甲山大師の由来

「仲哀天皇の御代(時代)、神功皇后が国家平安守護のために、山に如意宝珠・金甲冑・弓箭・宝剣・衣服等を埋めたと伝え

られ、このことから甲山と名付けられた」という説が有力だが、他にも「(山の)形が甲に似ているから」という説もある。

また、当山の寺名の神呪寺は「かんのうじ」と読む。これは、「神の寺」→「かんのじ」→「かんのうじ」となったようだ。

神呪は本来「じんしゅ」と読み、「神秘なる呪語」「真言(仏様のお言葉)」という意味であり、「じんしゅじ」の時代もあった。

ただ、開山当時の名称は「摩尼山・神呪寺(しんじゅじ)」で「感応寺」という別称もあったようだ。山号も後に「武庫山」

と変わり、先代・光玄のときに現在の「甲山」となっている。


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