「ともに見る空」



体は石に変わり、身動きが全くできなかった。
どうして、僕ばかりこんな目に会うの・・・?

寒い・・・。

見知らぬ土地、見たことも無い家の前、僕は野ざらしにされていた。
   哀しい。
石にされる直前、僕の前に腕を広げたフローラの後姿、思い出しては後悔が襲う。

悲しい・・・。

僕は独りきりだった。蹴り倒され、そのまま・・・

寂しかった。
おそらく、今まで生きてきた中で最も。
淋しかった。
石像は、仰向けに倒れたまま、ずっと空ばかりを見つめていた。

空しか見ることができなかった。

辛い・・・。

朝が来て、夜が来て。また朝が来て、夜が来て。
雨が降る日もあった。風が強い日も、冷たい日も。陽が照りつける日も、雪が石像に積もる日もあった。

僕は身動きもせずに、じっと空ばかりを見つめていた。

もう、空を見ているのも嫌だった。
いっそのこと土にでも埋めてくれたなら。

もう、自分は帰れないのかも知れないと、いつしか諦めが僕を捕らえた。
永い時間、ただ無駄に時間ばかりが過ぎて行く中で、鞭で叩かれる事もない。空腹といつも隣り合わせでいるわけでもない。

誰かに罵られることもなかった。
誰も世界も僕を傷つけようとはしなかった。
石像は安全な場所でただ転がっていただけ。

でも、僕はずっと、奴隷の時よりも辛さに壊れそうになっていたんだ。

空ばかり見つめながら、理由を知る僕は何度も友達の事を思った。


あの頃は、ヘンリーが居てくれたから・・・。
どんなに叩かれても、空腹でも笑う事ができた。
どんな事も二人で「笑いごと」に変えてゆく事ができた。

助けてよ、助けに来てよ!ヘンリー・・・!!

もう、君に会える事もない・・・?

もう、僕の事なんて忘れてしまったかな・・・。

もう、誰も僕の事なんて気にもしていないような、そんな不安ばかりが募る。

探してもいないのかも知れない。もう、誰も・・・。

また朝が来る。夜になる。
当たり前のように。僕はその下で倒れたままでいる。


数年もの年月が流れていた・・・。


杖を持った女の子が、石像に向かって魔力を注ぎ込む。
唐突に、石像は自分が『人であった』ことを思い出していた。
少し老けたサンチョと、子供が二人。子供は僕とフローラから生まれたあの日の双子、僕の子供だと言った。

    信じられなかった。


泣きつく子供たちに笑顔で応えることもなく。
久し振りに動かす体が動かしにくいせいだけでもなく、僕の手は子供にもサンチョにも触れようとはしなかった。

言葉も出なくて、曖昧な返事ばかり、王の帰還に喜ぶ人々の笑顔にも寒気がしていた。
宴会は楽しむ気にはなれない。酒も一滴も口にしたくない。
呪われたような『悪魔の夜』を、否応無しに思い出させるせいで。

帰還を祝う儀礼ごとから解放されて、自分の部屋でようやく一人になった僕は呪文を唱えていた。

もう、見るのも嫌な夜空の下を飛び、向かったのはラインハットの城。


城の外壁の上に降り立ち、足は寄り道もせずに一直線に友の部屋へと向かう。
城内には多少の変化が見られたけれど、部屋の位置は変わってはいないようだった。

彼の部屋の前には兵士が見張っている。
説明するのも煩わしかったのだけれど、兵士は僕のことを覚えていてくれて助かった。
「あ、あなたは・・・!ヘンリー様っ!ヘンリー様っ!アルム様です!」
「どうした?アルムだって・・・?」

友人は、悲しいことに、やはり少し僕を置いて歳を重ねてしまっていた。
取り残された気分になり、僕は会いに来たことに一瞬後悔してしまう。
来るんじゃなかった。こんな気持ちになるくらいなら・・・。

「あ・・・!アルム!この馬鹿!心配させやがって!!!」
怒鳴るのに、ヘンリーは僕の首に片腕を絡めて喜びに笑う。

「ひょっとしたらお前が見つかるかも知れないって・・・。話だけは聞いていたんだぜ。石にされてしまったんじゃないかとか・・・」

頬が水分を含むのを感じて、ヘンリーが驚いて僕の顔を見つめる。
「おいおい。どうした。どうしたよ?」
変わらない彼の応対が嬉しくて、ようやく帰って来れたような気がして、時の流れも忘れて友にすがりついて僕は泣き始めた。

「よしよし。ゆっくり話聞いてやるよ。今夜はここに泊まって行けよ」
宥めながら僕を部屋に案内して、兵士には労いの言葉をヘンリーはかける。

「お勤めごくろーさん。またコイツ行き先告げてないかも知れないから、朝になったらグランバニアに使い出してやってくれな。俺が誘拐犯にされちまう」





夜分いきなり現れた友人、泣きながら俺にぶつける悲しみは相当のものだった。
グランバニアはラインハットに対して、「俺」に対してなるべくアルムの情報を伝えないようにしていた。

友好国としては繋がってはいるものの、アルムを探す筆頭者、召使いのサンチョが俺が捜索に関わるのを酷く拒んでくれていた。

直接聞いた言葉ではないが、アルムの行方を問い詰めた後、オジロン様と話していたサンチョの言葉は忘れられない。

「あのヘンリー王子がまた関わりますと、助かるものも助からなくなるような気がしまして・・・。私どものみで探したいのです。ラインハットにはどうも良い思いがしないのです」

悔しいが、俺が探せたのはラインハット国内程度に留まった。
自分個人では方々を捜し歩くこともしたが、それも隠れてのこと。
サンチョはアルムの子供達をこの国に近づけないようにしていたし、国事で俺がグランバニアに顔を出す時でも絶対に子供達に会わせてはくれなかった。

ラインハットは災いを召ぶ、俺は呪われた王子であるかのように。



「お前も、苦労するなぁ・・・」

アルムの話に一言呟いて、俺は軽く奴の肩を叩く。
歯痒かった。どうして運命というものは、コイツにばかり苛酷な試練をもたらすんだろうか。

石像になって八年・・・。孤独に打ちのめされてしまって、あれだけ強かったアルムが怯えたように小さく震える。
俺は、過ぎてしまったどうしようもない時間に、傍にいれなかった事を申し訳なく思った。

「ごめんな。俺もまた一緒に石になれたら良かったな。辛かったよな」
「・・・。ヘンリー・・・」
「無事で良かったぜ。とにかく無事で良かった。ごめんな。もっと早く助けに行けなくて。そんな孤島知らないからなぁ・・・。悪い・・・」

おもむろに俺はベットから毛布を引き剥がし、絨毯の上に広げ、その上に横になる。
「俺はな、まだ時々、こうして床の上に横になるんだよ」
頭の下に両手を敷き、天窓に映る蒼い星空を意味もなく見つめる。
「忘れたい思い出だったはずが、今では幸せボケしないようにと、忘れないようにしているんだ。まだ何処かでお前が苦難の旅をしてると思うと尚更な」

「僕はもう、空を見るのも嫌になっていたんだよ」
人生に疲れた友人は、もう横になるのも忌まわしい事のように、空を見ることは「無力さ」の象徴のように、瞳を曇らせてしまう。

「でも・・・」
隣に横になる事をおそらくは躊躇った。
けれどアルムは投げ出したかのように、敷いた毛布の上に仰向けになる。

「良くこうして並んで寝てたよな。冷たい地面の上でさ。でもどんな時も、悲しいくらいに見える空って変わらないな。時代がどんなに過ぎようとも」

「・・・見てたんだ。ずっと。空を。月を。星を・・・」
アルムがまた涙していることを、震える声が教えてくれる。

「君と見てた、辛い日々を思い出していた。二人で一緒に居られた頃を」

「待っててくれるかな。心配して探しているかな。また会うことができるだろうかって。何度も何度も・・・。毎日、考えていたよ」

「大丈夫だって。俺はいつも、同じように空を見てる。心配してたさ。どうしようもないくらいに。でも、信じていたな。お前は必ず生きているって。お前が簡単にくたばるはずはないって」

「・・・本当は、何度も絶望してしまいそうになったけど・・・」
続く言葉は、本当にありがたくて、俺も貰い泣きしそうになる。

「ヘンリーは、きっと、信じていてくれると思っていたよ・・・。だからギリギリのところで僕の心は砕けずにすんだ。会いたかった。だから飛んで来た・・・」

「ありがとな。そんな風に思ってくれて嬉しいぜ」
そこまで言われるのが許される程、俺には何かができたわけでもないけれど。

「俺にできる事も少ないけど、その中でも力になれる事はいくらでもやってやる。奥さんに言えない愚痴でも聞いてやるしな。早くフローラさんも見つけないとな」
「・・うん。僕の方が先に見つかって良かったよ」
「はっはっはっ。確かに。お前が助けて、受け止めてやらないとなー。さすがに」

首を横にすると、久し振りに友の顔に笑顔が戻っていて、その倍以上も明るく俺は笑う。
「僕一人時間に取り残されたみたいで、なんだか不安だったんだ。やっぱり君に会いに来て良かった」
「子供達もずっとお前の事探していたんだぜ。可哀相に。もう、行方不明になるなよ。何処かへ行く時は行き場所をちゃんと言って行けよな」

「・・・うん。そうだね」
これにはアルムは苦笑していた。

「何処へ行くのもお前の自由だ。でも残ってる奴らを不安にさせるなよ。・・・ずっと待っててやるからさ」
「・・・うん。ありがとう・・・」


数年ぶりに、二人床に並んで見上げる夜空。
俺たちの姿格好が変わっただけで、見下ろす星は何ひとつ変わっていないように思えてくる。
嬉しいことのような、悲しいことのような・・・。

泣いて思いを吐き出して、そして安心したのか、横でアルムは寝息を立て始めていた。戦い続ける友を労い、上に毛布を持ってきて新たにかけてやる。

俺はマリア程敬遠な神の信徒ではないけれど、時々お前の事だけは祈りたくなるんだよ。祈るしかないとも言うが。
どうか頼むから、早くコイツに安穏な日々が訪れますように。

アルムが王家の人間であると、報告は実は嬉しくはなかった。
国なんて背負わなければ良いのにと、なんでもない平凡な幸せだけで充分なのにと・・・。

どうか友に、もう不幸が訪れないように。
珍しく今晩俺は神に祈っていた。





翌朝、のんびりと二人は起きて、マリアに会い、コリンズを紹介し、一緒に朝食を食べてアルムはグランバニアに帰って行った。

「そうだアルム。もう悪いことが起きないように、ラインハットに代々伝わるお守りを渡そうか?旅の無事は確実だぜ?」

「よしっ。あれだよ。例の宝箱に入れてあるから、持って行けよ」

「えっ?何も無かったって?」

「だから言ったろ?お前は騙されやすい奴だって!アハハハハッ!」

「そんな顔で見るなよ〜。しょうがないな。じゃあ、変わりにコレやるよ!」

俺はかぶっていた帽子の羽飾りを一つ抜いて手渡す。
「ちゃんと返せよっ?親分の大事なものだからなっ!」

そして更にアルムの手の上に、ラインハット王家の紋章入り金ボタンをぽんと乗せてやった。
「お前も頑張ってるしな。そろそろ正式に俺の子分として認めてやってもいいかと思うんだよ。と、言うわけでこれは「子分の印」だ。失くすなよ?」

自分が近くに居られない分、何かしら預けて置きたいと願った。
どんな時でも、信じあえるように。

俺の冗談に笑う、往年の友達に、
言い知れない祈りを込めて大きく手を振り続けていた。

何処までも何処までも、繋がる青空の果てまで。
そうする事で、またお前が旅立てると言うのなら。





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