「敢然と立ち向かう 2」 |
お兄様達が城内へと無事、駆け込む後ろ姿を確認しました。私は、いかずちの杖を手に、魔竜の前へと踊り出ます。後方に、続いて賢者ナルセスさんも身構える。 「……魔法使いファラ!話を聞いて下さい……!」 自分と同じ 「ギャオオオオオオオーー!!!」 敵の出現に、魔竜はけたたましく吼え、土煙を上げて立ち上がりました。残された最後の首をグネリとひねらせ、狂ったようにガパリと牙を剥く。 自分には、イシスで戴いた【星降る腕輪】が装備されていました。超越した素早さで、ヒラリヒラリとかわし、何度も彼の名前を叫びました。 「魔法使いファラ……!ファラさん……!」 彼は、銀の死神の弟。正確には、血の繋がりはないようですが……。 弟のような存在になろうと望み、彼女らに従っていたヒドラ族の生き残り。賢者ワグナスを塔に封印し、ガイアの一族を陥れ、サマンオサを魔物の巣へと変革した……。 人と仲良くする私や、アドレスさんを疎み、海賊船で罠に嵌めようとした事もありました。サリサは、私の境遇を思い、竜である彼を討たずに、私の選択を促して、今が有る。 「貴方は、人と生きたいのではないのですか……!」 疎むということは、そこに密かな羨望があったのではないでしょうか? 私が人を、盗賊ルシヴァンを愛したように……。 人に惹かれ、焦がれ、求める気持ちは、痛いほどに解るのです。 彼の体は、 「くらえっマヒャド……!」 吹雪の魔法を駆使し、賢者ナルセスさんが、ヒドラの足を凍らせ動けなくしてくれました。ズシンと巨体が沈み、最後の首が土に力なく落ちる。 土煙を払い、急いで駆け寄り、首をさすると……。 額を押し当てて、願いました。 「人と生きましょう。お手伝いします。大丈夫です。人と生きる事が、きっとできます……!」 お願いです。答えて欲しい。 私は、貴方を、竜を死なせたくは無いのです。 返事は、人の言葉は、願っても返っては来ませんでした。 「ギャオオゥオオォォー……!」 弱い、咆哮が竜から吐き落とされる。 じりじりと、近づく【終わり】を感じさせるような。 瞳は激しく憎悪に燃えているけれど、そこに感情の様な【光】は見えませんでした。抱擁を払い、翻す拒否の噛み付き。肩に牙が食い込み、更に力を入れられ悲鳴をあげた。 「シーヴァスちゃん!」 ランスで蛇の眉間を突き刺し、緩んだ隙に、かろうじてナルセスさんが引きずり出す。 「ベホマ!キアリー!」 追撃を受け流しながら、エルフ娘片手に回復を施す。 「……ありがとうございます。ナルセスさん……」 「シーヴァスちゃん、コイツは、ダメかも知れないね……?」 どんなに呼びかけても、【人】の言葉が返って来ない。もしかすると、彼にもう、理性は無いのではないか。もう、戻らないのではないか?よぎる絶望を口にしてくれた、ラーの賢者。 解っています。でも……。 私は、唇を噛みしめ、首を振りました。 「すみません。もう少しだけ、お願いします……」 優しいラーの賢者は、咎める事もなく、嫌な顔をせず、私を回復して付き合ってくれる。 「ファラ!魔法使いファラ!ヒドラ族のファラ……!」 人の言葉で無理なら、と、竜化してなお彼を呼んだ。 「アアアアアアアーーーー!!」 呼んで。吠えて。噛み砕かれて。揉み合い、倒れ、炎に焼かれ、毒沼に落ちて、数刻。急いでいるのに、いつまでも尽きない巨体戦。 徐々に、ヒドラの稼働率が、動く時間が、短くなってゆくのでした。倒れて動けない時間が永くなる。そのまま、命尽きてしまうのではないかと、不安がこみ上げてくる。 けれど、どれだけ打ちのめされても、彼は攻撃を止めないのでした。気を失っても、竜の皮膚が泥のように溶けだしても。 竜化を解いて、ヒドラの元に膝折れました。 貴方は、もう、間に合わなかったのか……。 「この骨。アレと同じだ。魔王バラモスと」 ナルセスさんの意図したものに気が付いて、慌てて私は顔を上げました。肉体が溶け、剥き出しになった骨。けれど、その骨が再び動き始める。 「シーヴァスちゃん、ごめん。コレはもう無理だ。ただの呪いの塊。時間も無いし、一気に終わりにしていい?」 雨雲の杖を構え、ドラゴンゾンビの前に、賢者は盾のように立ち塞がる。 爽やかな蒼い外套を翻し、変わらぬ屈託ない砕けた笑顔を私に見せた。 「大丈夫。シーヴァスちゃんには、何も責任ないから」 「…………!」 エルフ娘は蒼白に固まりました。彼の道が、終わる。竜の道が。 「俺がせっかちで、トドメさしちゃうだけだからさ。そーゆー事で、シーヴァスちゃんは一切気にしないでね★」 引導を渡す事に、躊躇う私に、ラーの賢者がパチリをウインクして星を飛ばした。自分が肩代わりになる、という温情の微笑みでした。呪文の詠唱に、私の両目に涙が溢れた。 ……ありがとうございます。ナルセスさん。 でも。でも。私だって、逃げるわけには行かないのです。 勇者の仲間として、敢然と立ち向かうために、立ち上がる。 もう私は、守られるだけの、可愛い勇者の妹 では ないのですから。 「「メラゾーマ!!」」 二人で重ねる、巨大な火球は炸裂し、爛れる骨のヒドラを焼き尽くすのでした。火柱が燃え、爆風が渦を巻き、昏い世界にススが花弁のように儚く舞う。 生まれ変わった先でいい。 この方に【光】を。 苦しくて、悲しくて。 ただ、ひたすらに頬は濡れた。 くすぶる魔竜は、燃え爛れながらも、賢者の予想通りに、呪われた再生に鈍足で移行してゆく。繰り返す訳にはいかない。 「……。ふぅー……。やるしかないか。……シャナク!」 聞き慣れぬ呪文の動作でした。 太陽神の賢者は、十字を切り、神に仰ぎ、呪いの浄化を祈りました。見違えるほどに、【魔竜】の存在から邪悪さが薄れてゆく。 異臭の火種が、神聖なる炎に生まれ変わりゆくのを見つめた。 「助けられず、すみませんでした。さようなら、魔法使いファラ……」 両膝を折り、指を組み神に祈った。 その嘆きさえも……。 見ているだけで辛かった胸の内が、清涼としたものに、晴れ晴れとした心境に変えてくれる、偉大なる太陽神の奇跡でした。 「哀しい、ですね、竜は……」 ただ種族が違うだけで。 意思疎通も、共生もできたのに。できたはずなのに。 「良くやったよ、シーヴァスちゃんは。仕方ない仕方ない」 二人で、神に祈りを捧げた。願わくば、竜という種族の救いを。幸せを。 「忘れません。彼の事を」 「うん。そうしよ。それでいいと思う」 陽気な声で、ぎゅっとナルセスさんは私を抱いて、頭を撫でて言いました。 「うん。大丈夫。大丈夫。あとは神様にまかせとこ」 ふと、 気づくと、音もなく、長い銀髪を三つ編みに結った死神が、悲しそうに魔竜の亡骸の前に、幻影のように浮かんでいました。 こちらを見やり、表情は変わらぬまま、一礼。消し炭をひとかけら、すくい上げると、死神フラウスは音もなく、ナルセスさんの元へと移動する。 ラーの賢者の前で、消し炭は小さな氷粒のような結晶となり、死神の手のひらより託されます。 「すみません。これを、貴方の町へ。ナルセスバークへ、埋めて下さいませんか?この子が、唯一帰りたいと願った場所です」 「…………!」 驚きと、言わずとも、願いを察したのか、暫し賢者は打ち震えていました。 「解りました」 屈託のない、笑顔で言葉を返します。大事そうに受け取り、死神も微かに微笑む。 彼女も、弟の死を悼んでいたのでしょう。 再び一礼すると、死神の姿は消えていました。 急いで城内に入り、兄たちを追うため、静けさに足音を抑えながらも、ひた奔ると、城内に眠り落ちている竜の大群に遭遇しました。 どうしてそんな状況になっているのか、すぐに察することができた自分は、ナルセスさんの背中を掴んで、額を当てた。 【竜族】への気遣い。 自分は、本当に幸せものです。 私も、竜なのに、受け入れてくれる人達が居る。 無駄に流さずに済んだ血と、助けられなかった命と……。 感謝と、新たな決意を胸に、 私は先に進んだ、仲間達の後を追うのでした。 |
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「ゲハハハハ……!ハラワタえぐってやるわ!」 「黙れ!」 その異形の姿を忘れたことはなかった。 「あのね、僕もね、旅に出るんだ。君たちみたいに」 美しくも儚い、金髪の少年がアリアハンの情景に思い浮かぶ。残影には霞みが掛かり、醜い化け物の嘲笑に上書きされてしまうんだ。 アリアハンで共に過ごした、リュドラルの仇 魔王バラモスは、親友を喰らった憎き宿敵だった。 激しい腐臭が鼻をつく。俺は顔を歪めるが、気合いで意識から飛ばすしかない。気を許せば、悪寒で気絶しかねない気持ちの悪さだった。おぞましい。 闇が濃い。身が凍る。 「うおおおおおおっ!!」 怒りのままに怒号を上げ、神速で奔れば、左右に水の気配が広がった。暗くて視界はままならないが、左右に浅い水場のある祭壇なんだな。 駆け抜け高速の二連撃を叩きつける。緑から、気持ち悪く、ドス青紫に変色したカバの、胴体を切り刻み、濁った血潮が噴き上がった。 「イオナズン……!!」 「ぐわっ……!」 不気味な声は苦悩さの欠片もなく。 幅広い唇から、赤い舌がめくれ上がって呪文を唱えた。炸裂する凄まじい爆撃。轟音。 一瞬で壁まで吹き飛び、めり込んで数秒後に水場に落ちた。水を噴いて瞬時に立ち上がる。浅いが、全身水浸しになり、闇の寒さに身震いしていた。 滴り落ちる前髪の水滴を、頭を振って払い、雑に手の甲で顔を拭いた。 「大丈夫!?アイザック!」 心配して、賢者サリサが寄ってくる足音がする。 「イオナズン……!!」 「!?きゃあああああっ!」 信じられない速度で、連続の呪文攻撃に耳を疑った。大抵、大呪文には長い詠唱が付きものだ。そう連続で、大魔法が飛んでくることも少ないのに。 サリサも吹き飛ばされて、遠くから落下物の水音が轟いた。居場所が分からなくなってしまった。わずかに、細く発光している、隼の剣だけが光源。 とにかく、サリサを探さなければ。 思考は短く、即行動。しかし息つく間もなく、俺に放射された激しい炎。 明らかにネクロゴンド城で戦った、あの世界での決戦時より、バラモスの攻撃力が増していた。呪文威力も、吐く炎も。【あの日】の比じゃない。 「くううううっ!」 正眼に構えて、隼の剣が、いくらか火炎を裂きダメージを軽減してくれた。不死鳥ラーミアを守護する神器の片割れだ。儚き吟遊詩人の面影を脳裏に感じて、神の加護に感謝する。 「ベホマラー!フバーハ!」 サリサの回復、補助の声だった。 ……「大丈夫」だな。心配は無用か。 邪悪な笑い声を目がけて、攻撃の再開だ。 水場を奔り、飛び込んでは、高速の斬撃。呪文に吹き飛ばされる。凌いでは、はげしい炎。魂から黒コゲになりそうだ。耳障りな笑い声が闇の祭壇に反響している。 鼓舞するように、懐の遺品が仄かに熱い。 【月の弓】の砕けた残り、月の形にも似た遺品が、 一緒に戦ってくれているんだ……! おもむろに、祭壇の間に、紅き人影が浮かびあがる事に気がついた。 小さな赤毛の僧侶が、祭壇に祈りを捧げていた。 アリアハンの教会で日常祈るような、他愛のない、静かな参拝。ラーの化身は紅く仄かに揺らめいて、彼を迎え入れるように、消されていた燭台が全て炎を噴き出した。 サアっと、温かい炎の揺らめきに開かれる視界。 気のせいか、呼吸が楽になった気がする。 「お待たせしてすみません。今、戦いやすくしますね」 祈りの言葉が、呪文の詠唱が連なる。 「スクルト!スクルト!フバーハ!フバーハ!」 「助かった!ジャル!」 手短に礼だけ。これで攻撃に専念ができる。ありがたい。 にこり、と太陽神が微笑めば、この場所自体の【闇】も薄くなった気がした。 「バイキルト!」 サリサの、攻撃力アップの呪文も飛んできた。 「イオナズン……!!」 「うおらあああああっ!」 効くか! 爆風を断ち割って、火炎の渦を剣撃で凪ぎ払って、口に溜めた焔ごとブッタ斬った。 「ギャアアアアアアアアアアアア!!」 腐った肉体が縦に割れる。離れた口元から、尚も零れた呪詛。 「イオナズン……!!」 「しつこい……!」 踏ん張ったが、耐えきれず、吹き飛んだ。壁に激突し、落下。瓦礫と仲良く水場に沈んだ。 力強く、ジャルディーノが紅く輝く。 背丈が伸び、大人びたジャルの姿が顕現した。太陽神ラーが降臨した。 「バラモスよ。少し、黙りなさい」 珍しい、険しい表情だった。そう、【怒って】いる。 「暫しの沈黙を。……マホトーン!」 「……!!……っ!……っ!…!」 魔王バラモスに衝撃が奔った。 一切の声を出す事が出来なくなって、さすがに慌てたみたいだな。 裂けた体を両手で押さえ合わせ、呪文を喋ろうとするも、どうやっても声が出ない。うるさい【イオナズン】が、もう来ない事実に歓喜する。 「ありがとうございます!太陽神さま!」(神には敬語) これだけして貰って、勝たなきゃ勇者の戦士なんて名乗れない! 右から左へ。上から下へ。呪文は無くても激しい炎は襲ってくるが、構わない。鎧が、服が、厚い手袋も焼き焦げる。息が上がる。再生も間に合わない速度で切り刻む。 黒い前髪がチリチリと焼けていた。返り血と、自分の血も混ざって良くわからない。 バラモスの腐敗した体は切り刻まれ、ボトボトと床に墜ちてゆく。臭さに、もう鼻がマヒをしていた。……正直、気持ちが悪い。反吐が出る。気にしてられるか。 やがて炎も吐けなくなり、骨のみになりつつあるが、それでも再生が止まらない。 もっと、もっと迅く!粉になるまで斬ってやる! 光り輝く、隼の剣。 はやぶさ斬り!高速の二連撃。更に速く!超はやぶさ斬り!超高速の四連撃。 バシュバシュ!バシバシバシバシッ! 俺の剣技の全て、叩きこむっ 共に過ごした、リュドラルとの鍛錬。日々の精進。体力づくり。親の手伝い。畑仕事。 勇者オルテガに憧れて、マネした剣技。城の訓練。 ニーズとの研鑽。仲間との冒険の日々……! 「アイザック!頑張って……!」 儚い少女が、上の世界で膝をついて祈りを捧げた。小さな背中に、わずかに残った光りが輝く。死神に奪われた翼が、残った力をふり絞る。 戦士の背中に寄り添うように、神の翼が光を放った。 「不死鳥乱舞 !!!!!!」 神速の、六連撃 !!!!!! 神の鳥が高速で飛びかうように、戦士の剣が空を裂いた。光の線がジグザグと跡に残る。遅れて風が吹き抜け、ふわりと光の羽根が舞い散った。 断末魔もなく、魔王バラモスは微塵と化した。 ……ずっと、ずっと。 この魔王に苦しめられ、悲しい結末に陥ってしまった人々への想い。 「もう二度と、お前は出てくるんじゃねええええ!!!」 しかし、邪悪な気配は、粉塵と化しても、尚もしぶとく燻っていた。 消えたと思ったのは、ほんの一瞬。 気づけば、まだ魔王の気配が渦を巻く。渦は竜巻となり、粉は集まり、霞みの集合体のように変化してゆく。 「……コイツ!まだ……!!」 魔王バラモスは、骨だけの姿で襲って来た。 呪文を唱える口もなく、炎を吹き出す胃袋もない、骨の手による打撃だけになりながら、その攻撃の強さはハンパではない。 拳一つで床がえぐられ、衝撃で弾き飛ばされた。 神剣で受け止めなければ、腕をヘシ折られていただろう、強烈な打撃。 「もう、バラモスゾンビね。普通の攻撃じゃ死なないんだわ、コイツ!」 もう正常の命を越えている。サリサが呆れて毒づいた。 「……そう、ですね。サリサさん、ゾンビキラーを使って下さい」 何か思うことがあるのだろう、補助していたジャルディーノが、サリサの剣に指示を出した。 「……えっ……」 邪悪のみを葬る聖剣、ゾンビキラー。かつての賢者が愛用していた剣を、サリサが【地球のへそ】より持ち帰った経緯をもつ。 サリサにとっては終始求めていた勲章。一度手放し、再び手にしたもの。 当人には言い尽くせない複雑な想いがあるのだろう。賢者姿となったサリサは、じっと剣を手に見つめ、心を決めたのか、一言呟いた。 「分かりました。……やります。ジャルくん、アイザック、任せて!」 「アイザックさん、サリサさんを保護しましょう!」 「おう!!」 精神を集中し、サリサは神への祈りに入った。 両手を振りかざし、襲い来るバラモスゾンビの、骨のひとはしでも、触れさせない。 「ギエエエエエエアアアア!!」 奇声をあげ、バラモスゾンビの強烈な二回攻撃。 骨を叩き砕き、ダメージを粉砕。骨の噛み付きに歯を食いしばり、気合いで押し返す。流血のまま隼の連続攻撃。決して魔王を前進させない。赤毛の僧侶は、自分も祈り、サリサに攻撃増や守備強化の呪文を繋いだ。 「ベホマ……!」 俺への回復呪文も飛んだ。 「ミトラ神よ!神の聖なる十字架を!」 サリサが、ゾンビキラーを天に翳し、神を召ぶ。 「全ての命に祝福を。全ての邪悪に神の慈悲を。 不浄なる魂を救い給え!」 「グランドクロス!!」 バラモスゾンビに、突き落とされる巨大な光の十字架。 「ギヤアアアアアァ……!」 焼き焦げ、蒸発し、浄化される。 魔王の悲鳴は、大音響から不意にプツリと聞こえなくなった。 邪悪な気配も、異臭も。奴を象った物はもう存在しない。 「……はぁっ……。はぁっ……」 もう復活しないだろうか?肩で息をするサリサは、警戒強く十字架跡を見つめていた。 終わった。 「…ありがとう。サリサ。」 「ありがとう、ジャル……」 こみ上げるものがあるが、もう泣かないと決めてる。 吹き抜ける聖風に、呼吸を整えて。気持ちを抑えて。 「…ありがとう。勝ったよ。リュドラル。シャルディナ」 忘れ得ぬ友に、帰りを待つ少女に、一言だけ呟いて、涙を乾かすように俺は先へ向かった。ここは終わった。でも、まだ終わりじゃない。 助けると誓った、勇者の戦いがまだ続いている。 「行こう!ニーズが待ってる!」 |
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死神の鎌と、何度も撃ち合い押し合い、火花を散らす高速戦闘が続いていました。 それは、ずっと、【あの日】から繋がる、死神の阻害の最終局面。 氷の様な長い銀髪を翻す、死神ユリウスの視線は冷静に、何一つの焦りも見えない。まだ彼女には確信があり、余裕しゃくしゃくなのでしょう。 ……決して、勇者の復活など有り得ないと。 死神の、口角が微かに上がるのを見た気がしました。 「……クスクス。……クスクス」と、絶えない氷の嘲笑。 うるさい賢者との攻防など、些細なお遊びの感覚なのでした。 例え遊びでも、弟勇者の邪魔をさせるわけには行きません。 ガン!キィ……ッッイイン! 私の荒い息と、重なる武器の衝突音だけが反響する。 「……無駄な事を。本当に、おめでたい虫ね」 呆れて、一呼吸、足を止めた死神は、乱れた髪をかき上げ毒づきました。 「いいえ。ニーズさんは、必ず彼を呼び戻しますよ」 精一杯の自信を込めて、極上の笑顔を送りましょう。荒い息と流れる汗とは裏腹に、一陣の爽風さえも、まとう様に。 ……ええ。私には、一切の不安はないのです。 信じています。 勇者を。 勇者二人を。二人の絆を。 小さな少年が、帰らない父親を嘆き、泣いていました。 現れた死神に怯え、死に震えた母子。 孤独な少年と手を繋いだのは、少年の鏡。 鏡は、 糸 でした。 いつか消える自分を。繋ぎとめる微かな楔(くさび)。 勇者オルテガが【光の玉】を失い、生まれた小さな命に伝承してしまった。 その小さな命を、消すことは簡単だったのに、死神ユリウスは壮大な鬼ごっこを開始した。捕まれば、彼は闇に堕ちる。 堕ちる前提の、本当に些細な、戯れ。 【闇】は常に彼の傍に。いつまでも。いつまでも。 終わることは無く。逃げること叶わず。いつか完全に闇に堕ちる。 世界は、終わる時が来る。 ルビス神の賢者でさえも、絶望を覚えました。 勇者は、自分の一かけらを逃がしていました。 それは世界の為だったかも知れません。 自分の孤独を埋める為だったのかも知れません。 私にとって、勇者にとって、世界にとって、 『 彼 』は、全ての希望でした。 彼を、育てなければ……。 だから兄弟を引き離しました。二人の世界を反転させた。 ずっと。ずっと。 私は勇者二人を見守って存在してきた。 進もうとする死神ユリウス、させじと杖の打撃で妨害する。秒に数回乱撃する鎌と杖。お互い一歩も引かず弾ける火花。 クワッと口蓋が開き、瞬時に吹雪の呪文が完成していました。同時に同じ呪文を唱え、吹き飛ぶのを相殺。死神の鎌で腕が落ちるのを、瞬時にベホマで繋ぎ留めた。 紅の瞳に苛立ちが見えました。こちらは、ほくそ笑む。 汗は伝いますが、ええ、心は愉しんでいます。 銀の死神の美しい双眸が、ジワジワと醜く歪み、髪が逆立ってゆく様を。 死神が乱れる程に、私は笑みを増してゆくのでした。 世界の、この先の、 奥で空気が変わりました。 渦巻いていた、【増魔】の気配が、忘れたように、フツリと途切れた。 「 珍しく、死神ユリウスの注意が完全に逸れたのです。動きが止まり、氷像のように沈黙する。私も、奥へと神経を集中させました。 ……何が、起こりましたか?起こっていますか。 戻ってくるのは、闇か、光か。 「な……。そんな……!ああっ、あああああっ!!」 なんとなく、何が起こったのか、察しはできたのです。私以上に死神は驚き、よろめき、白い肌が青ざめ、両手で頭を抱えた。死神ユリウスの、信じられない取り乱した姿でした。 絶望から、一変、彼女に沸きあがる怒りの炎に距離を取る。 美しい銀の姿から豹変。髪の総毛だった闇の化け物と化し、紅目を見開いて奥へと突進する。突き出す右手は、破壊衝動が爆発し、周囲が音を立てて【石化】し始めた。 「いけないっ……!」 必死に前に出て、タックルして死神を止めます。怒りの矛先は、おそらくは弟のニーズさん。 「ぐううううっ!」 彼女を抑さえる体が、音を立てて石化してゆく。 「ドケエエエエ!虫クズガアアア!」 「くっ……!ルタ様、お力お貸し下さい……!」 女神すら石化したユリウスの本気の攻撃に、たかが賢者ごときが耐えられるはずも無い。勇者がルビス様の石化を解いた『妖精の笛』を首元から引き出し、口に咥えて懸命に音を鳴らす。 落ち着いて。落ち着いて。 美しい旋律を……! かろうじて、石化の速度は退化している。 ユリウスの爪から、前方勇者目がけて石化の波動は進んでいる。波状効果で周辺の床、水も石化が止まらない。 私は、腕がもう動かず、顔だけ、口だけしか動かなくなってゆく。 笛の音が止まれば全てが終わる。 数年に及んだ賢者の賭けは、今、結末の時を迎えます。 |
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どのぐらい、意識が飛んでいただろう。 一瞬か、数分か。 勇者の盾もろとも猛吹雪に飛ばされ、転倒していた事に気がついた。凍り付いた全身に、覆いかぶさる積雪。奥の暗闇で大魔王ゾーマがうっすらと胎動していた。 雪をこじ割るように、立ち上がる。 「マヒャド……!」 「マヒャド……!」 魔法の猛吹雪が、渦を巻いて襲って来た。 盾で防ぐ。足元が凍り付き、動けなくなる。 ゴウゴウと、「来るな」と言わんばかりに押してくる。 光の鎧と、勇者の盾さえあれば、耐えられない程でもない。 「帰って来い!ニーズ!!ニーズを返せっ!」 俺からの反撃は、何もしない。 俺は攻撃をしない。絶対に。 叫びながら、猛吹雪の祭壇をひたすら進んだ。吹雪で、せっかく灯してくれた松明は消えている。仄かに光る王者の剣のみが頼りだった。 玉座で大魔王は、ほくそ笑む。 「愚かな」 「愚かな」 声は確かにアイツなのに……。 目前に来て、腕を引こうと手を伸ばした。ゾーマはフウと息を吹き、俺は揉まれて壁まで飛んだ。血反吐を吐いて、床に堕ちる。 「もうよい。さあ、この手で殺してやろう」 「もうよい。 さあ、この手で殺してやろう」 玉座から立ち上がり、大魔王は音もなく絨毯を移動した。兄の瞳が紅い。青い瞳が魔に呑まれた殺意に燃えている。 死が、近づいてくる。遥か過去より、集められた魔の化身。 「ちがう。……ニーズ!」 自らの思考を否定して、勢いよく身を起こす。 「うおああああああっ!」 駆け寄り、悠長に歩み寄る大魔王の襟首を掴み取った。 大魔王なんかじゃない。 俺の兄だ!アリアハンのオルテガの息子、ニーズだ! 殺されてたまるか。アイツの手で。 絶対にもう、誰も殺させない。 ずっと、啼いているんだろう。 父親を、オルテガを刺したことを後悔して。自分を責めて。 もう、いいんだ。心底どうでもいい。 お前の罪も、善も、悪も、過去も関係がない。 「帰って来い!ニーズーー!!」 ほのかに光る、命の指輪を差し示す。 城の入り口に落ちていたものだ。 勇者オルテガが後生大事に持っていた、妻からの贈り物。 「信じるよ、俺は。オルテガは母さんを愛していたんだと!」 父の名前に、大魔王は僅かに息を呑んだ。 「お前の事も愛していたんだと!!」 「……!」 「……!」 振り払うように、右手が俺を裂いた。細く鮮血して、膝を付き、手で堪えた。 苛立ったように、再度の手刀が床を穿つ。盾と跳躍でかわしながら、俺は続けた。 「これ(指輪)を付けながら、父を思って生きればいいじゃないか!」 しっかりと指輪を見せつける。 轟音の中でも、俺の声は届く確信がある。 絶対に逃がさない。隠れたままになんて、永遠に許さない。 ……でも、何故だろう。こんな時でも。 脳裏に浮かぶのは、 幼き頃の、優しい笑顔だけなんだ。 ……会いたい。 ……会いたいよ。ニーズ。お前に会いたい。 あの小さな家で二人で過ごした、ささやかに楽しかった日々の。鏡写しの様な黒髪の少年の、屈託ない笑った声を。 忘れはしない。絶対に取り戻す。 吹雪の中心に、闇の中芯に。どんなに遠くても、諦めずに見つめ続ける。 増魔の奥底。兄が隠れる、逃げ込んだ世界の底へと。とこしえの暗闇へ。 「これを(額冠)を付けて、勇者になればいいじゃないか!!」 『勇者』という言葉に反応したのか、ゾーマは一歩よろめいた。 また一歩よろめき、すましていた双眸が歪んでくる。 「目障り な … !」 「目障りな……!」 頭を抑え、憎々しげにゾーマは呪文を吐き捨てた。 大魔王の前に、黒い闇の塊が浮かび、放出される。 「がはあああああっっ!!」 なんだ、コレ。闇の呪文……? 喰らって、視界がフラッシュバックする。転がって意識が途切れかけて、血反吐を吐いた。魂から蝕むような、不快が襲う。頭がガンガンと痛い。 手放した盾を拾い、這いつくばって、上体だけを起こして前方を睨み据えた。 「ド ル……!」 「ドル……ドン……!」 微かに呪文の響きが聞こえた。また来る! 必死に伏して、構えた腕に何かが吹き飛んできて当たった。 闇の呪文で視界が眩む。魂ごとエグり取られたように世界ごと揺らぐ。 このままでは、死ぬ……! 飛んできた物質を苦し紛れに掴み取った。 「なっ 手にすれば、急に、俺を包む世界が変わった。 見えない布で覆われたかのように、寒さを感じなくなり、闇の不快も感じず、頭痛も治まった。凍えた体も、ゆっくりと感覚を取り戻してゆく。 兄が妖精の塔から持ち帰った、精霊神ルビスから貰った 【聖なる守り】 だった。 中央の小さな宝玉に、翼を広げた鳥の様な紋章。 足元に落ちていた。もしくは捨てたのかが、飛んで来たんだな。 馬鹿な俺でも理解した。……凄まじい、ルビスの加護。 妖精神ルビスの加護を得て、立ち上がり、俺は再び大魔王に対峙する。 「ド ルマドン……!」 「ドルマドン……!」 闇の呪文に意味なく身構える。コイツばかりは喰らいたくない。構えた勇者の盾に、予期せぬ光の盾が生まれた。 ピキイイイ 光の盾が、昏い波動を跳ね返す。向こうに効果があったかは解らないが。 ……マジか。マホカンタの呪文ってヤツだ。加護も大判振る舞いだな。 数刻して、効いてないと悟ったのか、吹雪は止み、闇の呪文も途絶えてくれた。 音も無く、不気味な装束に扮した兄【ゾーマ】が、吹雪の剣を振りかぶって飛んできた。 「くうっ……!」 剣でギリギリ受け止めて、止めきれず、そのまま押される。 盾で、弾いて、受けて、受け流して。跳んでかわしては、受け。受けるだけでもダメージは蓄積してゆく。踏ん張り切れず、転倒。転がる俺を追いかけ回す吹雪の剣先。 信じる。ニーズは、俺を刺したりしない。 絶対に俺を殺せない。殺さない。 「帰って来い!ニーズ……!」 膝立ちし、意を決して身を乗り出す。そう、俺は兄を抱きしめに奔った。迎えに。受け止めるために。 吹雪の剣が胴を刺す。胴を貫く突きが放たれた。全身が凍り付く。 このままでは死ぬ。世界が軋む。揺らぐ。 走馬灯のように横切る残像。母さん。ニーズ。サイカ。 全身全霊、魂の限りに兄を信じた。 吹雪の剣の刀身が、雪の結晶を振りまいて霧散した。大魔王ゾーマの瞳が、ガラスのように感情のない青に揺れている。 残された剣柄を落とし、大魔王は後ずさる。 「お き ……!」 「おのれ、貴様っ……!」 雪の結晶が、ハラハラと、ゆっくりと床まで落ちた。 捕まえて、強く兄を抱きしめた。 「ニーズ……!迎えに来た!もう何も気にしなくていいから!誰もお前を責めないから!だから、帰ってこい……!帰って来て……!」 薄れた、闇の濃さ。乱れた呼吸は、俺のか、ニーズの吐息なのか。 硬直した大魔王は、解る、今は ニーズ だ。 顔を上げて、兄の意識が戻って、笑い合えると思ったのに。 ニーズは、ただ、ひたすらに哀しい顔をして、 ひとすじの涙を流した。 俺の頭を両手で抱えて、額を重ねる。 意識が、意志が、俺に流れ込んで来て……。 俺は、反射的に、力の限り兄を 殴り飛ばした。 |