「傷を背負った少年」後、珍しくアイザックの落ち込み話。




「折れた隼」

 イシスを発つ前に、商人のナルセスがダーマ行きを唐突に俺達に告げた。
 転職の聖地ダーマ神殿、新たな能力を受けようとする者の修行の場としては、世界にはここ以上の場所はない。

「…そうですか…。寂しくなりますが…。頑張って下さいね」
 ジャルディーノは自分を目標と言い張る、ナルセスに目を潤ませながら別れを惜しんだ。
「会ったばかりなのに残念だけど、すぐに追いかけてくるよね」
「もっちろん♪待っててね」
 サリサとも両手で握手しつつ、ナルセスは破顔する。
 ニーズの奴はそっけない挨拶にとどまるが、らしいと言えば、らしい。

「アイザック、じゃあ、暫く留守にするけど、後はよろしくね。サリサちゃんとかシーヴァスちゃんとか、ちゃんと守ってね」
「ああ、さぼらず修行しろよ?」
 俺もナルセスと固い握手を交わす。

 ナルセスは、ダーマへはアッサラームから船か、もしくは山越えを覚悟していたらしい。でも、そこへ賢者ワグナスの奴がルーラで送ってくれると言い出して、あっという間に修行に突入することができると喜んでいた。
 別れとは言え、暫しのこと。
 いつも通りの明るさで、ナルセスは大きく手を振ってダーマへと旅立った。


 それから、俺達はイシスから砂漠を南に抜け、山岳の麓に残る小さな祠に辿り着く。
祠には今は使われていない旅の扉があり、そこから海を渡ったポルトガへ行けると言うのだった。ポルトガは先に通って来たロマリアの西の国で、旅の扉は国境の関所のポルトガ側に繋がっていた。
 ポルトガに特に目的はないのだが、世界を回って情報を得たいと言うのも本当だ。旅の扉を通り、また新たな土地に俺達は足を踏み入れる。
 関所から南下し、ポルトガの王城を目指した。


「アイザック、ここのところ元気ないね。どうかしたの」
 街道を南下する中、賑やかだった商人がいなくなったせいか、いつになく黙々と仲間達は進んでいた。ふさぎがちになっていた、俺に縛った髪を揺らして、サリサが心配そうに声をかけてくる。
「別に、何もないけど……」
「嘘ぉ。アリアハンから帰ってきてから、なんだか、ニーズさんともよそよそしくない?」
・・・・・・・・
 なかなか、見てないようで見てるな、サリサ。
 俺は黙って、先を歩くニーズの後姿を目で追った。

 アリアハンでニーズの、今まで知らなかった事実を聞いた時、俺はただひたすらに後悔に身を落とした。魔物が襲って来たあの日、俺はまだ弱くて、家族を守って、城に逃げ込むので精一杯だった。
 その間に、どれだけの悲劇があった?

 ナルセスの両親が死に、ジャルディーノが死も覚悟で死神と戦い、俺が長年追いかけていた、”俺の知っていた”ニーズが殺されていた。
 生きる気力を失くしていた、弟のニーズやエマーダさん、暗い表情やあの家の暗い空気が思い出されてくる。

「守りたいものは、もういない」
 ニーズはそう言った。

 絶望から這い上がったニーズが越えた、或いは今もなお抱える後悔と悲しみが、今はあまりにも遅く、俺にのしかかって来ているんだと思った。
 お前は偉いよ。
 頭では思うが、さすがに口では言えそうにもなかった。よくぞ「勇者」になってくれた。アリアハンは、その勇気で持って光明を灯されたんだ。

 同情と言うのか、負い目と言うのか、暫く俺は、ニーズに対して遠慮を覚えてしまっていたのだった。
 何も知らずに、勝手なことも散々口にしてきたしな…。謝っておこうか、素直に。

「サリサは、国に帰らなかったけど、家族と仲悪いのか?」
「え……」
 だんまりから、話を変えようと、思っていた疑問を問いかける。
 手紙とかの類も出していないし、家族の話を避けるきらいのある様子がなんだか心配だった。
 砂漠地帯から一変してこの辺りは気候も良く、いい天気でうっすらかいた汗を拭いながら、俺は並んで歩くサリサの返事を待っていた。
「ううん。仲、悪くはないよ…。お父さんもお母さんも優しい。弟もいい子だし…」
「女の子の旅なんて、心配するんじゃないの?」
「…してると思う……」
「…なんで、何にも連絡しないんだ?」

 サリサは俯いて、眉根を寄せて返答に困っていた。
「アイザックには、わからないかも…。私、その、どちらかと言うと、家出みたいなものだから……」
 ぼそぼそと、口の中で曖昧に彼女は答える。
「家出!?」
「ああっ!違うの!私が、一人で逃げ出しただけなの。誰も悪くないの」
「ちゃんとイシスにいるって、言ってあるんだろうな?」
「一応……」
「まさか、探さないでくれとかそーゆー……」

 視線を逸らすサリサに俺は真面目に言った。
「俺は、家族を大事にしない奴は嫌いだな。家族あってのものだろう?孝行したい時に親はなし、って言うだろ。町に行ったら手紙書かせるからな」
「えー……」
 不服そうに、サリサは顔を暗くする。
「家族健在じゃない奴もいるって言うのに。無事なことくらい伝えておかないと、ばちが当たる」
「…ふう…。うん、わかった……」

 すっかり、サリサの顔は沈んでしまった。ため息をついてとぼとぼと歩いている。
「でもね、きっと、心配してるよ。何も言わずに家を、国を飛び出しても、怒らないような親なの。優しすぎるのよ……」
「……怒られたいのかよ」
「その方がいいな。いいなぁ、アイザックのお父さん、厳しそうで。「馬鹿もん!」とかって叫んでたもんね」
「それは俺が男だからで……、姉さんにはあんまり言わないよ」
「いいなぁ、「この馬鹿娘がぁ!」とかって、私もぶたれてみたいな…。絶対うちのお父さんしないけど……」
 
 やはり、サリサは良くわからないなと俺は再確認していた。
 俺が説教した時、「酷いよ」と言って泣いたのに。
 親に殴られたら、その時もこうは言ってても、泣いて傷つくんじゃないかと思った。

++

 その日の行軍は日暮れと共に終わり、近くの森で野営の準備をする。
 俺は焚き木を集めながら森を歩いていた。
 暗くなった森はやけに静かで、俺が踏みしめる地面の音だけが妙に響いて聞こえる。少しそのまま、仲間から離れて、俺は冷たい幹に寄りかかる。

「まいったな……」
 探してるよ。そう思って俺は自分に嫌気がさす。俺だって死んだとは思いたくない。
 あのニーズが死んだなんて    


 あの日に帰りたい。そうして、盾になってでも、きっとニーズを守ったのに。
   くそっ!!」
 どうしようもない思いに、拳で幹を叩く。するとパラパラと木の葉が何枚か自分に振り落とされてきた。

「…穏やかではありませんね。アイザックさん、どうしましたか?」
 覚えのある声がして、俺はやってきた賢者を愛想もなく出迎えた。
「皆さん帰って来ないって、心配していますよ」
「そうだろうけど…。先に夕飯食べてていいよ。お前は何しに来たんだよ」
「ナルセスさんを送って、修行も順調に始まりましたので、皆さんに報告に」
「そうか」

 なんとなく、俺は動かずに、空気を察してワグナスが消えてくれるのを待った。
「ニーズさん、アイザックさんにも、お話したのでしょう…。元ニーズさんのことを」
 不可解な単語が出てきて、俺は眉をしかめた。
「なんだ?元ニーズって」
「便宜上の愛称ですよ。同じ名前でややこしいでしょう?」
「知ってたのか、お前……」
 本当に何でも知っている奴だ…。呆れて俺は睨みつける。
「なんで、兄弟で同じ名前なんだ?なんで、弟は隠れてなきゃならなかったんだ?知ってるんだろ?」

「知っていますが…、貴方には言わないでしょうね、ニーズさんは」
「なんでだよ。他の奴は知ってるのか」
 ムッとして、俺は膨れる。
「シーヴァスさん、ジャルディーノさんはご存知ですね。貴方の場合は、怒るでしょうから、言えないんですよ」
「怒るって…、ニーズを……?」
 いや、実際今、ムッとしてるんだが……。
「そうじゃないですが、それと…、貴方や、リュドラルさんには、話すのは嫌だったでしょうね、ニーズさん」
「なんで…」
「比べられるのが、恐怖だからですよ」

「………」
恐怖とまで……。二人のニーズ、比べようにも…、俺は後に出会ったニーズの方しか、詳しくは知らいのだから。

 元(?)ニーズの方は、俺は追いかけ自分から声もかけたけれど、向こうから何かしてくる事は無かった。こっちが一方的に慕っていただけで、向こうは多分友達とは思っていなかったと思う。
「未だにニーズさんは、自分が死ねば良かったんだと、思っていますからね」
「そんな。………。いや、俺もそうか……」

 アリアハンで、リュドラルだって後悔している。
 彼の死に消えぬ後悔を抱いているのは数人ばかり。多くの者は死を知らずに、墓も無く、やるせない気持ちで一杯になる。
「ニーズさんは乗り越えて歩いて来ましたね。貴方やジャルディーノさんのおかげだと彼も思っていますよ」
「……そうならいいけど……」
「そうですよ」
 にっこりと賢者は微笑む。

「アイザックー!ワグナスさーん!」
 戻って来ないので、探している仲間の声がする。
「お腹も空いたでしょう?帰りましょう、アイザックさん」

++

 呼んでいたサリサと戻ると、夕食の支度もできて、待っていたのか全員揃って焚き火の周りに座っていた。
「ワグナスさんもどうぞ。今日はロールキャベツなんです。お好きですか?」
「いいですね。ご馳走になります」
「なるなよ」
 シーヴァスの誘いに座ったワグナスに、横でぼそりとニーズが嫌がっていた。

「お味噌汁大根にしたの。アイザック元気ないから。元気出してね」
 器を渡して、サリサが優しく呟く。ロールキャベツも俺の好物だし、なんだか悪いなと思った。

「美味しいですね〜。お二人とも良いお嫁さんになれますよ」
「そうですか?ありがとうございます」
「また、ワグナスさんは……」
「黙って喰えよ」
「ね?アイザックさんも、そう思いますよね」
「え?うん」
 なんだか、最近、この手の話題で俺に振られるなぁー、と思いつつ相槌をうつ。

「ワグナスさん、ナルセスさん、どんな修行してるんですか?」
「そうですね。初日は決意を作文にして発表して、次の日は僧侶の心得全法を読みふけり、後は暫くダーマの滝に打たれるそうですよ」
「大変ですね…。でも、ナルセスさんなら、きっと良い僧侶さんになれますよね」
「そうですね」
 ワグナスはジャルと二人で談笑していた。

「なあ、サリサ。お前俺のこと目標みたいに言ってたけど…、アレ止めた方がいいかも知れないぞ」
 俺は横に座るサリサに、唐突に冴えない話題を振る。
「なんで?そんなこと言うの?」
 味噌汁の器を片手に、正直に俺は珍しい言葉をつなげた。
「だって、俺は弱いしな」

 ぽかーんと、サリサは唖然として俺を見上げていた。
「……何言ってるのかわからないよ。アイザック弱くなんかないよ」
「たまたまだよ。俺には支えになる家族があったから。裕福じゃなかったけど、何かに挫折する事も無く、大事な人がいなくなったこともなくて。叶えられないものなんて何もないと思ってた」
 自分が、臆病だと思ったことは無かった。それは傷ついた事がないから、何かを失った事がきっとないからに過ぎなかったんだ。

「たった一つの不幸だけで、壊れてしまうものなのかも知れない」
 シャルディナには偉そうにも言ったけれど、「信じていくこと」、何処まで貫けるだろう。

「……壊れないよ」
 疑いの無い目で、隣のサリサは自信たっぷりに笑った。
「そんなの、わからないだろ」
「私が、壊れさせないから」
「…………」

 何処かサリサは嬉しそうに見えた。
「アイザックでも弱気になる時あるんだ。ちょっと安心しちゃった」
「……うーん……」
「大丈夫だよ。アイザックは壊れないよ。私信じるよ」
「……そうか」

 俺は、サリサを始め、火を囲む仲間たちを見回して思った。
「俺一人じゃないんだもんな」
「そうだよ」
 妹と話しているニーズを見て思う。自分も悲しみに暮れ閉じこもった時、しつこく戸を叩く誰かが来てくれたなら、それは嬉しいだろうなと……。

 扉を叩いて。名前を呼んで。
 答えたのは弟のニーズ。
 答えることのなかった元のニーズ。
 この道を歩いて行くうちに、消えたアイツの意志に俺は重なるんだろうか。

 バラモスを倒した時、この後悔も消えるのか。

++

「ニーズー!今日城に行くんだ。一緒に見学行かないか」
「ごめんね。今日は具合が悪いんだ」

「今日のお祭り、行くんだろ?オルテガさんのお祭りだもんな!」
「ごめんね。いつも参加しないんだ」

 俺は、ニーズと親しくなったと思い上がっていた。
 でも、それは弟のニーズ。兄のニーズは、何処までも遠いままだった。
 遠いまま、もう会えなくなった。


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