう、反応さえ返せそうになくて…。

「それで、どうだったのでしょうか?是非訊きたいですよね」
「もっちろん!訊きたいですよ!手つないでましたよね!どんな事話したんですか?告白されたとか?姫様からキスしたんですか?感想は?」
「…ううっ…」
「おやおや。泣いてますね。…。そんなに感動的だったのでしょうか」
「やっぱりレモンの味?!いいんだよな〜。女の子の唇って柔らかくてさぁ〜!俺も興奮して眠れなかったしぃー」
「……。あううっ。ううっ…」
「……。そんなにお泣きになるなんて…。まさか、ジャルディーノさん…。焦ってしまったとか…?」


(間)


「えっ?まじすかまじすか?!それは後悔の涙なんですか?」
「そんなに泣かないで下さいジャルディーノさん。誰しも間違いはありますよ。男の子なのですから、理性が外れる事もあるでしょう」
「うわー…。まさか倒れるほどーっっ!!?」

「…もうっ!どこか行って下さい!二人ともおおおっ!うわああああああああん!!」


「え?まじ…?」(汗)
「わああああああっ!!ああああああっ!!」
 声を出して泣きわめいて、僕は布団を被ってベットに潜り込む。
「どうしたの!ジャルディーノ…!」
 声に慌てて、一緒に宿に泊まっていたドエールが駆けつける。ドエールも海水浴に誘われて、ポルトガ城下に滞在していた。
「ううううっ。ドエールー!うわああああああっ!」

「……何したんですか」
「えええぅ?いや、別に何も…。ねえ?ワグナスさん」
「ええ。よほどショックなことがあったのでしょう…。ドエールさん慰めてあげて下さいね」
「ええ、それはもちろん。ちょっと出て行ってくれますか」

 声を涸らして泣きました。
 もう、息もできなくなるくらい。自分でも、どうしてそんなに泣くのかわからないくらいに。
 お願いです。
 もう、誰も、僕に踏み込まないで下さい。
 お願いです…。


 泣いた瞳が痛くて、胸が軋んで、喉が涸れて。目を閉じると、姫様の顔が近付いた瞬間が甦るから、瞳を閉じられなかった。
 布団の中にずっと隠れて、僕は唇を拭う。
 どんな魔法よりも、剣で貫かれるよりも、尚痛い。僕はダメージを受けていた。
 人の想いほど、痛い武器はないのだと初めて知った。
 そのまま僕は、ベットにうずくまり続けている。でも、眠りは僕の元に訪れてはくれなかった。

**

 従兄弟の弟が慟哭に泣くのを知らず、神官マイスはイシスの王女の後姿をじっと観察していた。
 そして姫に気づかれずに、小さくため息をこぼす。
 これはまだ、諦めそうにない。
 国はまた荒れるな…。
   そう、心に騒動の予感を秘めて。

「ジャルディーノは…。良い王になると思いますのに…。ねえ、マイス?」
 自分の宿への帰り道、幼き姫は不満を隠さずに従者に伝えた。
「ただ優しいだけでは、務まりませんよ。ジャルディーノには図太さが足りません。反発に対して、素直すぎます」
「……。そおねぇ…。マイスは図太いわよね。何処吹く風ですもの」
「姫が望めば、いつでも僕は王家に入りますよ」

「………、?」
 王女は意味を問い返せなかった。




毎朝、私を照らす太陽。

でも、時に太陽も、自分の姿を隠す。
私は、太陽を掴みたいのです。ずっと…。


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