ムオルにニーズが訪れる前のお話です。ムオル編前でも後でも良いですが、後推奨



「花祝い」

 小さな村は世界地図には記されておらず、最果ての村と旅人に呼ばれることもあった。営みは小さく質素ではあったが、村人たちは村全体が家族であるかのように協力し合い、幸せに暮らしていた。
 北の地にはもうすぐ厳しい寒期が訪れようとしている。最果ての村も例外なく、村人たちは迫る冬支度に精を出していた。

 数年前から、村には一人の娘が暮らすようになっていた。
 美しく、気立ての良い銀髪の娘で、名前はフラウスという。村外れで記憶喪失の若者を拾い、記憶が戻るまではと彼の世話を引き受けている。
 記憶を失って倒れていた若者、    名前はニーズ。

**

「……。起きましたか?ニーズさん…」
 朝方、朝食の支度を済ませて、私はいつものように彼の部屋の戸を叩く。

 綺麗に整頓された室内には寝息だけが響き、窓から差し込む光に照らされる寝顔はいつも悲しいくらいに無防備でした。ベットの横にまで近寄り、乱れた頭髪を少し撫でる。

 毎朝、無防備な寝顔を少し眺めて、いつも、いけないと思いながらも、彼に口付けてしまう私が今日もここにいる。
 いつからか、一度ふれてしまったら、もう離せなくなりました。
「ニーズさん……」
「う、ん……」
 彼が寝返りを打ち、どきりとして私は慌てて離れてゆきます。
 何事も無かったように、そっと揺さぶって、彼を起こして微笑みかける。

「起きて下さい。今日は村の子と約束がありましたよね?朝食はもうできていますから」
「おはよう…」
「おはようございます」
 私はカーテンを開け、台所へ戻ってお茶を用意する。大切な、幸せな時間でした。


 村の暮らしは、自給自足が基本になっていました。
 お店は無く、たまに物好きな旅の行商人がやってくる程度で、近隣の都市ダーマにまで出稼ぎに出ている一家の主も多いです。
 私も時々、ダーマにまで薬を買いにでかけていました。
 共に生活をする、ニーズさんは身体が弱く、病気がちで、私はいつも心配で仕方がなかったのです。病気程度ならまだ良くても、時々胸を貫くような激痛に襲われ、起きれなくなる事も度々ある。
 村の中だけの外出でも、私は冷や冷やしながらいつも見送る……。

「それじゃあ、行って来るね。お昼には一度帰るよ」
「はい。気をつけて……」
「すぐそこだよ。じゃあね」
 学校もなく、読み書きのできない子供もたくさんいる中で、求められてニーズさんは文字や世界の歴史などを教えに、良く村を回って歩く。

 彼の記憶喪失は自分の素性に関する事のみで、魔法や世の中の知識は人並みを越えていました。
 すぐさま村人たちは彼を敬うようになり、子供たちの良き先生として慕われることになる。村の子に勉強を教えに出かけた彼を見送った後で、村長さんが小さな孫娘と共にこちらに歩いて来るのが目に映り、私はそのまま玄関先で迎えることにします。

「おはようございます。どうかされましたか?」
「おはようございます。もう、朝は冷えてきましたね」
「フラウスお姉ちゃん、おはよー!」
 白いひげを蓄えた温かい笑顔の老人と、赤いコートで陽気に手を上げて挨拶してくれる、孫娘のマリー。二人ともいつもお世話になっている大事な同村の仲間でした。

「森の方では、ポインセチアが赤くなってきましたなぁ。村でもあちこち、赤い花が咲こうとしております」
「ええ。そうですね。私も昨日、森から一株持って来て、鉢に入れていた所です。もうすぐ花祝いの日ですね」
「今年はね!お姉ちゃんが花の女神様役なんだよ!嬉しい!?」
「えっ……」
 突然の報せに面を喰らって、慌てて確認に見上げた、村長さんの笑顔はそれを肯定していました。

「去年は、私だったでしょ?今年はフラウスお姉ちゃんがいいなっておじいちゃまにお願いしたの。だって、きっとすごく綺麗だもん♪従者はニーズお兄ちゃんできまりだしね!結婚式みた〜い!」
「まっ!マリー!ったら、……っ!」
 赤くなって私はうろたえて、居るはずのないニーズさんに聞かれはしなかったかと顔を振る。私は少女の口を押さえてしゃがみ込んでいました。

「はっはっはっ。照れんでも〜。村人皆、祝福しますぞ。フラウスさんならわしでさえ従者に立候補したい所ですが、ニーズさんには敵わないでしょうなぁ」
「…村長さんまで…。困ります……」
 本当に困っていました。私はもう恥ずかしくて、頬が熱くて泣きそうでした。


 ポインセチアの葉が赤く色づき、大きな赤い花のように森の足元を染める頃、ムオルの村では「花祝い」と呼ばれる小さな催事が行われる。

 厳しい寒期に備えて、村人の健康と平和を祈る毎年の恒例行事でした。
 村人から毎年、花の女神が選ばれて、女神は集まった男性から一人を従者に選び、各家を回ってゆきます。
 女神は聖なる種火を掲げ、各家のロウソクに火を灯し、この冬の無事を祈る。
 ロウソクの火は自然に消えるまでそのまま灯し、綺麗にロウが全て消えたら、その家は冬の間の幸運を約束されるのでした。

 女神は篭にいっぱいのポインセチアを詰めて、各家に配って歩く。
 配られた花は家の扉の内側に飾り、冬の間のお守りとなる。
 そして全ての家を訪れた後、女神は従者と共に村のシンボル、飾り付けのされた中央のもみの木の前に戻り、種火を土に帰し、残った花を木に飾り、祈りを捧げて務めを終える。
 村人からの感謝の意味を込めて、そこで従者の男性は……。

「最後の時、従者は女神様にキスするでしょう?おにいちゃん、きっとしてくれるよね。もしかして、そこでお姉ちゃんに好きって言っちゃうかも!ロマンチック〜!」
「マリー……」
 おませな少女は頬を押さえてごきげんで、私の気持ちも知らずにとんでもない事をお願いしてくる。
「ねっ、私、こっそり影から見ていてもいい?見た〜い!」
「…もう…。しないわ、きっとニーズさんは…。ごめんねマリー。私たち、そういう仲じゃないのよ……」

「ええ〜!?うそー!違うよー!」
「従者にも、立候補しないと思うわ…。村の子に頼んでおかないといけないわ…。誰も申し出がなかったら寂しいもの」
「やだー!じゃあ、その日に恋人になって〜!やだやだー!」
「えっと……」
「これこれ、よさんか。フラウスさんが困っているじゃないか。すみませんね〜。でも、当日、どうぞお願いしますよ。きっとさぞかし美しい事でしょう」

「はい…。ありがとうございます…」
 駄々をこねる孫娘を注意しながら、家路に戻る村長さんを見送る私は、少しだけ憂鬱に俯いていました。
 ニーズさんは、あまり、人前に出るのも好きじゃないもの。
 村の行事、きっと男の子たちに従者の役は譲ると思うわ。女の子も女神になりたがるけれど、男の子たちだって相手役になりたがる。
 それが分かるから、きっと……。
 閉めた扉は、寂しい音を鳴らして閉じる。まるで私の心を見透かしたように。

**

「…そう?今年はフラウスが…。いいね、きっと綺麗だろうね」
「兄ちゃん、もちろん従者に申し出るんだろう〜?いいなぁ。かっこいいなぁ」
「お兄ちゃんじゃライバルにもならないよ。失恋〜!きゃはははっ」
「なんだとー!この〜!」
 村の民家の一つにお邪魔していた僕は、しょっちゅうケンカばかりしている幼い兄妹に挟まれて、暫しの間本を閉じて治まるのを待っている。

「だからポポタは、さっきから上の空だったの?フラウスの事気にして」
「うっ!違うよっ!違わいっ!」
「うちのお兄ちゃんね、従者やりたいって言ってたんだよ。ニーズさんが羨ましいなってさ〜。ねーっ」
「ポポタ、フラウスの事好きだもんね。頼めば、従者にしてくれると思うよ」
「ななななっ、何言ってるのニーズさん!お姉ちゃんはニーズさんがいいに決まってるのに!お姉ちゃんがかわいそー!!」
「年一回の事だし、僕はいいよ。いつも一緒にいるから」
「ええっ!!い、いいのっ!?やった!やった〜!」
 べしっ!浮かれた兄を妹は平手打ち。
「アイテっ!」
ダメヨッ!二人とも最悪ー!女心が解ってないのよー!ニーズさんもヒッドイ!かわいそう!女は言葉が欲しいのよっっ!」

「………。力説だね、パル。……」
 勉強部屋に顔を覗かせていただけの、まだ六歳の妹は思い切りふくれて、仁王立ちしてくどくどと演説に突入する。
「皆ねー、言ってるんだよー。ニーズさんはどうして何も言わないのかなーって!フラウスお姉ちゃんかわいそう!時々寂しそうにしてるんだよー!」

「…うん…。知ってる……」
「だからね、これわぁっ!村の人からの贈り物なのーっ!奥手なニーズお兄ちゃんに頑張ってもらわないといっけないんだから!」
「……………」
 妹のパルは肩でぜいぜい息をして、威勢良く言い放った後、けろっとして一言加える。
「って、そんなよーなこと、お母さんが言ってたー」
「そう……」
「お母さんがね、隣のおばさんと、そのまた隣のおばさんと、向かいのおばさんたちとで、話し合いしてたの〜」
「………。参ったな…」

 さすがに恥ずかしくなって、苦笑するしか僕には手段が無く、隣で圧倒されていた兄のポポタに僕は謝るのだった。
「ごめんねポポタ。ここは、僕が出るしかないかも」
「ホント!?やった!わーい、わーい!ぶちゅーってしてね。ぶちゅーって」
「そ、れは、……」
 ぎょっとして、咳払いをした僕は、何事も無かったように勉強に話を戻した。

「さてと、ポポタ、さっきの続きだけど……」
 勉強机に向かい直して、教え子の横顔を見れば、すっかり沈んで大げさなため息をついていた。
「あーあ…。フラウスさん、とうとう兄ちゃんの恋人になっちゃうのか。やだなー…」
「ポポタ、ちゃんと集中して」
「わーんっ。憧れだったのに〜!!」
「………。恋人にはならないよ。だからちゃんと勉強しよう、ね」

「なるよ〜。どうして告らないの〜???お兄ちゃんの臆病者〜」
 しつこくせがむ妹に困って、僕はついに本音まで出さないといけなくなってしまう。

「臆病だからじゃないんだよ。言えない理由があるんだ。良く考えてみてよ。僕は、自分の記憶がないんだよ……?」
「うん。だからな〜に?」
「もしかして、僕がすごく悪い人だったりしたらどうするの?それこそフラウスが可哀相だよ」
「ニーズお兄ちゃんは、悪い人じゃないよ」
「わかんないよ?それに、恋人がいたら僕はふたまたになってしまうよ。思い出してから「はいさよなら」なんてワケにもいかないんだから。思い出すまでは何も言えないよ、僕は」
「ぶう〜」

「内緒だよ?誰にも言わないでね。きちんと思い出して、その時にフラウスの事はちゃんとするつもりなんだから。ね」
「はぁ〜……」
 ポポタはため息して悔しそうに机に突っ伏して、妹のパルは「ちえーっ」とふくれて部屋を出て行く。
 子供にまで諭されてしまって苦笑していた僕は、ポポタに真似て、椅子に背もたれて大きく息を吐いた。

**

 花祝いの当日。
 村の中央のもみの木にはリボンや花飾り、大きな鈴などが飾り付けられ、村長が手にした聖なる篝火は松明に煌々と燃えて揺れていた。
 小さな北方の村に、ひっそりとした夜の帳が下り、女神の登場を待つ人々がもみの木の下でさざめき合って揺れる。

 松明を掲げ持つ村長と、ポインセチアの赤い花の詰まった篭を下げた孫娘。
 木の周囲には村人が総出していた。

 ざわめきが沸き起こり、女神の登場を示す。
 銀の髪を後ろで三つ編みにした私は、ポインセチアの花飾りを頭にかぶせ、白い衣装でもみの木の前に静かに歩み寄る。
 この日のために村人が編んでくれた、白いニットドレスでした。
 スカートの裾にはふかふかの綿毛のような装飾、長い二の腕までの手袋にもふかふかの飾りがついていて、恥ずかしいくらいに手が込んでいてくれました。
 私の晴れ姿だと、村長の奥様が丁寧に用意して下さった特別な衣装。

 村人に注目されながら進み、私はちらりと人垣の中にニーズさんの姿を探している。けれど、日暮れた中、人の顔は暗くて、一瞬では到底見つけることができずに……。

 女神役の私は、不安を抱えたままに、松明を掲げる村長の前に恭しくかしずく。
「女神様が着て下さった…!皆の者、喜ぶがいい!今年も、この村に女神様が祝福に着て下さった。さぁ、今宵は女神様のために謳おうではないか。女神様を村の皆でもてなすのじゃ……!」

「わああああっ!女神様〜!」
「とても綺麗!女神様〜!」
「ようこそ!女神様!ムオルの村へ!」

 女神の周囲を子供たちが固めて、輪を作り、声を揃えて喜びの唱に手を繋いで回る。
 自分には…、勿体無い栄誉でした。
 子供の輪の中で、喜びの唱に賞されるなんて。村人たちは手を叩き、それぞれ歓迎の言葉を私に投げては笑う。

 人の中からニーズさんも姿を見せて、私はその笑顔にうっかりと赤面して、照れて視線を反らしてしまう。
「ようこそいらっしゃいました、女神様。とてもお綺麗です」
「…………!!」
 本当は、女神の役として、返事をしなければならないところを、私は何も言えずに、うろたえる事しかできませんでした。

 合唱が終わり、村長の導きにより、私は孫娘のマリーからポインセチアの詰まった篭を受け取り、腕に下げます。
 そして右手に村長の掲げた松明=聖なる篝火を受け取ると、振り返り、周囲を賑わせる村人たちの顔をざっと見回した。
「女神様はこれより、我々の家を一つずつ訪れて下さる。従者を一人お連れ下さい女神様。村の者から男を一人、女神様の往く道を守って見せるでしょう。誰か名乗り出るものはいないかー?」

「はいはい!女神様!僕行きます!」
「おほん…。私などでも良いでしょうか、女神様…」
「俺もっ!女神様〜!」
 数人が手を挙げて前に出てくる。

    まさか。彼が手を挙げるのを見て、信じられずに、私は息も忘れて立ち尽くす。
「私もお願いします。今宵の従者は是非私にして下さい」
「あ……」
「ええ〜。なんだ…。ニーズが出てくるとは思わなかったよ。こりゃあ勝ち目はないか…?」(笑)
「姉ちゃん、どうするの?誰にする?」
「そんなの決まってるわよ。ニーズお兄ちゃんでキマリよ!」
 村人たちの囃す声も、どこか遠くに耳をすり抜けて……。

「さあさ!女神様。誰を連れて行かれますか?」
 皆が、私の返事に視線を集めるのにどきりと構える。
 まさか。…嬉しかった。でも……。

 右手に松明を持ち、左手で口を押さえ、私は俯いて何も言えない。
 だんだんと皆は焦らされて、不安に思い始めているのが解ってしまう。
「フラウスお姉ちゃん。こっちこっち」
 腕を引っ張って、マリーは私を促し、ニーズさんの前に連れて行く。お気に入りの赤いダッフルコートに赤いリボンで、今日はいつも以上におしゃれでした。

 心苦しくて、とても口にできそうにない私を困って、マリーはニーズさんに目配せをして、少し離れて見上げている。

「今年の女神様は、とても恥ずかしがり屋のようですから…。松明は僕が持ちましょう。ご案内いたします」
 ニーズさんは私から松明を取り、左手で私の背中を押して、民家への道を歩き出す。
村人たちは従者の決定に喜んで、拍手を贈り、出迎えるためにそれぞれ各自の家に早歩きで戻って行った。

 手を取って女神を案内始めた従者は、顔を上げられない私の顔を心配して覗き込み、こっそりと悪戯な笑顔を耳元に届けました。
「どうしたの?せっかく可愛いのに、勿体無いよ?今日は君が女神様なんだから…。ね?」
「はい……」

 私は始終恥ずかしくて、でもとても嬉しくて…。二人手を繋いで各家を訪問して回る、その間中が夢心地で足がふらふらしていました。
 雲の上を歩いているような気持ちでした。
 更に各家では、「お似合いですね」と声をかける人も多く。その度に私は言葉を失ってしまうのでした。

「女神様、ありがとうございます。これ、お菓子です。どうぞ」
 篭に詰めた花を配り、お礼に村人はお菓子や花などの小さな贈り物を返します。渡した花の代わりに、篭には贈り物が詰まってゆく。
 それは女神役の娘への祝福でした。それはそのまま私への贈り物になります。

「ありがとう。どうぞこの家に、幸運が訪れますように……」
 従者の持つ松明の灯から、家の者が渡したロウソクに灯を点け、燭台の器にロウソクを戻す。
「ありがとうございました。女神様にも、幸運が訪れますように」
 お互い祈り合い、女神はまた新たな家へと出向いて歩く。

 篭の中には、贈り物がいっぱい詰まっていました。
 最後に自分の家に訪れ、赤い花を玄関の扉内側に飾り、ロウソクに灯を灯し、台所のテーブルの上の銀の皿にロウソクを立ててほっとする。
 後は、この松明を返しにもみの木の元に帰ればいいだけ。

「待って、女神様。これ、贈り物です」
「えっ……」
 ずっと従者として一緒にいたニーズさんからもお返しを受け、私は不意を受けて涙が滲みそうに感動していました。
「ありがとうございます…。どうぞあなたに、幸運が訪れますように……」

「大丈夫?寒くない?後は返して終わりだよ。行こうか」
「はい……」

 優しい言葉が嬉しくて。贈り物の小さな箱は篭の中でも一際光って見えて。
 手を取られた私は、胸をドキドキ鳴らしながら、最初のもみの木までの道を案内されて戻ってゆく。
 先を歩くニーズさんの横顔には、毎日、今日も、苦しいくらいの想いが込み上げてきます……。
 この後、従者から感謝のキスが待っていました。
 恋人同士、夫婦なら口付ける。子供なら頬や額など。そのどれであっても、私には嬉しすぎます。
 胸は張り裂けそうで、一言でも喋ってしまうと、呼吸が止まってしまいそうに苦しいです。

 もみの木の下には村長だけが待ち、すでに弱くなった松明の灯を落とし、木の根元に穴を掘って埋めます。
 いくつか残っていた赤い花を木に飾り、最後に頭に被っていた花飾りを外し、木の枝の一つにくぐらせる。

「どうぞこの村に、幸運が訪れますように……」
「ありがとうございます。女神様」
 祈る女神に、村長は別れを告げる。
「そしてどうぞまた来年も、この村に祝福を」
「ありがとうございます。女神様」
 花冠を枝にかけ、戻ってきた私を従者は迎えて、優しく微笑む。預かっていた贈り物の詰まった篭を私に戻し、彼の手は私の両肩にそえられた。

 青い瞳に私が映されていて……。
 篭を両手に、強張った私は目を閉じて、小刻みに震えながら、身構えて彼がふれるのを待っていた。肩に乗っている彼の両手が熱く感じられて、火傷してしまいそう……。

「お気をつけてお帰り下さいませ。女神様。また来年もお会いしましょう」
 痺れを右の頬に感じました。
 ニーズさんが、初めて私の頬にキスしてくれた。
 毎日のように盗むように、寝顔に口付けていた私でも、彼から触れられる事には面識がなく、キスは全身を撃つ稲妻にさえ思えました。

 目を開けて、触れたのが彼であったと確認すると、それから、
「……いつもありがとう。フラウス」
「あ……」
 再び彼の顔は近付いて、今度は左の頬にキスを受ける。
「女神様はお帰りになられました。僕は彼女を送って行きます」
「ご苦労であった。気をつけてな」

 頬を紅潮させたままの私は帰りも手を引かれ、務めを終えて家路に着く。
 冬も近いと言うのに、耳までも私は熱く燃やしている。
 繋いだ指先から、伝わってしまいそうで、やはり私の視線は地面ばかり見つめていた。こんなにも、この人が好きで仕方がない……。

**

 各家のロウソクの灯火が、今晩は窓からうっすらと伺えた。
 緊張のしっぱなしで疲れたのか、フラウスはすぐに休み、僕は暫く台所で灯すままのロウソクをじっと見つめて座っている。

 ロウソクの横に置いていた篭の中には、お菓子などはそのままに、僕の贈った箱の姿だけが無くなっているのにはっとする。
 僕は思い立ってフラウスの部屋を覗き、枕元に開かれた包み紙に正直な感想で、彼女を可愛いと思った。

 贈ったのは銀のブレスレット。少し前に行商人が来た時に目をつけて購入していた品物で、すでに彼女の手首に納まっているのに微笑む。
 気持ちとしては、本当はあの場で口付けしても構わなかった。僕も彼女のことが好きだから。

 朝、彼女のキスで目覚める事も知っていた。
 時々、僕が彼女の寝顔に返している事は、きっとフラウスは知らないのだろうな。そう思うと、自分は卑怯だなと思う。
「……ずるいよね。ごめんね……」
 せめて君がこの冬幸せであるように。
 祈った従者は、眠る女神の髪を撫でて唇を合わせる。

 言葉にすることは、本当はいつでもできた。
 でも、今は言えないから。早く自分を取り戻したい。

 今夜も願い、僕は眠りに落ちてゆく。
 また二人で迎える、春を信じながら。



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