アリアハンの久しぶりの夜は、またしても「忘れられない夜」の一つになってしまうらしい。考えもまとまらないままに、短かった睡眠から目を覚ます。 この部屋で迎える朝は、旅の中で過ごすどの場所よりも、朝日が眩しく感じられる。それはおそらく、この『部屋』に残る寂しさが、何処までも深いからだと思った。 昼過ぎに、シーヴァスとサリサが家に顔を出しに来た。 昨夜、アイザックの家にもてなされて、随分愉しんだそんな報告。 「お兄様も、来れば良かったのに」 「そうですよ、ニーズさん」 二人の言葉に、俺は頷く気にもならなかった。こっちは、すでにそんな気持ちの余裕なんてなかったのだから。 一階の居間で、二人の昨夜の報告を投げやりに聞く。 「でも、シーヴァス。アレがまともな人間の家だと思うなよ?あそこは異常一家だからな。普通の一家はあんなんじゃないから。大根の味噌汁で乾杯したり……」 「そうですか?賑やかで、楽しいご家族でしたよ」 俺の言う真実に、妹は思い出してクスクスと笑った。 「シーヴァスなんて、お父さんにもてもてだったよね。エルフで美人だから、酔ったお父さんに気に入られちゃって……」 「そうですね。でも、ランシールの僧侶である、サリサも大変だったじゃないですか」 サリサは、アイザック始め、あの一家の信仰する主神ミトラの聖王国、ランシールの僧侶だ。相当な質問攻めと、歓迎を受けるのも容易に想像できる。握手をされ、神殿や聖女の話をさんざんとさせられたと苦笑する。 「でも、良かったですよ。ご家族に気に入ってもらえたのですから」 「そうだね。うん」 「今日は、お兄様。夜、ナルセスさんを迎えに行って、レーベに行こうという話になっているんです」 唐突に両手を叩いて、シーヴァスは微笑んだ。 「レーベ?なんでまた」 「近くで温泉が出たそうなんですよ。疲れも取れると、評判だったそうなんです。お兄様も一緒に行きましょう」 「温泉〜……?」 しかも、揃って?俺はあからさまに苦虫噛んだような顔に変わって、目の前の女二人に断る言葉を考える。何が楽しくて、アイツラと仲良く入浴しなくちゃならないんだよ。 「露天風呂で、景色もいいらしいですよ」 「いや。俺は、いいよ」 「お兄様……」 珍しく、シーヴァスはちょっとムッとしたようで、俺は小さく睨まれた。 「お兄様も行くんです。せっかく皆で仲良くしようとしているのに。どうして参加してくれないのですか」 「・・・・・・・・」 俺はぽかんと……、怒って見上げる妹に戸惑いを覚えてしまった。 「怒るなよ」 「怒ります。お兄様、いつもいつも、そうして人と親しくしないように一人でいて。皆はお 兄様と親しくしたいんです。お兄様も望んでるはずです」 「え……、っと……な……」(汗) 「お兄様も参加ですから。ジャルディーノさん以外は全員参加です!」 「おいおい……」 ビシッと言い切られ、俺が困る中、シーヴァスはふくれてそっぽを向いた。 ……うっ。どうしていいかわからないぞ。怒らせたのは初めてかも知れなかった。沈黙していると、サリサが助け舟を出してくれた。 「ニーズさん。あの……。昨日、やっぱりニーズさんがいなかったのは寂しかったんですよ、シーヴァス……。温泉の話を聞いて、今度はニーズさんも一緒にって。思っただけなんですよ」 妹の好意は嬉しかった。本心はそんなところ行きたくない……。 だが俺は妹の横顔が怒っているのを見て、しぶしぶ折れるのだった。 |
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「温泉♪温泉♪おーん、せーん〜〜♪」 夜、カザーブからナルセスもやって来て、俺たちは揃ってレーベへルーラでひとっ飛びしていた。アリアハン北西の村、レーベ近くの山で最近温泉が出て、話題になっていたらしい。 もう混雑も落ち着いて、今ならのんびり、ゆっくり入れるという事だった。 「温泉がそんなに嬉しいか」 「嬉しいですねぇ〜。なんてゆーか、仲間と裸の付き合い?!みたいな。まあ、ジャルディーノさんがいたらもっと良かったけど…。いいじゃないですか。ニーズさん背中流しますよ♪」 温泉の元には簡単な建物ができていて、小さな宿で泊まることもできる。脱衣所で浮かれて口笛吹いているナルセスが、妙にハイテンションで不気味だった。 「皆で背中流しっこもいいなぁ!」 「……、なんかいい事あったのか?ナルセス。妙に浮かれてるよな」 アイザックが訝ると、ナルセスは「ええっっ!?そう!?」ととぼけたが、振り向いた顔は満面の笑みに包まれていた。 察するところ、どうもカザーブで恋人とよろしくやれたらしい。このうかれっぷりは気味が悪い程だよ。 「今度ナルセス君の彼女にも会ってみたいね」 俺と、ナルセスと、アイザックと、温泉にはもう一人リュドラルが同行している。 アイザックの家で温泉の話題が出て、そこにいたリュドラルも誘われたのだろう。女の方はシーヴァスとサリサで、二人仲良く女風呂の方へもう別れていた。 「うなぁっ!?リューの背中のそれ、何っ!?」 浮かれたナルセスも、…そうか奴は知らなかったのか。裸になったリュドラルの背中を見て、浮かれ気分も忘れ壮絶な叫び声をあげた。 「あ…。えっと……」 本人は、ナルセスから微妙に角度を変えて、背中を見えないよう隠した。口ごもって、返事に詰まるのを、アイザックが口を挟む。 「あれだよ。リューはさ、言った事あるだろ、昔アリアハンに怪我して倒れていたって」 さすがに戸惑ったリュドラルに、代弁してアイザックが「たいしたことじゃないよ」、と言う感じで説明する。 「えええ〜っ。そりゃ聞いたような気がするけど、痛々しいなぁー。酷いよこれ……」 同情して、眉根を寄せたナルセスに、リュドラルは苦笑して、露天風呂まで腰にタオルを巻いて歩いて行った。 空には星が光り、俺達以外の客もなく、気分はなかなか良い。 「消えないの、それ?ジャルディーノさんとかでも……」 「うん。消えなかったよ。消えないんだ、これは……」 熱めの湯に浸かりながら、首まで入ってリュドラルは笑っていた。どうにも、そんな悲しげに笑うのが、やはり「ニーズ」を思い出させる。 リューの背中に残っているのは『太刀傷』……。 右肩から腰まで、傷跡は痛々しく刻まれていた。俺にしても、初めて見た時は引いたものだ。割とコイツも白いから、余計に悲惨さを感じさせて。 あの日助けた、その時は暗かったのと、他人には関心のなかったこともあって、怪我の程度も気にはしなかったんだが……。 瀕死の重傷だっただろう。ニーズがホイミを何回もかけなければ、きっと今ここにはいなかった。 一体誰に、何に襲われた怪我だったのか。それもずっとわかっていない。 「うーん…。なんか嫌だなぁ…。リューもさぁ、どっちかって言うと美少年系なのに、もったいないよこりゃ…。こんな傷……」 「何言ってんだ」 露天風呂の端の方に寄りかかりながら、呆れて俺はツッコミ入れていた。 「そんなんじゃないよ。いいんだ。消えなくて」 消えないだけに、忘れればいいものを、忘れられないコイツ。思い出せない過去なんて気にせず、アリアハンでこのままだって生きていけるはずなのに。 俺は、湯で顔を拭きながら、昨夜の女の事を思い出していた。 あの女は知っているんだ。でも、思い出さない方がいいと言う。女の事は、リュドラルにはまだ伝えていなかった。 それ以前に、俺はリューと目を合わさないようにして、すっかり避けてしまっている。 知らない方が、いい……。 ニーズの死も、俺のことも、すんなり話せる事柄では決してない。 「……しかし……。女湯の方、何も聞こえないなぁ……」 「おい」 残念そうに、ナルセスの奴が首を女湯の方向に向けていう。 「……。まさか。妙なこと考えるなよ?」 凄んだ俺に、ナルセスは妙な沈黙をためる。 「……こーゆーシュチュエーション、……燃えません……?」 ザッバアアアアアッッッ!!! 「わあっ!わあっ!嘘っ!嘘っっ!冗談です!覗きたいなんて思ってませんお代官様!!」 怒りに俺は立ち上がり、両手を握り締め、ふるふると震えた。 「俺も許さないぞ」 静かに怒りに燃え、アイザックも睨んだ。 「え 「ええ?僕……?」(汗) ナルセスはリュドラルの背中にすかさず隠れ、凄む俺とアイザックに対して必死に弁明を開始する。 「だからぁー。これは一つの浪漫であって、誰でも普通は見たいと思うんだよねー……。ねっ、ねっ、ねっ?」 「死にたいか。俺は本気だ」 「うわっ……」 「ナルセス君、素直に謝ろうよ。アイザックだって、冗談じゃ通じないよ?」 「そうだよなー……」 「冗談じゃ通じないよ。当たり前だ」 「うえー……」 冗談にすらならない俺達の中で仕方なく、ナルセスの奴が小さくなって謝ろうとした時、脱衣所の方から新客がこちらに向かってくるのが見えた。 誰か来た……。 そう思った直後、俺達四人の頭の中が真っ白になった。 |
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湯煙の中から、現れたのは見知った人影だった。しかし、さすがにそんな姿は誰にしたって見たことはない。 バスタオルを巻いて、それでもあんまりの姿に、俺は開けた口がそのまま塞がらなかった。綺麗な髪と、白い肢体と合わさって、にこりと笑えばそれは綺麗だった。 綺麗だったが……!!!! 「お兄様、私も、ご一緒してよろしいでしょうか……」 「シーヴァスッッ!おま…っ!何考えてんだっ!!」 ナルセスを責めるために立ち上がったまま、俺は怒鳴りつけた。 「シーヴァスちゃん!良く来たねっ!」 近くに行こうとすかさずナルセスが動いた。俺は瞬時にして奴の頭を温泉の中に容赦なくぶち込む。 「…なぁ……っ……」 アイザックもリューも唖然として、そのまま、二人は温泉の端まで焦って後退する。 いきなりの事に、どうしていいかわからないのは俺も同じだったが、とにかく帰るようにシーヴァスに怒鳴りつける。 「…背中でも、流そうかと思ったのですけれど…」 ナルセスの頭を沈めたままの、俺の目元まで妹はやって来て、岩の上に膝を揃えて座る。 「いいからっ!シーヴァス!もう少し考えて行動してくれ!」 「そうですか…」 「ニーズさんっ!ぶはっ!し、死ぬ…!ごほっ!」 バシャバシャとナルセスはうるさい。 「私は、ただ、お兄様と……」 「ニーズさんっ…!てばあ…っ!ゴフゴフッ!」 座ったまま、シーヴァスは両手で顔を覆う。まさか泣かれても、さすがにそこまで面倒見きれない。 「シーヴァス、いいから、後でいくらでもなんでも聞いてやるから!だから帰れ!帰るんだ!」 「…はい…」 「うー!!ごふっ!帰ら、ぶくぶく。ないでぇぇ……!」 シーヴァスはしょぼんとして、寂しそうに立ち上がった。 「……ったく……」 ぼそりと、俺が胸を撫で下ろした時……。 「サリサさんの方が良かったですかね…」 ひっかかる言葉が、微かに耳を掠めていった。 「ぶっはああっ!ゴフッ!ゴフッ!…っもうっ!ニーズさん!死ぬかと思ったじゃないですかぁあっ!」 力を失った俺の手からナルセスは復帰し、背中を向けるシーヴァスを横目に見る。そのシーヴァスが、何故か呪文を唱え始める。 「え……?」 ナルセスなんかは、シーヴァスが、何か魔法を使おうとしたとでも思ったかも知れない。しかし、真相はもっと衝撃的だった。 「モシャス」ぼわん。 今までシーヴァスだったその姿は、今度は金髪娘、サリサの姿に変身していた。髪は下ろしたまま、同じようにバスタオル巻いただけの姿で。 「サリサさんもなかなか、いいですね…。健康的で」 そいつは、自分の変身具合を、手や足を見て確認している。 「どうですか?ナルセスさん。サリサさんも可愛いですよね」 髪を両手でかき上げて、にっこりと笑う。 横にいるナルセスは、あんぐりと口を開けて見事に驚き固まっていた。 温泉の後方に下がっている二人も、言葉も無い。 「嫌ですね。皆さん、反応が薄すぎますよ」 俺は初めて。 「あ、アイザックさんにはもしかして、シャルディナさんの方が良かったかも知れないですね♪」 「……!な、………っ!!!」 温泉の端に逃げていた、アイザックも青くなる。 「またまたモシャス!」ぼわん。 アイザックの知り合い、吟遊詩人のシャルディナに今度は姿を変える。奴はご丁寧に、それらしく恥らって見せ、くるりと回転して見せた。 「これでアイザックさんも大満足ですねv」 「きっっっ…!! 貴様ぁあああぁぁぁああぁっっっ!!!」 バシャバシャバシャバシャ!! バコォォォォオオオォォォオオ!!! 俺はその日、初めて自分以外に殴り飛ばされるワグナスの姿を見た。 「お前…!やっていい事と、悪い事があるだろおぉぉぉおおおおっ!!!馬鹿がぁあああああ!!!えええ!?ふざけるなこの馬鹿たれがぁああああ!!!」 「ア、アイザックさん。落ち着いて…」 「これが落ち着けるかぁぁあああああっっっ!!!」 鬼のように怒り狂い、温泉をかき切って殴りつけたアイザックは、笑って謝罪するワグナスをそれでも何発も殴りつけ、えんえんと怒号を浴びせたのだった。 |
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「何か、騒がしいですね。向こう……」 湯の方、二人以外にも客はいたが、何か怒声の聞こえる男湯の方をのんきに不思議に思っていた。 「ケンカでもしてるみたい……」(汗) 女二人は温泉から上がると、その理由を知る事ができた。 「申し訳ない!!」 温泉から上がり、服を着て女二人が出てくると、俺以外の男達は皆地べたに土下座をさせられていた。 「えっ?え?なに?なんですかっ?」 いきなりの面々の土下座にサリサは面食らう。シーヴァスはきょとんとまばたきして見せた。 温泉場の入り口、待ち合わせた場所に来たかと思ったら、何故か賢者ワグナスの姿も加わっていた。奴の顔はアイザックにメタ撃ちにされ、ボコボコに腫れ上がっているので更にわけがわからないだろう。 「ニーズも見ただろ!謝れよ!」 「なんでそこまでしなきゃならないんだよ。本物を見たわけでもあるまいし」 アイザックの言い文に俺は賛同しなかった。 事の発端のワグナスはまぁ、当然として、アイザックに土下座を言いつけられ、おとなしく従っている。 すでにあの時立場の悪かったナルセスも素直に土下座組に加わり、付き合いでリュドラルも頭を下げていた。 「どうしたのですか?わかりません……。やめて下さい……」 「いいやシーヴァス!サリサ!俺達は謝らなきゃならないんだ!!」 地べたに頭を付けたまま、頑固にもアイザックは詫びると言う。 「すみません…。全ては私が悪いのです…」 顔を上げて、ワグナスは事情のわからない女二人にいきさつを話し始めた。 「些細な、悪戯のつもりだったのですが、とても不評で……」 「当たり前だ!!」 「反省しています。大変失礼致しました」 再び、ワグナスは頭を下げる。 「女性を辱めたとして、深く謝罪させていただきます」 「あの…。ワグナスさん…。あのっ、もういいですからっ」 男四人にずらりと土下座され、サリサは周りの目も気になって、困りはててワグナスの背中を叩く。 「もう、皆もちょっと…。土下座なんてしなくていいから……」 「すまなかった…。不本意とは言え、見てしまったことは謝る。すごく気分の悪い事だと思う。本当に申し訳ない!」 どうしてそこまで謝るのか、アイザックはしかし本心から悪いと思って詫びているのだった。ここにはいないあの吟遊詩人にまた会った時も、きっと謝るんだろう…。 「うん…。僕も、ごめんなさい。謝ります」 「俺もー……」 リューもナルセスも続いた。ナルセスは「とほほ」と情けない呟きを零してつむじを見せる。 「ワグナスさん…。それは、確かに悪い事です。もうしないで下さい」 「はい……」 土下座するワグナスにシーヴァスは屈みこんで、しかし「らしく」すぐに許した。 「もう皆さん、立って下さい。気にしていませんから」 「私も…。うん。もう立って下さい。ね、アイザックも。もういいから」 サリサも、戸惑いながらも仲間に立つようにお願いする。 ワグナスは、その後侘びとして、全員に夕食を奢ることになった。 奮発してアリアハンまで戻って、城下でも評判の高級料理店でのフルコースと全員でしゃれこむ。俺は母親のためにみやげまで調達。 |
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すっかり夜も更け、腹もふくれた僕達はそれぞれ帰路についた。 「ごちそうさまです。ワグナスさん。すごく美味しかったです♪」 「ごちそうさまでした。高いものを、すみません」 「いえいえ。貴女方のためですから。満足していただけて恐縮ですよ」 店を後にして、ワグナスさんは女の子二人を宿まで送って行く。 「じゃあ!また明日の朝!おやすみなー!」 苦しそうに、ナルセス君はお腹を押さえていた。けれど、威勢良く挨拶を言いわたすと元気に駆けて帰る。 「また、明日。じゃあな」 「おやすみなさい。ニーズさん」 「ああ。おやすみ」 僕とアイザックとを残し、店の前から人影が消えていった。アイザックと僕の家は近所なため、帰り道は一緒になる。 帰り道、僕は終始無口になっていた。 「リュー?どうかしたか?まさか食べすぎで腹が痛いとか、言わないよな?」 繁華街を去り、住居区の方まで来ると、もう通り過ぎる人もまばらになっていた。アイザックは、僕の様子に不安になって、顔を覗き込んでくる。 「…………。ねえ、アイザック……」 「うん」 僕は、立ち止まって、俯いた顔を上げたら、真剣に、旧知の親友の顔を見つめた。 「なんだよ」 「アイザックは…、本当に、おかしいと気がついていないの……?」 戸惑う友人は、僕の悲しみの理由を知らない。もともと鈍感な友人だけど、でも、僕にはどうしても目に付いて仕方がなかった。今のニーズさんに会うたびに、その変化に僕は涙が出そうになるんだ。 「ニーズさんは、今いるニーズさんは、昔のニーズさんじゃないよね」 「………。何言ってるんだ。…どう見たって、ニーズじゃないか」 「ニーズさんは、あんなに、あんな風に、直情的に怒ったりしないよ」 「それは…。昔は、そうだったけど……」 親友には、僕は以前にも、疑問を投げかけたことがあった。でも、どうみても彼は「外見」は僕らが知る限りのニーズさんだった。それで、その疑問は打ち切られた。 「アイザック、一番違うのはね…。父親、オルテガへの感情だよ……」 僕は失望も隠さずに、アイザックに告げた。 口調が変わったり、怒りを直接表したり、それはまだ受け入れる。けれど、昔の彼は明らかに決して消えはしない憎悪を父親に抱いていた。 抱いていたはずなんだ。 だからこそ、僕は彼がいつも気になって仕方なかった。 「今でも、父親のこと、軽視してるよニーズは」 「軽視なんて、ものじゃないよ。違うんだ。全く違うよ。彼の中にある、渦が、全く違うんだよ…。なんだか、今のニーズさんは、薄いんだ…。ひとつひとつ、何もかもが薄いんだ……」 「…………」 随分失礼なことを口走る僕、アイザックはもう反論せず、泣きそうな僕の意見をそのままに聞き続けていた。誰も通らない路地の真ん中、僕はアイザックの肩に両手を置いて寄りかかり、思いのたけをぶちまける。 「あの日、僕を助けたのは二人の少年だった…。ニーズさんは二人いたんだ。多分、そう。だって、そうだよ。確かにアリアハンは襲われたけれど、でも、母親も自分も無事で、どうして、「あの人」が、あそこまで引きこもる必要があったんだ?おかしいよ。あの、責任感強い人が、大人にさえ、国王でさえ、一つも物怖じしなかった人が、生きる気力さえ失うような事なんて何処にあったって言うの」 「・・・・・・・・」 「魔物も確かに凄かったけど、だったら尚更意気込むような人だったはずだよ。だから、君だって憧れていたんだ」 「リュー…。じゃあ、二人、ニーズが居たとして、どうして入れ替わったんだ。もう一人は、何処に行ったんだ…」 重苦しく、訊いたその言葉は、僕もさすがに、すぐに返事ができなかった。 その答えだけは、僕だって、言うのが恐ろしい。 「………。ねえ、アリアハンは、どうして、魔物に襲われたと思う……?」 しかも、勇者の旅立ちの前夜。どう見たって、目的は勇者じゃないか。勇者の旅立ちの阻止。 「ニーズは、無事だった…」 「あの日、僕達が良く知っていた、あの、ニーズさんが、きっと、………」 それでしか、説明がつかないんだ。 息子が無事だったのに、どうして、母親のエマーダさんが、生きる気力を失う必要があるの?無事だった息子を立ち直らせようともせず。あの家の暗さは、異常だった。 家族の無事を喜ぶかすりさえも無かった。 「………。わかったよ。ニーズに、聞きに行こう」 アイザックが、頼もしくも、強い瞳で僕の肩を引いた。 |
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家には帰らず、僕達は引き返して、ニーズさんの家まで押しかけて行った。 ニーズさんの部屋に続く木をアイザックが登り、窓を叩く。 まだ起きて、着替えすらもしていなかったニーズさんは、ここに来た理由をもう悟ったのか、すんなりと僕達を部屋に入れてくれた。 僕と、アイザックとの質問に、ニーズさんは顔を曇らせながらも、素直に真相を話し出す。 「…そうだよ。俺達は…、あの時二人だった。ずっと、二人だった。あの日、ニーズは殺された」 「そんな」 アイザックは、がっくりと、肩の力を下ろした。部屋の床に三人で座り込み、僕は目の端から、涙が今流れ落ちたのを知った。 「俺は、ずっと、影武者のような存在で…。黙っていてすまない」 アイザックも、僕も無言だった。 思い出す、過去のニーズさんが、今はいない。 僕とアイザック、二人で追いかけた、あのニーズさんはもういないんだ…。 僕にとっては、「救い」のような人だった。 内に秘めた渦のような憎しみでさえ、逆に惹かれた。 アイザックにとっては、憧れた勇者の息子。 親しくしたくても、いつもするりするりとかわされた。その力も本人の形すらも、簡単には見せてくれない人だった。 でも、共通しているのは、僕らは「彼」がすごく好きだったんだ…。 ニーズさんは、「偽者の自分にはついて来なくてもいいんだぜ」、と、アイザックに選択を促した。 「お前は…。お前は、あの、ニーズの、意思を引き継いだんだろう……?」 「そうだ……」 「そうなら、お前は勇者なんだ。お前は立ち上がったんだ。それなら俺にとって、勇者以外の何者でもない」 「そうか。礼を言う…。ニーズも、きっと喜ぶ。お前なら、きっといい仲間になれた。お前にいつもとやかく説教されることもなくてな」 僕は、涙も拭かず、尋ねる。 「魔物……。魔物が、ニーズさんを、殺したんですね……」 ニーズさんは、アイザックにも含めて、その名を告げる。 「殺したのは、あの死神二人だ。フラウスと、ユリウス……。あの二人が、ニーズを殺したんだ」 「アイツか……!」 小さく芽生えた復讐の心。アイザックは無念を胸に、微かに吠えた。 「アイツらのことは、よくわからない。一体、何を考えているのかな。ただ、でも、ニーズを殺したのは、どう考えてもアイツらなんだ」 今を生きるニーズさんの中にも見える、憎しみと、後悔と……。 それは、僕の心にも、確かに今根を伸ばした。 |
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アイザックは、これまでのニーズさん、二人への思いに、家まで無言で考え込んでいた。家に閉じこもっていた彼を叩き出したのはアイザック。 そして、強くなりたいと言った彼と、剣を学んだのもアイザック。 明日の朝、また彼らはイシスに戻って行く。 意思を引き継いで、勇者になったもう一人のニーズさんとの、旅にこみ上げる感情が抑えられないんだろう……。また、アイザックは強くなる、そう思った。 家の前で簡単に挨拶を交わし、僕はそのまま、夜空を見上げた。 「本当に、もう、何処にもいない……?」 「光」とさえ思った、彼が。 僕の横を空気が通り過ぎた。それは綺麗な女の人。 数秒後、僕は何故か、意味もなく何かに誘われ振り返る。 布を被った女性は、雷に撃たれたように、同じように振り向いて驚いて立ち尽くしていた。 誰………? もちろん知りもしない。女の人にしては背の高い、綺麗な人。 何処かで会った…?無性に僕は目が離せない。何を聞いていいのかもわからないのに、言葉は僕の口から勝手に零れ落ちていた。 「あ、あの……」 「早く帰らないと、風邪をひくわよ……」 髪に被せた、布の端で女性は顔を隠し、声は寒いのか少し震えていた……。 「えっ?あ、はい。……あのっ……」 女性はくるりと踵を返し、今度は振り返らずに繁華街の方へ音も立てずに足を進める。僕は、凍りついたように、その後姿を見えなくなるまで見つめ続けていた。 背中の傷痕が、微かに疼き、僕は痛みに顔をしかめた……。 |
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翌朝、友人達は砂漠の国に引き返して行った。 すでに消えてしまった「光」を、僕はまだ、心の何処かで探している……。 |
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