アリアハンの久しぶりの夜は、またしても「忘れられない夜」の一つになってしまうらしい。考えもまとまらないままに、短かった睡眠から目を覚ます。
 この部屋で迎える朝は、旅の中で過ごすどの場所よりも、朝日が眩しく感じられる。それはおそらく、この『部屋』に残る寂しさが、何処までも深いからだと思った。

 昼過ぎに、シーヴァスとサリサが家に顔を出しに来た。
 昨夜、アイザックの家にもてなされて、随分愉しんだそんな報告。
「お兄様も、来れば良かったのに」
「そうですよ、ニーズさん」
 二人の言葉に、俺は頷く気にもならなかった。こっちは、すでにそんな気持ちの余裕なんてなかったのだから。
 一階の居間で、二人の昨夜の報告を投げやりに聞く。

「でも、シーヴァス。アレがまともな人間の家だと思うなよ?あそこは異常一家だからな。普通の一家はあんなんじゃないから。大根の味噌汁で乾杯したり……」
「そうですか?賑やかで、楽しいご家族でしたよ」
 俺の言う真実に、妹は思い出してクスクスと笑った。
「シーヴァスなんて、お父さんにもてもてだったよね。エルフで美人だから、酔ったお父さんに気に入られちゃって……」
「そうですね。でも、ランシールの僧侶である、サリサも大変だったじゃないですか」

 サリサは、アイザック始め、あの一家の信仰する主神ミトラの聖王国、ランシールの僧侶だ。相当な質問攻めと、歓迎を受けるのも容易に想像できる。握手をされ、神殿や聖女の話をさんざんとさせられたと苦笑する。
「でも、良かったですよ。ご家族に気に入ってもらえたのですから」
「そうだね。うん」

「今日は、お兄様。夜、ナルセスさんを迎えに行って、レーベに行こうという話になっているんです」
 唐突に両手を叩いて、シーヴァスは微笑んだ。
「レーベ?なんでまた」
「近くで温泉が出たそうなんですよ。疲れも取れると、評判だったそうなんです。お兄様も一緒に行きましょう」
「温泉〜……?」
 しかも、揃って?俺はあからさまに苦虫噛んだような顔に変わって、目の前の女二人に断る言葉を考える。何が楽しくて、アイツラと仲良く入浴しなくちゃならないんだよ。

「露天風呂で、景色もいいらしいですよ」
「いや。俺は、いいよ」
「お兄様……」
 珍しく、シーヴァスはちょっとムッとしたようで、俺は小さく睨まれた。
「お兄様も行くんです。せっかく皆で仲良くしようとしているのに。どうして参加してくれないのですか」
・・・・・・・・
 俺はぽかんと……、怒って見上げる妹に戸惑いを覚えてしまった。
「怒るなよ」
「怒ります。お兄様、いつもいつも、そうして人と親しくしないように一人でいて。皆はお 兄様と親しくしたいんです。お兄様も望んでるはずです」

「え……、っと……な……」(汗)
「お兄様も参加ですから。ジャルディーノさん以外は全員参加です!」
「おいおい……」
 ビシッと言い切られ、俺が困る中、シーヴァスはふくれてそっぽを向いた。
 ……うっ。どうしていいかわからないぞ。怒らせたのは初めてかも知れなかった。沈黙していると、サリサが助け舟を出してくれた。

「ニーズさん。あの……。昨日、やっぱりニーズさんがいなかったのは寂しかったんですよ、シーヴァス……。温泉の話を聞いて、今度はニーズさんも一緒にって。思っただけなんですよ」
 妹の好意は嬉しかった。本心はそんなところ行きたくない……。
 だが俺は妹の横顔が怒っているのを見て、しぶしぶ折れるのだった。

++

「温泉♪温泉♪おーん、せーん〜〜♪」
 夜、カザーブからナルセスもやって来て、俺たちは揃ってレーベへルーラでひとっ飛びしていた。アリアハン北西の村、レーベ近くの山で最近温泉が出て、話題になっていたらしい。
 もう混雑も落ち着いて、今ならのんびり、ゆっくり入れるという事だった。

「温泉がそんなに嬉しいか」
「嬉しいですねぇ〜。なんてゆーか、仲間と裸の付き合い?!みたいな。まあ、ジャルディーノさんがいたらもっと良かったけど…。いいじゃないですか。ニーズさん背中流しますよ♪」
 温泉の元には簡単な建物ができていて、小さな宿で泊まることもできる。脱衣所で浮かれて口笛吹いているナルセスが、妙にハイテンションで不気味だった。

「皆で背中流しっこもいいなぁ!」
「……、なんかいい事あったのか?ナルセス。妙に浮かれてるよな」
 アイザックが訝ると、ナルセスは「ええっっ!?そう!?」ととぼけたが、振り向いた顔は満面の笑みに包まれていた。
 察するところ、どうもカザーブで恋人とよろしくやれたらしい。このうかれっぷりは気味が悪い程だよ。

「今度ナルセス君の彼女にも会ってみたいね」
 俺と、ナルセスと、アイザックと、温泉にはもう一人リュドラルが同行している。
 アイザックの家で温泉の話題が出て、そこにいたリュドラルも誘われたのだろう。女の方はシーヴァスとサリサで、二人仲良く女風呂の方へもう別れていた。

「うなぁっ!?リューの背中のそれ、何っ!?」

 浮かれたナルセスも、…そうか奴は知らなかったのか。裸になったリュドラルの背中を見て、浮かれ気分も忘れ壮絶な叫び声をあげた。
「あ…。えっと……」
 本人は、ナルセスから微妙に角度を変えて、背中を見えないよう隠した。口ごもって、返事に詰まるのを、アイザックが口を挟む。

「あれだよ。リューはさ、言った事あるだろ、昔アリアハンに怪我して倒れていたって」
 さすがに戸惑ったリュドラルに、代弁してアイザックが「たいしたことじゃないよ」、と言う感じで説明する。
「えええ〜っ。そりゃ聞いたような気がするけど、痛々しいなぁー。酷いよこれ……」
 同情して、眉根を寄せたナルセスに、リュドラルは苦笑して、露天風呂まで腰にタオルを巻いて歩いて行った。


 空には星が光り、俺達以外の客もなく、気分はなかなか良い。
「消えないの、それ?ジャルディーノさんとかでも……」
「うん。消えなかったよ。消えないんだ、これは……」
 熱めの湯に浸かりながら、首まで入ってリュドラルは笑っていた。どうにも、そんな悲しげに笑うのが、やはり「ニーズ」を思い出させる。

 リューの背中に残っているのは『太刀傷』……。
 右肩から腰まで、傷跡は痛々しく刻まれていた。俺にしても、初めて見た時は引いたものだ。割とコイツも白いから、余計に悲惨さを感じさせて。

 あの日助けた、その時は暗かったのと、他人には関心のなかったこともあって、怪我の程度も気にはしなかったんだが……。
 瀕死の重傷だっただろう。ニーズがホイミを何回もかけなければ、きっと今ここにはいなかった。
 一体誰に、何に襲われた怪我だったのか。それもずっとわかっていない。

「うーん…。なんか嫌だなぁ…。リューもさぁ、どっちかって言うと美少年系なのに、もったいないよこりゃ…。こんな傷……」
「何言ってんだ」
 露天風呂の端の方に寄りかかりながら、呆れて俺はツッコミ入れていた。
「そんなんじゃないよ。いいんだ。消えなくて」
 消えないだけに、忘れればいいものを、忘れられないコイツ。思い出せない過去なんて気にせず、アリアハンでこのままだって生きていけるはずなのに。

 俺は、湯で顔を拭きながら、昨夜の女の事を思い出していた。
あの女は知っているんだ。でも、思い出さない方がいいと言う。女の事は、リュドラルにはまだ伝えていなかった。
 それ以前に、俺はリューと目を合わさないようにして、すっかり避けてしまっている。

 知らない方が、いい……。
 ニーズの死も、俺のことも、すんなり話せる事柄では決してない。


「……しかし……。女湯の方、何も聞こえないなぁ……」
「おい」
 残念そうに、ナルセスの奴が首を女湯の方向に向けていう。
「……。まさか。妙なこと考えるなよ?」
 凄んだ俺に、ナルセスは妙な沈黙をためる。


「……こーゆーシュチュエーション、……燃えません……?」

ザッバアアアアアッッッ!!!

「わあっ!わあっ!嘘っ!嘘っっ!冗談です!覗きたいなんて思ってませんお代官様!!」
 怒りに俺は立ち上がり、両手を握り締め、ふるふると震えた。
「俺も許さないぞ」
 静かに怒りに燃え、アイザックも睨んだ。
「え  っと!え   っっと!リュー!!助けてっ!!」
「ええ?僕……?」(汗)

 ナルセスはリュドラルの背中にすかさず隠れ、凄む俺とアイザックに対して必死に弁明を開始する。
「だからぁー。これは一つの浪漫であって、誰でも普通は見たいと思うんだよねー……。ねっ、ねっ、ねっ?」
「死にたいか。俺は本気だ」
「うわっ……」
「ナルセス君、素直に謝ろうよ。アイザックだって、冗談じゃ通じないよ?」
「そうだよなー……」
「冗談じゃ通じないよ。当たり前だ」
「うえー……」
 冗談にすらならない俺達の中で仕方なく、ナルセスの奴が小さくなって謝ろうとした時、脱衣所の方から新客がこちらに向かってくるのが見えた。

 誰か来た……。
 そう思った直後、俺達四人の頭の中が真っ白になった。

++

 湯煙の中から、現れたのは見知った人影だった。しかし、さすがにそんな姿は誰にしたって見たことはない。
 バスタオルを巻いて、それでもあんまりの姿に、俺は開けた口がそのまま塞がらなかった。綺麗な髪と、白い肢体と合わさって、にこりと笑えばそれは綺麗だった。
 綺麗だったが……!!!!

「お兄様、私も、ご一緒してよろしいでしょうか……」
「シーヴァスッッ!おま…っ!何考えてんだっ!!」

 ナルセスを責めるために立ち上がったまま、俺は怒鳴りつけた。
「シーヴァスちゃん!良く来たねっ!」
 近くに行こうとすかさずナルセスが動いた。俺は瞬時にして奴の頭を温泉の中に容赦なくぶち込む。
「…なぁ……っ……」
 アイザックもリューも唖然として、そのまま、二人は温泉の端まで焦って後退する。
いきなりの事に、どうしていいかわからないのは俺も同じだったが、とにかく帰るようにシーヴァスに怒鳴りつける。

「…背中でも、流そうかと思ったのですけれど…」
 ナルセスの頭を沈めたままの、俺の目元まで妹はやって来て、岩の上に膝を揃えて座る。
「いいからっ!シーヴァス!もう少し考えて行動してくれ!」
「そうですか…」
「ニーズさんっ!ぶはっ!し、死ぬ…!ごほっ!」
 バシャバシャとナルセスはうるさい。

「私は、ただ、お兄様と……」
「ニーズさんっ…!てばあ…っ!ゴフゴフッ!」
 座ったまま、シーヴァスは両手で顔を覆う。まさか泣かれても、さすがにそこまで面倒見きれない。
「シーヴァス、いいから、後でいくらでもなんでも聞いてやるから!だから帰れ!帰るんだ!」
「…はい…」
「うー!!ごふっ!帰ら、ぶくぶく。ないでぇぇ……!」
 シーヴァスはしょぼんとして、寂しそうに立ち上がった。

「……ったく……」
 ぼそりと、俺が胸を撫で下ろした時……。
「サリサさんの方が良かったですかね…」
 ひっかかる言葉が、微かに耳を掠めていった。

「ぶっはああっ!ゴフッ!ゴフッ!…っもうっ!ニーズさん!死ぬかと思ったじゃないですかぁあっ!」
 力を失った俺の手からナルセスは復帰し、背中を向けるシーヴァスを横目に見る。そのシーヴァスが、何故か呪文を唱え始める。
「え……?」
 ナルセスなんかは、シーヴァスが、何か魔法を使おうとしたとでも思ったかも知れない。しかし、真相はもっと衝撃的だった。

「モシャス」ぼわん。

 今までシーヴァスだったその姿は、今度は金髪娘、サリサの姿に変身していた。髪は下ろしたまま、同じようにバスタオル巻いただけの姿で。
「サリサさんもなかなか、いいですね…。健康的で」
 そいつは、自分の変身具合を、手や足を見て確認している。
「どうですか?ナルセスさん。サリサさんも可愛いですよね」
 髪を両手でかき上げて、にっこりと笑う。

 横にいるナルセスは、あんぐりと口を開けて見事に驚き固まっていた。
 温泉の後方に下がっている二人も、言葉も無い。
「嫌ですね。皆さん、反応が薄すぎますよ」

 俺は初めて。
     そう。怒りの余り、青ざめるのを知った。
「あ、アイザックさんにはもしかして、シャルディナさんの方が良かったかも知れないですね♪」
「……!な、………っ!!!」
 温泉の端に逃げていた、アイザックも青くなる。

「またまたモシャス!」ぼわん。

 アイザックの知り合い、吟遊詩人のシャルディナに今度は姿を変える。奴はご丁寧に、それらしく恥らって見せ、くるりと回転して見せた。
「これでアイザックさんも大満足ですねv」

「きっっっ…!! 貴様ぁあああぁぁぁああぁっっっ!!!」

バシャバシャバシャバシャ!!
バコォォォォオオオォォォオオ!!!

 俺はその日、初めて自分以外に殴り飛ばされるワグナスの姿を見た。

「お前…!やっていい事と、悪い事があるだろおぉぉぉおおおおっ!!!馬鹿がぁあああああ!!!えええ!?ふざけるなこの馬鹿たれがぁああああ!!!」

「ア、アイザックさん。落ち着いて…」

「これが落ち着けるかぁぁあああああっっっ!!!」

 鬼のように怒り狂い、温泉をかき切って殴りつけたアイザックは、笑って謝罪するワグナスをそれでも何発も殴りつけ、えんえんと怒号を浴びせたのだった。

++

「何か、騒がしいですね。向こう……」
 湯の方、二人以外にも客はいたが、何か怒声の聞こえる男湯の方をのんきに不思議に思っていた。
「ケンカでもしてるみたい……」(汗)
 女二人は温泉から上がると、その理由を知る事ができた。


「申し訳ない!!」
 温泉から上がり、服を着て女二人が出てくると、俺以外の男達は皆地べたに土下座をさせられていた。
「えっ?え?なに?なんですかっ?」
 いきなりの面々の土下座にサリサは面食らう。シーヴァスはきょとんとまばたきして見せた。

 温泉場の入り口、待ち合わせた場所に来たかと思ったら、何故か賢者ワグナスの姿も加わっていた。奴の顔はアイザックにメタ撃ちにされ、ボコボコに腫れ上がっているので更にわけがわからないだろう。

「ニーズも見ただろ!謝れよ!」
「なんでそこまでしなきゃならないんだよ。本物を見たわけでもあるまいし」
 アイザックの言い文に俺は賛同しなかった。
 事の発端のワグナスはまぁ、当然として、アイザックに土下座を言いつけられ、おとなしく従っている。

 すでにあの時立場の悪かったナルセスも素直に土下座組に加わり、付き合いでリュドラルも頭を下げていた。
「どうしたのですか?わかりません……。やめて下さい……」
「いいやシーヴァス!サリサ!俺達は謝らなきゃならないんだ!!」
 地べたに頭を付けたまま、頑固にもアイザックは詫びると言う。

「すみません…。全ては私が悪いのです…」
 顔を上げて、ワグナスは事情のわからない女二人にいきさつを話し始めた。
「些細な、悪戯のつもりだったのですが、とても不評で……」

「当たり前だ!!」

「反省しています。大変失礼致しました」
 再び、ワグナスは頭を下げる。
「女性を辱めたとして、深く謝罪させていただきます」

「あの…。ワグナスさん…。あのっ、もういいですからっ」
 男四人にずらりと土下座され、サリサは周りの目も気になって、困りはててワグナスの背中を叩く。
「もう、皆もちょっと…。土下座なんてしなくていいから……」
「すまなかった…。不本意とは言え、見てしまったことは謝る。すごく気分の悪い事だと思う。本当に申し訳ない!」
 どうしてそこまで謝るのか、アイザックはしかし本心から悪いと思って詫びているのだった。ここにはいないあの吟遊詩人にまた会った時も、きっと謝るんだろう…。

「うん…。僕も、ごめんなさい。謝ります」
「俺もー……」
 リューもナルセスも続いた。ナルセスは「とほほ」と情けない呟きを零してつむじを見せる。
「ワグナスさん…。それは、確かに悪い事です。もうしないで下さい」
「はい……」
 土下座するワグナスにシーヴァスは屈みこんで、しかし「らしく」すぐに許した。
「もう皆さん、立って下さい。気にしていませんから」
「私も…。うん。もう立って下さい。ね、アイザックも。もういいから」
 サリサも、戸惑いながらも仲間に立つようにお願いする。

 ワグナスは、その後侘びとして、全員に夕食を奢ることになった。
 奮発してアリアハンまで戻って、城下でも評判の高級料理店でのフルコースと全員でしゃれこむ。俺は母親のためにみやげまで調達。

++

 すっかり夜も更け、腹もふくれた僕達はそれぞれ帰路についた。
「ごちそうさまです。ワグナスさん。すごく美味しかったです♪」
「ごちそうさまでした。高いものを、すみません」
「いえいえ。貴女方のためですから。満足していただけて恐縮ですよ」
 店を後にして、ワグナスさんは女の子二人を宿まで送って行く。

「じゃあ!また明日の朝!おやすみなー!」
 苦しそうに、ナルセス君はお腹を押さえていた。けれど、威勢良く挨拶を言いわたすと元気に駆けて帰る。
「また、明日。じゃあな」
「おやすみなさい。ニーズさん」
「ああ。おやすみ」

 僕とアイザックとを残し、店の前から人影が消えていった。アイザックと僕の家は近所なため、帰り道は一緒になる。
 帰り道、僕は終始無口になっていた。
「リュー?どうかしたか?まさか食べすぎで腹が痛いとか、言わないよな?」
 繁華街を去り、住居区の方まで来ると、もう通り過ぎる人もまばらになっていた。アイザックは、僕の様子に不安になって、顔を覗き込んでくる。

「…………。ねえ、アイザック……」
「うん」
 僕は、立ち止まって、俯いた顔を上げたら、真剣に、旧知の親友の顔を見つめた。
「なんだよ」
「アイザックは…、本当に、おかしいと気がついていないの……?」
 戸惑う友人は、僕の悲しみの理由を知らない。もともと鈍感な友人だけど、でも、僕にはどうしても目に付いて仕方がなかった。今のニーズさんに会うたびに、その変化に僕は涙が出そうになるんだ。

「ニーズさんは、今いるニーズさんは、昔のニーズさんじゃないよね」
「………。何言ってるんだ。…どう見たって、ニーズじゃないか」
「ニーズさんは、あんなに、あんな風に、直情的に怒ったりしないよ」
「それは…。昔は、そうだったけど……」
 親友には、僕は以前にも、疑問を投げかけたことがあった。でも、どうみても彼は「外見」は僕らが知る限りのニーズさんだった。それで、その疑問は打ち切られた。

「アイザック、一番違うのはね…。父親、オルテガへの感情だよ……」
 僕は失望も隠さずに、アイザックに告げた。
 口調が変わったり、怒りを直接表したり、それはまだ受け入れる。けれど、昔の彼は明らかに決して消えはしない憎悪を父親に抱いていた。
 抱いていたはずなんだ。
 だからこそ、僕は彼がいつも気になって仕方なかった。

「今でも、父親のこと、軽視してるよニーズは」
「軽視なんて、ものじゃないよ。違うんだ。全く違うよ。彼の中にある、渦が、全く違うんだよ…。なんだか、今のニーズさんは、薄いんだ…。ひとつひとつ、何もかもが薄いんだ……」
「…………」
 随分失礼なことを口走る僕、アイザックはもう反論せず、泣きそうな僕の意見をそのままに聞き続けていた。誰も通らない路地の真ん中、僕はアイザックの肩に両手を置いて寄りかかり、思いのたけをぶちまける。

「あの日、僕を助けたのは二人の少年だった…。ニーズさんは二人いたんだ。多分、そう。だって、そうだよ。確かにアリアハンは襲われたけれど、でも、母親も自分も無事で、どうして、「あの人」が、あそこまで引きこもる必要があったんだ?おかしいよ。あの、責任感強い人が、大人にさえ、国王でさえ、一つも物怖じしなかった人が、生きる気力さえ失うような事なんて何処にあったって言うの」
・・・・・・・・
「魔物も確かに凄かったけど、だったら尚更意気込むような人だったはずだよ。だから、君だって憧れていたんだ」
「リュー…。じゃあ、二人、ニーズが居たとして、どうして入れ替わったんだ。もう一人は、何処に行ったんだ…」
 重苦しく、訊いたその言葉は、僕もさすがに、すぐに返事ができなかった。


 その答えだけは、僕だって、言うのが恐ろしい。

「………。ねえ、アリアハンは、どうして、魔物に襲われたと思う……?」
 しかも、勇者の旅立ちの前夜。どう見たって、目的は勇者じゃないか。勇者の旅立ちの阻止。

「ニーズは、無事だった…」
「あの日、僕達が良く知っていた、あの、ニーズさんが、きっと、………」

 それでしか、説明がつかないんだ。
 息子が無事だったのに、どうして、母親のエマーダさんが、生きる気力を失う必要があるの?無事だった息子を立ち直らせようともせず。あの家の暗さは、異常だった。
 家族の無事を喜ぶかすりさえも無かった。

「………。わかったよ。ニーズに、聞きに行こう」
 アイザックが、頼もしくも、強い瞳で僕の肩を引いた。

++

 家には帰らず、僕達は引き返して、ニーズさんの家まで押しかけて行った。
 ニーズさんの部屋に続く木をアイザックが登り、窓を叩く。
 まだ起きて、着替えすらもしていなかったニーズさんは、ここに来た理由をもう悟ったのか、すんなりと僕達を部屋に入れてくれた。
 僕と、アイザックとの質問に、ニーズさんは顔を曇らせながらも、素直に真相を話し出す。

「…そうだよ。俺達は…、あの時二人だった。ずっと、二人だった。あの日、ニーズは殺された」
「そんな」
 アイザックは、がっくりと、肩の力を下ろした。部屋の床に三人で座り込み、僕は目の端から、涙が今流れ落ちたのを知った。
「俺は、ずっと、影武者のような存在で…。黙っていてすまない」

 アイザックも、僕も無言だった。
 思い出す、過去のニーズさんが、今はいない。
 僕とアイザック、二人で追いかけた、あのニーズさんはもういないんだ…。


 僕にとっては、「救い」のような人だった。
 内に秘めた渦のような憎しみでさえ、逆に惹かれた。
 アイザックにとっては、憧れた勇者の息子。
 親しくしたくても、いつもするりするりとかわされた。その力も本人の形すらも、簡単には見せてくれない人だった。
 でも、共通しているのは、僕らは「彼」がすごく好きだったんだ…。

 ニーズさんは、「偽者の自分にはついて来なくてもいいんだぜ」、と、アイザックに選択を促した。
「お前は…。お前は、あの、ニーズの、意思を引き継いだんだろう……?」
「そうだ……」
「そうなら、お前は勇者なんだ。お前は立ち上がったんだ。それなら俺にとって、勇者以外の何者でもない」
「そうか。礼を言う…。ニーズも、きっと喜ぶ。お前なら、きっといい仲間になれた。お前にいつもとやかく説教されることもなくてな」

 僕は、涙も拭かず、尋ねる。
「魔物……。魔物が、ニーズさんを、殺したんですね……」
 ニーズさんは、アイザックにも含めて、その名を告げる。
「殺したのは、あの死神二人だ。フラウスと、ユリウス……。あの二人が、ニーズを殺したんだ」

「アイツか……!」
 小さく芽生えた復讐の心。アイザックは無念を胸に、微かに吠えた。
「アイツらのことは、よくわからない。一体、何を考えているのかな。ただ、でも、ニーズを殺したのは、どう考えてもアイツらなんだ」
 今を生きるニーズさんの中にも見える、憎しみと、後悔と……。
 それは、僕の心にも、確かに今根を伸ばした。

++

 アイザックは、これまでのニーズさん、二人への思いに、家まで無言で考え込んでいた。家に閉じこもっていた彼を叩き出したのはアイザック。
 そして、強くなりたいと言った彼と、剣を学んだのもアイザック。

 明日の朝、また彼らはイシスに戻って行く。
 意思を引き継いで、勇者になったもう一人のニーズさんとの、旅にこみ上げる感情が抑えられないんだろう……。また、アイザックは強くなる、そう思った。

 家の前で簡単に挨拶を交わし、僕はそのまま、夜空を見上げた。
「本当に、もう、何処にもいない……?」
 「光」とさえ思った、彼が。

 僕の横を空気が通り過ぎた。それは綺麗な女の人。
 数秒後、僕は何故か、意味もなく何かに誘われ振り返る。
 布を被った女性は、雷に撃たれたように、同じように振り向いて驚いて立ち尽くしていた。

 誰………?

 もちろん知りもしない。女の人にしては背の高い、綺麗な人。
 何処かで会った…?無性に僕は目が離せない。何を聞いていいのかもわからないのに、言葉は僕の口から勝手に零れ落ちていた。
「あ、あの……」
「早く帰らないと、風邪をひくわよ……」
 髪に被せた、布の端で女性は顔を隠し、声は寒いのか少し震えていた……。

「えっ?あ、はい。……あのっ……」
 女性はくるりと踵を返し、今度は振り返らずに繁華街の方へ音も立てずに足を進める。僕は、凍りついたように、その後姿を見えなくなるまで見つめ続けていた。

 背中の傷痕が、微かに疼き、僕は痛みに顔をしかめた……。

++

 翌朝、友人達は砂漠の国に引き返して行った。
 すでに消えてしまった「光」を、僕はまだ、心の何処かで探している……。


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