ランシール編1後、Wニーズの誕生日のお話です。




「19年目」


 なにげない朝、目が覚めると、新しく枕元に花が飾ってあるのに気がついた。
 夜のうちにシャンテさんが飾っていったのか、鉢に植えられたマリーゴールドの花びらがオレンジ色に輝いていた。
 顔を拭き、着替えて僕はいつものように廊下へと出て行く。

「おはようございます。ニーズさん!」
 隣の部屋から待っていたかのようにリュドラルが飛び出して、挨拶に笑顔し、近付いてくるのを迎えると僕は訊ねた。
「……?おはよう。……どうかしたの?」
「皆さん待ってますよ。急ぎましょう」
 朝食はこの別館の食堂で取るのだけれど、引っ張って行かれた僕は装飾された食堂の姿に面食らっていた。

「ニーズさん誕生日おめでとうございます!!」
 扉を開けたリュドラルから、開始の合図のように嬉しそうな音頭がとられる。
「おめでとー!元ニ!!」
 迎える仲間達は一斉に拍手で、アドレスは笑顔で僕の頭をかきむしった。

「おめでとうございます勇者様!!」
 その後ろから顔を覗かせる聖女の弟。
「勇者ちゃん19歳おめでと〜〜〜!!」
「お誕生日おめでとうございます」
 陽気な商人の横で金髪の少女も頭を下げていた。

 部屋の壁を花が彩り、ポンポンとクラッカーが高く弾ける。
 大きなテーブルには大きなケーキとたくさんのご馳走が並べられていた。

「………。な、なんで……」
 知っているんだろう?答えは僕のすぐ傍にある。
 隣にいる友の顔を見ればすぐに納得することができた。アリアハンで子供の頃から近くにいた彼なら誕生日を覚えていても不思議はない。

「さあさあ、ニーズさんの席はこっちですよ♪」
 聖女二人や、シャルディナ、アドレス、クロード、ラルクと皆が揃っていて、僕はいわゆる誕生日席に案内され、腰をつかされる。
「姉さんは夜に来ますけど、ケーキは姉さんが作ったんですよ。僕も少し手伝いました。どうぞ召し上がって下さいね!」
 右手側、一番近い席にはリュドラル。左手側にはアドレスが座る。

「こほん…。あの、勇者ニーズ様。お誕生日おめでとうございます。良ければ勇者様のために歌わせて下さい」
 席を立ち、あらかじめ用意してあった別席のステージで歌姫、シャルディナは竪琴を手に挨拶をしてくれた。もちろん断る理由もなく、僕のための演奏に感謝して、静かに耳を傾けることにする。

 美しい歌声に聴き惚れながら、横のリュドラルがシャンパンを促すのでグラスを差し出し、良い香りの美酒を口に含む。
 こんな誕生日は初めてかも知れないと思った。
 アリアハンでも国や町の人々が祝おうとしてくれたけれど、その頃の自分はまだ喜ぶ事ができずにいたから……。

 金髪の少年は満足そうに微笑み、グラスを差し出したアドレスにも注いで、皆にお酒を振舞って移動していた。
 素直に人に感謝できる誕生日、なんだか嬉しくて、少し照れくさい。


「ケーキ食おうぜ!ケーキ!特製二段生クリームケーキだかんな!♪」
「あなたは最後よ」
 今日もターバンの商人ラルクは気が急いて、その手を聖女ラディナードに叩かれて引っ込める。反対側でもう一人の聖女がケーキを切って僕に手渡してくれた。
「どうぞ、勇者様」
「ありがとう」
「勇者様あの!これプレゼントです!受け取って下さい!!」

    大きな箱を抱えて言った、クロードに対して僕は当然、「ぎょっ」とするのを覚えていた。この聖女弟に対しては嫌な記憶が有り過ぎて……。

「勇者様、弟と二人で選んだものです。宜しければお使い下さい」
「ラディナードさんと……?」
 なら大丈夫かと安心して、一抱えもあるほどの箱の包みを開く。プレゼントは外套や荷物袋、水袋など旅に必要になりそうな物が一式。
 品はそれぞれいい物のようだったけれど、貰って困るような物でもなくて、さすがはラディナードさんだと思った。

「勇者様は、オーブが見つかった以降はこちらを離れてしまいますから…。お役に立てば嬉しいです」
「ありがとうラディナードさん。クロードも」

「俺もプレゼントあるんだよな〜!じゃーーーん!♪」
 目の前にラッピングされた紙袋が割り込んで主張する。自分が一番いい物を持って来たと自慢げに、ターバンの商人は割り込んでごきげんだった。
「なんか嫌な予感がするな……」
「そう言わずにサー。開けてみてよ♪」
 気乗りしなかったけれど、しぶしぶと紙袋を開けて中の物を取り出してみた僕は、    そのままそれをしまい直した。

「どう?どう?いいだろ〜?」
「ますます君が嫌いになったよ」
「限定レア物!手に入れるの苦労したんだぜ〜。ビビアンちゃんの未修正写真集。魅惑のFカップ!」
「まっ、またあなたと言う人はっっ!!そんな低俗な本を買って来て!!」
「後で一緒に弟くんも見るぅ?社会勉強のために」
「見ませんっっ!!…はっ!?」

 いつものように激怒するクロードは唖然としているシャルディナに気がついて、慌てて瞬間移動して手を握る。
「シャルディナ!あ、あの、見ないからね!僕はそんな淫らな男じゃないから!君だけだよっ!」
「あ、…う、うん……」

「ラルクさん…。懲りない人ですよね。実はからかって遊んでるんですよね?ニーズさんのこと……」
 明らかに憮然としていた僕の隣で、同じようにリュドラルは呆れてジト目で彼を見つめていた。それでも反省するような繊細な彼ではない、残念ながら。
「だって、19歳だろ?勇者ちゃんも大人の階段昇るシンデレラじゃん?人生の先輩として考えた末にコレにしたんだけどなー」

「ちょっと見せてくれよ。(ぱらぱら)……ふーん……」
 僕とリュドラルの間から紙袋を奪って、おもむろに雑誌をアドレスの指がめくってゆく。唐突の行動に僕らは反応が遅れて……。

「(人間の)女の身体ってこんな風になってるんだ。へー……」
「あ、アドレス……?」(汗)
「おおおっ!なーんだ、話の解る奴いるじゃん!どう?いいだろ?」
 ラルクはアドレスの肩に腕を乗せて、下品な笑顔で仲間を増やそうとするけれど、アドレス本人は淡白な顔で眺めているに過ぎなかった。
「あんまり好みじゃないな〜…。人間には興味があるんだけど……」
「………。アドレスにあげるよ、それ。僕いらないし」
 しげしげと恥ずかしげもなく熟視しているアドレスに、僕はそのままその写真集を押し付けることにして、座り直してケーキに口をつけた。

 聖女ジードやシャルディナからも嬉しい事にプレゼントを貰い、最後に共に戦う仲間の二人が顔を見合わせて僕を誘う。
「実はニーズさん。聖女様に外出の許可を貰っているんですよ。これからアリアハンへ行きませんか?」
「そうそう、こっそりとな。俺もアリアハンへは行ってみたいんだな。お前の故郷なんだろ?」

 …しずかに、胸が高鳴るのを覚えていた。
 そう、ずっと、アリアハンを魔物が襲ったあの日から、僕は一度も故郷に帰っていなかったのだから……。

**

 『勇者ニーズ、誕生日おめでとう!』
 実は三年ぶりに帰った故郷は、見事に勇者の誕生日祝いに盛り上がってしまっていた。
 城下町に祝いの垂れ幕、あちこちに花が飾られ、今日の夕方には勇者一行のパレードも行われるらしい。告知の看板が町にひしめき合うほどに。
 とは言っても、その『勇者』とは僕のことではなく、もう一人のニーズ。
 本当にパレードやるのかな?と首を傾げながらも、お祝いに浮かれるアリアハンの町並みを久し振りに友と三人で歩いていた。


 三年も経てば町並みには変化が見え、新しい店、今も変わらない店、新しい建物…。自分の家の前まで来ると、さすがにそれ以上僕の足は進まなくなっていた。

 アリアハン城下の外れの方、小さな二階建ての家。
 さまざなな想いが甦って、顔を隠すためにかぶったフードを更に深く引き寄せて、僕は無言で俯いていた。
「これが元ニの家か…。母親には会わなくていいのか?弟には会えないとは言っても、見るぐらいいいんだろ?」
「ちょっと見て着ましょうか、僕。エマーダさんいるんじゃないですか?」
 仲間二人の言葉はありがたかったけれど、僕は首を振って体を反転させていた。まだ帰れない僕は、会ってしまうと決意が揺らいでしまいそうで……。

「ここにこれから弟来るんだよね?リュドラルにプレゼント預けてもいいかな?何か買い物しようよ」
「いいですよ。じゃあ商店街へ行きましょう」
 フードをかぶって顔を隠したまま、僕と二人は商店街の各店をプレゼントを探してアテもなく彷徨う。

 服を見たり、武器を見たり、道具屋、雑貨屋……。
 勇者の誕生日祝いのために近隣からの観光客も多く、町並みには人が普段よりも激しく行き交っていた。
 そんな中で僕はなんだか『気になる物』を発見して、足が数歩戻って止まる。止まった僕はそのまま余りの事に呆然としていた。

「何これ……」
「うわっ。な、なんだこれっ!?」
「…………!?……元ニ???」
 等身大の僕に似た人形、いや、どちらかと言うと風体は弟の……。いつの間にか見た事もない勇者グッズのお店ができていて僕は内心引いていた。

「うっわ。気持ち悪いなああー…。何だよコレ。ちょっと覗いて見ようぜ」
 店の入り口の「等身大勇者ニーズ人形」に閉口しつつも、店内に恐れも知らずに入って行ってしまう竜の生き残り。
 残された僕は客に絶対に気づかれないように、こそこそと店内に追いかけて入る。

「…そう言えば、ワグナスさんが言っていたような気がしますよ。商人のナルセスさんが新しく町を作るとかで、そこで勇者グッズを販売していて…。アリアハンと競争が激しいとか……」
「へ、へえぇ…。そうなんだ…。ニーズも大変だね……」
 リュドラルにこぼしながら、自分じゃなくて本当に良かったと思った。
 なんか寝起きの写真のブロマイドとかも売っているし、誰が撮ったんだこんなの?と思ったら裏に撮影「W」って……。

何やってるんですかあの人は。

「他の仲間のもあるんだな。これがお前の妹か?エルフの魔法使い」
「うん……」
 仲間のブロマイドを物色しながらの、アドレスの質問には思いがけずに胸がざわりと音を立てる。気づいたのか、アドレスは赤い瞳でじっと僕を見つめた。

「同じように竜の血を引いているんだよな。会ってみたいな」
「……………」
「アドレス君は会ってもいいんじゃないかな。紹介するよ?僕」
「…こっちは?ランシールの僧侶だな。……と……」
「?サリサちゃんだよ。どうかした?」

 同じように売られていた「僧侶の女の子」の写真を見て、不思議な反応をアドレスが見せる。リュドラルは顔を覗き込んだ。
「………。おかしいな。何処かで見たような気がするんだ。こいつ……」
「え?……。アドレス君が見たことあるって……。どういうことだろう」

 全部の写真を見ては、何処で見たのかと思案に暮れていたアドレスは、「なんか気になるから1枚買っておく。これ下さい」と、速攻で1枚選んで会計に走っていた。
 僧侶サリサは地球のへそに入った事はないし、彼と接触する機会があったとも思えなくて、気にはなったが理由が解ることもなかった。

 結局ニーズへのプレゼントは色々考えて「変装グッズ」(カツラ、眼鏡。髭)にしておいた。(多分喜ばれると思う。だって変装したくなるよ)

 買い物終えた僕は午後の町並みに、聞き覚えのある声を見つけてしまい、不意に足を止めて凍りついた。
 数歩進んでいた連れの二人が戻って来て、訊ねる前に二人も「その人物」の存在にハッとする。

「今日はパレード楽しみですねぇ。息子さんはもう戻られてるんですか?」
「いえ、まだ…。楽しみですね。私もお城のパーティに参加させて頂くことになっているのです。今から緊張してしまって……」
 顔見知りの店員と談笑している婦人。
 少し痩せ気味ではあるが、美人と言えた。黒い髪の女性。

 戸惑う僕たち三人の一人、リュドラルを人波の中に見つけてしまった母親は店員から離れてこちらに挨拶にやって来る。
「まぁ、リュドラル君、お久しぶりね。……?……ニーズ……?」


 青い瞳同士が視線を重ねて、
    僕は、「演じて」ぎこちなく微笑むことになった。

 指を一本口の前に立てて、母を沈黙させた。
「黙って、母さん。今誰かに見つかるとやばいんだ。…俺に会った事は、誰にも言わないでいて」
「…………。そうなの。分かったわ。……
 不思議な緊張感が流れて、母親も神妙な顔に変わっている。
 目の前に見つめていると懐かしくて、思い出すと唇を噛みしめて俯いて、重い沈黙に耐えかねた僕は人ごみからそれて母に話しかけていた。

「久し振りだね。…元気にしてた?」
「…ええ。大丈夫よ。…あなたの方が痩せたんじゃないの?ちゃんと食べているの?」
フードはかぶったままの僕の頬に細い指を伸ばして、母親は息子を気遣ってくれた。嬉しかった。
「母さん……」
 今日は僕の誕生日だから、一時だけ甘えることを許して貰えないだろうか。
 僕は誰にでもなく贖罪を求めていた。
 両腕に細い母親をぎゅっと抱きしめて。

「一緒に居られなくてごめん………。どうか、元気でいて……」
「……………」
「これからパレードの打ち合わせなんだ。またね、母さん」
 そっと両腕をほどいた、僕は小さく手を振る。

「誕生日、おめでとう…。ニーズ。愛しているわ」
 母親は神妙な顔つきのまま、名残惜しそうにいつまでも僕を見つめていた。
 賑わう町並みの中に、僕が消えてしまうまで。

**

 空は闇に染まり、美しい月が支配し夜の町並みを照らす。
 賑やかな音楽、人々の歓声、舞い散る紙吹雪の中勇者ニーズ一行はそれぞれ着飾って城下町、王城からの大通りを手を振って行進していた。
 しかしアレだね。うちの弟はもっとこんな時ぐらい、愛想良くできないんだろうか?とため息をついたよ。

 人ごみの中からこっそり見つめて、僕は夜と共に現れたシャンテさんの元に引き返して行く。
「あちらの勇者様も大変ね」
 美女はくすりと笑って、同情する僕も苦笑に嘆息する。

 勇者一行の到着と合わせて、彼女の弟はそちらの面々に挨拶に行き、アドレスは気にしていた僧侶を近くで見たいと別行動になっていた。
 (紹介されるのは断ったらしい)

「ところで勇者様。ランシール神殿に勇者様宛ての手紙が届いていたのです。こちらなのですが、お心当たりありませんか?」
「手紙……?」
「送り主の名前もなく、確認のためにこちらの判断で中味を確認させて頂いたのですが、簡単なメッセージカードでした。一輪の花と共に」

「……………」
 白い封筒に手書きの宛先、「勇者ニーズ様へ」
 封筒の中には市販のバースデーカード。挟んで一輪の押し花。

 花はスノードロップ。春を告げる希望の小さな白い花。
「…………」
 カードには市販の「誕生日おめでとう」の文字だけで、他には何も文字は書かれていなかった。小さな雫のような形の白い花。寒冷地に良く見かける、馴染みの深い花ではあった。少なくとも、僕にとっては……。

「………。勇者様、…この花、人に贈る場合は不吉な意味を持つのです。ご存知ですか?」
 『希望』とは、両極端の花言葉。もちろん僕は知っていた。
 差出人に心当たりのあった僕は、手紙を胸にしまう。
 心はもうあの場所へと飛んでいる。確かめに今の僕なら行ける。

「すみませんシャンテさん。少し行く所があるんです。必ず帰りますので一人にしてくれますか」
「………。必ずですよ、勇者様」
「はい。ではまた」
 街道から離れて、パレードの歓声を遠くに聞きながら、僕は冬の村へとルーラの呪文で飛んで行く。


 離れて数ヶ月、二年以上も過ごした村は夜の中ひっそりと静かに僕を待っていた。そのまま来てしまったために気温の低さに震えて、急いで彼女と暮らしていた家の扉へと向かう。
 鍵は開いていた。
 こんな辺境では家を家捜しするような者もなく、家を出た時のまま、誰も住まずに放置されていたらしい……。
 僕の部屋に入ると、弟からの伝言が残っていた。
 いくつかの防寒具を借りたとの伝言が。それ以外特に変わったものはない。

 ない……?


    それが逆におかしい。
 どうして数ヶ月も経っているのに埃も積もっていないのか。
 慌てて僕は彼女の部屋に駆け込んでいた。扉を叩き開けて、彼女を追いかける。物音が確かに聞こえたと思った。
 部屋の中には、黒い服の少女の影が横切る。

「フラウス   !!」
 見えたのはほんの一瞬の後姿、それは確かに彼女だった。美しい銀の髪を三つ編みにして結び、黒一色のワンピース。
 窓がバンと開いて冷たい北風が舞い込み、腕で避けた隙に彼女の姿は忽然と消えている。
「待って!フラウス    !!」
 開け放たれた窓の手すりに手をかけて声の限りに彼女を呼んだ。
 答えたのは冷たい夜風ばかりで、心とともに一挙に体も冷え切り震える。

「…………」
 白い息を吐きながら、それでも僕は窓を閉める事ができなかった。

「…………」
 どうして追いかけるんだろうね。
 別れを決めたはずだったのに。今更何を言おうというのか。気持ちは伝えた、でもお互いは一緒に居られないと彼女は拒んだ。
 僕も認めた……。

「…風邪を、ひきますよ。ニーズさん……」
 彼女は目の前にふっと降りて来て、そっと窓を両手で押し戻して閉めた。
 お互いに境を作って、同時に越えないで下さいと意思表示する。
「魔法、使えるようになったんですね。おめでとうございますと、言っておきます」
「フラウス……」
 ガラス越しに見下ろす彼女は、意味深に俯き、僕とは目を合わしてはくれない。

「……。カードありがとうと、言うべきなのかな。…君が人に贈る場合の花言葉を知らないわけはないんだけど……。あれはそう言う意味なの?」
 白い花の色が、「死装束」にも見えることからと言われているが……。
 
 もう一つの花言葉は、『あなたの死を望みます』。

 冷たい窓ガラスに手をつけながら、多分僕は弁解を求めていた。
 けれど彼女は否定してはくれなかった。
「私が消えるか、あなたが消えるか、ですよ……?でも、今日は特別ですから……」

「きっと来年は言うことができないでしょう。だから今年は言いますね。お誕生日おめでとうございます。ニーズさん……」
 余りに久し振りに見た気がして、果てしなく悲しさが襲った。どこか儚い彼女の微笑み、窓ガラスが息で雲って彼女を隠してしまう。

「あなたには、『希望』だけが届きますように……」
 曇った窓ガラスの向こう、彼女は振り向かずに離れて行く。


 僕は、追いかけることができなかった。
 追いかけても、「同じ事」しか言えないことを知っていたせいで。
 寒々しい部屋の中にいつまでも白い息を吐きながら、もう一度、彼女からの手紙を手に広げては途方に暮れる。
 彼女の強い決意。頑なな背中。僕だけがいつまでも煮え切らないでいる。


 『あなたの死を望みます』
 彼女がこんな事を望むはずがなかった。
 彼女が望むものは、彼女自身の死。

**

 二十回目の誕生日、また彼女に会うことはできるだろうか。

 今日は僕が生まれて、十九年目。



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