腰を掴んで抱き寄せても、細い身体は抗わなかった。見透かされている、と思うのはこんな時だ。すがりたくなった時、傷を舐めてほしくなった時、この人は容赦なく自分を拒絶する。そんなものは、自分の役目ではない――とでも言いたげに。
たわむれに手を伸ばしても、拒まれる。ただ、こうして、気が狂うほどに、触れたい――と、純粋に思っている時だけ。触れても彼は抗わない。そのまっすぐな、無邪気なほどに透明な――琥珀の瞳で、ただ見上げてくる。強い。強い視線で。
「師匠」
囁いて、世界から隠してしまおうとするかのように、オラトリオの外装で――その「影(シャドウ)」で抱き包む。こうされることが好きだと、知っている。己の鋭気をもてあますこの人は、こうして、シャープにコンパクトに作られた身体全体を、圧倒的な物量を誇るオラトリオの身体の中にくるまれる、そのこと自体は、嫌ってはいない。
視覚構築の特殊なカルマが、今の光景を見たならば。真白の光が、オラトリオという得体の知れぬブラックホールの中に、押し隠されて包み込まれ、ほどけ、やわらかく融けていく様が見えただろう。
「綺麗っすね、ほんとに」
「何がだ?」
外装のはがれた、ましろい身体がオラトリオの中で像を結び、琥珀の光は彼を射抜く。
「師匠が」
喉の奥で笑うと、あきれたように光は彼からそらされた。知らないのだ。自分がどんなに、「きれい」なプログラムか。外見だけの問題ではない。その精神の在り方が、これほど「きれい」なプログラムも、珍しいというのに。
まっすぐな、光のような、まぶしくかがやくプログラム。アトランダムが難航し、バンドルがいつまでたっても完成せぬ中、ひとり、相棒をおいて立ち上がり、起動した、最初の――「正常」な、彼はプログラムだった。
バンドルの、ギアの、……そしてクオンタムの。消失と暴走を、見届けた唯一の存在が彼である。
時折、オラトリオは不思議に思う。たわむれに、彼に触れられることを許す、この奇跡のように白い存在が。稼動するA-ナンバーズ16体の中でも、もっとも多くの闇を見つめてきた、「生けるロボット工学史」であるということを。
なぜ、こんなに、きれいなままなんだろう。
羽化する蝶を見る子供の眼差しで、オラトリオはコードを見つめる。
荒れ狂い哭いたアトランダムを、破滅さえ弄んで笑ったギアを、闇に同化し沈みゆくカルマを、ねじれながら光に手を伸ばすオラトリオを、――いや。それどころか。オラトリオにとってはオラクルであり、カルマにとってはリュケイオンである、唯一絶対の相棒、バンドルを。彼はその手で斬り捨てて、それからずっと、たったひとりで立ってきた。
一目遭うことすらかなわなかった「半身」を喪って。ただひとり。30年。
ただ、まっすぐに。ただ、ましろく。
「きれいなんすよ、師匠は」
オラトリオという一個の「影」を、こうしてひきつけ、焦がれさせ、そして、時に狂おしいほどに求めさせるほどに。
照れるか、怒るか、呆れるか。そう見守るオラトリオの影なる腕のその中で、伸びやかに羽根を伸ばす、ましろい気配は。
琥珀の光を一時閉ざし、そして、ただ、小さく笑う。
「……硬いだけだ」
崩れたことは、なかったのだろうか。
泣いたことは、なかったのだろうか。
オラトリオの知る、この人の時間はたった10年。その倍以上の時間を、この人はひとりで生きている。
その間、ましろくまっすぐに、ただ、待っていたのだろうか。
「……シグナルが羨ましい」
「俺様も、お前が羨ましいさ」
30年待った、このけうらな、稀有な人の前に、突如現れることのできたシグナル。
生まれたときから、半身を持ち、二人でひとつ、二人三脚で歩くことのできたオラトリオ。
「ねぇ、師匠、」
普段は転移の時だけ現れいづる、一対の真っ白な翼、そのつけねにくちづけを落としてオラトリオは囁く。
「師匠は、俺が狂ったら、俺のことを斬れるでしょう」
コードは身を震わせてただ、答えない。
「そうやって、師匠は斬ってきたんだから。俺のことも、斬れるはずっすね」
「……斬って欲しいのか?」
やっと現れた、揶揄する口調に、オラトリオは笑って答える。
「ええ。……その時は、師匠の細雪の露にしてくださいよ」
この人は自分を斬るだろう。ギアのように、バンドルのように、カルマのように、オラトリオも狂ってしまったなら。
ためらいもなく、まっすぐに。真っ向から自分を斬るだろう。
「……そういうことは、自分の相棒に頼むものだ」
細い身体のその頂点で、花嵐のように桜色が萌える。そこにもくちづけてオラトリオは答える。
「オラクルは、俺の大事な相棒です。そんなこた、それこそ死んだって頼めませんや」
「……俺様なら、いいということか」
「師匠だって、可愛い可愛い『弟』に、そんなこと頼ませやせんでしょう」
ね、と少しだけきつく抱き寄せて。お願いですよ、と、甘えるようにささやいてみれば。
「……たわけが……」
振り返った琥珀は、さざなみをたてているようにも見えたけれど。一瞬でそれは閉ざされて、くちびるにくちびるが触れていた。
契約のように触れた、しろい唇の感覚に、オラトリオは酔う。
このきれいな生き物が、自分の幕を引いてくれる。その空想と同じほどに、この冷たい唇は彼を酔わせる。
雷鳴のように、灼光のように、烈しく、白く、きれいな……最初に在り、そして、きっと、最後まで在る、かなしく健全な、まっすぐな。
このひとは、すべてのロボットをきっと見送るこのひとは、たとえて言うならオラトリオの、


「告死天使って、やつですかね」


その言葉が聞こえたのか、それとも聞き損ねたものか。琥珀はもう開かれることなく、押し入るオラトリオを、ただ、黙って受け入れるのみであった。