激しく風に揉まれながら、私は確信と共に闇の中を降下していました。
 世界の狭間を落ちて往く     閉ざされた視界、風の轟音の中にあっても尚、その存在はハッキリと私を召んでいたのです。

       早く会いたかった………。
 無我夢中で手を伸ばす。

 先には、やがて大地が広がり、眼下に迫る黒い海。
 小さな島。寂しげに佇む小さな祠(ほこら)。


 そこには、    手負いの竜が一人、長い眠りに就いていました。






「十字架」



 ベットの上で気がついた私は、身支度を整えると、すぐに部屋を後にしました。
 鼓動は逸り、足音は高鳴る。落下の負傷はなく、軽快に体が動くことに感謝した。この祠の住人に礼を言い、眠り続ける勇者の下へと案内を急いた。

 アレフガルドの東南。外れの寂しい孤島に小さな祠が一つだけ。
 祠には老人が一人だけ、世俗を避けるようにひっそりと暮らしていました。
 突如迷い込んだ父の世話を努めて数年。時が止まった様に、彼は目を覚ますことがなかったと口にした。
 ………けれど、私は察していたのでした。止まっていた時間は、自分の出現によって動き出すという事を      


 上の世界、ミッドガルドでネクロゴンドの火口に落ち、絶命したと伝えられていたアリアハンの勇者オルテガ。神の加護か生き延びた彼は、ラダトーム西の小さな小島に落ち、島の住人に手厚い保護を受けました。
 全身酷い火傷に覆われ、何度治療しても、回復魔法を唱えても、呪いのように怪我は治る気配がなく、数ヶ月彼は身動きが叶わなかった。

 治るのを待っていては何もできない………。
 彼は恩人の反対を圧し切り、大魔王討伐のへと島を発った。

 
 ラダトーム城下町、砂漠の町ドムドーラ。城塞都市メルキド。この世界各地を回り、勇者は大魔王ゾーマの居城へ渡る手段を探していました。
 ラダトーム城のすぐ南にありながら、ゾーマの島には辿り着く術がない。荒れ狂う死の海に阻まれ、船も出せず、空を渡る【虹】の伝承だけが頼みの綱。
 単身、不治の火傷を負ったまま、彼の道は酷く孤独で、過酷でした。
 
 進んでは倒れ、倒れては進みの旅路。
 無理をし続けた勇者は、この聖なる祠で動けなくなり、………。その後数年間、目覚めることなく昏睡を続けた。



 父の経緯に耳を傾けた後、私は自分の道を語り始めました。
 森の家族を失い、独り村人の石化したノアニールで暮らしていた日々。勇者ニーズとの邂逅。旅立ち。仲間との出会い。
 自分の竜の血のことや、魔王バラモスとの死闘まで……。

 父は静かに天上を仰ぎ、様々な感情を持て余しながらも、最中ひと言も言葉を挟まず静聴していました。
 ここまでは問題なく、感動の再会が続いていたのです。


「………。勇者ニーズは、あなたの息子です。お父様」

 ここから、父の苦悩は始まりました。




 人事のように、【勇者ニーズ】の成功譚を、悔しさを交えながら受け入れていたオルテガは、最初は何のことだか解らなかった様子でした。
「覚えていないのですか?母に会う前に結婚し、生まれていた息子ニーズの事を。彼はずっと、あなたを待っていたんです」

 父の中で、めまぐるしく思考が渦巻くのが感じられた。
 愚直な父親は、嘘をつくような人物ではない。こちらまで伝わるような動揺に、疑いの気持ちは浮かびはしない。
 
「……ニーズ、エマーダ……。分からない……」
 父は、困惑していました。
 容姿、口調、性格、行動。過去。
 私の知りうる限りの二人を、父に丁寧に表してゆく。


        何故………?



 父の脳裏には何一つ、思い出も面影も甦っては来ないのか。

「エマーダ……。ニーズ……。分からない。思い出せない……!」
 思い出そうとすると頭が痛くなり、父は頭を抱えてベットの中で横転した。
「そんな………」
 自分の生まれも過去も、旅の肯定を明確に覚えているのに、彼らの存在だけがぽっかりと穴を開けている。
 エマーダさんなど、共に旅した仲間だというのに……。
 同郷の幼なじみだったはずです。
 結婚したこと以前に、彼女の存在自体が消えるなんて。

 
 ………なにか、作為的なものを感じます。
 彼らの記憶は、何者かによって削除されたのではないのか。そう考えるのが一番自然で納得がゆけるものでした。

 オルテガと私の母との出会いには、死神ユリウスが関与しています。彼女がオルテガから妻子の記憶を奪ったのでしょうか。
 もしそれが事実なら、父は彼を捨てていないし、父も被害者という事になる。

 ニーズさんは、父を許してくれるでしょうか。
 エマーダさんは、許してくれるでしょうか………。




 何かのきっかけで二人を思い出すかも知れないと、終始私は二人の事を話していました。数日後、少し落ち着いてきた頃に、今度は【もう一人のニーズ】のことも伝えます。

 断りを入れずに、話すには躊躇いがありましたが、……けれど父には知っておいて欲しいかった。知っておくべきだったのです。
 いえ、知らねばならない。


 死神の来訪に怯えた妻が、息子を守るために生み出した身代わりを。その為に殺害された私の兄を。殺された私の母も。
 父オルテガも無関係では居られない。全くの無罪とも言えない。
 正義感の強い父親は、自らの招いた不幸にそれはそれは打ちひしがれて、暫く何も言葉を発することができませんでした。

 酷な話をしました。
 体にも障るため、私は追求はせず、ただ事実を話しただけに留める。
 父の中で考えがまとまるのを静かに待って、暫く看病の日々は続いた。



 怪我の様子は、やはり回復の兆しが見えない。
 視力は衰え、近くで話す娘の顔も鮮明には見えないようで……。頬に手を当て、髪を撫で、確認しては、痩せた体でそっと抱き寄せ微笑んでくれた。

 父は自分を責めていました。
 口には出さないけれど、自分自身に激昂し、憤激し、そして哀しくて仕方がないと悲嘆に暮れているのが伝わる。

 何を言って励ませばいいのか、私には分かりませんでした。
 エマーダさんは、もしかすれば、柔和に話が進むかも分からなかった。彼女からは悲しみは感じても、激しい憎悪は感じないからです。
 会っても、冷静な話ができるのではないか。


 問題は息子。



 一日中、星一つない闇に閉ざされたアレフガルドの空。何処かで彼も見上げているでしょうか。窓辺に佇み仰ぐ父は、背中で泣いていると感じていた。
 私も彼を思えば、悲しみが募る。
「……私、ニーズさんに、憎まれています」
 鬱積された哀しみを、脈絡もなく唇にのせた。父は窓の外を眺めたまま、振り返らずに優しく謝る。
「お前にまで、辛い思いをさせて、すまない」
「いいえ……」

 あえて、【父を】ではなく、自分をと口にした。……言わずとも父は、自らも対象であることを知っている。


 全身を包帯で覆った勇者は、一人歩くにも激痛が走る。ましてや大魔王討伐の旅など、到底往けるはずが無かったのです。
 父は止めても引きません。私はならば父を守って共に往く。


「ニーズに会おう。その後で、エマーダにも」
「………。はい!」

 父から言い出してくれた。それがとても嬉しかった。
 彼にどんな罵倒を受けるか分からない。けれど会いたい。会って欲しい。

 父は二人を切望していました。一人部屋にこもる父の口から、二人の名前が何度も響く。呼ぶことで、記憶を呼び戻す糧とでもするように。少しでも距離を縮められるように。
 悔恨を埋めるように      

 どうか、再会が叶いますように。
 笑顔で抱き合うことができますように。

 きっと、彼は幸せになれる。




「これを持っておいきなさい」
 旅立つ準備を進める父娘に、祠の老人はそっと小瓶を差し出すのでした。
「これは………!」
 瓶を見るや、父の眼の色がみるみると変わった。角度を変える度に七色に光を放つ、不思議な砂を封じた小瓶は、父の探した伝承そのままだったからです。
「虹の雫ですじゃ。ご存知ですかな?」
 父は【虹】の伝承を震える声で読み上げた。


 雨と太陽があわさるとき 虹の橋ができる。


 雨雲の杖と太陽の石、虹の雫が揃う時、ゾーマの島へ【虹の橋】がかかると云われている。老人は、小瓶を私の手の中にそっとしまった。
「お前さんが祠の前に倒れておった時、わしは雫を渡す者が現れたと解ったのじゃよ。虹の雫は、森の種族が扱うとされていてな。まさにお前さんは森の娘エルフじゃった」

「……ありがとうございます」
 私にそんな役目があるなんて……。小瓶を強く握りしめて、腰の小袋にそっとしまった。漆黒の闇夜に架かる七色の橋は、どれだけ美しいものでしょうか。

「太陽の石はラダトーム城にあるじゃろう。雨雲の杖はメルキドにあるようじゃ。小さな船じゃが、自由に使いなされ。まずはリムルダールへ向かうと良いじゃろう」

 準備は整い、私達は出航しました。
 聖なる祠に、老人が見えなくなるまで手を振り続ける。




 ザザーーーーン。ザザーーーーン。
 波の音だけが繰り返す。小型船は、風を受けて順調に北上を続けて往く。
「大丈夫ですか?お父様」
 傷の具合を確かめながら、旅路はゆっくり慎重に……。決して無理はしないようにと決めています。
「ああ、だいぶいい」
 海風に揺れる黒い髪。黒い瞳。露出の少ない旅装束で包帯を隠し、大剣を下げた革鎧姿。とても重度の怪我人とは思えない、凛とした立ち振る舞いの男性でした。
 剣も少しずつ慣らし、祠周辺の魔物も倒せるまでに回復している。

 ニーズさん達は、何処に居るでしょうか?
 まずは海を渡り、草原を越えて……。最も近い場所にあるリムルダールを目指します。月も太陽も星もないため、コンパスだけが航海の支え。


「私が、僧侶だったら良かったのですが……。すみません。お父様」
 回復呪文が使えれば、少しは父の負担が減ったかも知れないのに。
「いや、呪文でも駄目なんだ。自分でも試したが、効かない」

 そういえば、父も魔法が使えるのでした。回復呪文と攻撃魔法を少しずつ。
「そうなのですか。本当に、呪いなのですね……」
「……シャナクならば、或いは消えるかも知れないがな」

 伝説の聖女、先代の賢者アローマならば扱えた解呪の奇跡。聖女と言えば、思い出す仲間の姿に思いを馳せる。
「私の仲間が、聖女アローマ様のゾンビキラーを受け継いでいます。もう一人の聖女ジード様、ラディナード様とも知り合いです。彼女らに相談してみましょう」

 それに、賢者ワグナスさんなら?
 ラーの化身ジャルディーノさんなら?
 頼りになる、力ある仲間が私にはたくさん居るのです。

「ありがとう。シーヴァス」
 父の笑顔がくすぐったかった。


 船縁に手をかけ、たゆたう黒い海を見つめる勇者は、左手の指輪を手袋の上から右の親指で擦っていた。
「……お父様?癖ですね、指輪を良く擦っています」
「………?そうか。それは、気づかなかった」
 左手の薬指です。母との指輪でしょうか?幼い頃別れた私には覚えがありませんでした。中央に十字の浮かんだ宝石。とても澄んだ、聖なる印象の指輪。

「誰かに貰ったはずだが……。思い出せない」
「………。もしかすると、エマーダさんかも知れないですね」
 エマーダさんとの誓いの指輪かも知れない。彼女は、同じ指輪を左手に嵌めていたでしょうか……?思い返すも、記憶は曖昧で定まらなかった。
「エマーダ……」


 呟く父の横顔が、酷く切なげで、思慮を思わせて胸が軋んだ。……いえ、ざわついた、と言う方が正解なのかも知れない。
 父は、今なお、彼女を愛している    


 …………ドクン。
 ……ドクン。
 胸が早鐘を打つ。
 喜ばしいことの筈なのに、私のこめかみを冷やりとした汗が伝い落ちた。……なぜ?なぜ………。私の心は天候が乱れ、荒んでゆくのか。
 お父様。お父様      

 私の母との愛情は、幻だったのですか………?




 オルテガに、エマーダさんを、ニーズさんを思って欲しかった。
 それなのに。
 唇を噛みしめて、私は懸命に泣くのを堪えていたのです。


 沸き起こる闇の泉を抑えるように、虹の雫を胸に当てて私は一人誓いを立てた。
 暗黒の世界に虹を架ける。私は二人の架け橋となる。


==


 無意識のうちに輪を離れ、そして飛竜は後を追って飛んで来た。めまぐるしく回転する視界が、彼が私の衣服を噛み、引っぱり上げて安定する。
「………!ありがとう、アドレス君!」
 私を呼ぶ、   『聖』の存在。それは決して無視できるものではなく……。

 気づけば私は、砂漠の中の牧草地帯、ドムドーラへ向かって降下していた。



 山のように詰まれた牧草に飛び込み、私とアドレス君は無事だった。
 牧場の人に事情を説明し、勇者が来るまでの間、住み込みで働くことを許して貰えた。おかげで宿代は浮くし、ご飯にも困らない。
 動くよりは待つ方が確実。アレフガルドの記憶を持つ、アドレス君の提案に従い、私達は勇者一行の到着を待っている。
 この付近の魔物は強く、二人で回るのは危険が大きいと彼が語った。私は全くアレフガルドの知識がないから……。残像思念とはいえ、アレフガルドを竜の記憶で見た、アドレス君は本当に頼りになった。

 私一人なら、まず何にも分からなかったもんね。


 見知らぬ世界。慣れない明けない空。
 この世界の人々は沈んでいた。……笑っていても、どこか影を感じさせて、こっちも哀しさが押し寄せる。
 早く、大魔王を倒さなければ    
 離れてしまった仲間達はどうしているだろう。早く合流しなければ。
 仲間の噂は聞くことができず、安否が気になって仕方がなかった。


 牧場を手伝いながら私はひたすら『聖』を探し、空き時間には町へと巡った。ギアガの大穴から落下中、暗黒の中に確かに感じた聖なる波動。
 『それ』は私を呼んでいた。

 町中を聞き込み、足げく捜し歩く。つぼの中。樽の中。井戸の底。宿屋、武器屋、道具屋。民家の本棚の隅々までも見て回ったのに。
 数日探し回っても、何にも感じられない町の中。感覚の鋭いアドレス君でも感じないという僅かな波動。
 むしろ、それは見つかることを恐れ、息を潜め、自身を消して埋もれている気がして難儀していた。
「聖なる力に関しては、アドレス君より私が上かぁ……。まぁ、そうだよね」



 ………ザク。ザク。
 その日の手伝いを終え、灯りを持って牧場内を歩いて回った。肌寒いので外套を被り、息も白く大地を踏みしめ、隅々を確認してゆく。
 私の予感では、町中よりも牧場。
 この広い牧草地帯の中にこそ、探し物が眠っている気がして、何度も何度も行き来していた。
「一体どこにあるんだろう……?やみくもに掘って回るわけにもいかないし……」

 集中したいので、心配して付いて来ようとする、アドレス君には遠巻きから見つめるだけにして貰った。彼の夕焼けの色のシルエットは、不安を掻き消し、心を落ち着かせてくれる。
 ……そして、上を仰げば、きっと気遣ってくれているだろう、あの人の面影が。
 大丈夫です。私は元気にやっています。


 土の匂い。風の音。葉ずりのかすれた唄の隙間。動物達の気配。匂い。さまざまな感覚に意識を集中させて静かに、ゆっくりとゆっくりと歩みは進んだ。
 何処にいるのかな?君は……。

 どうして、私を呼んだのだろう?
 私が一番『聖』に近かった………?



 嬉しさがこみ上げて、口の端で「くすり」と笑った。
 おかしいな。ジャルディーノ君だって『聖者』だろうし。賢者ワグナスさんだって神の使いなのに。
 自分の足は泥にまみれ。手だって心だって傷だらけ。
 でも、それを「美しい」と思う人もいるんだよね。

 空は黒。静まり返る牧場に、突き刺さった十字架のように両手を広げた私が誘う。天に。大地に。私を取り囲む全ての存在に胸を開いた。
 真っ暗な一面の黒に、一点の星を探す旅に出る。

「私は聖女ではありません。聖者でもありません。……聖なる道を歩みたいと思う、ただの娘です」
 瞳を閉じ、世界の声に耳をすませる。
「あなたは誰ですか?私を呼んでくれてありがとう。君に会いに来ました。君に会いたいです」
 居るのは解っているから。
 私は旧知の友人に優しくもてなすように、囁き語る。

「あなたを邪悪から守ります。もう隠れなくていいよ」
 どうか応えて欲しい。応えて欲しくて、私はじっと楔のように静止していた。
 ………。感じる、イメージ。閉じた目蓋に浮かぶ幻影は、蒼い甲冑に美しい剣、紅いマントを翻した凛々しき勇者?
 傍に揺れる人影は、………かの精霊神ルビス様なのでしょうか?




 パッと目を見開き、イメージは固まった。

 『剣』だ!


 埋もれているのは、かつての勇者の『剣』。剣は勇者に会いたがっている。
「大丈夫!あなたを勇者の元に届けます!だから出てきて!」
 かの願いは『勇者』。聖なるものは、勇者を待って眠っていた。微かな反応に駆け出し、牧場の片隅に座り込む。

「サリサ!見つかったか!?」
 興奮した叫びに竜の戦士が追いかけた。牧草の下に確かに剣の息吹を感じる。座り込んだ私の膝元、僅かながら聖なる光を点しては消えていた。
「うん!ここ!一緒に掘ろう!」
「任せろ!」
 ガリガリと爪で瞬く間に穴が開く。
「そっとね。アドレス君」
 豪快な彼を窘めて、一緒に自分も掘り始めた。傷つけたりしないように、慎重にシャベルを入れてゆく。

     コツン。と金属同士の合わさる音が混じり、緊張して手を止めた。
  これだ。闇の中で感じた聖なる力………!


 アドレス君に促され、後は私一人で慎重に土をすくって、かき上げた。見る間に美しい銀の刀身が姿を見せ、黄金の剣が登場する。
「うわぁ……。なんて、綺麗な剣……!」
 スラリとまっすぐに伸びた刀身、刃の中央に延びた金のライン。翼を広げた黄金の鳥の鍔(つば)。シンプルながらも美しく、高貴さに輝く神剣に身震いが止まらない。

 その聖剣が刃の中央から両断されて、哀しげな姿を晒している。
「………………」
 両手に拾い上げると、無性に胸に迫り目蓋を伏せた。


 感じる。剣の無念を。
 勇者と共に在りたかったんだな、この剣は。美しい姿を保ちつつも、剣は何か【もぬけの殻】のような、無性な虚無感を抱いていた。

 ………勇者、なのかな。
 勇者に会えば、この喪失感は埋められる?



「この剣、治さないといけないね。ここの武器屋さん閉めちゃってたよね。……腕のいい鍛冶屋さん探さなくちゃ」
「そうだな」
 町の人に聞いて回り、遠く北西のマイラの村に風変わりな鍛冶屋がいるとの噂を聞いた。なんでも、上の世界から降ってきたのだとか………。
 私達と同じ世界から落ちて来た男性。これは是非とも会わなければ。

「みんなと合流できたら行ってみようぜ。どうやらコイツは普通の金属じゃないからな」
 アドレス君の意見に同意し頷いた。
 不思議な光沢を放つ金属は、鉄でも銀でも鋼でもなかった。薄いのに硬く、触れると仄かに温かい。硬質なのに指で叩くと柔らかい音がして………。
 全く未知の素材の神剣だった。


 折れた剣を綺麗な布に包み、大事に保管すること数日。
 風に乗って勇者の匂いが辿り着いた。アドレス君と共に駆け出し、二週間ぶりにニーズさん達と再会する。
「え!シーヴァスとナルセス君が居ないんですか……!」
 こちらに居るのも私とアドレス君だけ、残された二人の安否に気を揉んだ。


「あの、勇者の剣を見つけたんです」
 大所帯になり、宿の一階で情報交換にテーブルを囲んだ。食堂は営業時間外で他に客の姿もない。
 ひとしきり無事を喜び合った後、おもむろにテーブル上に剣を広げた。折れているとは言え、誰もがその美しさに感嘆の声を上げる。
「さすが、サリサさんですね」
 ワグナスさんが嬉しそうに剣を受け取り説明してくれた。

「【王者の剣】です。かつての勇者が、神々より授かったオリハルコンの剣。大魔王との戦いに砕かれ、勇者の手を離れ行方不明になっていたのですよ」
「そうだったんですか……」
「当時、弱っていた私には見つけることが出来ませんでした。ありがとうございます。サリサさん」
 褒められて恐縮する。賢者様より上だなんてスゴイことだよ。

 賢者ワグナスは【王者の剣】を(元)ニーズさんへと帰還させた。白き勇者は、折れた神剣をその手に見下ろすも、すぐに横の弟勇者へと流して渡した。
「なんで俺が。お前のだろう?」
「そうかな?君の方が似合う気がするよ」


 ………。あれ……?
 持ち主を口論する双子勇者に、違和感が押し寄せ胸を抑えた。
 もっと感動の再会を予想していたのに。俯いた私の頭上に二人の論争が鳴り響く。……嫌だった。こんな口論。聞きたくない。

「どうした、サリサ?」
 心配して隣のアドレス君が、肩を叩いて覗き込んだ。
「……ごめん。なんで泣くのか分かんないんだけど……。止まらなくて……」

「………剣と共鳴しているんですね。サリサさんは」
 嘆く私に勇者は戸惑い、賢者ワグナスは小さく嘆息して、青服の勇者へ剣を置き直した。正式な持ち主として、弟を指名したという意味合いだった。
「剣もこの通り折れていますし、勇者ズもまだ未完の状態です。お互い、完全となって出会ってない為に、しっくり来ないのでしょう」

「未完?」
 勇者達は、まるで自分達のように【二つに分かれた神剣】を見つめ直し、呟いた。
「剣は嘆いているんですよ。自分が会いたかった勇者じゃないと」
          !」
 それは、屈辱。複雑な思いが、二人の勇者に雷のように迸る。何をもって『完成』と示すのか、分からなかったけれど……。


 勇者二人の沈黙に従い、食堂の空気は重く、仲間達は静かに様子を見守っていた。営業時間外で従業員も誰も居ない。
 日の射さぬ空に、昼間でも室内には灯りが揺れている。

 沈黙を破り、ニーズさんが額冠を外して兄の前に放り出した。
「お前がしろ。……だから言ってるじゃないか。お前が額冠をして、勇者の剣を持って、盾を持って。鎧を着て。それで『完全な勇者』になるんだ」
「………………」
 弟の行為に、兄の双眸に重たい幕が下りてゆく。
「断る」
「なっ………!」
 思わず両こぶしでテーブルを叩き付けた。立ち上がりかけて、仲間達の視線に気づき、ニーズさんは怒りを抑えて座り直す。

「……なんでだよ。お前が勇者なんだから、お前が持てばいいだろ。……オルテガの持ち物だからか。そんな事言ってる場合じゃないだろうが」
「そうだよ。オルテガの遺品だからだ。だから持ちたくないんだ」
 横顔のまましれっと兄は受け流した。
 始めて聞く、彼の冷たい口調に絶句していた。優しい人だとしか思っていなかった。何より、私はもう一人の勇者のことを何も知らない。

 ニーズさんと、こんな辛辣な空気を生むなんて。
 双子の勇者が喧嘩するなんて………。


「いつまで意地張ってるんだよ。いつまでも細かいことにこだわって。お前が『勇者』になればいいんだ。簡単なことじゃないか」
「額冠イコール勇者じゃないよ。それはただのルビスの加護に過ぎない。ルビス神を解放したら、新しい額冠を貰う。それでいいよね?」
 熱くなる弟に対して、兄は至って冷静でした。向ける笑顔に、壁はあれど。


「……確かに、装備品の問題ではないですね」
 賢者が二人に水を打った。
「まぁ、まずは王者の剣を打ち直して貰いましょうか。マイラへ行きましょう♪」
「おい!」
「まぁまぁ、落ち着いて下さいニーズさん。貰えるものは貰っておけばいいじゃないですか。減るものじゃなし」
「貰えるか!」
「で、マイラなんですが」
 ニーズさんの怒りを全くの無視。気の毒だけど、ワグナスさんに心中でお礼を呟く私が居た。緊迫した空気は流れ、仲間達の通常会議に涙を拭う。


 ワグナスさんは地図を広げ、ニーズさんは頬杖ついてそっぽを向いた。額冠は、兄の手によって彼の頭に戻された。


「見ての通り、マイラは島にあり、船でしか行けません。魔物も居るでしょうから、しっかりとした船と、食料などの準備が必要になります」
 船など、どうやって用意したらいいのか……。賢者の余裕顔は崩れることが無かった。
「私がラダトームに、ひとっ飛びして王にお願いしてきましょう。今は航海ができない状況ですが、過去に使っていた船があります。船乗り数人と、水、食料、手配して戻って来ますね♪」

「僕も行きましょうか?」
 名乗り出たのは赤毛の僧侶ジャルディーノさんだった。
 ラダトーム城下では、すでに【太陽神】として扱われている彼が頼めば、叶えられない頼みはないだろう。しかし賢者は首を振った。
「ジャルディーノさんはメルキドにお願いします。メルキドには、おそらく【雨雲の杖】が眠っていると思いますので」

「……分かりました」
 何故かジャルディーノ君には苦渋が滲んだ。何かを思い出したようで、その後、彼は俯いたまま。
 【雨雲の杖】、それは虹の伝承に語られる、天候を操り、雨雲を呼ぶ神杖。メルキドはここから東、険しい山岳地帯の最中にある。

「リムルダールへは行かないのか?」
 更に東に町があるのを地図に見つけ、アイザックが問いかけた。
「そうですね。ナルセスさんもシーヴァスさんも探さないといけないですし……」

 相談して、船の準備期間にメルキドを訪れ、その後リムルダールへ向かうことに決定した。リムルダール付近まで魔法で船を運び、最も短い海路でマイラに到達できる。マイラは深い樹海の中。近くにルビス神も封印されている。



 会議の後、仲間達は宿の二階にそれぞれ上がった。
 私は、気づけば最後まで円卓に座ったままだった。
 気遣うアドレス君が階段の前で待っていて、そこへ戻って来た人影がある。人影は、静かに私の傍に戻り謝罪した。

「ごめんね。泣かせて」
 声に顔を上げた。白服の勇者に、自虐的な微笑みが浮かんでいる。
「自覚はあるんだ。自分が勇者から外れているという自覚は」
「………………!」
 再び、息を潜めていた悲しみがあふれ出す。
 どうして。どうしてそんな事言うんだろうか、この人は。

 ニーズさんだってそうだ。
 自分は「真の勇者じゃない」といつも言って。


 だからみんな哀しいんじゃないか!



「そんな事、言わないで下さい」
 剣は貴方を待っていた。剣だけじゃない、アドレス君だって、私だって。
「みんな、貴方を信じています」
 振り返り、立ち上がった私は、     恐れも知らずに彼の両手を握りしめた。動揺なんて、気にしない。壁なんて気づかない。

 剣が嘆くのは、この人が【自分を否定】しているからだ。自分を勇者と認められない者を、一体どこの神剣が力を貸すというのか。力に蓋をしているのは彼自身。

「……貴方は、自分が嫌いですか?」


 過去の自分を見ているようだった。だから涙が止まらない。
「………………!」
 私の問いに、撃たれたように彼が目を見開く。

 私が救われたのは、仲間が居たからだった。信じてくれた人が居たから。そんな私でも、想ってくれた人が居たから。
「私、貴方の仲間になります。貴方を『勇者』にするために、精一杯力になります」

「………。ありがとう………」
 ようやく、搾り出すようにして、彼が礼を口にした。


 心は決まった。
 彼も大切な、私の仕えるべき勇者。


==


 ザアアアアアアアアッ。
 賢者ワグナスがラダトーム城に船の手配に戻り、一行はメルキドを目指し、山岳地帯を行軍していた。
 この地帯を根城にしていたキメラ、メイジキメラの大群に囲まれ、上空からの総攻撃に苦戦を強いられた。
 大雨が降らなければ、無事では済まなかった事だろう。

「……しかし、この雨。怪しいよな」
 雨合羽のフードを直しながら、黒髪の戦士が呟いた。
 いきなり風向きが変わり、大雨がキメラの大群を襲った。暴風雨の中、ヤツらは巧く飛べず、炎を吐くメイジキメラは水に弱く退散した。

「……雨雲の杖は、復活しているのかも知れないですね」
 誰にでもなかった戦士のひとり言に、応えたのは赤毛の僧侶。雨に濡れる俺の横で、ジャルディーノが険しい表情で解説を始めてくれた。

「………。雨雲の杖は、ラーの賢者が持っていた杖なんです」
 人になった太陽神は、悔いているように遠くを見つめていた。




       雨が、弱まる。
 大樹の下に一人の若者が雨宿りしているのが伺えた。クルクルと杖を回して、空を仰ぐ。雨雲は彼の頭上でピタリと活動を停止した。
「相変わらずスゴイ雨だったなぁー…。ほんとえらい杖だよ、コレは♪」
 蒼い衣服を翻し、口笛吹いてメルキドの門を越えてゆく。
 その額には、紅い宝玉の額冠。





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