「最悔(さいかい)」 |
妖精の塔より持ち帰った、光の鎧は謹んで弟へと譲渡した。精霊神ルビスより直々に託された神具。……素直に、僕は【弟】の物だと感じ、所有を即座に放棄した。 蒼い装甲は、弟にこそ似合うだろうな。僕より彼の方が前に出るだろうし。 当然の如く、弟は不満を口にしたが、僕は全く聞く耳を持たなかった。 マイラの村に戻ると、サイカちゃんの記憶が戻っていて、二人の幸せそうな姿をまた見て安堵した。本当に嬉しかった。これで、弟は大丈夫。 彼女を死神に連れ去られ、絶望に取り乱した弟ニーズの姿が印象的だった。……どうか、このまま二人が幸せになれますように。 安堵と、疲労の為、みな話も手短に就寝に収まった。 深く。深く。地面に潜り込むように、眠りを貪るのに すでに、確信を持って、僕は覚醒し、ベッドより身を浮かせた。 【僕】を待ってくれている。 窓の外を確認するまでもなく、静かに、手早く身支度を済ませると、吹雪の剣を取り上げ、宿を神妙に後にした。同室のアドレスは疲れているのか、豪快なイビキを立てて眠っていた。 白服の勇者の、外出に気づく者は誰も居なかった。 簡素な村を覆う、漆黒の闇。深い森の木々のざわめき。その先に、不自然に揺らめいた銀の影は、三つ編みを揺らして、少しだけ僕に振り向いた。誘うように、背を向け歩き出し、光球 鼓動は、警戒音を鳴らしている。自分でも、この先にあるものが【光】ではないと確信している。しかし、足は止まらなかった。罠でも良かった。 罠でいい。 |
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彼らは、リムルダールの町を発ち、宛ては無いが、大魔王の島に最も近づく岬へと到着していた。そこで往生したが、待っていたかのように、【道】は開いた。 親子はゾーマの城へと、猛進している。 負傷者を抱え、歩みは遅いが、気は酷く焦り続ける。 「…何故、そんなに急ぐのですか……?」 魔法使いの娘は訊ねた。 「分からない」 父親は寡黙ゆえ、一言返して会話は終わった。 『私は時間をかけ過ぎた。だから急がなければならないんだ』 父親の背中は、会話を拒む気配が強く、娘はぐっと唇を噛みしめ後に従う。 大魔王の居城、門前にて、侵入者を拒むキングヒドラとの戦闘が始まった。首を五つも抱いたアレフガルドの魔竜。魔竜は狂ったように炎を吐き、激しいおたけびを上げ、竜の首をうねらせ連続で噛みついた。 エルフの魔法使いは竜変化し、同じサイズとなり動きを抑え、生まれた隙により、全身火傷の勇者が斧で叩きつける。 歴戦の勇者は手負いながらも、的確に魔竜の首の同じ個所を数度斬り、苦労はしたが、少しずつ首の数を減らして回った。 銀の死神を追いかけ、旅の扉をくぐり、視界に広がったのは巨大な城。その入り口にて死闘を繰り広げる男とエルフ娘。首を四本失い、残りは一本、満身創痍な魔竜の咆哮。 僕の視線は、ただ一点のみに集中していた。キングヒドラのけたたましい雄叫びが、すでに煩わしくて仕方がない。 「ギガデイン!」 暗黒の世界を、雷鳴が貫き、ヒドラの巨体に槍を刺す。地響きを立てて、魔竜の巨体は地に墜ちた。 もう、邪魔者はいない。 ずっとこの時を待っていた。黒髪の過去勇者を、詰問するこの邂逅を。 大魔王の城門に、魔竜が倒れ、雷撃による噴煙が晴れるまで、数刻ばかりの沈黙が支配していた。 光に閉ざされた世界に、僅かに残る火花が爆ぜた。チリチリと周囲に漂う稲妻の痺れ。 不毛で、荒廃した潤いのない大魔王の島。壮厳たる大魔王の城は対岸のラダトーム城を威圧するように構えていた。 僕は、無言で、無表情で、無感動で、何一つの動作も無く、倒れた壮年戦士と介抱に寄り沿う魔法使いを見下ろしていた。 こちらからは、何もしない。 目の前に大怪我人を前にして。白服の勇者は果てしなく冷酷だった。 「……誰だ……?」 ゼイゼイと息を切らしながら、壮年戦士は連れ添うエルフ娘に確認を求めた。余り見えていないのか、細めた眼を擦り、再度じっと僕を見上げる。 「あ……。……お父様、ニーズさんです。お父様の後に、意志を継いで旅立った……」 次の言葉の前に、重い苦い空気が落ちる。 「貴方の……、エマーダさんとの、息子さんです…」 「…………!」 衝撃が奔るのを、慌てて娘は払い飛ばした。 「あの、すみませんっ…。手当てを、手伝って頂けますか?城の中で休みましょう」 「ニー……ズ……?」 「お父様、喋らないで下さい。行きましょう」 「…………ニ……。そこに……」 「急ぎます」 父親が口を開く度に、娘は会話に割り込んだ。 ……滑稽だった。明らかに、邪魔されていると気がついた。 肩車でエルフ娘は移動を始めた。面白いほどに体格差があり、潰されかけている。見かねて近寄ると、気配を察してオルテガがこちらに手を伸ばそうとした。エルフは弾かれたように遠のいた。決定的に避けられていた。 「……。どういうつもりなの?」 矛先が、微妙に向きを変えてゆく。僕の中に渦を巻き始める暗い怒り。不穏な表情に、青く変わる彼女の肌。 「……いえ、……。大丈夫です。私一人で運べます」 「へぇ……」 無茶すぎて鼻で笑った。 そうなんだ。そんなに僕に触られたくないんだ。 僕もだよ。 エルフ娘を力任せに打ち付けた。 頬を叩き、支えきれずに父親もろとも荒廃の大地に転倒する。 ……ようく解った。コイツは僕を排除しようとしているんだ。『僕』の存在を認めていない。 わなわなと、抗議の視線がこちらに上がった。長い髪を掴み、乱暴に持ち上げて男から引き剥がす。……これ以上、親子ぶりを見せつけるな。吐き気がする。 おもむろに、僕はズボンに手を入れ、古い指輪をつまんで見せた。 「この指輪を捨てたのは、君だよね」 「…………!」 差し出したのは、銀の指輪。傷や焦げた痕が残る、年代ものの男性用の指輪だった。リムルダールの川辺で拾った。 手負いの勇者オルテガが、宿に泊まって何かを失くし、町を探し歩いていたと宿屋の主人が話してくれた。大切なものだったのだろうと主人は話したが……。僕は信じていなかった。オルテガが捨てたのだろうと歯噛みしていた。 けれど、どうやら、事実は違う。 ここに、悪意が存在していたんだ。 オルテガが捨てたのでは無いとしたら、誰かが捨てたのか。 男を介護するエルフ娘には可能なことだろう。指輪は、落ちたというより、隠蔽された様に受け取れた。 「どういう了見なのか、聞いてもいいかな?」 「………………」 手を付きうな垂れる、エルフ娘に潜む【悪意】。暗闇に重たく垂れ込む沈黙。それが答え。 「知っててこれを捨てたって事だよね?うちの母との婚約指輪を」 「そう……なの、か……?シーヴァス……」 愚直な父親は、娘の所業に愕然と震える。そんな黒い娘ではなかったはずだ。純粋で、潔白で、人の悪意など良く解っていないような世間知らずな森の娘。 剥がれろ。 ……剥がれてしまえ。 「あははははっ!あははははは!」 「おとうさま。おとうさま〜」 緑深き森で、幸せそうに笑うエルフの少女。人間の男性。 「愛しているよ。二人とも。大事な私の子供たち」 【地球のへそ】で見た、過去の幻。剥がれてしまえ! 冷たい雪がハラリ、ハラリと音も無く落ちて来た。 吐く息は白く、けれど体は怒りに燃えている。僕の声は笑っていた。 「化けの皮、ようやく剥がれたね」 だって心底嬉しいんだ。口元が緩んで仕方がない。 「嬉しいよ。これで、君を嫌いだって正当化できる」 誰にも文句を言わせない。彼女を憎いと思うことを。彼女への滾るような憎しみを。 「……どうしても、どうしても、苦しかったのです。……貴方たちの元へ、お父様が帰ってしまうと思ったら……!」 ようやく絞り出した、彼女の本音。 彼女は、それはそれは純粋だった。綺麗だった。 心が汚れてはいなかった。誰も憎んではいなかった。 それがたまらなく忌々しかった。 「……私は、独りです。エマーダさんへの愛が、本物で……。記憶は、死神に操作されたもの……。操作された出会い、仕組まれた愛情。子供。家族……」 両手で顔を覆って、嗚咽が爆発した。尖った帽子と、薄紫の髪で嘆きの表情は見えはしない。エルフ独特の細い耳が震えている。 「私は、私は一体なんだったのかと……!?」 知らないよ。そんな事。……どうでもいいんだ。 とにかく今は、君が邪魔だ。君が鬱陶しい。消えてしまえ。 「会わせてあげるよ。君の家族の元へ。……帰りな」 彼女に向けた、最初で最後の心からの微笑み。 「君はここで、キングヒドラに倒されて死ぬんだ」 「………………!」 森の魔法使いと、手負いの勇者に意味は伝わった。鞘を外した吹雪の剣に、迷いの光は映らない。僕は、邪魔者を排除する。 「……ごめんなさい。お兄様。お父様……」 すぐさま、娘の覚悟も決まった。震える足で、杖を構え、対峙する。 「勇者は、一人いれば、いいですよね……」 「………………!」 自分の子達が、殺し合おうとしている。過去の勇者オルテガは、声も無く手を伸ばし、全身の苦痛にくずおれた。 全身の火傷が、その日の鮮度で身体を焼き尽くすように熱かった。 罪の炎に、魂が焦げる。 白服の勇者に迷いは無かった。ただ一振りの剣戟にて、彼女を終わらせる威力を放つ。 魔法使いシーヴァスは、剣を持ち合わせてはいない。魔法か、竜変化か……。一瞬の躊躇の後、魔法の詠唱を始めた。 人に殺意を抱いて、しかも同父の実の『兄』こ。 娘の心に歯止めを呼ぶもの……。 彼を慕う、もう一人のニーズ。目の前の勇者と全く同じ容姿をして。どれだけ悲しむことだろう。どれだけ怒ることだろう。どれだけ、嘆くことだろう。 恋人は、さすがに愛想を尽かすかも知れない。 「私、汚い……っ!」 閃光のように、彼女の脳裏に浮かんだ面影。 嫉妬に嘆き、相手を憎み、相手が居なくなればいいと思う自分を呪った泥娘。 「……サ…リサ……」 彼女はそれでも、相手を認めたのだった。嫉妬から生まれる憎しみを乗り越え、相手を許した。和解した。そして彼女は、誰よりも眩しい【聖女】になったのだ。 聖女の微笑みが、彼女の殺意を清風で凪ぐ……。 ガキィーーーン……! 詠唱は止まり、全力で杖で受け身を取った。杖は弾け飛び、鮮血を蒔いてエルフは吹き飛ぶ。 彼女は完全に気を失った。 まだ、生きている。 静かに、呼吸を整えながら、……ざり、……ざり、とブーツは近づいた。 無慈悲に下した剣を、抱き付くように覆いかぶさり、男が止めた。 額の血か、涙のためか、もう刀身も良く見えていないのだろう。足がふらつき二人もろとも転がった。 「やめ、るんだ……。ハァ、ハァ……!」 「…………。そっちを守るんだ?」 案の定。想定内。……解り切っていたことだよ。 今更、エルフ娘を庇われた所で、心境に何のさざ波もない。 「どいて。どかないと、刺す」 娘の前に這い寄り、立ち塞がった男の眼は、「決してどかない」と語っていた。 「……じゃあ、一緒に死んで」 そんなに、そのエルフが大事なんだ。 ……そうだよね。そう、オルテガ自身が口にしていた。 僕は、【地球のへそ】で見た幻にしたように、蒼銀の剣を握りなおし、かつての勇者に斬りつける。ハラハラと、吹雪の剣から微かな結晶が舞い落ちた。 オルテガを斬りつけた。 ガクガクと両腕が、両足が震えながらも、止まらない。息が上がる。 お前なんか死んでしまえ。 母に会わせる資格なんかない。会わせたくもない。 幻でも現実でも、どちらでも構わない。 ザシュ!ザシュ ……なぜ。なぜ。 一撃もかわすことなく、凍った剣先を受け入れているのか……。 反撃を求め、息子の剣劇は連続し加速した。返り討ちで死んでも本当は良かったのに。 剣を落として、白服はボロ雑巾のようにグシャリと崩れた。 |
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彼は、何故泣いているのだろう。 視界は定かではないが、彼の悲しみが胸に迫った。見えはしないのに、彼から目が離せなかった。 ……ニーズ。……エマーダ。 私の息子。私の妻。 朧げに揺れる人影が、懐かしい女性の姿に重なる。 美しい黒い髪。品のある青い瞳。 聡明で、真摯で、自分の旅を支えてくれた尊い仲間だった。疎い自分は、彼女の思いに長い事気づかずに、旅の仲間にかき乱されてようやく交際に繋がった。 彼女と交換した指輪。生まれて来た赤子。「ニーズ」と名前を付けた。 どうして。どうして。 忘れていたのだろう。大切な家族の事を…………。 顔を見たい。どれだけ大きくなった? あれからどれ程の年月が過ぎたのか。 手を伸ばすが、息子はその手を取りはしない。 自分をさぞかし恨み、憎んだことだろう。妻子を放棄し、別に家庭を持ってしまった。不徳の極みだ。だから私は避けなかった。 「ニー……ズ……!」 近くで顔を見せて欲しかった。 愛したエマーダに良く似たその面影を。 息子が再びしまい込んだ、婚約指輪が転がり落ち、僅かな光を放つと私の体に力が沸いた。絶滅寸前の自分に捧げる、最後の願いを叶える力を。 これは、エマーダが渡してくれた守りの指輪。 火口から落ちた私が、生きていたのもこの指輪のおかげだったと思い知る。 ごぼりと血を吐き、手を着き、身体を起こすと、息子の体をよじ登るようにしがみついた。強張る若い身体。とても細く、屈強な勇者とは程遠い。けれど、むしろ【彼女の子】なのだと強く認識し、目頭が熱くなった。 私がこの子に最期にできること。 抱きしめて、 「すまない、ニーズ……」 「……離れ……!」 例え、付き飛ばされ、胸を貫かれても。かけがえのない最期の気持ちを。 大きくなった。 あんなに小さな赤子だったニーズが、一人の勇者として成長していた。 ……こんなに嬉しいことはない。 帰りたかったよ。アリアハンのあの家に。 会いたかった。会いたい。 抱きしめたい……。 ノアニールの森で、銀の死神と戦った。 その日から、ずっと。 温かい温もりに溺れて、 ずるりと、 重い音を立てて、大地に私は帰還する。 「愛している、ニーズ、エマー……」 |
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