「敢然と立ち向かう」



 大魔王の封じられた島、ラダトーム城のすぐ対岸に見えながらも、人の足では到底辿り着くのが困難な邪悪の居城。
 アレフガルドは太陽の光失くして久しいが、大地にいくらかの植物の姿は見えていた。しかし、この島には到底緑と言えるものが生息していない。
 険しい針の様な山岳。冷えきった硬い大地。至る所より泡を噴く毒の沼地。これまでより俄然凶悪な魔物が蹂躙していた魔境。

 極力戦闘を裂け、最低限の休息を取りながら魔王城へとひた走る。
 幸い最短ルートは月の欠片が指し示す、細い光が教えてくれていた。城へ近づけば近づくほど、闇が濃くなるのを痛感し足は急く。
 一刻も早く、【器】と化した兄を解放するため     
 

 いよいよ、ゾーマ城が目前と迫ると、城門に巨大な影がうずくまる姿に岩陰に身を潜めた。息を殺し伺うと、自身に首を巻きつけ、今は静かに眠っているように見える。周囲には激しく争った跡。血痕。焦げた城壁、土の匂い。
 ここで魔竜キングヒドラと勇者オルテガが争った。
 

「……私が、悪かったのです。エマーダさんの婚約指輪を捨てたから」
 父と二人で行動していた、エルフの魔法使いシーヴァスは、独り言のように惨劇を語った。捨てられた指輪を発見していた兄。元々在った憎しみに火が付き、兄妹は武器を手に対峙した。当然父親は間に挟まれ、葛藤に陥った。
 オルテガは記憶を取り戻したが……。
 息子の怒りは治まらず、彼の剣は父親に引導を渡し、当の息子も闇に呑まれた。



「あれは、魔法使いファラですね。間違いありません」
「…………!」
 因縁の魔法使いと火山で相打ちした、賢者が驚いたように宣告した。あそこから生き返るとは、ワグナスですら青くなる。一体どのような手段を使ったのか……。
「そ、そうなのですか?そ、んな……」
 聞く瞬間まで、シーヴァスは【父の仇】と敵意に睨んでいたはずだったのに。


 まさか生きていたとは……。

 死神の弟が【竜族の生き残り】と知り、妹などは人と生きる道を説得しようと試みた。失敗に終わり、奴は賢者のマダンテに敗北した。
 明らかに、もう仇とは思えなくなり、対処に迷う妹の息遣い。
 
 あまり、思考に暮れている時間は無かった。
 こうしてる間にも、闇の浸食が深まってゆく。兄が永久に戻らなくなってしまう。それだけは絶対に阻止したい。

 俺が発言する前に、妹は素早く心を決めた。


「お兄様、ここは私に任せて下さい。すぐに追いつきます」
 声には気合いがこもっていた。瞳に迷う色もない。
「俺も付きますよ。安心して下さい」
 察してナルセスが右手を上げた。賢者となったナルセスが一緒なら、まぁ、大丈夫だろう。何より相手は手負いの竜だ。ヒドラ族の特徴たる首も、もう1本しか残っていない。これで苦戦はしないと踏んだ。

「任せた。無理するなよ」
「はい!」
「がってんしょーち!」

 心配するとすれば、妹の甘さだが……。


「シーヴァスさん、説得してみてもいいですが、もう、完全に彼は【魔物】となっている可能性もあります。諦め時も忘れないように」
 念のため、ワグナスが注意を残した。


 魔竜の前に奔る二人。
 魔竜がそちらに注意を向けたスキに、城内へと奔る一行。俺は、


 勇者オルテガと、
 ニーズと、


 どうしようもない結末の痕跡に意識を爆ぜながら、光るものを見つけ    即座に掴み、駆け抜けた。最後に城に転がり込み、手袋の中に灯る光。

 事の発端となった、命の指輪を手に入れた。



「ギャオオオオオオオーー!!!」



 城外に轟く魔竜の咆哮。しかし、後退する者は居ない。

「行くぞ!」
 仲間を信じ、先を急ぐ。


==


 ……馬鹿だな。本当に馬鹿だ。
 ポケットにしまった指輪がほのかに温かい。

 父親を刺して、お前が壊れないワケが無いだろうに……。



 目に見えるようだった。
 手に取れるようだった。
 父親を刺して、世界を閉ざしたアイツの絶望が。




 城内は荘厳とし、不気味に美しい造りとなっていたが、残念なほどに傷や血痕、焦げ跡などに浸食され荒んでいた。
 所々崩壊し進めない場所もある。
 賢者ワグナスの魔法の灯りに薄く照らされ、急ぎつつも、慎重に進む列。先頭は灯りと合わせて賢者ワグナス。続いてアイザック、サリサ。思い詰めた俺に、気遣うように最後尾にジャルディーノ。

 城内に入り、すぐに回廊は左右に別れた。賢者は感覚で左へ進み、すぐさま、右への曲がり角の先に、魔物の気配に振り向いた。

「この階は竜の界隈のようです。どうしますか?」
「竜?!」

 今まさに、妹が魔竜を説得しようとしているさなか。
「彼らは知性のない、人と暮らせない型ではありますが、シーヴァスさんに死骸は見せたくないですね」
 竜と聞いて、特に女性陣は戦意を失う。サリサは明らかにすがる視線で見上げて来た。後から追ってくる、シーヴァスに竜の死体の山など踏みしめて来て欲しくはない……。


「寝かせていきましょう」
「解りました」
 最後尾より、赤毛の僧侶が申し出た。ワグナスも習い、それなら、とサリサも続く。眠り魔法の習得陣が、連唱しながら通路を渡る。

 侵入者に気づき、炎を吐こうとしたドラゴン達が、口を開けたまま、パタリ、パタリ、と綺麗に沈んだ。これだけの魔法使い陣のラリホーに、耐えられる獣もそうは居まい。
 起こさないよう、静かに、静かに、静かに……。長い回廊をやり過ごした。その後、右に曲がり、右に曲がり、城中央へと辿り着き、生き物の気配の無い広めの部屋へ。


「……。なんか、見たことあるような、石像ですね」
「バラモス城で見たな」
 正確には微妙に色が違い、一回り大きい。そんな石像が数体並んだ広間。部屋の中程まで進むと、案の定閉まる前後の扉。
「やっぱり襲ってきますよね!!」
 サリサのツッコミで戦闘開始。

 予想通りに、大魔神の石像達が襲い来る。意外にも動きは素早く、硬く、刃物での攻撃が効きにくい。バラモス城でも経験済みだったサリサは、その時有効だった呪文を炸裂。
「ザラキ!」

 何体かの動きが止まり、脆くも横倒れしたが、この上級種は耐性があるらしい。そのまま繰り出される重い打撃に、石床が粉砕する。かわしても尚響く衝撃。
 剣で撃っても、カキンカキンと表面が削れる程度で舌を巻いた。

「ザラキーマ!」
 それならば、と、コチラも死の呪文上級版が登場。ラーの化身が紅く揺らめき、不気味な靄が大魔神を包んだと思うと、そのまま数体がズシンと落ちた。
「さすがです……!」
 全ての像が動かなくなると、前後の扉が開き、先へと進んだ。

 奥には、無人の玉座。玉座周辺に青白い光がグルリと覆う。


「何だこれ?」
 戦士が触れると、バチリと痛みが奔った。
「離れていて下さい。……トラマナ!」
 ワグナスの呪文により、全くダメージを受ける事なく通過可能になった。ふと、後列の心配を口にすると、
「大丈夫です。ナルセスさんが使えます」

 なるほど。便利だな賢者。



 無人の玉座をバリアを貼って保護も無いだろう、と周囲を調べていると、玉座の裏側に隠し階段を見つけた。床板を外し、細い地下への階段を一人一人降りて行く。
 狭い部屋に出て、更に階段。地下三階はすぐに大広間に出たが、あちこちに落とし穴の見える、回転床のフロアが広がっていた。
 何度か落ち、下層の魔獣と戦い、ブツクサいいながら再挑戦。何度目かで成功した渡り方を、入り口から見えるように壁に刻んで先に進んだ。

 昏く、長い、細長い回廊が続く。
 陽気なナルセスが不在なせいもあってか、徐々に会話は減っていった。……疲労もある。
 無駄に、回廊が長い。うろうろと、無駄な時間を貪られている悪寒。



 ニーズが、近づく……。
 感覚で判るんだ。アイツがこの下にいる。

 馬鹿だ。……馬鹿だ。
 どうしようもない大馬鹿者だ。

     いや。違う。




 地下四階に突入する。闇の濃さで息が苦しい。勇者セットの俺は軽減されているが、邪悪に敏感なサリサはかなり顔色が悪い。この辺まで潜ると、逆に徘徊する魔物たちは激減する。
 魔物ですらも、敬遠する魔の深淵。

 角を回るように、回廊は進む。
 宝箱のモンスターを倒し、いくつかのアイテムを拾った。

 また、角を曲がる。そして、階段。


 階段を下りれば、地下五階。魔法の灯りが揉み消された。階段のすぐ下に、邪悪な存在が待ち構えていた。どうしようも無い異臭に顔を歪めた。


==


「ここから先へは行かせぬぞ……」

 忘れもしない腐敗臭だった。不気味に紫に変色した魔王バラモスが、ベトベトした右手を突き出しながら待ち構えていた。先頭の賢者の前に立ち塞がり、跳ね除けたのは隼の剣士。

「出たなカバめ。お前の相手は俺だ!」
 バラモスは、倒したと思った後、骨になってすらも復活し、亡国の王子を喰らった仇敵。必ず倒さねばならない宿敵だった。
 特に王子リュドラルと親しかったアイザックには、死んでも許せないカバ。

「ゲハハハハ……!ハラワタえぐってやるわ!」

「黙れ!」
 断りもなく高速戦闘が始まった。


 すぐさま、再度賢者が詠唱するが、どうやら魔法の灯りは闇が濃すぎて無理だと判断をした。燦然と輝く隼の剣士が光源となり、辺りが僅かに確認できる程度の視界。
 奥に誰かが居る。誰かなんて解り切っている。

 駆け始める俺に、サリサは前を遮り、先にアイザックを追った。
「私も残ります!ニーズさんは先に行って下さい!」
 アイザックの補佐にサリサが奔る。補助や回復、戦力的には問題は無い。残ったワグナスとジャルが、ワグナスが何か言う前にジャルの方が先に口を開いた。

「勇者を頼みます。ワグナスさん!」
「………え…!えええ?」
 申し出に、珍しくワグナスが硬直する。ラーの化身の真意が解らなくて、たたらを踏んだ。

「いいのですか?ジャルディーノさん」
 貴方の方が優秀でしょうに、と言わんばかりの確認。
「はい。最初から最後まで、ずっと勇者を導いていたのは貴方ですから」
「………………!」

 太陽神の気遣いに。優しさに、懐の深さに賢者は感銘を受け平伏した。
 ラーはルビスの従者にその位置を譲ったんだ。



 最後まで勇者を導く役割を。



「ありがとうございます。太陽神さま」
 深く敬礼し、俺の横へとつく。
「行きましょう!ニーズさん!すぐ先にニーズさんが居ます!」



 解っている。判るんだ。

 何一つ灯りの無い奥の闇の中に。


 手探りで、気配を探して、息を呑んで近づく。


 先には黒以外、何も見えない。靴底の感覚では、絨毯の様だった。玉座へ繋がる絨毯か?不意に左右の松明が火を噴き、ビクリと驚いて仰け反った。

 自分の周囲がいくらか見えるようになった。
 赤い絨毯。微かに水の音。浅い水場がが左右に広がり、中央の道が奥へと誘う。人一人分ぐらいは認知できるだろうか。 
 心許ない松明の灯りがあって尚、奥の詳細は判別できなかった。

 後方の戦いの音が、暫し歩いて全く聞こえなくなってしまった。
 後ろに続く賢者の気配と、、自分の急いた呼吸音のみ。不気味に、闇は静か過ぎた。感覚は、【地球のへそ】の内部に良く酷似していた。先の見えない、ひたすらの闇。

 思い出したように、王者の剣が鈍く発光を始めるのに気がついた。
 かろうじて光源を得て、僅かながら進みやすくなる。



 左右に、燭台が二本立てられていた。燭台の横に、二人の死神がボウッと浮かび上がる。
 不意にその燭台に炎が灯り、気を取られた一瞬後に、音も無く首に銀の鎌が当たっていた。
 背筋が凍った。跳躍にも軌道にも一切の音が無い。鎌を杖で叩き落とし、勢いのまま、ワグナスと死神ユリウスが転倒。燭台が倒れ、絨毯に火が付いた。

 反したもう一人の死神は、微動だにしない。瞳も前を見据えたまま。
 戦意が無いと主張していた。

「ニーズさん、貴方は先に……!」
「分かった!」

 死神と賢者との、戦いを背に、遂に俺は独りになった。
 剣劇が、魔法の詠唱が、背後に遠くなって往く。燭台の灯りが薄まる頃、繋ぐようにまた新たな左右の燭台が炎を噴く。


 うっすらと、視界の先に、玉座らしき造形が揺れ映り始めた。
 紅き天蓋。豪華な装丁。タペストリー。シャンデリア。玉座に人影。

 一歩。……一歩。



 人影は、ただ昏いのみ。動く気配がない。

「ニーズ……」


 お前は、馬鹿だ。
 いつも、そうやって。独りで。閉じ籠もって。

 襟の立った仰々しいマントを羽織り、左右に角と、大きな目玉の付いた兜。目玉は俺をギョロリと睨んだ。ドクロの首飾り。怪しく光る宝玉の付いたローブ。
 兄の瞳は、伏せたまま。うなだれ、眠っているのか……?



「同じだね」



 あの日の少年。あの日の笑顔。
 何時からか、とても遠く感じるようになった。

 
 馬鹿だ。……馬鹿は、俺だ。

 壊れるのも解ってて。アイツの復讐心に障らないように逃げて来た。

 お前にもっと、お前の憎しみにもっと、
 向き合って行かなければならなかったんだ……!



 大魔王の足元に、捨てたように【ルビスの守り】が落ちていた。


 やり直そう。
 帰って来て欲しい。
 


「帰って来い!ニーズ……!」



 けだるそうに、瞼は開いた。
 緩慢な動きで、虚ろな紅の瞳は、ユラユラと俺を認識する。

 鏡の勇者を見下し、静かに、右手が伸び、左手が伸びた。



 「何故もがき、生きるのか?」
「何故もがき、生きるのか?」


 聞き慣れた、兄の声にノイズが重なる。
 アリアハンに地の底から響いた、憎魔の波動が。おぞましさに、総毛が立った。大魔王の声は、足元から、地の底から振動として圧し上げてくる。


 「滅びこそ、わが喜び、死にゆくものこそ美しい」
「滅びこそ、わが喜び、
 死にゆくものこそ美しい」


 
 ……何を、言わせているんだ。やめて欲しい。
 兄に寄生した大魔王は、ニヤリと嗤い、その両手から死の猛吹雪を巻き起こす。


 「さあ、わが腕のなかで、息絶えるがよい……!」
「さあ、わが腕のなかで、
 息絶えるがよい……!」



 恐ろしい猛吹雪に、勇者の盾で必死に抗う。


 「帰って来い、ニーズ……!」
 ……敗けるものか。

 もう、俺は、お前から逃げないっ!






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