「暗転」 |
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勇者オルテガが、死んだ。 ……望んでいた筈だった。 血糊まみれで地面にズルリと落ちて、全く動かなくなったその身体を。確かめる手がガクガクと恐ろしいぐらいに震えている。 父さん。 父さん。 壊れた人形のように、繰り返す悲鳴。繰り返す思考。 父さん。父さん。 そんな、そんな………! どうして、感じてしまったんだろう。 どうして、知ってしまったんだろう。 刺されると知りながら、抱きかかって来た男の真意を。 父さん、父さん。父さん……! 何度、僕は壊れていくのか。 何も言わない父を揺さぶり、泣きじゃくり喚き散らした。 死なないで!死なないで! 嘘でもいいから、嘘でもいいから、 もう一度抱きしめてよ! 母さんを抱きしめてよ! 「いやだああああああああっ……!!」 殺したのは、貴方。 ……そうだ、僕が殺した。 愛していたのに。 貴方を愛していたのに……。 手に、感触が残っているでしょう? きっと、一生忘れないでしょう。 貴方が、殺した。 気づけば両手が鮮血に染まっていた。首を振って、声にならない悲鳴を上げた。 頭を押さえて、ガクガクと震えた。 父さん。ごめん。 父さん。ごめん。僕は、 僕は オルテガの時が止まり。 静かに残酷に、体温が消えてゆく。 いやだ。行かないで。 行かないで………。 『僕』という、闇に覆われた世界に、重たい幕が降りる。 ゆったりと、舐めるように。濃厚で塵一つの光も見えない。 【僕】という物語は、ここで一切の続きを失った。 切られた、スイッチ。完全なる、世界の終わり。 |
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何かの異常を察知したのだろう、全身、冷や汗にまみれながら、俺の眠りは瞬時に絶たれた。ガバリと跳ね起きると、同室で寝ている筈の元ニの姿が見つからない。ベッドはもぬけの空、布団は綺麗に二つ折りにされている。あろう事か、奴の剣が不在だった。 タンクトップにズボンと、いつもの姿のまま寝ていたのが幸いだった。ロングコートを引っかけて、匂いを頼りに最高速度で勇者を追った。 奔る先に、消えかけの【旅の扉】が見つかった。飛び込んだ先には大魔王の城。一秒だけ、息を呑んで、怯んだ。二秒目に、佇む元二の後ろ姿を確認した。 「元ニ!元ニ……っ!大丈夫かっ!?」 跳ぶように駆け寄る。背後には、一首となって朽ちているキングヒドラ。 元ニの足元に見知らぬ男、……の死体。その先に、エルフの魔法使いシーヴァスが倒れているのを感知した。 キングヒドラは、……アレだ。あの時の魔竜と同じ匂いに顔をしかめた。サマンオサで暴れ、レッドオーブを残して逃走した竜だ。つまりは、死神の弟の魔法使い。 賢者と火口で争い、相打ちになったのだと聞いていた。……生きていたとはビックリだ。 「元……ニ……!」 反応のない勇者の肩を掴み、揺さぶっては、息を呑んだ。 マイラと違い、こちらには粉雪が降り積もる。寒さに参っている暇などない。 悲しみに、声がかすれた。息は白い。しかし、世界は完全なる真っ暗闇に変貌する。闇に閉ざされた世界が、更に、更に、闇の濃さを増してゆく。 「元ニが……!居ない……!」 そこに立つのは、明らかに『元ニーズ』だった。 俺の認めた、ただ一人の勇者。同胞の生き残り。最後の竜の仲間。 だが、中身がいない。 魂が、気配が、元ニの存在を示すものが入っていない。完全なる【人形】。ただの置物。 なんだ。何が起こった。何がどうした。 「クスクス……」 嘆く視界に、突如、紅い瞳の死神が現れ、総毛立って飛び退いた。 白き勇者の背中に張り付き、後ろから、首に腕を絡ませ恍惚に嗤っている。 犯人は、コイツか。 「言え。元ニを何処へやった……!」 牙を剥きだして、吠えた。爪を閃かせ、殺意を隠さず身構える。 「クスクス……。居ますよ、ここに。ようやく、私の物になったのです」 「………!?うっ……!がはっ……!」 突然、激しい吐血に襲われ、全身を苛む痛みに、前のめりに膝を付いた。アレだ、肩代わりしている元ニの呪いが、体の中で暴れている。 「クスクス……。呪いの肩代わりなんてするからです。もう、解除もできません。数時間で死にますよ、あなた」 死神ユリウスの言葉は嘘ではないだろう。死期が近いことを自らも覚悟を決めた。ここまで来れた事が、逆に奇跡だったからな。 ここで、俺の命が尽きてもいい。 ……元ニが、使命を果たせるならば。 死神に掴みかかると、触れた先から凍結が始まり、冷気に弱い自分はたまらず、激痛に転げ落ちた。死神は、苦しむ虫を見下すように眺め、フッと口元で微笑むと、朽ちていた筈のキングヒドラが狂ったように起き上がり、女の背後に復活した。 瞬時に悟った。勝ち目がない。 俺一人で、死神と魔竜、分が悪すぎた。 ヒドラの王は、男の死体を吐いた炎で焼き払った。知らない人間の男だったが、なんだろう、何か酷く、嫌な気持ちに襲われるんだ。 ……そうだ。竜の血だ。男も竜の血を引いていた。 元ニの父親か…………! 父親の死体は灰となった。息子の表情に動きはない。 頬に涙の痕は残っていた。 匂いで解る。元ニの剣に父親の血がこびり付き、ポタポタと今なお滴り落ちている事を。元ニが殺した。それ故の涙。 「……てめえが、させたのか」 悲しみを抱えた勇者に、なんて仕打ち。……許さない。奴の幸せを永久に奪い続ける死神ユリウス。俺の全存在をかけて許しはしない。 「嫌ですわ。ニーズさん自身の願いですよ……」 声は優しく、下げる視線は背筋が凍る。薄笑いに隙をついて、爪で飛びかかったが、元ニごとスイッとかわされた。 煩い竜を黙らせるため、死神はヒドラに目配せをし、咆哮を上げて、残された首が攻撃を開始した。失っていた首から、幻覚のような首を生やし、能力は弱いがサポートとしては脅威すぎる。 「ぐはああっ……!」 足を噛まれ、持ち上げられ、吊るされる。そこへ複数の顎が牙を剥いて迫るのを、決死の雄叫び返し。効果は薄かったが、足の拘束が緩み、反対の足で蹴り飛ばして離脱した。 しかし絶体絶命には変わりはなかった。 飛びかかる事も不可能になり、すでに死神は俺の事など、眼中から消している。 死神こそ、勇者ニーズ以外の、何物も見つめてはいなかったんだ。 幼少時に、勇者宅を訪れた悪魔の日から。 「鬼ごっこ、私の勝ちですね。ニーズさん……」 満足そうに、死神は彼の顔のあちこちに唇を当てる。改めて、念入りに唇の感触を確かめると、濃密に口の中も舐め始めた。 「……やめろ。元ニを、どうする、つもりだ……!」 このまま、死神の玩具か。それだけでは終わらないだろう。 邪魔者が居た事を思い出し、死神は不服そうに行為を中断した。 「……ずっと、この日を待っていたんです。もう、彼は永遠に私の物」 普通の恋人が男にするように、死神は愛おしそうに勇者の胸に寄り沿った。 「私と、心も体も魂も、存在も一つになる」 大魔王の居城奥から、歓喜の波動が轟いた。 オオオオオオオ………! グオオオオオオッ………! 大魔王の待ち望む声に目を細め、死神ユリウスは、【世界の終結】へと、その歩みを踏み出した。ニーズの手を引き、恐ろしく穏やかに暗黒へと進んでゆく。 居城の地下へと。封印されし闇の意思へと。 「忌まわしき勇者によって、倒され封印された増魔(ゾーマ)様。寄り代としていた肉体を失い、暗黒の意識だけが、城の地下に封印されています」 「……やめろ。返せ……!ニーズを返せ……!」 自分が「泣く」と自覚したのはいつ以来だろうか。手の届かない闇へ、勇者が墜ちてしまう。俺の仲間が。友が。最後の家族が………!! 「このニーズさんが、新しい【器】になるのです」 足が動かず、ただ力なく伸ばした手。 「ニーズ……!行くな!行くな……!」 あまりにも、悲しい儚い微笑み。無理した笑顔。本心をいつも隠した背中。 それでも、それでも、良かったんだ。微笑んでくれるだけで嬉しかった。 微笑んでくれなくても。 勇者とか、そんな事は、なくても良かった。もういい。もう、いいから。 ただ、帰って欲しかった。ただ戻るだけでいい。俺の見える場所に。 「ニーズ………!!」 せまるヒドラの首。 こんな所で、俺は死んでしまうのか。元ニを助ける事もできずに。 悔しさに、情けなくて涙が溢れた。 ヒドラの影首の一つが、竜の娘を咥えて持ち上げた。 「…………!」 弾ける思考。まだ残されていた竜族の血。 暗転した世界に、ほんの僅か、残されていた光点。些細な光だ。本当に、死神も相手にしない程の、か細い希望。 元ニの僅かな魂の欠片が、まだ残されていたことを忘れていた。 ニーズ自身が写した、鏡。もう一人のニーズの存在を。 「……そうか。そうだったんだな。だからお前は、自分の分身を創っていたんだ」 自らの中に忍び込んだ闇に、いつか覆い潰される事を、勇者の本能は察していた。だから逃がした。僅かな希望の一欠片を。 元ニを呼び戻せるとするならば、おそらくアイツしかいないだろう。 それは、『同じ』だからこそ。道を分けた、もう一人の自分だからこそ。 襲いくるヒドラの首共は、空しく空を噛み切った。瞬時のドラゴラムの呪文。小さな紅い飛竜と変化した俺は、竜の妹を噛む首を蹴散らし、死に物狂いで、落下する彼女を歯茎で捕まえた。 何処をどう、飛んだのか、痛みも苦しみも、解らないまま。 ただひたすら、『ニーズ』を求め空を翔んだ。 |