「港慕情 2」


 翌朝の天気は良好。
 本当に彼女が見舞いに着てくれるのか、起きた時からそわそわしながら我慢できずに、俺は無意味ながらも家の掃除を始めていた。
 今にも強風で倒れてしまいそうなほったて小屋で、彼女に見られるのは非常に恥ずかしい。
 周りの民家は大抵こんなものだったけれど、彼女は多分上流階級の人間。
 なるべく綺麗にできるところは綺麗にして、家に迎えたいと頑張っていた。

「うっうっ。ごほっ。ごほごほっ。頭いて〜」
 マスクをしながら家の中の整理整頓をし、雑巾がけをして、家の前も簡単に掃き掃除をして待つ。
「……。熱心だな。兄貴…」
 静かに、ゆらゆらと不気味な怒りのオーラを発しながら、弟のビームは俺の行動を監視していた。
「来るんだ?その女」
「ん。た、多分な…。は、はっくしゅん。はっくしゅん…!」
「熱あるのに。掃除なんかして。…ふん」
「もう、いいかな。後は寝て待つよ…」


「おはよう。早く来すぎたかしら」
 海岸地区、質素な居住区には到底不似合いな、身なりの良い女性が日傘を差して歩み寄る。
「あっ。あ…。お、お、お、おは、おは…っ」
「外に出て、もう具合は良くなったの?顔は赤いけれど」
 傘を持つ反対の手には、彼女はカートを握り締めていた。

 すでに動揺しまくり、持っていたボロいホウキを落とし、俺はどもって挨拶にならない。
 あろうことかファルはスッと近寄り、俺の額に綺麗な手を当てると、すぐに引っ込めてマイペースに行動する。
「まだ高いわね。良い薬を持って来たの。上がってもいいかしら」

「ええっ!あ、上がるのっ!?うち、その、あの、かなり、汚い所なんだけど……!」
「今日は、看病する気で来たのよ」
 日傘をたたみ、彼女は横で呆気に取られていた弟の姿に気が付き、丁寧に頭を下げる。仕草は鮮やかにゆるみなく、実に堂々としていた。
 カートの中から荷物を出し、両腕に抱えると、挨拶をして家の敷居を踏む。

「あっ。ま、待てよこの……!」
 ビームは止めるのに出遅れ、慌てて家に追って入る。
 そして家の中の様子に笑うことも無い、ざっと見て、もう何も気にせずに俺の看病をしようとする、ある意味掴み所の無い彼女に思い切り圧倒されてしまっていた。

 おどおどしているのは俺ばかりで、家の中に案内されたファルは戸惑いも見せずに、てきぱきと看病の手筈を整える。
「買い物もしてきたの。台所を借りてもいいかしら」
「うえっ!?」
「水桶もあるのね。氷も買って来たの。入れるわ」
 ザザザッ。
 布団の横に、置いてあった水桶に氷を入れ、ファルは中のタオルを絞り、俺を寝かせておでこに乗せる。


 やばい…。さすがに台所は片してないよ…。
 看病は嬉しかったけれど、さすがに困って、返事をごまかすのが関の山だった。
「そこまでしなくていいよ。着てくれただけで嬉しいから。…ほんと」

「……。じゃあ、果物を買って来ているの。それなら食べてくれる?」
「えっ?う、うん」
 寝室に広げた布団の横に座り、果物ナイフで林檎を剥き始める、彼女の姿にいちいち感動を覚えていた。
 布団を掴みながら見上げる、ファルの顔は本当に綺麗で、見ていることすら悪い気がするほど。

 彼女の横に、見かねた弟がケンカ腰にどかりとあぐらをかく。
「弟さんもどうぞ。たくさん持って来ているの」
 思わずビームは彼女が持ってきた荷物の袋を覗き込み、果物や食べ物、薬に驚き、しかし確認したように喰ってかかる。

「…アンタ、どっかの貴族の女だよな。見覚えある。一体何の目的で兄貴に近寄るんだよ」
「おい、ビーム。ごほっ。やめろよ…」
「………。ええ、私は、ファルカータ=デニーズよ。でも、貴族は辞めるわ」

「デッ……!!!!」



 俺と弟、二人の声が驚愕に重なる。
 横になっていたが跳ね起きて、額からタオルが布団の上に落ちた。

「私は、新しい世界を待っているだけ。目的はそれだけよ」
 俺たちの顔が深刻に青ざめるのを、気にせずに彼女、ファルカータ=デニーズは林檎の皮を剥き終える。

「兄貴、知ってたのかよ…」
「いや、は、初めて聞いた…」
「やめるよな。こんな女。デニーズなんて、悪の総玉だ」
「………」
 涼しい顔で、ファルカータは剥いた林檎を俺に勧めてくる。
「……。関係、ないよな。ファルには。悪いのは、あのトマホークなんだろうし。ファルは、それに、貴族をやめるって…」

「ふざけんなよ!」

 ビームは突然立ち上がり、俺に差し出した彼女の手を叩き落す。そして彼女の持ってきた荷物を掴み、窓から勢い良く外に投げ捨てた。
「よりにもよって、あのデニーズ家の女かよ。胸くそ悪い!物なんか喰えるか!帰れよ!今すぐ帰れ!二度と兄貴に近付くなっ!帰れよ!!」
 彼女の腕を掴み上げ、玄関から叩き出そうとする弟、ファルは抵抗もせずに受け入れる。
「待って!ビームっ!ごめんファル……!」

 玄関の床に叩きつけられたファルは髪も乱れ、上質の衣服も汚してしまっていた。
「いいのよ。兄の所業は知っています」
「知ってる?!人事みたいに!俺たちはお前らのせいで苦しい生活を強いられているんだ。俺たちが必死になって働いて、納めた税金でお前らはパーティだ、夜会だ、花だ、歌だ踊りだ、贅沢三昧。遊び放題。貴金属を着飾って、俺たちが一生着れないような服で、ベストドレッサーコンテストだと!?ふざけんなよ!」

「…そうね」
「俺の友達だって、お前らに殺されたんだ!アイツの衣装に、落とせない染みをつけたとか言われて…。とんでもない請求額に、一家で心中したんだ!それも知ってるって言うのか!!」
「…知らなかったわ。ごめんなさい」
「ビーム!ファルのした事じゃない!俺だって、デニーズ家と結婚するわけじゃないんだ。彼女に当たるな!」
 弟の責め苦を引き受けようとする、彼女の体を立たせて、俺はひたすら彼女に謝る。それしかできなかった。

「なんだよ。…なんだよ。兄貴の馬鹿野郎ー!!何処にでもいっちまえ!そんな女と縁切らない内は、話なんかしないからなっ!」
 バタバタ。バタンッ!

 寝室に駆け戻り、ドアを閉めて、弟が泣き叫ぶのが心に突き刺さる。
 ふと横に見つめた、ファルカータの表情も重く沈んでいた。

「ごめんねファル。今日は、もう帰って。弟には、良く言って聞かせるから」
 外に見送りに出て、投げ捨てられた荷物を拾い、俺は彼女に頭を下げる。
「謝るのは私よ。ごめんなさい。薬、飲んでね」
「うん。貰うよ、ありがとう」

「もう、ここには来ないわ。弟さんに悪いことしたわね。何処に行けばあなたに会える?」
「え……」
 まだ、懲りずに会ってくれるらしい。
 俺は自分のバイト先を教えていた。

++

 海に出ない間は、日払いの肉体労働に勤しむのが一番楽で、収入も良い。
 翌日は薬のおかげで風邪も良くなり、俺は朝から働きに町へ出ていた。
 俺は建築現場の下働きで、弟は港の缶詰工場で働いている。

 
 その日から仕事の日は決まって、ファルが弁当を持って会いに来てくれるようになり、休憩時間を一緒に過ごしたりして、すっかり仕事場公認のカップルになっていた。
 しかし、彼女の手作りの弁当はひたすら変わっていた。

「定番だけれど、おにぎりを作ってみたの。中味は工夫してみたわ」
「ありがとう〜!嬉しいよ!中味なんだろう?はぐっ」
 初日、おにぎりの中味は、梅味のガム、ベビースターラーメン、パンの耳、タマゴボーロだった。

 口にして思わず噴くものばかりだったけれど、反応を楽しそうに待っている彼女に、「お、美味しいね。これ…」と笑って全部食べた。
「そう。良かったわ」
 彼女もそれを喜んでくれたし、もはやその温かさだけで俺の胸はいっぱいになった。

 翌日、サンドウィッチの中味は、レタスとイカの塩辛。玉子とコーンフレークと納豆和え。トマトとハムと都こんぶだった。
 これももう、開き直って、ひきつり笑いを浮かべながら食べ切った。

 更に次の日、シュークリームの皮の中にご飯が詰まった弁当になっていた。
 シュー皮の中に、ノリおかかご飯、赤飯、肉じゃが、ご飯ですよ(海苔)。
「ご飯も食べて、おやつも食べたような気になるでしょ?」
「そ、そお、だね…」
「クス…」

 どんな食い物を出されても、いつでも大喜びで俺は必ず食べ切った。
     どこまでも、果てしなく、俺は馬鹿でいいと思った。


「弟さん、まだ怒っているの」
「うん…。あれからまともに口を聞いてくれないんだ…。あ、でも、心配しなくていいよ。ケンカすることはあったから。きっと分かって貰える」

「はい。飲物」
「ありがとう。……ぶはっ!!
「美味しいのよ。青汁」
 休憩に、仕事場の開いた場所に適当に腰掛けながら、キョウレツな飲物に俺は激しく緑の液体を噴き出す。
「う”、う”まいね…。はは」

 物珍しそうに、ファルはいつも建築現場の骨組みや、汗にまみれて働く親父たちの動きに注目していた。
 きっと、新鮮な光景なんだろうなと思う。
 名高いデニーズ家の令嬢である彼女には。


「どう?詳しく、今後のことは決まっているの?」
「うんと…。俺、まずは、協力者を探そうと思って…。俺はただの漁師だし、家を建てるにもどう設計して、どう作っていいのか分からない。場所はね、東の未開の地、目星はつけているんだ。そこは未開の大陸で、どこの国の領地でもない、代わりに、魔物が出るんだ。用心棒みたいな人も必要になってくる」

 木材に腰掛けながら、不味い青汁を一気に飲み切って、俺は彼女に笑顔で伝える。
「ダーマに行くのがいいかなって思うんだ。あそこには、多くの職業の人がいるし、新しい事をしようって人がきっといっぱいいて、誰か話に協力してくれるかも知れない」

「賢者ワグナスなんて、用心棒にいいわね」
「賢者……?」

 彼女は、とんでもない人物の名前を挙げた。
 俺はこの時は「賢者ワグナス」がどんなヒトかを知らずに、大見栄切って引き受けてしまう。
「賢者に会えたら、きっと良い知恵を下さると思うわ。ダーマの傍に建っているのよ、賢者に会える塔が。読んでみたいわね、悟りの書」
「………。分かった。行ってみるよ、賢者の塔に」
「楽しみにしているわ」
 幸せだった。彼女と一緒に居られるだけで。

 ダーマへの道は遥か遠く、船でポルトガへ渡り、ロマリア、アッサラーム、そしてバハラタ、ダーマ。急いでも半年は見込んでおかないと。
 旅の資金を稼ぐために、朝から晩まで働いて毎日くたくたになっていた。
 家には寝に帰り、弟とも会話せずに数日が過ぎていってしまう。

 ファルカータに会って、十日程度の日が瞬く間に過ぎ、仕事場に新たな客が尋ねてくる。彼女とは対照的な、明るく元気な少女が一人。

++

 休憩時間を見計らって、快活な少女ははつらつとして現われて、俺を呼び出すとおおはしゃぎで俺の周りを一周した。
「あなたがグレネイドさん?お姉ちゃんの恋人、グレイさん???」
「えっ。あ……」
 左右、前、後ろから俺を観察して、興味深々に彼女は見上げてくる。

「私クレイモア=デニーズ。ファルカータの妹です。どうぞよろしくお願いします。突然会いに来てすみません」
 必要以上に深くお辞儀をし、にこやかに微笑む、跳ねるような動きが可愛い十五、六の少女。
 栗色の髪を首の後ろでリボンで結び、白地に赤い縁飾りのついたケープをヒラヒラ揺らしていた。ピンク色のミニスカートにブーツと、かなり姉とは印象が違う。

「お姉ちゃんって、こ〜ゆー人が好きだったんだー…。ふーん…」
 妹のクレイモアは、じろじろと困る位に俺を審査していて、受ける側として緊張して身動きがぎくしゃくしてしまう。
「あっ、今日は、お姉ちゃんが来れないので、私がお弁当持って来ました!今日は普通のお弁当です!…寂しい?」

 同僚たちの目が気になったので、俺は妹さんを促して作業場の隅に移動して行く。途中で誇らしげに言う妹さんに、俺は思わず考えてしまった。

 いつも変わった食べ物ばかり作っているけど…。
 やっぱり、ファルカータの作ったお弁当の方が嬉しい。味とかじゃなくて、彼女の手作りだから嬉しいんだろうな…。


「ありがとうクレイモア。気にしなくて良かったのに。ファルに会えないのは寂しいけど、妹さんに会えて嬉しいよ。こんなとこまで来てくれてありがとう」
 首から下げたタオルで汗を拭き、作業場に置いた木材の上を軽くはたき、彼女を座らせてあげる。
 大きな目を感動したように見開いて、クレイモアは俺の顔に見惚れて震える。
「………。グレイさんって、………優しいかも!!!いいかも!!!」
「へっ」
「お姉ちゃん、あんな変なお弁当作ってるのに、変な女とか思わないの?怒ってないの?それともそこが可愛いの?どこが好きなの?顔?体?もしくはお金目的???」

「……………」
 俺は弾丸質問に唖然として、彼女は更に質問を山積みに重ねる。

「知ってると思うけど、うちはデニーズ家、名門貴族なの。悪名も高いけど。でも、お兄様は庶民との結婚なんて死んでも認めないから。お姉ちゃんと一緒になるなら「かけおち」しかないから。だからお金なんて入んないからね!あ、まさか、身代金要求する気?それともまさか、結婚サギ!?」
「あ、あのね、クレイモア…」(滝汗)

「言っておくけど、お姉ちゃん騙す気なら、私が相手よ!こう見えても、剣術くらい習ってるんだから!だいたい、お姉ちゃんがああ、大人しいからって、もしかして自分の好きにできるとか、思ってるんじゃないでしょうね?家庭内暴力なんて、許さないから!」
 クレイモアは俺の前に仁王立ちし、びしっと指先を突きつけて宣戦布告する。
 たまらなくなって、俺は吹き出して笑った。

「なっ!?なんで笑うの!失礼よ!」
「あ、あははははっ。ごめん。だって、可愛いなと思って…。あはははは」
 腹を抱えて笑う俺にふくれた、クレイモアは腕をジタバタと振って抗議する。
「かっ、可愛い…?!確かに私は可愛いかも知れないけどっ!そんな言葉じゃ騙されないんだから〜!!!」
「えっと…。何から答えればいいかなぁ…」
 しこたま笑って涙を拭いて、俺はにこにこしながら正直に答え始めた。

「どんなものでも…。お弁当、嬉しいよ。っていうか、ファルに会えるだけで嬉しい。更に彼女の手作りなら、飛び上がるほどに嬉しい」
「……………」
 語り始めた俺に、静かになったクレイモアは、再びちょこんと横に腰掛けて俺の横顔を真摯に見つめる。

「可愛いよ、すごく…。綺麗だと思うし…。すごく優しい。変なんて、思わないよ。ただ、解ってあげたいなと思うだけで。顔も好きだし…。体…。体は、まだ、良く分からないけど…。いわゆる体だけ目当てなんて事はないよ。お金も、もちろん必要ない」
「本当に……?」
「本当だよ。デニーズ家には驚いたけど、でも、俺が好きなのはファルだから、ファルだけでいいんだ。その身一つで。絶対に暴力なんて奮わない。騙す事も、裏切る事もしないよ。絶対しない。約束する」
「お姉ちゃんの、こと、……。お姉ちゃん自身のこと、本気で、好きになってくれるの?大事にしてくれる?愛してくれる?幸せにしてくれる?」

 この娘…。
 本当に姉のことが好きで、心配になって今日、会いに来たんだろうな。
 それが理解ったからこそ、俺は彼女の目を見つめ、しっかりと誓う。

「約束するよ。必ず、ファルのこと幸せにする。ファルの願いを叶えてあげたいんだ。どんなことでも」
「グレイさん〜……!!」
 突然ぽろぽろ泣き始めてぎょっとするが、彼女は俺の両手を握り締め、必死に繰り返す。

「お願い。お姉ちゃんを幸せにしてあげて。可哀相なの。誰も、お姉ちゃんをちゃんと好きになったわけじゃないのに、家柄目的だけで結婚しようとするの。お兄様は言うの、ファルカータは『人形』だって。望みも有り得ない、ただの人形なんだっていつも…。そんな事無い!そんな事無いのに!」

「だからお姉ちゃんは、何も望みを言えなくなったの。あれもしたい。これもしたいって。表情も無くなってしまったの。お姉ちゃんはこのままだと、ジョナサン王子に嫁がないといけなくなる」

「王子…!?まさ……!!」
 口にしかけて、慌てて俺は自分の口を塞いだ。
 真っ青になり、周囲を見回す。
 うかつに口にできる名前じゃなかった。少なくとも身分階級の最低ラインで這いつくばっている、俺程度の人間には。
「しかも、正妻じゃないしね…。酷いのよ。あんなの王子じゃない。いくら王子様でも、あの人じゃお姉ちゃんは幸せにはなれないわ。お願い。戦ってね!私も協力するから!!!」
 いい娘だなー…と思った。
 そこで俺の腹が鳴って、慌ててクレイモアはお弁当を開いてくれる。

「ああっ!ごめんなさい!お腹空いてますね!はいっ、どうぞ!」
「いただきます」
 いたって普通に美味しいお弁当で、ありがたく俺は口に含む。


 天気良く、陽射しを受けながら、足を前後に揺らして座っていたクレイモアは、不意に何かを思い立ったのか、耳元でごにょりと質問する。
「ねっ、もうキスしたの?」

「ブ        ッッッ!!!」
「きゃあああっ!わーんっ!汚い〜!」

「ぐほっ!ごほんぐほん。がはがはぐへっ!」
「してないの〜?奥手だなぁ…。お姉ちゃんに好きって言って貰ったの?」
「い、いんや、ま、だ…。げほげほっ」

「むむむ〜!あ、でも大丈夫、お姉ちゃんはグレイさん好きよ、だって、会いに行く時嬉しそうだもん。お弁当作るの楽しそうだもん」
「そ、そうなの……?」
「ねえ?ダーマに行く資金、集まりそう?すぐに行けるの?私工面しようか?」

 弁当を食べ終わる頃、彼女はまた耳元でこそりと、すごい発言をし始める。
「……できるの!?」
「ダーマまで二人分の旅費、その他諸々、私きっと用意できるよ」
「……………。二人分?」
 あと一人、誰が行くんだろうと首を傾げた。
「も…ち…ろ…ん!!私よ!お姉ちゃんのために、私も一肌脱ぎます!
 開いた口が塞がらず、大口開けて俺は阿呆のように固まる。

++

 エジンベア王国は他国に比べ、やたら礼節にうるさい国ではあった。
 田舎者を差別するし、身分階級の落差も激しい。
 王家の者が目の前を通る時は、俺などは地べたに伏せなければならないし、そのまま顔を上げる事も声を出す事も許されない。
 破る者は王家に仇なす簒奪者として、斬り捨てられても文句は言えないこの王国。

 王家には第一王子スターバックス。第二王子ジョナサン。第一王女サンディーヌの正家の子息が三名。側室の王子たちも数名が国内に領地を持っている。
 国王ロイヤルホストが数年前より病に伏し、現在の行政は第一王子のスターバックスが指揮を執っていた。
 現デニーズ家当主、トマホーク=デニーズは、王家分室の名門貴族のトップとして若い王子達を補佐し、実際のところ影で今のエジンベア王国の全権を操作していた。

 悪い噂も限りない、私服を凝らす悪の総本山デニーズ家。
 民衆の間では黙認の事実に扱われていた。


「クレイモア、君は平気なの?そんな事をして。お兄さんに、何をされるか…。君は、結婚させるとか、言われてはいないんだ?」
 大胆発言をそのまま受け入れていいものか。思案する俺は、慎重に考えをまとめようとする。
 何しろ、相手は悪名高いトマホーク宰相だ。不穏分子は廃絶されかねない。

「うんとね…。私、結構ほっとかれてるの。ある意味、私も人扱いされていないんだけど…。私ね、お父様の愛人の子供なの。屋敷も離れた場所で、ただデニーズ家の娘として、恥ずかしくないように体裁は守られているだけで。お祝い事にも呼んで貰えないし、お姉ちゃんに会うのも本当はこっそりなの。恥ずかしくて王子にも紹介できないって言われてるんだ。逆に、楽でいいんだけど」

「なんで…」
 本当に、聞いている内に胸が捉まれる苦しさを覚える。
 どうして差別ができるんだろう。こんなにいい娘なのに…。
「正妻様は、とても私たちに冷たいの。お情けで、世話してやってるんだっていっつもね。でも、いいんだ。お母様と静かに不自由なく暮らしているから。お姉ちゃんも好きだし。充分なお小遣いも貰ってるの」

 辛い身の上話も、本当に明るい笑顔で話すから、尚更悲しくなってくる。
 クレイモアはポンと両手を合わせ、自分の財産と相談を始める。

「結構ね、要らない調度品も多いし。この際全部売っちゃうね。殆ど着ない服も売って、アクセサリーも売れば、すぐにお金はできるはず。私船のチケットも買うね。旅の準備も、良かったら一緒にお買い物しよう?グレイさん♪」

「…………。いいの?そんなことして。あとで怒られたりしない?」
「大丈夫。うちになんて来ないから。私が留守にしてても、いくらでもごまかせるよ。いいでしょ?早い方がいいじゃない?善は急げ!」

 こんな女の子に金を出して貰うなんて、情けないことではあったけど…。
 いいかな。元より、自分が情けないのは承知の上。
 だからこそ、協力者が必要だって思っているんだから。
「じゃあ…。旅の間、クレイモアの無事を守れるように努力するよ。無茶はさせないから。…よろしくね」
「はぁい!よろしく!グレイさん!」
 差し出した手に彼女は嬉しそうに右手を重ねた。
「なんて言っても、グレイさんはお兄さんになる人だもの。どうぞよろしくお願いしますね!」
 赤くなるような発言に、俺は頭をかいて、ぼちぼち仕事に戻って行った。

++

 クレイモアの行動は迅速で、俺の旅は風雲急を告げる。
 ポルトガ行きのチケットは混み合っていたらしいが、なんでもアリアハンの著名の勇者の息子が船を王から授かり、ポルトガから旅立つセレモニーがあるらしく、しかし持ち前の勢いで交渉に勝ち、めでたく船乗券を入手。

 弟にダーマ行きを切り出すと、それはそれは猛烈な反対を受け、大喧嘩にまで発展した。しかもデニーズ家の娘と一緒の旅、更に旅費は彼女持ちと言うのに激昂し、俺は顔が腫れるまで殴られたけれど、最後にはビームは子供らしく大泣き始め、しがみついて離れなくなった。

「なんでだよ…。そんなにあの女がいいのかよぉ…。俺なんかより、あの女の方がいいのかよ。兄貴は……!」
「そうじゃないよ。ビームの事もいつだって大事に思ってるよ。場所ができたら、お前も迎えるつもりで…」
「ダーマなんか行ったら、いつ帰ってくるんだよぉ!俺も行く!兄貴が帰って来なかったら、俺どうしていいか…」
「分かった。泣くなよ…。うん、一緒に行こう、な」

「何処にも行くなよー!兄貴!わああああっ!」
「うん。よしよし。ずっと一緒だ、な」
 兄弟ケンカのやりとりは、部屋にこもったままの母親には届いていたのか。


「えええっ!?弟くんも来るの!???きゃーっ!もう一人分急いで用意しなきゃあ〜!!!」
 出発ぎりぎりまでクレイモアは換金や入船手続きに奔り回り、ビームも世話になるのに抵抗があるらしく、ぎりぎりまで必死に働いていくらかの収入を掴んでいた。
 俺は……。


 できる限りのお金を、母さんに渡して、弟と二人でのダーマ行きを告げた。
「もう、帰って来なくても構わないよ。何処へなりへ、行っちまいな。うるさいのがいなくなって清々するねぇ」
 ぐうたらして、布団に横になったまま、母親の挨拶はひたすら面倒臭そうに背を向けたままのものだった。
「余裕があったら、仕送りするから。無駄遣いしないで、体に気をつけてね。時々、近所の人が見に来てくれるから」
「余計な真似するんじゃないよ!さっさと行きな!お前と話してるとイライラするんだよ!」
「じゃあ…。暫く留守にします。行ってきます、母さん」


 朝、霧の中の船出に、ファルは見送りにやって来た。
「クレイモアのこと、よろしくね」
「うん。分かってるよ。クレイモアの屋敷の方に、手紙も出すから」
「ええ。待ってるわ」

「お姉ちゃん!行ってきまーす!!お土産送るね!」
 船上から手を振る妹に、ファルはそっと手を振り返す。

 そして、じっと俺を見つめたかと思うと、そっと小さな印章ケースを俺の手に握らせる。
「持っていて。捨ててもいいわ」
「……。持ってるよ。預かっておくね」
「グレイ…」
 ファルは何か切なそうに、瞳を細め、一歩踏み出し、俺に寄り添う。
 どきっとして息を飲んだ俺の、胸元をそっと掴んで、ずっとファルは俯いていた。

 これから、暫く会えなくなる。
 俺は船に乗り込む人々の流れや、視線、船上からの人目も気にせずに、ぎゅっと彼女を抱きしめて別れを惜しんだ。
「好きだ…、ファル。必ず迎えに来るから。待っていて」
「ええ、待っているわ」


「チクショ〜!!!兄貴から離れろ!このっ!」
「ちょっとビームくん!邪魔しないでよ!今いいとこなのにっ!!」
 上から争う声が聞こえて、苦笑して見上げると、汽笛が鳴り、出発を教えてくれる。

「じゃあ…。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
 別れを惜しむ恋人同士の姿は、自分たち以外にも視界には映っていた。抱き合い、キスをして。
 今始めてファルを抱きしめたのに、さすがにそれは悪いかなとも思ったんだけど…。
 嫌がられたらどうしよう。そう構えると怖くて胸がドキドキしてくる。
 じっと、見つめたままのファルカータは、それはそれは可愛らしかった。

 堪えられなくて、俺は白い頬に口寄せていた。
 笑えるくらいに緊張して、ガタガタ全身を震わせながら。
 触れて、離れてまた目が合った時、彼女が口元に笑みを作っていて、俺はそのまま空に飛んで行きそうだった。

++

 私は一人、霧の間にかすれて行く、船の行方をずっと見送っていた。
 初めて、人の肌を温かいと知った。
 目に映るもの全ては、私の瞳にただ映っていただけ。意味は無く、私にも意味は無い。

 何故、あの人は私に関係を求めてきたのでしょう。
 私が何も接触しなくても、あの人から私の方へ、嬉しそうにふれてくる。

 あの人にとっては、私は『人』なのですね。
 とても、大事な、『女性』。「私」と言う名の、ただの『女性』。


 朝日が水平線から姿を見せ、私は感慨深い海に別れを告げ、港外れの居住区に立ち寄る。一人残された、母親の事を彼が案じていたから。
 戸を叩き、返事はなく。私は玄関の扉を開いていました。
 家の中はシンとして、けれど婦人の嗚咽が悲しく響いていた。

「うっ。ううっ!ごほっ!ごほっ!ごほっ!」
 失礼を承知で、せき込むお母様の部屋に立ち入る。彼の母親は泣き崩れ、苦しそうに胸を押さえて酷くせき込んでいました。

「大丈夫ですか。お母様」
「なっ!ア、アンタっ!なんだい!こんなところにまで入って来るんじゃないよ!さっさと息子の見送りにでも……!!」
「…もう、発ちました」
「何をしようとしているんだか知らないが、早くあの子を連れて行っておくれよ!結婚でもなんでもすりゃあいいんだ!ビームも連れてね!」
「…お母様。病気なのですね」
 咳を押さえた手に血痕が見えて、私は訊ねる。

 今エジンベアの庶民を襲っている咳病。
 貧しい人々は高額の薬に手が出ずに、続々と命を落としてしまっていた。貴族階級で、この病気を恐れる者はいない。
「薬をお持ちします。すぐに良くなります」
「余計な事するんじゃないよ!」
 母親は泣きながら、蒼白な顔に髪を乱し、私にしかし、手をつく。

「…もう、私には先がないんだよ。だからこのまま一人死ぬつもりでいるんだよ。あのグレイに言うんじゃないよ。なんとかここまで、気づかれずに済んだんだ」
「………」
「本当に、馬鹿なんだよ。…やっと居なくなったよ。どうにかしておくれよ。あのグレイを追い出すために、悪い母親やっているのに、アイツはどうしても家を出て行かない。いつも呆れていたよ」

「お母様、お顔を上げて下さい」
「頼むよ。もう、あの子を捕まえて、ここに来ないようにしておくれ。染みっぽいのは好きじゃないんだよ。こんな母親の事は忘れて、幸せになればいいんだ。頼むよ。あの子を、……。ごふっ。ごふごふっ!」
「はい。グレイとは、一緒になります。薬を持って来ます」


 煙たがる母親の元に、それからも私は通うようになる。
 母親も、私も、彼の帰りを待っている。きっと。

++

「ん?なんだ、ファル。寂しい花だな。花瓶が寂しいぞ。ジョナサン王子からの花束は何処へ置いたんだね」
 その日、兄が部屋を訪れ、私の部屋のテーブルの花瓶に不服そうに眉を跳ね上げる。

 私の兄、今年二十八になる兄は、私と同じ赤みのある茶髪を長く伸ばして背中に流していた。体型も顔も丸く、幅が広い。
 全ての指に高価な指輪を嵌めて、衣装にも嫌味なほどに宝石が輝いていた。赤と金フチを好み、良く衣装に使っている。

 花瓶には、赤い薔薇が一輪、飾られていた。
 あの日から飾るのは、赤い薔薇を、決まって一輪。
 全て自分の足で町で買ってきたもの。
 兄、トマホーク=デニーズは気に入らずに、花を取り替えろと召使いに命令する。
「私の趣向です。お兄様」

「なんだと……?」
 兄は丸い顔を歪ませ、いきり立ち、花瓶を床に叩きつけて薔薇を踏み潰した。
「好みと申したか…?ファルカータ、いつからお前に好みが許されるようになったのかね?」
「…………」
 ぎりぎりと、踏み虐げられた薔薇の悲鳴が聞こえたようで、私は兄の前に立ち、強い瞳で対峙する。

「おどき下さい、お兄様。花が泣いています」
 どうしても、その薔薇は守らなくてはならなかった。
 私の心の内には、それは兄に虐げられようとしている、あの人の姿にも重なってしまったから。
 一瞬後、私は同じくテーブルに置かれていた、水差しによって投げ打たれる。ガラスが 私のこめかみで弾け、控えていた召使いが声にならない悲鳴を上げた。
 ポタポタと、水滴が濡れた髪から床まで滴り落ちてゆく。
 
 水に混じって、私の赤い鮮血も。

「……。なんだね。その目は」
「………」
「いつから、そんな生意気な口を訊けるようになった、ファルカータ。訊いておるぞ。近頃、お前、良く町に出ておるそうだな。なんでも、汚い、魚臭い男に会いに行っているとか」
「………」
「お前に臭いが移ったらどうするのだね。お前の相手はジョナサン王子だといつも教えているだろう。お前は王子にのみ愛想を振りまけばいいのだ」

「………」
 兄は召使いに片づけを命じ、部屋を後にする、今後の私のスケジュールを早口にまくし立てて。
 冷たい水の雫が、頬からも床に落ちてゆく。
 踏まれてしまった赤い薔薇を拾い、私は棘が刺さるのも構わずに、強く握り締めて、謝罪を繰り返す。
 遠くあの人に、想いが届くように。

「ごめんなさい…。痛かったわね…」
 こんな時でも、思いだすあの人の顔は笑顔だけで。

 私はまた明日も、海を見つめに港へ向かう。


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◆後書き◆
パーティキャラが一切出ない番外編は初めてで、読んで貰えるのかかなり不安です。
本編商人の町編で、多分ここまではグレイ達も掘り下げられないだろうなと思い、
2ページ使ってしっかり書かせて貰いました。
こちら読んでいますと、更に面白いと思います♪

商人の町/エジンベア編は、三組のCPを軸に進む予定です。
このグレイxファルと、ナルセスxアニー、ジャルxナスカ姫です。
本編で書くのはもう少し先ですが、序章としてお読み下さると嬉しいですv